坊主の家計簿

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囚人

2013年01月25日 | 坊主の家計簿
 桜宮高校体罰問題。

 これは数日前から関西ローカル(?)のニュースワイドショーでは問題になっていた事だが、



【桜宮高校生徒に嫌がらせ/罵声や自転車被害…/保護者ら危惧の声

 大阪市立桜宮高校の生徒が教諭から体罰を受け自殺した問題で、被害者である生徒側が罵声などの嫌がらせを受けています。同校のある都島区のPTA協議会からは「とにかく子どもたちがこれ以上被害を受けないようにしてほしい」との声が上がっています。】
 (http://news.livedoor.com/article/detail/7344162/?_from=fbより)


 
 と。まあ、ある意味「解りやすい現象」でもあるのだが、当該生徒&保護者にとってはやってられない問題である。記事内にもあるが、ネット上では桜宮高校の生徒らしき人の実名まで上げての叩きもある。
 桜宮高校の生徒が体罰に対して共犯行為に当たるのならば、今までの学生全ても共犯行為になるのだろうし、その他の人たちも共犯行為になる。体罰があると知りながら生活して来たのが私(たち)ではないのか?
 故に論外の、非常に情けなく、悲しい行為である。

 
 橋下市長の「入試を中止しないと予算を止める」という圧力に対しては、熊本市の幸山政史市長は23日の定例記者会見で

【政治的介入に近いとの考えを述べ、「改めて、教育委員会の政治的中立性の必要性が明らかになった」とした。】
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130124-OYT1T00406.htmより)

 と。他に、少しソフトであるが北九州市の北橋健治市長も23日の定例記者会見で

【「首長は予算調整権を有するが、伝統的な解釈として、具体的な教育内容は基本的に教育委員会の考えが尊重されてきた」】
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130123/edc13012314320004-n1.htmより)

 と述べたらしい。

 今日一番書きたい事は、この事。
 当然、無断転載になるが、歴史的な記事だと思われるので、リンク切れを防ぐ為に全文転載させて頂く。



【誰が仕組んだのかしら?」尾木ママに女子生徒が反論 桜宮高2自殺

 大阪市教育委員会による募集中止決定を受け21日夜、桜宮高の生徒らが開いた記者会見。ブログで言及した教育評論家、尾木直樹氏に生徒らが失望している。

 「誰が仕組んだのかしら? 何か変すぎ」。尾木氏は22日未明、自身のブログで生徒らの記者会見について触れ、「ご遺族の心情を考えているの」「命の重みを分かっているの」と指摘した。

 会見した女子生徒は「先生をかばうために会見したわけではない。自分たちが学校を大切に思っていることや、学校の良い部分も知ってほしかっただけ。私たち子どもは、何を言ってもだめなのかと失望した」という。

 女子生徒は「入試や部活を中止することは、亡くなった生徒を悼むこととは違うはずだ」と訴える。「体育科があるから体罰があるかのように言われているけれど、違うはず。桜宮だけの問題にしてほしくない」と考えている。】
 (産經新聞2013/01/24 13:10 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/624631/


 尾木直樹氏(以下、尾木ママ)の当該ブログは

 http://ameblo.jp/oginaoki/entry-11454198108.html


 尾木ママは、テレビドラマ『金八先生』のモデルになった人物らしい。放送当時、私は中学生だったかな?金曜8時は猪木(新日本プロレス)だったので、クラスメイトが話題にしていても観なかった。また、話題にしていた人たちも余り好きではなかったという事もある。あれは学校に対して熱い気持ちを持っている人が好きそうなドラマであり、『学校』というものにシラケていた私は猪木。
 とはいえ、再放送では観た事があるが、確か『腐ったミカンの方程式』で加藤君が演説していたと思うが、あれは誰かに言わされたのかな?
 当然、テレビドラマなので作家のセリフを喋ったにしか過ぎないが、藤井誠二が管理教育反対バリバリだった頃に現役高校生として喋ってなかったかな?私は藤井誠二が高校卒業してからの出会いなので詳しくないが。だが、身近な所でいうと、後に友人になるヤツらは中学校1年生と中学3年生から新聞取材を受けていた。その後もごくごく当り前の如く、高校生になった友人達が集会の壇上やテレビを通じて発言してた事を見て来ている。というか、私は高校を途中で辞めたので高校生ではなかったが、私も集会の壇上で喋った事がある。
 今は知らないが、当時、青少年関係の集会の主催者は『大人』が多かった。言い出しっぺが現役中高生達であっても、会場を借りたりするのは『大人名義』。
 中高生が「こういうことをやりたい!」というのを『大人』がサポートする形もあった。私が通っていたフリースクールもそうだったはず(創立時のメンバーではありません)だが、そのフリースペースの中高生が中心になって、当時はまだ爆発的に売れる前のブルーハーツとか、動物愛護パンクバンド『ハニー・ディープ・ウエット』なんぞも出たイベントだったらしい。ホンヨンウンも出たのだったっけ?なんせ、私は「あの時は楽しかった」という話を同じ年や、年下を中心に聞いていただけだったので(ちなみに私18歳)。

 なので、尾木ママの話は「はぁ?」である。「ガキが声を上げたらアカンのんかい!」である。
 Twitterで面白い指摘があって、「尾木ママやその他の人たちの批判は、あれが灘高校だったら『さすがは灘高校の生徒さんよねぇ』になったのではないか?」というのがあった。鋭い指摘である。
 
 ついでと言ったら悪いが、『ゆんたんざ沖縄』という映画がある。
 
 http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/06-07/060730tokyouijouhou-hinokimi.htm

 現在、大谷派僧侶になった知花昌一氏も出ている映画だが、私は映画の前にニュース映像たまたま観たのだが、この映画にも日の丸をドブに突っ込んで投げ捨てた女子高生の姿が撮影されている。別に誰に「やらされた」わけでもない。彼女の自発的な行動だったのだろう。


【会見した女子生徒は「先生をかばうために会見したわけではない。自分たちが学校を大切に思っていることや、学校の良い部分も知ってほしかっただけ。私たち子どもは、何を言ってもだめなのかと失望した」】

 らしい。

 ネットで尾木ママに便乗して記者会見した人たちがどういう青少年期を送ってこられたのか知らないし、また、「発言する中高生」の姿を知らないかも知れないが、尾木ママが知らない事はないと思われる。恐らく、今までの中で多くの「発言する中高生」との出会いもあったはずだと思う。無かったのかも知れないが、それなら『教育評論家』の看板を降ろせば良い。取材(出会い)不足である。
 
 では、仮に尾木ママが「発言する中高生(小学生でも、幼稚園でも可)」との出会いがあったとして、今回何故「誰が仕組んだのかしら?」という様な発言をした事に対しての勝手な妄想として、尾木ママは非常に心優しい方で体罰を受けた事もあって自殺という人生を選ばれた人に感情移入し過ぎているのではないか。それが故に、他の事が眼に入らなくなっているのではないのか?

 尾木ママが体罰をした事があるのかどうかは知らないが、まあ、なさそうではあるのだが、恐らく体罰という現場は散々御存知であろう。『教師』という立場で御存知であろう。それが故に、尾木ママにとっては、今回自殺とおう人生を選ばれた方にダブさる顔が多くあるのではなかろうか。故に、苦しくて苦しくて仕方がないのではなかろうか。だから、その事にしか意識が行かない。いや、行けない。ある意味、『遺族感情』になっている。それが故に、橋下市長の教育現場に対する政治介入というもの凄い事が見えていない。いや、見ているのだろうが、「仕方がない事」になっているのではないだろうか。
 それと同時に、他の在校生の発言が聞こえなくなっているのではないだろうか。

 
 自民党の政権復活、維新の会大躍進で改憲の話題である。
 「憲法改悪」という人も居るが、「改正」と呼びたい人たちも居ている。
 アルジェリアの人質事件でも議論に上がったが、自衛隊法云々。北朝鮮の拉致問題もある。仮に「北朝鮮のどこそこに拉致された人が居ている」という確かな情報が上がった時でも、当然、現行憲法のままでは助け出す事は出来ない。その事を熱く、涙ながらに考えて居られる方々も居られる。

 「戦争は金だ」という人がいる。確かにそういう側面もある。

【西南戦争における軍事輸送は、国家の信頼を勝ち得るとともに、三菱が一大産業資本として発展する財政的基盤を築いた。】
http://www.mitsubishi.com/j/history/series/yataro/yataro16.htmlより)

 が一例だが、それは「そういう見方も出来る」という話でしかない。
 「北朝鮮に拉致されている被害者を助け出す事が出来ない…」と涙ながらに考えて居られる政治家の方々の中に安倍総理も居ている。

 だが、「助け出す時」には必ず『敵』を殺さなければならない。「殺す」というまでも害さなければならない。銃や兵器で撃たなければならない。
 
 こういう話になると「じゃあ、お前は自分の子どもが拉致された時にどうするんだ!」となる。当然、自分が出来る様々な暴力行為を働いても、あるいは、様々な力(国家・警察・自衛隊)を使っても助け出そうとするだろう。というか、間違いない。だが、その時に生じる『愛』が自己愛の延長でしかなく、『敵』も「同じ人間なんだ」というのもある。当然、甘っちょろい。甘っちょろし、「仏教に洗脳されている」でも何でも構わんのだが、それでも、仮に私が銃をもって我が子を助け出しに行く時に撃ち殺す相手は「我が子と同じ人間だ」という風に思いたい。


 暴力に正義はない。排除に正義はない。何かひとつの素晴らしい理念でもって排除する事を肯定かする事はオカシイ。が、生身の生活現場ではそうは言っておれない事も多々ある。煩悩具足の凡夫が故に、生身の生活現場の上で、今日なら尾木ママを出したが、何かに、誰かに囚われるが故に、他が見えなくなる。他の生身の声が聞こえなくなる。


 先日のこのブログの投稿を書くにあたって、思い出して一応書いたのだが、「あ、今日はええわ」で削除して途中までだった一文。


【分裂報恩講とは、紛争の相手であった大谷家と改革派があい争ったために分裂して報恩講を勤めざるを得なくなったのではない。簡単に言えば、一九七九年の報恩講で出仕してくる大谷家とその取り巻きを警備と称して内局が締めだしてしまったことから、そのやり方について改革派内の意見が割れ、改革派内に分裂が起きたのである。
 (中略)
「あの人たちは共に闘ってきた同士なんです。それがなんでこういうことになったのか。彼らの話も聞かんとあかん」
 織田師がこの分裂報恩講の直後に何かでこう発言していたことを覚えている。
 (中略)
「誤解もあったし、人事上の失敗も重なって、本当に分裂してしまった。確かに内局のやり方はますかったが、とてもせっぱ詰まっていたことは確かです。もう一度総括してみるにはいまが良い機会だと思いますね。風化させてはいかんのです。ここからもう一度お互いに原点に帰ってやり直さなければならん」
 織田師の話には静かだけれども力がこもっていた。あまり疲れさせないで欲しいという奥さんの話を思い出して早々に辞することにした。
「落合さんありがとう。あんたに会ったおかげで元気がでましたよ。まだまだやれまっせ」
 (中略)
 改革派を支えたこの年代の人たちには共通の肌触りがある。私は仕事がら、本当にさまざまな人に会う。しかし、どんな人にあっても宗門のこんな人に会うほど感動することはあまりない。温かくて、大きくて、歯に衣を着せずに核心をぐいぐい衝くのになぜか優しい。】
 (落合誓子『貴族の死滅する日』より)


 まあ、解らん人には全く解らない話題なんだが、私は、大谷派の教団改革を荷追った一人である故・織田招爾さんの「迷い」というか「揺らぎ」というか、そんなのが好きである。迷えるから、揺らげるから、正義に甘んじる事なく、さまざまな人に出会って行こうと出来るのではないのか?

 え~と、引用文を打ち込んでいる間に疲れました。寝ます。