ほろほろ泣いてしまった。
山頭火の句集を読んでいた時、それは不意にぼくを襲った。
雪に埋もれつつ、乞食のように彷徨った山頭火である。
「ほろほろ泣いたよ山頭火の冬の旅」
「乞食の流浪の後の冬安居」
荒涼とした彷徨える魂は、ぼくの琴線を激しく揺らしたのである。
ぼくが山頭火の句を模倣したって、所詮駄句に貶ちるというものだ。
だがしかし、山頭火の内面を身体の何処かで感じる事は出来る。
その感じた何処かが、ほろほろと落涙させたのだろうと思う。
しぐるるや死なないでゐる
山頭火
この句にであった刹那、ほろほろ泣いていたのである。
乞食のような放浪は、赤貧でありその日暮らしの連続であったのだろうと思う。
その中から、あのような八方に破れた句が産まれたのだ。
だがしかし、その刻まれるリズムはぐいぐいとぼくに迫ってくる。
悲しさにぼくは同化してしまっているのであった。
山頭火の句を読み進む楽しさは、同時に自らを哀しみの淵へと導く事である。
そうだとしても、山頭火の句は明日へと導いてくれる。
示唆に富んでいると言えるだろう。
一瞬の煌めきを感じ取れる。
空の生々流転が迫ってくる。
旅のかきおき書きかへておく
山頭火
なんという心境であろうか。
鏡のように磨かれた、それでいて鋭い深い心境である。
それはまた、句を詠むことへの迸るパトスなのだ。
荒涼とした景色の中にこそ、山頭火の神髄が滴っているのである。
繰り返して言う、ぼくには山頭火の句を読む事しか出来ない。
そして、そのあまたの句から山頭火の本質を見抜く事に努める。
山頭火の詩情や原風景、否否「心象風景」を旅していくのである。
その旅は、自らの句作を通して人間に迫る事なのだと思うのである。
山頭火・・・寂寥を抱えながら旅を続けた俳人であった。
その寂寥という感覚は、おそらく萩原朔太郎という詩人と同根であるのかもしれない。
ぼくの句作は、その事をも探るものであるのだろうと思うのである。
ほろほろ泣いたのである。
荒 野人
山頭火の句集を読んでいた時、それは不意にぼくを襲った。
雪に埋もれつつ、乞食のように彷徨った山頭火である。
「ほろほろ泣いたよ山頭火の冬の旅」
「乞食の流浪の後の冬安居」
荒涼とした彷徨える魂は、ぼくの琴線を激しく揺らしたのである。
ぼくが山頭火の句を模倣したって、所詮駄句に貶ちるというものだ。
だがしかし、山頭火の内面を身体の何処かで感じる事は出来る。
その感じた何処かが、ほろほろと落涙させたのだろうと思う。
しぐるるや死なないでゐる
山頭火
この句にであった刹那、ほろほろ泣いていたのである。
乞食のような放浪は、赤貧でありその日暮らしの連続であったのだろうと思う。
その中から、あのような八方に破れた句が産まれたのだ。
だがしかし、その刻まれるリズムはぐいぐいとぼくに迫ってくる。
悲しさにぼくは同化してしまっているのであった。
山頭火の句を読み進む楽しさは、同時に自らを哀しみの淵へと導く事である。
そうだとしても、山頭火の句は明日へと導いてくれる。
示唆に富んでいると言えるだろう。
一瞬の煌めきを感じ取れる。
空の生々流転が迫ってくる。
旅のかきおき書きかへておく
山頭火
なんという心境であろうか。
鏡のように磨かれた、それでいて鋭い深い心境である。
それはまた、句を詠むことへの迸るパトスなのだ。
荒涼とした景色の中にこそ、山頭火の神髄が滴っているのである。
繰り返して言う、ぼくには山頭火の句を読む事しか出来ない。
そして、そのあまたの句から山頭火の本質を見抜く事に努める。
山頭火の詩情や原風景、否否「心象風景」を旅していくのである。
その旅は、自らの句作を通して人間に迫る事なのだと思うのである。
山頭火・・・寂寥を抱えながら旅を続けた俳人であった。
その寂寥という感覚は、おそらく萩原朔太郎という詩人と同根であるのかもしれない。
ぼくの句作は、その事をも探るものであるのだろうと思うのである。
ほろほろ泣いたのである。
荒 野人