坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

同朋会運動の連続講義

2012年02月17日 | 坊主の家計簿
大阪でやっている同朋会運動の連続講義。え…。昨日も含めて完膚無きまでに一度も行けて居ない…。全国的にも貴重な連続講義だし「本にして!」と担当者には伝えたが…。

【この(大谷派宗憲)9章の問題は、『僧侶』と『門徒』と規定されていますね。僕は『門徒』と云う言葉には、いわゆる広義な意味で(広い意味で)『僧侶』も含んだ内容に置いて全部が『門徒』である、という考えと、それから『在家門徒』だけが『門徒』である、という表現があると思うんです。それは二つあってもいいんですけども、今度の宗憲の中に「門徒とは」「僧侶とは」と云う事を明確に分けてしまっていいのかどうか?やはり今までの『法主』を『門首』と改めている以上、基本的には『門首』『門徒』そういうのを含めて門徒、という形が望ましいのではないのかと?しかるに宗憲の中に「僧侶は僧侶」「門徒は門徒」と、いう別な規定というか制約が書いてあります。そうすると広い意味での『門徒』と云う意味があったのに、いわゆる宗憲の中で定義付けてしまって、それが大変な権威に成ってしまって、将来『僧侶』『門徒』とはこういうものだ、という方向に行ってしまうのではないかと。それが本当に同朋教団としての真宗なのか。だからこういう言葉を使っていいのか知れないけども、宗祖の精神に帰るという事であるならば『門徒』というのは、『僧侶』も『在家門徒』も含めて『門徒』であるという言葉の方がいいのではないかと申しあげて来たのです。】(某学習会で講師の先生がある門徒さんの言葉を紹介した聞き書きより)

権威化する『僧侶』の堕落だけでなく、『僧侶』を何か特別視してしまうような『門徒』の堕落も問題。

真宗『僧侶』=比丘・比丘尼。真宗『門徒』優婆塞・優婆夷なのか?違うと思うが。違わなければならないと思うが。

インドでカレーの修行した人が、日本のカレー饂飩を「あんなものは本物のカレーではない」とは言わないと思うが、言ったなら大きな御世話だけでなく、歴史を無視した無礼極まりない発言。