エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

ゆりの木黄葉

2016年11月02日 | ポエム
散々楽しませてくれた、ゆりの木が黄葉となって目に優しい。
ゆりの木黄葉、である。

この木の下のベンチは、幾つもの句を与えてくれた。
ぼくの定点句作の場所である。



ベンチには、遠慮会釈無く鳥たちが糞を落とす。
その糞が、白く乾燥して風で飛ばされる。
糞の跡が、仄かに残っている。

その生きる事へのパトスが、心地良い。
糞が「汚い!」と思った事は無い。

場所を提供して頂いている、のである。
自然との一体化は、こうした営みを厳かに受け入れることから始まるのだ。



やはり、模様はダンダラである。
そのダンダラが、柿や桜と違っている。
その違いも、楽しい。






「日暮れてもゆりの木黄葉なほ優し」







ついこの間まで、花の残滓が残っていた。
流石に、その残滓を見る事は出来ない。



枝と枝の間が、季節の窓口のように思えてほっこりとしてくる。
ここのベンチは、いつまでも座っている事が出来る。

時として「大欠伸」をしつつ、時間を楽しむ事もある。
有り難いベンチであり、場所である。



     荒 野人