ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

本年最終更新 akiさんのコメント+ぼくからのご返事 20.12.31

2020-12-31 | 歴史・文化


akiさんからのコメント 20.12.31
「本年の御礼」


 こんばんは。今年もあとわずかですね。


 激動の今年の経験を経て、パラダイム・チェンジを果たされたとのこと、「おめでとうございます」と申し上げればよいのか、「ご苦労様でした」と労えばいいのか・・・ただし国難に対処するのはこれからの話なので、「いよいよこれからですね」と気を引き締めるべきでしょうか。
 ともあれ、日本にとっては、「ひとりの市民が覚醒した」ことは喜ぶべきことではあります。


 翻って見れば、明治維新は下級士族が中心になって起こされたものですし、現代に当てはめれば「民間の識者・先覚者」が中心になって国難に当たるという状況だったと思います。いわゆる「草莽崛起」で、ここが同じ東洋文化圏である中国や韓国と違いました。中国や韓国では覚醒した人物はほんのわずかの識者に留まり、ために既得権益者(すなわち時の権力者)に簡単に押しつぶされてしまった。どちらの国でも、改革の機運はほんの一瞬で立ち消えてしまったのです。
 そう思うと、日本では普通選挙が制度として導入されるはるか以前から、日本なりの「民主主義精神」が醸成されていたと言っていい。名のある活動家が次々と大量に斃れていっても、次々に新しい先導者が出現して時代を前に推し進め、ついに大きな改革を果たした。そういう底力を、当時の日本社会は持っていたわけです。
 今現在の日本は、たとえて言えばまだ「泰平の眠り」の中にいる江戸社会が続いている状況でしょう。先覚者はそれなりにいて精力的に情報発信を行っていますが、まだ一部に留まり、社会全体を包み込む大きなうねりになっていません。やはり、75年前の敗戦がいまだに社会の中に委縮を生んでいるというか、特にメディアが慎重になりすぎていると思いますね。(かなりオブラートに包んだ言い方ですがw)


 それにしても、この2020年は激動の年でした。武漢肺炎とアメリカ大統領選挙の両方において、中国共産党の暗部が世界に明らかとなった年でもあります。去年までは「トランプ一人が中国に対して厳しく当たっている」状況だったのが、武漢肺炎の影響で反中国の動きが全世界に広がり、さらに大統領選挙ではアメリカ社会に浸透した中国の影響力が浮き彫りとなりました。正直、「ここまでか」と愕然とするほどの浸透力でした。ここに関しては私の認識は甘かったと言わざるを得ません。


 しかし、です。
 「闇の勢力」は、闇の中に隠れているからこそ隠然たる力を発揮するものであって、明るみに出てしまえば力を失うものです。
 言ってしまえば、今回の大統領選挙において、中国は今まで蓄えてきた力を有形無形に限らず全て使い切ってしまった、切るべきカードを全部切ってしまったのです。それだけトランプ大統領の対処が効いていた、ということであり、トランプ排除のために共産党もなりふり構っていられなくなったのでしょう。
 そのおかげで今、アメリカ社会では、「敵」と「味方」が明確に分かれつつあります。それは南北戦争以来の国難ではあるでしょうが、そういう認識は国民運動のうねりへと変じつつあります。そのうねりが1月6日に間に合うかどうかは判りません。そこは私も固唾を呑んで注視していますが、たとえそこに間に合わなくても、そのうねりはやがて大きな津波となってアメリカ社会を覆いつくすでしょう。結果は目に見えています。アメリカは戦闘的民主国家であって、一端「やる」となればそれこそ容赦なく徹底的にやるでしょうから。(日本自身がその恐ろしさを骨身に沁みて体験しているわけですしね)


 アメリカが変われば世界が変わり、日本も変わります。その意味ではやはり、依然としてアメリカは世界のリーダー的存在であり、日本もその影響を強く受けざるを得ない。「他人の褌で相撲を取る」ようで情けない限りではありますが、それが現状における日本の実態でしょう。
 ただし、これを機に、日本も自国の存立を他人任せにするのでなく、自主独立の気風を持った方がいい。憲法しかり、スパイ防止法案やら土地を中国や韓国の資本に買われている問題やらもろもろしかり。既存メディアが頼りにならない以上、草の根で地道にやっていくしかないでしょうね。


 その意味で、eminusさんが自己改革を果たされたことは、極めて重要なことだと個人的に思います。ご謙遜なんてとんでもない。個人の一歩こそが「草莽崛起」につながるのです。民主主義とはそういうことです。
 ・・・まあ廻り回って、結局「おめでとうございます」ということになり、「これから頑張りましょう」ということになりますかw 




 ところで私自身も、貴ブログに様々なことを書き込ませていただいたことで、色々なことを再確認し、調べたりもして勉強になったと思っています。大変貴重な体験をさせていただきました。疎い文学の方面についても学ばせていただきました。この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。<(_ _)>


 それと、やはりアニメw 最近のアニメはかなり技術が上がってきていて(もちろん玉石混交ですが)、特にシナリオに関する技術の発展は目を見張るものがあると思ってます。「人が感動する」という目に見えない部分に関するものを「技術」と呼んでよいものかどうか判りませんが、今年の作品では『はめふら』と『ラブライブ・虹ケ咲学園スクールアイドル同好会』に注目してます。最近はそんなに多くを視聴してないので見逃しているものも大量にあると思いますけど、両作品とも『よりもい』の影響を受けているのではないか、と個人的に思えるんですよね。『はめふら』は原作があるのでそこまででもないですが、『ラブライブ』の方には濃厚に感じました。もちろん本当のところは判りませんが、良作に良い意味でライバル意識を燃やし、「あの作品を超えてやろう」と野心的な作品作りをしているのだとすれば素敵なことだな・・・と思ってます。




 ・・・さて。文面を練っているうちに日付が過ぎてしまいました。今年も残り24時間を切りましたね。
 では、来年も、よろしくお願いいたします。<(_ _)>




☆☆☆☆☆☆☆




20.12.31 ぼくからのご返事
「こちらこそ。」




 ほんとに大晦日なんですね……。齢を重ねるたびに一年が早くなりますが、今年はまた別物でしたねえ。早いというより、時間の感覚がいびつになったかのような……。
 お礼なら、こちらこそ言わねばなりますまい。コメントをいただかなければ、記事の投稿は半分くらいになってただろうし、gooブログをたたんでnoteに移ってたかもしれないんで。
 まあ覚醒というかね……。「自分はこの国でしか生きられない。そして、今のこの国がけっこう好きだ。」と見極めたうえで、「だったら、いまの日本をできるかぎりこのままの状態で保たねばならない。」と気がついた、といったところでしょうか。
 それが「保守」ってことなんだろうとは思いますけどね。
 だけど、抗うべき真の相手は某国の共産党というより、グローバリズムそのものですからね。もともと勝ち目がない。ぼくが一介の草莽ではなく、地位のある政治家か財界人であったとしても勝ち目はない。なにしろ時代の趨勢ですから。
 維新の志士たちだって、けして「攘夷」をやったわけではないですしね。最初は口ではそう言ってたけど、聡明な人ほどさっさと気づいてむしろ英国と強く結びついたわけでしょう。あの人たちがやったのは、「欧米列強に伍しうる近代国家を創るためにシステム全体を変革する。」ことですね。イギリス、アメリカ、フランスを中心とする19世紀的な世界秩序に組み込まれることは、すでに大前提として在った。
 もちろん、国家意識は今よりはずっと強かったとは思いますが、それだって、海外との垣根が高かったからで、いまどきの若い人たちなんて、平気で国境の壁を乗り越えて理財に励むわけでしょう。なんたって、ドルもユーロも元もネットで売り買いできるわけだし。それが当たり前になった時代に「日本人としての自覚を持て!」なんて叫んでも、かなり空しく響きますよね。
 明治維新論はまた江戸論でもありますが、清帝国や李氏朝鮮と比べて幕府=朝廷の二重構造をもつニッポンが際立っていたのは、町人も農民も侍も、「藩」に属していたことですね。帝国においては、皇帝から一般庶民までが原理としては一本のラインで繋がってるわけです。間にたくさん役人がいて、それぞれに賄賂を取るから庶民は大変だったと思いますが、それら役人たちは末端からずっと辿っていけば最後には皇帝へと至る。すべてが行政機構にすぎない。
 江戸期の日本はそうではなくて、民は将軍でも天皇でもなしに、藩に属していた(お膝元の江戸や、あと京や大坂などの天領は別ですが)。藩とはいわば独立した小国家。だから故郷のことを今でも「クニ」という。それらが全土に分散していて、その棟梁たる「徳川家」が将軍として幕府をひらき(制度上の建前では朝廷の委任のもとに)統率している。そういう体制なんですね。
 だから雄藩の、しかも外様の武士などは、下級であっても徳川には忠誠心を抱いていない……どころか敵愾心をもってるわけです。とくに関ヶ原の負け組、すなわち薩摩(島津)や長州(毛利)がそう。だからこれらの藩が維新の中核を担ったのは必然であった。
 西郷や大久保、木戸孝允らがいかに優秀であったとしても、藩の軍事力と政治力と経済力とがなかったら、とても幕府に太刀打ちできなかったでしょう。数少ない例外が坂本龍馬で、だからこそ根強い人気があるわけですが、しかし彼がただの脱藩浪人ではなく、英国の大商人をバックにした政商であったことは今やかなり知れ渡ってきています。
 ……いや、なんだかムキになって言い募って申し訳ない。ぼくが異議を唱えたかったのは、コメントの中の「日本では普通選挙が制度として導入されるはるか以前から、日本なりの『民主主義精神』が醸成されていたと言っていい。」という一文です。これは違うんじゃないかと思います。西郷や大久保や木戸は「幕府への反抗心」は多量にもっていたけれど、「民主主義精神」をもっていたわけではない。
 いや、たしかに佐久間象山のような大知識人ならばその萌芽くらいはあったかもしれない。勝海舟も民主制の要諦はわかってたでしょうね。もちろん福沢諭吉もいた。明治15(1882)年には中江兆民がルソーの『社会契約論』を訳出した(漢文で)という事例もあります。普通選挙法の制定が1925(大正14)年だから、40年あまり先んじてますね。
 しかし、やはり民主主義ってのは一握りのインテリではなく、隅々にまで浸透してこそのものだと思うんですよ。そういう点では、ほんとうの意味での民主主義ってものは、幕末どころか、戦後75年を閲してもなお、この国には根付いてないんじゃないでしょうか。俗にいう「リベラル」の皮をかぶった左派ならば大勢いるんですけどね。そこには強い信念をもった人から、ムード的っていうか、いわゆる心情左派のような人まで、いろいろな層が含まれていると思いますが、いずれにしても、左翼ってのは民主主義ではないんです。ラディカリズムだから。
 そういったラディカリストと、あとは圧倒的多数のノンポリティカル、まあ無関心層ですね、さらには政治アレルギーみたいな人も少なからずいます。テレビと新聞しか見てないような。目算だけど、7~8割はそんなぐあいじゃないですか。
 たんに数がどうこうではなく、何というか、空気として、民主主義が根付いていない気がします。基本的には勤勉でまじめで、おおむね良識もあって、素晴らしい国民性だと思うけど、民主的かといわれると、どうも違う。
 そこで最初の話に戻るんだけど、民主主義はじつは「国家意識」と不可分なんですよね。「愛国心」といってしまうとまた妙な政治性を帯びるので、国家意識と呼んでおきますが、民主主義は健全な国家意識と不可分なんです。アメリカを見てるとよくわかる。「オレたち私たちが創って守る自由の国アメリカ」というノリがけっこうな広範囲にいきわたってますね。それはあるいは共同幻想かもしれないんだけど、そこに誇りが生まれるのなら、それもまたひとつの真実でしょう。
 だから「やはり75年前の敗戦がいまだに社会の中に委縮を生んでいる」というのは同感です。じっさいぼくもついこないだまで委縮してましたから。「国に権力を持たせすぎたら怖い。」というふうに。でも、なにしろ超限戦が仕掛けられてるんだから、そうもいってられないんですね。
 そうそう。冒頭でグローバリズムといいましたが、あの国がルールに則った市場経済によって交流を図ってくるならまだいいんです。でも違いますからね。きわめて謀略的というか、陰険な策を弄してくる。そこが許しがたいんだけど、しかしじっさいには14億人の市場という旨味が目の前にあって、財界と政界のトップがそれに涎を垂らしてるんだからどうしようもない。「清濁併せ呑むのもグローバリズム」くらいに思ってるんでしょうあの人たちは。いや、完全に丸め込まれちゃってるのかな。だったら余計にどうしようもないけど。
 どうも大晦日だってのに不景気な話で恐縮ですが……しかしakiさんが楽観派でぼくが悲観派ってのは当初からの一貫した傾向なんで……(苦笑)。
 去年の今ごろはプリキュアの話をやってたわけで、とんだ大転換ですが、しかし年明けのスタプリ最終回の感想記事のコメント欄で、ちょっとした論争(?)をやりましたよね。ぼくが「日本はアメリカの顔色ばかり窺っていて情けない。」といったことを述べた時です。思えば政治の話をするようになったのはあれがきっかけでした。
 akiさんはあのとき、「覇権主義はいけませんよ。」という意味のことを書いてこられて、それでぼくは、「『いやあれは、日本は対米従属から脱し、自立して世界と対峙せねばならない。』くらいの心算でいったんです。」と弁明しました(笑)。これは今回akiさんが書かれてることとおおむね同じかと思います。
 その後しばらくして、もうコロナが蔓延していた頃ですが、やり取りの中で軍事の話になって、akiさんは「平和主義は断固として貫かねばならない。」と仰いました。それは確かにそうなんですけど、けして覇権主義ではなく、「対米従属から脱し、自立して世界と対峙する」ためだけにでも、どうしても軍事力は必要であると思います。
 やはり憲法をきちんと改正のうえ、自衛隊を「日本軍」……がだめならせめて「国防軍」として、正当に位置づけることが大切でしょう。そのうえで、相応の軍事力をもつしかない。平和主義は崇高な理念ですが、残念ながら世界の情勢がそれを許してくれません。一国だけで平和を保持することはできないんですね。ほんとにつくづく残念なんですが、それが冷徹な現実であります。
 それで万事オッケーとは思いませんよ。ひょっとしたら今よりも悪い世の中になるかもしれない。でも、どう考えてもそれが本筋でしょう。それがもっと早くできていたなら、米大統領選挙の結果にここまで振り回されずに済んだろうし、何よりも、あの国に対しても毅然たる態度をとれるはずです。
 ちょっと長くなりすぎましたね。この辺で切り上げましょうか。最後にアニメの話ですが、『天気の子』、1月3日に地上波でやるんですね。これだけはぜひ観て感想を書きたいと思います。
 ただ今年は、……じゃないな、まだ年内ですね、来たる2021年は、「アニメ断ち」をするつもりです。あの国についても金融についても先端技術についても、知らないことが多すぎる。もっともっと勉強せねばなりません。
 そうはいっても、「物語」のことは引き続き考えていきますけどね。あらためて思い返してみても、『宇宙よりも遠い場所』は物語の宝庫ですね。多くの有志が目標とするのも宜なる哉です。
 それでは、来年もよろしくお願いいたします。よいお年を。