エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

台湾の食は愉悦である・・・2

2013年01月11日 | ポエム
台湾の食は愉悦である。
とりわけ、屋台の食文化は憧憬すら覚えるのである。

東南アジアの街角で覚える郷愁が、ここ台湾にもしっかりと在る。
食の豊かさこそ、文化のバロメーターであるのだ。
同時に庶民の逞しさでもある。



例えば、タイのバンコクでは経済危機に喘いでいる時ですら屋台二色が溢れていた。
韓国のソウルもそうだった。

庶民は、食って生きる。
庶民は、食って働く。

それこそ国の活力である。
貧しくたって、食べられれば明日が迎えられる。







「時雨れたる屋台で食らう出汁美味く」







台湾の経済は、正しく国民のこうしたバイタリティが支えるのである。
アジアの中では、親日の国である。

あの大震災の時には逸早く義援金を集め送ってくれた。
ぼくは、今回の旅で寺院でそのお礼を申し上げつつ長い長い線香を燻(くゆ)らせたのであった。
寺院で集めた義援金の額は、大きな寺院では数千万円に上る。



アジアの友人、隣人とは仲良くしていくことこそ肝要であるのだ。



台湾の屋台食文化は人々の思いが詰まっているのである。
これは、ここで食べる時に箸を個別包装シテイルビニールを差しこんで散らかさない工夫である。
食の文化はここまでしなければ駄目なのである。

この工夫は、見せるためでは無い。
だれもが自然にビニールを差しこんでいる。

もっとも、この量が多いほど繁盛している証左ではある。
あのフランスのレストランの店前歩道に、捨てられた牡蠣殻が多いほど人気店であるのと同じである。




         荒 野人