6時25分のテレビ体操が始まる前に
急いで起きてカーテンを開けると、
夜中に雪が積もった様子。
準備運動十分にして外へ出てみると、
なんだ・・・たいした量ではありません。
スノープッシャーでザザッと ひとかきすると、すぐ地面が見えました。
まもなく午前11時の現在、窓の外の温度計は+6度を指しています。
家の中で太陽の光を浴びると 力強い熱を感じます。
でもこのまま春になるわけはない。
ああ~本当は、ブログに書いておきたいことはたくさんあるのに、
書き出すエネルギーが湧きません。
そういえば去年の今頃は、冬季鬱かな、なんて思ったのでした。
今年はそこまでではないけれど、
結局誰のためにもなっていない、のんびりすぎる時間は、
心身ともによろしくないよう・・・
気合いの入らぬブログ書いてないで、
外へ出かけよう~っと
ま、行き先は実家ですけどね・・・今日は母と一緒に、何を作ろうかな~
全国的に冷え切っている日本列島・・・
大阪の次男にメールしたら、やはりすごく寒いって。
ちゃんと防寒着あるのかなぁとか、部屋の暖房大丈夫かなぁとか、
いろいろ気になりだしたけれど、
もう一人前なのだから心配ないですね
こちらはさっきまで、雪が時折激しく降っていました。
で、雪かき1回目・・・の前に~
雪かきのあとのお楽しみを自分に用意しよう!と、
ちょっぴりぼけかけた林檎でお菓子を焼いて・・・
お砂糖ちょっとしか入れなかったから、物足りないかな、と、
ハスカップジャムを上に塗ってクルミも乗せて2度焼き~
よし!これでがんばれる
それから張り切って外へ。
でも今日の雪はふわっふわで、と~っても軽かった・・・
ご褒美が必要なほどではなかったけれど、
やっぱり美味しく味わいました~
台湾やアメリカでも、寒さや大雪で、亡くなった方がいるとか・・・
悲しいことが多すぎて、地球サン・・・冷え切っている・・・?
何もできない自分・・・
せめて身近なところだけでも、あたたかくあたたかく・・・
スーパーで両親が買った殻付き牡蠣の食べ方で、
実家でごたごたした。
結局私がナイフで殻を開いて上の殻をはずし、
母が、夕食の時にお皿に載せたままレンジで5分間チンすればいいようにして、帰ってきた
帰りに自分用にも同じサロマの牡蠣を買って帰った
家にあった辛口白ワインを開けて準備万端。
さぁ、今日はお相撲が最高に面白い!
普段あまり見ないけれど、今場所見始めたら、たちまち虜に
あぁそして、苦労を重ねてきた琴奨菊の優勝は、なんと心に響くのでしょう
喜ぶお父様や、親友でライバルで唯一土をつけた豊ノ島の祝福・・・
今日はとにかくワインが美味しい
今日のワインは甲州を2年以上樽熟成して黄金色に輝く「アルガブランカ ピッパ2011」
泣けました
ワインが最高に美味しゅうございました
ありがとう サロマの牡蠣さん、そして琴奨菊
ワインは、もう4分の1しかない・・・
朝刊に、近所に献血車が来るチラシが入っていたので、
張り切って行きました。
前回は献血できるヘモグロビンの基準値に0.1g/dl足りず、
とても残念でしたが、
今回は大丈夫でした!
今回新たに体験したのは、献血時の副作用を防ぐためにするLEG CROSS運動。
足首を交差して、脚とお尻の筋肉、腹筋にぎゅっと力を入れ、足首を伸ばす、
そのあと脱力というのを5秒ずつ繰り返すもの。
脳への血流を増加させるそうで、冷えていた身体もあたたまりました。
血管が細くて、いつも看護師さんにはご苦労をおかけしてしまいますが、
無事400ml献血ができ、
水分補給の100%オレンジジュース2本と、ティッシュボックス5つ!もいただいて、
実家へと向かいました。
今日は全国的に寒くて雪が降っているところが多いとか。
札幌は、今のところ眩しい青空が広がっています。
献血もできたし・・・気持ちも晴れ晴れです。
今回の血液も、誰かのお役に立てますように・・・
オカリナ教室のあと、実家へ行ってみました。
・・・今ここに長々と、実家であったことを打ったのですが、
・・・消しました
老いた親の悲しい姿をこまごま記録してどうするんだろう・・・と、
なんだか情けなくなってしまって。
なるべく二人だけで・・・と思っては いるけれど・・・
今までの何倍もの頻度で行く必要を感じました。
一つだけ書くと、お餅にカビが生えていて、
でも母は見えないから気づいていなかったこと。
全部包丁で削って、小分けにして冷凍庫に入れてきたのでもう大丈夫・・・。
いろんな衰えは、今日に始まったことではないのに、
すべては気の持ちよう。そんなレベルのことなのに。
明るい気持ちになるお香でも焚こうと探した「歓喜」という名のお香は、
もうなくて、手にしたのは「老松」・・・
なんだかなぁ・・・ここにも「老い」かぁ・・・まぁ香りは好きなのだけどね。
やっぱり気持ちは沈んだまま・・・
楽しい予定をキャンセルすることが重なり、
友人にも申し訳ないことが続いてるからかな・・・
今日は亡き夫の誕生日。生きていたら61歳です。
「死んだ子の年を数えるな」ということわざがありますが・・・
夫の場合はどうなのでしょうね~
昨年は遺影を前に二人分の夕食を並べて飲みましたが、
今夜は一人で居間で・・・やっぱり飲みました
夫の好きだったビールや焼酎じゃなく、私の好きな白ワインですけれど。
ちょっぴり酔っ払って、ちょっぴり思い出に浸って、ちょっぴり泣き、
たくさんある写真をちょっとだけ眺めました。
夫は4年前まで、真冬でも休日はたいていマリーナへ行き、
こんなふうに冬囲いした愛艇の中で飲んでいました。
この冬囲いも、自分で設計して苦心しながら作っていましたっけ。
棚やテーブルや細々したものは、全部自分で作り、
メンテナンスもできる限り自分でやっていました。
その船は今、夫の従兄のお知り合いの方が、大切に乗ってくださっています。
夫はたぶん今も、天の海でクルージングを楽しんでいることでしょう・・・
お昼過ぎに大学へ向かった長男・・・
出かけたあとに、ふとテーブルの上を見ると・・・
スマホが置いたままに・・・
何度も、イルカみたいな音が鳴ってる~
きっと今頃、落ち着かずに講義受けてるんだろうなぁ~
大丈夫、覗いたりなんかしないから~
だいいち スマホの使い方、知らないものね・・・いまだガラケーだもの
よくわからないまま、
PhotoScapeなるものを使ってみようと思います。
実家にはパソコンがないので、
我が家に帰ってきて ようやく加工に挑戦。
まだまだ時間がかかります。
昨夜の。吹き出しが小さすぎ~!
今朝の。
もっと大きくないと、見づらいですね
少しずつ 楽しみましょ
こんなことやっていられるのは、今朝も両親が元気なおかげです
コメントやメールをくださった方々、心配してくださっていた方々
ありがとうございます・・・
気にかけてくださる方がいるというのは、
本当にありがたいこと
昨日今日と、母は元気に過ごしてくれました。
4日前の、床に倒れて意識を失っている姿を思い出す度に、
言葉では表しようのない思いが湧いてきますが、
それを不安として増大させるのではなく、
「今元気にしていること」への喜びにしていこうと思います
倒れたことに加えて、母の、緑内障による視覚障害の進行と、物忘れの激しさは、
一人だと暮らせない段階に入っています。
でも父がいてくれるので、大丈夫。
この4日間、父の甲斐甲斐しい⁉︎働きぶりには何度も感心しました。
整然と、安全な暮らしが保たれているのは、父のおかげで、
母もとてもありがたがっています。
そのことが、父が以前より体調よく過ごしている原動力のようにも思います。
同時に、長い年月 専業主婦として深く身につけてきた母の家事の能力も、
物忘れのひどさに比べるとかなり健在です。
ですから先日のように倒れたりしない限り、
まだしばらくは、二人で暮らしてくれそうです。
(・・・もうあんなことはありませんように)
久しぶりに帰ってきた我が家で、
長男と自分の夕食を作り、ゆっくりお風呂に入り、
自分のペースで過ごす時間・・・なんと貴重なことでしょう・・・ありがたや
あ~でも外は久しぶりにたくさん積もりそうな雪
朝起きたらどうなっているかなぁ・・・
今日の母は、昨日に比べると元気です。
昨日はずっとぼ~っとして10歳くらい年を取っていた感じ、
今日は動きも表情も生気が戻りました。
食事の支度も入浴も大丈夫で、父も安心したようです。
母自身も、「昨日より頭がすっきりしているし、食べ物の味もはっきりわかるよ」と言っています。
昨日、お友達が、一人暮らしをしていたお母様にも、
以前同じような(気を失う)ことがあったとメールをくれました。
千葉に住む弟も、奥さんである義妹の言葉として、
(検査で)脳に異常がなかったのであれば、転倒のショックで少しおかしいだけで、
ゆっくり休んでいれば回復するからそんなに心配いらないこと、
義妹のお父さんがやはり、たまに気を失うことがあり、
病院でも原因はわからないけれど、
年をとってきたらある程度しょうがない、
てんかんではないと思う、
という内容を伝えてくれました。
義妹は、ベテランの中医師&鍼灸治療院長なので、
心強い存在です。
昨日一日うつらうつらし、今日回復したのも、
義妹の言葉通りでした。
これからも何か起きないとは言えないけれど、
とりあえず一山は越えた気分です。
これから先の、
実家に泊まり込む、または住み込むときの イメージを、
具体的に持つこともできました。
このまま明日一日、変わりないようであれば、
実家に泊まるのはひとまずやめようと思います。
手を出しすぎず、
私自身の生活とうまくバランスをとっていく、
ということを心がけたいと思います。
自分の心に恥じないように、
自分の心が納得できるように。
夕食後、父が、母に夕刊小説を読んであげているのを横で聞いていました。
感情込めた抑揚たっぷりの父の朗読に、びっくり、ドキドキ、しました。
朝刊小説を読んでもらったことはすっかり忘れていた母・・・
夕刊小説も内容はすぐ忘れると思います。
でも、小説の内容を記憶し楽しむことが重要なのではなく、
読んでもらう、読んであげる、という関係性こそが重要なのだと、
しみじみ感じさせられました。
年をとることには、どうしたって哀しみがついてきます。
私にも始まっている肉体あるものの定めを、逃れる方法はありません。
そうして、いろんなことを、
「しかたがないなぁ」と納得しながら肯定的に諦めていく・・・
それも必要なことなのだと思います。
主人の両親にも、そして実家の両親にも、
たくさん身をもって教えてもらえているのは、とても貴重なことだなぁと、
おかげさまで今夜は、昨日より落ち着いて、考えることができるのでした。
いろんな人、いろんなことに、ありがとう・・・
母の状態の記録として、記しておきます。
いつにも増して、ダラダラ書きますので、
個人的な関わりのない方には全くつまらないあきあきする内容だと、
お断りしておきますね。
今朝も、いつものように4時起きで雪かきをした父。
母は最近、以前のように早く目覚めてラジオを聞くことが減って、
ゆっくり寝ていることが多いらしく、
今朝も6時半まで寝ていました。
午前2時頃に一度、珍しく腹痛でトイレへ行き、しばらく入っていたとの本人談。
朝は、割と元気で、
一緒に朝食を作りました。
ご飯とお味噌汁。ほうれん草とイカの炒め物、大根おろしのモズク黒酢かけ、
オムレツ、納豆、イチゴ・・・朝からたくさん!
ところが・・・食事の最後の方でふと母を見ると、顔を上に向けたまま、
力なく背もたれにもたれかかって目を閉じていました。
気を失っているように見えました。
「おかあさん!」と声をかけると、すぐ目を開け、
「あ~、今頭がふ~っとなった・・・」と言いました。
聞くと、テレビの音は聞こえていたそう。
しばらく静かに座って、5分後にはイチゴを食べ始めました。
午前中はずっと眠そうにしていてお腹も軽くキリキリ痛むというので、
父が布団をひいてくれたのですが・・・そのとき
家の修理関係の業者さんが説明に来ました。
すると、
眠そうだった母は、父と一緒に業者さんと向かい合い、
とてもしっかり話すではありませんか。
玄関外の階段の柵の材質や
耐用年数などを質問したりして・・・びっくりでした。
でも、その後はやはり不調そうだったので、
お布団の上で少し足裏の腸のツボをマッサージしました。
お昼ご飯を食べずに眠りました。
父と二人でお昼を食べた私は、
しばらく泊まり込むことを決め、
母が寝ている間に家に戻って、洗濯や雪かきをし、シャワーも浴び、
数日分の着替えやオカリナまでカバンに詰めて、再び実家へ。
母は起きて、切って冷蔵庫に入れておいたリンゴを食べ終わったところでした。
お腹はまだ不調そう、
そしてお昼寝したせいか、
昨日倒れたことやMRIなどの検査をしたことなど、すっかり忘れていました。
話しているうちに少しずつ思い出すようですが。
やはり眠くだるそうでした。
夕方、母のかかりつけの内科医のところへ私一人で行きました。
意識を失った原因として、
昨日言われたてんかん以外に、
いくつか可能性があるとしたら、何が考えられるかをお聞きしました。
が、う~ん、とおっしゃるだけ。そして、様子を見なければわからないとのこと。
可能性としても、何もあげられないのかと残念に思いながら帰ってきました。
その後の母は、比較的元気で、
父に止められながらも、私がいない間に夕食の下ごしらえまでしてくれていました。
夕食も普通に食べ、
いろいろおしゃべりもし、
8時にお布団に入りました。
同じことを何回何回も、数分間隔で聞くのは、今に始まった事ではないし・・・
ほとんど私や父を気遣うことばかりなので、
ありがたくもなります。
「寒くない?」「湯たんぽいらない?」「疲れたんじゃない?」などなど。
両親とも、昼間ソファに座ったまま居眠りすることが多くなって来ました。
それは80歳過ぎだから、普通のこと。
でも、昨日倒れて、声をかけても反応のない母の姿を見てしまってから、
眠っていても、意識を失っているのかもしれないと、不安になってしまいます。
原因がわからない、ということが私は一番苦手なのかもしれません。
今日は、楽しみにしていた予定がありましたが、
行けませんでした。
これから先、こういうことも多くなるでしょう。
でも、
自分に恥じない自分でいたいと思っています。
中途半端なままUPしてしまいました。
脳波、心電図、血液、そしてMRI・・・脳神経外科での長々とした検査が終わり、
診察室でお医者様から結果をお聞きしました。
検査では脳外科的な異常はないとのこと。
血管も脳そのものも、年齢相応だそうです。
でも、
倒れた前後の記憶がないこと、
仮に、緑内障で見えないせいで椅子に座り損ねて倒れたとしても、
普通は手をつくはずで、顔から落ちることはないはずだし、
意識がなかった時間が1分くらいあったことも、異常なことだ。
とのこと。
今日の検査では異常がなかったので、考えられる原因は・・・
「癲癇の発作」だとのお話でした。てんかん・・・?
どうも私には、そんな気はしません。
やはり見えないせいで座り損ねて、顔から床に倒れ、
ショックで一時的に気を失った・・・
そんな気がします。お医者様には、
転んだくらいでそんなに意識を失うことはない。
と、再度癲癇の可能性だけを言われましたが。
また同様のことがあれば、てんかん発作を抑える薬を処方しなければなりません、
とのお話で終了しました。
母は、帰って来てもしばらく普段の元気が戻らず、
お水を飲みに台所へ行こうとして立ち上がってすぐ、
胸が気持ち悪い・・・と言って動けなくなり、慌てましたが、
しばらく安静にしているうちに大丈夫そうになりました。
そして夕食は、控えめながら美味しいと言ってたべてくれました。
美味しいなら大丈夫!やっと私も安心できました。
急いで、我が家に戻って、地震の影響がないことを確認し、
着替えを詰め込み、
雪かきもして、
また実家に戻り・・・
今夜は久しぶりに実家に泊まります。
長い一日でした。
原因もはっきりしないままです。
でも、
きっと大丈夫。明日からまた、
いつもの暮らしができる、そう今は思って眠ります。
でも・・・そうじゃなくたって、やっぱり大丈夫。
起こることは、みんな必要だから・・・
そうなるべくして起こるものだと、
そう思っているから。
でもやっぱり、神経がぴりぴりし続けた一日でした。
悲しみでいっぱいの中なのに、優しいコメントを下さったMIHOさんと、
とっても立派な最期だった、天使猫チャゲさんのことも想いながら・・・
おやすみなさい・・・
今朝・・・大好きな「ちいさなうつわや ありすcafe」の看板猫さんチャゲさんが、
天寿を全うしたことを、MIHOさんのBlogで知りました
チャゲさんは、MIHOさんの覚悟ができるように静かにゆっくりと、
体を離れていく支度をしてくれたようでした・・・。
最期まで、素敵な猫さんでした。
さて、今私は脳神経外科で母の検査が終わるのをを待っています・・・
今日は実は母の誕生日。
83歳になった母のお祝いに、
午前中プレゼントとケーキを持って実家へ行きました。
一緒にスーパーにも行き、
父と3人で家でゆっくりお昼を食べ、
(その最中の震度4の地震に驚き、
地震が大の苦手な私は、ここに来ていてよかった~としみじみ両親に言ったのでした。)
その後、両親の夕食用に煮物を作って、母に味見をしてもらいました。
その母が、居間に戻ってすぐのことです。
父の「どうしたんだっ⁉︎?」という、うろたえた声が聞こえたのでした。
慌てて行ってみると、一人用のソファーの横に、母が倒れていました。
呼びかけても反応がなく、父に「救急車を呼んで!」
と言ったけれども、父は動転して動けません・・・
仕方ないので私が119番に電話しました。が、その途中で意識が戻りました。
救急車はとりあえず断って、
血圧や脈を測り、手足を動かしてもらい、しゃべってもらうと・・・
よかった・・・大丈夫そうです。
でも、何が起きたか本人の記憶がなく、
頭痛もするというので、
私の車で脳神経外科へ来たのでした。
検査の結果はまだ出ないけれど、きっと大丈夫、という気がします。
きっと、目が見えていないせいで、ソファに座り損ねて・・・、
だと思います。
あ、終わりました。
あちこち不調の今日この頃。
私の体は動き回っていないと不調になるように、できている気がする ・・・
家の周囲には、歩くことそのものを目的にしたくなるような場所がなく、
片道45分ほどのところにある本屋さんを目指すことにして、てくてく
さて、その本屋さんで、
私の生涯ナンバーワンの愛読書『エイラ ー 地上の旅人』の完結編が並んでいるのを発見・・・
もうずっと前に買って、2回目を読み終わってもいるのだけれど、
なぜか本屋さんに行くと(置いてるかなぁ)と、探してしまうのだ。
そして、危惧していた(?)通り、エイラは・・・
児童書の棚にあった。
う~
日本では、今と別の出版社から、
かなり内容を省略して児童書として出版された。
十数年前、初めて出会って以来、私はこの素晴らしい物語にすっかり夢中になり、
同時に、(これは子どもの本じゃない!)と心の中で叫びつづけていた。
12年ほど前に、ようやく、待ちに待った完訳版が、集英社から「大人向け」に出版された。
でも、そのときもこの本屋さんでは「児童書コーナー」に並んでいたのだった
1巻目の扉には、原作者自らのこんな言葉が載せられている。
「このEARTH'S CHILDRENシリーズは、もともと大人の読者のために書かれたものでした。
本当は私のため、そして、現代人にきわめて近い人類が地球上に初めて登場した時代に生きていた、
普通の大人の、複雑で洗練された生活を、私と同じように理解できる人たちのために書いたのです。
この度日本で、原作に忠実に翻訳し直され、皆様にオリジナル作品を読んでいただくことができるのを、
とても嬉しく思います。 2004年9月 ジーン・M・アウル」
原作者の思いとは裏腹に、児童書コーナーに並んでいるエイラ・・・
この次行ったとき、お店の方に、文句を言ってしまいそうな私・・・
今我が家には、貸していたのが10巻戻ってきている。
完結までの残り6巻は、大好きな苫小牧の叔母のところに。
昨年の手術後、完治が難しいことを悟っている叔母は、
覚悟 を感じさせられる暮らしを している・・・
エイラを読んでもらおう と思いついて、数ヶ月前から数冊ずつ送り、
先日は苫小牧まで最後の6巻を直接届け、エイラ談義にも話が弾んだ。
私が大好きな物語を、大好きな叔母に読んでもらうことが、
私にできる数少ないこと・・・。
エイラがきっと何かをもたらしてくれると信じて・・・。
【おまけ】
全巻買いそろえると高額になるので、本当に読みたい方にはお貸ししてもよいと思っています。
お届けできる場所ならばですが・・・
関心がある方はぜひ、こちらのサイトへ・・・『エイラ~地上の旅人』 集英社のサイト
・・・ごめんなさい・・・Adobe Flash Playerとかいうソフトが入っていないと見られないようです。
しかも完結編まではアップされていないようです。
で、こちらには載ってました。ホーム社のサイト(集英社の子会社のようです。)
今日は成人式関連のニュースが、
素敵なのも悲しくなるようなのも、様々報道されていましたね。
実は最後の職場である高等養護学校で、私が副担任をしていた生徒たちも今日、
「成人の日」を迎えました。
そして昨日、その学級の「クラス会」がありました。
様々な家庭環境や個性を持った生徒9人がいたそのクラス・・・
心配したり大笑いしたり・・・いろんなことがありました。
でも、組んでいた担任の先生(長男と同じ年の男性)が、
自分のスタンスをしっかり持っていて、
とても「ちゃんと」しているけれど、変な力みがなく芸術家らしい自由さも併せ持った 魅力ある方だったので、
生徒たちも楽しい高校生活だったと思います。私もね
そのクラス会・・・
W君が幹事をして、すべてを一人で取り仕切ってくれました。一人で!
これって中学校の普通学級、養護学校を通じて、初めてのことでした。
みんなに連絡をして日程を決め、お店を決め集合場所を決め連絡をし・・・、
昨日は集合場所からお店まで、寒い外を歩くのを最短になるように、
みんなを連れて行ってくれました。
遅れる人とも、こまめに連絡を取り合って、遅いとお店の外まで迎えに行き、
食事が始まると、自分のことは二の次でみんなに細やかに気を配り・・・
もう心底感心!
高校時代から いつも人を思いやることができ、私にまで気を配ってくれる優しい彼でしたが、
まさかクラス会の幹事としてまで 一人で立派にやれるなんて・・・
本当に感動・・・
お酒まで一緒に飲みましたしかも乱れず!
宴会は・・・
2つのコンロに仕切りのあるお鍋が乗っていて、2種類ずつのおだしやた~くさんある具材や飲み物を、
メニューを見て、自分たちで注文するシステムの、食べ飲み放題のコースでした。
なんだか選ぶ物がたくさんで、みんな大丈夫かな~とちょっと心配でしたが・・・
全く取り越し苦労
宴会が初めての人、20歳になってもお酒は飲まないという人、がほとんどでしたが、
同じお鍋を囲む人と相談しながらメニューを見て、
雰囲気よく注文し、お鍋に具材を入れ合って とっても楽しんでいました。
中には、「宴会」が初めてなのにネットでお店のHPを見て、事前に何を注文するかメモ帳にたくさん書き込んできた人も
う~ん、すごいなぁ・・・ 楽しいなぁ~
そういえば宿泊学習や修学旅行でも、食べることを楽しめた人たちでした。
帰りの地下鉄で一緒だったT君は、高校時代からネプリーグに出る芸能人を目指すと言って、
おうちの方や教師をちょっと(?)困らせていましたが、
今も一貫して志しているのは「芸能人」
そう一心に思う彼。
「今の仕事でもらえるお金は、交通費で消えてしまうから、
東京に行くお金を貯めるためにも なるべく地下鉄に乗らずに節約したいんです。
一般就労も目指します。」と言う彼に、
「芸能人なんて現実性がない。一般就労する力をちゃんとつけなきゃダメ。」と全否定することもできず、
「今はとにかく目の前の仕事を一生懸命やって、お母さんにも親孝行してね・・・!」
と言うことしかできなかった私です・・・
高校の時は気持ちのコントロールが時々難しくなって、
周囲がうるさいときはヘッドホンをしたりして なんとか心を落ち着かせようとしていたY君は、
とっても落ち着いて穏やかにお話ししてくれました。
「成人という実感はわかないですね~」と言いながら。でも平和なのが好きな彼は、
時々私より大人なのじゃないか と思うようなとても不思議な魅力を持っています。
さっき届いたY奈ちゃんや、だいぶ前に送ってくれていたS紀ちゃんの、成人記念の写メール・・・
二人の女の子の初めての振り袖姿は・・・と~っても綺麗でした
そして、「大人の仲間入りをしました。仕事がんばります!」という言葉も
あ、幹事のWくんの事前のメールで嬉しかったのは・・・
「行く場所が居酒屋なので、身分証明のできる物を持ってきてくれると嬉しいです。」
という内容~
20歳前後のみんなへの一斉メールじゃなく、ちゃんと私個人宛~!
もう本当に愛すべき幹事さん
帰り道にもちゃんと、「楽しんでもらえてよかったです、ありがとうございました。」
のメール。本当に行き届いています。
幹事ぶり、気配りの素敵さを褒めると・・・
「いえいえ、先生も気配りできるじゃないですか。」
と褒めてくれましたうふ、なんだかとっても嬉しかった
卒業後2年経つなんて、それが不思議だけれど、
本当にもうみんな「大人」の仲間入りなのですね・・・
昨日一緒にいる間ずっと、
みんなが(誰かが傷ついたりしないように)と 振る舞っていたのが、
いちばん心に残っています。
どんなに計算や漢字ができるよりも、
人として大切な心を持っている人たちが、最後の生徒だったのが、
とてもとても嬉しい成人の日・・・
生きづらいことも多い世の中だけれど、
彼らが幸せに生きていけるようにと、心から心から願わずにはいられません・・・。
成人の日を迎えた日本中の若い人たち・・・おめでとう・・・
(オチガビ ピノ・ノアール2014)