ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

「すずめの戸締まり」へのレビューについてのメモ

2022-12-08 | 君の名は。/天気の子/すずめの戸締まり
 公開からそろそろ1ヶ月。このあいだ、2度めの「戸締まり」をしてきたが、初見の際にも増して「類い稀なる傑作」との感を強くした。
 こんな短期間に再度劇場に足を運ぶのは『もののけ姫』以来だが、あの時は1度目が試写会、2度目は株主優待券を知り合いに貰った。自腹を切って2度行ったのは初めてだ。しかもなお、「あと2、3回くらいはいいかな……。」などと思っている。
 いま試みに、新旧洋邦、実写とアニメ、前衛とエンタメ、あらゆる区分を取っ払い、「我が人生でもっとも心に刺さった十本」を選ぶとしたら、こんな具合になるだろうか。


10 アレクサンドリア(2009/平成21 アレハンドロ・アメナーバル スペイン)
09 風の谷のナウシカ(1984/昭和59 宮崎駿 日本)
08 ノスタルジア(1983/昭和58 アンドレイ・タルコフスキー イタリア・ソ連)
07 生きる(1952/昭和27 黒澤明 日本)
06 ベルリン・天使の詩(1987/昭和62 ヴィム・ヴェンダース フランス・西ドイツ)
05 陽炎座(1981/昭和56 鈴木清順 日本)
04 ユリシーズの瞳(1995/平成7 テオ・アンゲロプロス ギリシャ・フランス・イタリア)
03 ゴダールのマリア(1984/昭和59 ジャン=リュック・ゴダール フランス・イギリス・スイス)
02 幕末太陽傳(1957/昭和32 川島雄三 日本)


 80年代の作品が多いのは、ぼくがもっとも多感であり、かつ、映画をよく観ていた時期だからだ。古いものはリバイバル上映ないしDVDでみた。
 新しい作品がほとんど入っていない。たぶん、齢を食って、ぼくの感性が乾いてしまったためだろう。
 6年前の『君の名は。』といい、このたびの「すずめ」といい、こうも新海アニメに揺さぶられるのは、そのせいもあるのだと思う。枯渇した感受性をもういちど潤してくれる瑞々しさがあるのだ。
 しかし、こうやって並べてみると、「錚々たる」という形容がぴったりの顔ぶれで、いささか気が引けるけれども、監督の声望とか、歴史的な評価とか、後世に与えた影響とか、さまざまな基準を度外視して、ただただひとえに、「自分の心に刺さった(インパクトを受けた)」という一点のみに限っていえば、これらを抑えて、いまは『すずめの戸締まり』が1位にくる。
 もちろんそれは、たんに熱に浮かされているからで、もう少し時間が経てば、気持ちはかわる。それはわかっているのだが、ブログってのは日記であり、今の心情を書き留めておくものなので、とりあえず書いている。
 ところで、実写作品で、『風の電話』(2020/令和2 諏訪敦彦)が、いろいろな点で「すずめ」と似通っているらしい。『すずめの戸締まり』はエンタテインメントだが、こちらはいわば「純文学」だ。この映画を観ても、きっと、いくらか気持ちはかわると思われる。
 さて今回は、『すずめの戸締まり』そのものへの感想ないし批評ではなく、本作についてのレビューの話なのだった。
 茂木謙之介という方の、以下のレビューがそこそこ話題になっているらしい。アドレスを貼っておくけれど、ネタバレに一切考慮を払っていない文章であり、しかも冒頭にそのことに関する断りもなく、未見の観客に対する配慮をまるっきり欠いているので、くれぐれもご注意のほど。




新海誠監督『すずめの戸締まり』レビュー:「平成流」を戯画化する、あるいは〈怪異〉と犠牲のナショナリズム
最終更新:2022年11月25日
https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/suzume-tojimari-movie-review-2022-11






 評者の茂木さんは、東北大学大学院の准教授。1985(昭和60)年生。専攻は日本近代文化史・表象文化論・日本近代文学。
 現在の研究テーマは、
①近現代日本の天皇・皇族・皇室表象の検討を通した天皇(制)研究
②〈幻想文学〉をキーワードとした日本近代文学・メディア史研究
③近現代日本を中心とした怪異・怪談の研究
④地域史料の調査・整理・保全専門
とのこと。


 一読して、「いかにもユリイカあたりに寄稿してそうな学者さんの文章だなあ。」と思ったら、ほんとうに、過去に何度かユリイカに寄稿しておられた。
 このエッセイはとても手厳しい。発表ののち、とうぜん反論のツイートもいくつか出た。それを受けてこの方は、




すごく大事な前提を共有しない方が多いように思ったので一言だけ。
全てのテクストに一元的な正解としての読解はないのです。全ては正しくありえ、全ては誤りたりうる。その中で如何に「証拠」的を見出して、レトリックを構築できるか。そして、その上で絶えざる修正を続けるのです。




 というツイートを発していらした(「証拠」的を見出して、は打ち間違いかと思う。「証拠」を見出して、か、「証拠」的なるものを見出して、が正しいのだろう)。たしかにこれは、ロラン・バルト以降の現代批評の常識のようではあるのだが、とはいえしかし、明らかに誤った読解ってものは残念ながら存在する。『批評の教室』という著書をもつ北村紗衣さんは、『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』の前書きのなかで、




ここでひとつ強調しておきたいのは、批評をする時の解釈には正解はないが、間違いはある、ということです。よく、解釈なんて自由だから間違いなんかない、と思っている人がいますが、これは大間違いです。(後略)




 と言っておられる。たとえば、作品の中で明瞭に語られている「事実」を、見落としなり錯覚なりによって受容し損ねたり、歪曲して受容してしまったばあい、その結果として紡がれた批評(解釈)は、どうしたって、「間違い(誤り)」と呼ばざるを得ないものになるだろう。
 それはわかりやすいケースだけれども、ほかにも、偏った先入見に基づいて作り手のメッセージを捻じ曲げて受け取るばあい、また、行文の論理展開に飛躍や断裂や陥没などが見られるばあいも、その批評は誤り(と呼ばざるを得ないもの)になろう。
 ここで茂木さんは「被災地と被災者(特に死者)を冒涜した上、天皇をライトに利用しつつ怪異を犠牲にする災害消費エンタメ」と決めつけ、「天人相関説≒天譴論(てんけんろん)」や「天皇(制)」などのキーワード(キーコンセプト)を駆使して、『すずめの戸締まり』を難詰するのだが(そしてその手捌きそのものは、じつは、けっこう面白くもあるのだが)、衒学的な装飾を取り払い、突き詰めてしまえば何のことはない、ただ「3・11をエンタテインメント/ファンタジーとして商品化して消費するのはけしからぬ!」という、ありふれた倫理観をふりかざしているだけなのだった。
 そのうえで、ご自身の近著『SNS天皇論 ポップカルチャー=スピリチュアリティと現代日本』(講談社選書メチエ)の宣伝に繋げるという、きわめてシンプルな便乗商法なのである。
 偉大な作品にただ乗りして商売をさせて貰うなら、いくらなんでも、もうすこし礼儀を尽くすべきかと思う。
 茂木さんの倫理に従えば、3・11は、どうしたって「純文学(ないし、純映画?)」でしか扱えない。しかし、それでは多くの人に、とりわけ若い層、さらには海外の人にも届くまい。
 前述の『風の電話』は、youtubeで予告を見ただけで佳品とわかるが、はたしてこれを、なんにんの人が観たであろうか。
 ことばで書かれた「震災後文学」となると、読者はさらに限られるだろう。
 『すずめの戸締まり』は、熱心なファンによる「聖地巡礼」がはじまっている。その多くは若い世代だと思われる。これが「風化に抗うふるまい」でなければ何であろうか。
 3・11のことなど遠いニュースでしか知らぬ若い子たちは、ただ『ONE PIECE FILM RED』だの『THE FIRST SLAM DUNK』だのを観て(いやもちろん、これらの作品が悪いとかダメだというつもりはないが)「わー面白かったぁ。」と悦に入っていればよい。そのように、茂木氏は仰りたいのだろうか?
 『すずめの戸締まり』が「死者の忘却に加担している」というならば、「もっとも美しき歴史修正主義アニメ」というべき『風立ちぬ』(2013/平成25 宮崎駿)なんて、もはや犯罪レベルであろう。
 現在もっとも大衆への訴求力をもつアニメというメディアで、エンタテインメント/ファンタジーとして3・11を描くのであれば、どうしたってあれ以外には方法はないのだ。嘘だと思うなら、なにも難しいことはない、ご自分で作品をつくってみればいいのである。
 嫌味でも皮肉でもなく、そう思う。批評家は、すべからく自分で創作を試みるべきだ。いかに豊富な知識をもっていようと、最先端の批評理論に通じていようと、読者(観客)はしょせん読者にすぎない。習作のかたちでいいから、いちどは自分で作品をつくってみなきゃ、要諦はけっして掴めない。
 3・11の災禍を現在と未来に伝えつつ、しかも何百万という規模の客を、老若男女とりまぜて、劇場まで引っぱってこられる映画。いや、むろん映画そのものを作れとはいわない。シナリオでも小説でも、なんだったらプロットだけでもいい。そういうものが書けるのであれば、ぜひとも提示してほしい。
 繰り返しになるが、これは嫌味でも皮肉でもレトリックでもなく、心の底から言っている。新海誠が『すずめの戸締まり』でやった方法以外で、そのようなものが可能であるなら、ぜひとも読んでみたいのだ。


 いっぽう、藤津亮太氏による「考察/新海誠『すずめの戸締まり』が「震災文学」である本当の理由」
2022.12.3
https://qjweb.jp/journal/78912/?mode=all




は、おそらく茂木氏の上記エッセイをも踏まえて書かれたものと思われるが、作品への敬意を失わぬ良作である。現時点でネットで見られる「すずめ」論としては、これがスタンダードであろう。



2022(令和4).12.15 追加
茂木論考へのカウンターとなりうるもう一つのエッセイ

返事のない場所を想像する――『すずめの戸締まり』を読み解く
『新海誠 国民的アニメ作家の誕生』特別寄稿
土居伸彰
https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/news/21956


2022(令和4).12.17 さらに追加

このあと見つけた、藤津亮太氏によるもうひとつのエッセイ

「すずめの戸締まり」新海誠監督が描く「星を追う子ども」「君の名は。」に続く“生者の旅”とは
https://animeanime.jp/article/2022/11/15/73485.html