ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

中世について 01 近ごろ「中世」が面白い。

2019-09-21 | 歴史・文化
 どうも日本の中世は、くっきりした像を描きにくい。ごちゃごちゃしていて、しかも陰惨である。閉塞感が濃いくせに、安定しているのかというとそうではない。常に権力闘争に明け暮れ、隙あらば敵の寝首を掻こうとしている。狭いところで領地を取り合い、小競り合いが絶えない。
 そんなイメージがある。それが500年以上も続くのだ。
 信長が絶大な人気を博すのもわかる。信長が「天下布武」を掲げて四方を平らげていく姿は爽快だ。むろん、じっさいには血みどろの無残絵図だったんだろうけど、スケールが大きく、その先に明快な目標がみえるのでまだ救われるのである。
 桶狭間の戦いで信長が表舞台にあらわれてから、歴史が一挙にわかりやすくなる、という印象は多くの人がもつだろう。そりゃ大河ドラマもこの英傑の周辺をやりたがる道理だ。
 大河のばあい、たいてい舞台となるのは戦国でなければ幕末で、ほかの時代だと視聴率が落ちる。オリンピックだからって近過去などを取り上げたら、かの宮藤官九郎の才筆をもってしても大苦戦、という仕儀にもなる。
 大河ドラマは現代における講談だろう。それでもNHKなんだから、大衆レベルの「歴史観」を醸成するうえで多少の責任がないわけでもない。しかし、人気があるから戦国ばかり取り上げる。そうするとますます他の時代への馴染みが薄くなる、という悪循環で、勿体ない話だと思う。
 ほんとうは、中世ってのは「今へと連なるニッポンの《中身》がつくられた」といわれるとても重要な時期なので、もっともっと色んな形で描かれてよい筈なんだけど。




 今年(2019年)1月から6月までやっていたリメイク版『どろろ』は、信長が活躍する100年ほど前、15世紀後半が舞台だ。どうしてそれが割り出せるのか。
 百鬼丸(と多宝丸)の父・醍醐景光は加賀国の守護・富樫政親の家臣という設定になっている。醍醐景光は架空のキャラだが、富樫政親は実在の大名で、日本史好きにはそれなりに知られた名である。1455年生、1488年没。
 さらに、『どろろ』が応仁の乱いこうを材に取っているのは定説なので、1467年から1488年までの間ということになる。たぶん1480年代にまで絞っていい……とぼくは見ている。
 醍醐景光が富樫の家臣という設定は原作から引き継がれたものだ。原作はなにしろ荒っぽいのであまりアテにはならないが、手塚治虫が加賀の国を背景に据えたのは考えがあってのことだと思う。加賀といえば江戸期(近世)には前田家の領地となって「百万石」を謳われるが、それ以前、それこそ信長の手勢によって滅ぼされるまで、「百姓の持ちたる国のよう」と評されていたからだ。
 その原動力となったのが、加賀の一向一揆である。
 この時世、軍事力を有していたのはけして武門だけではなかった。大きな寺社は僧兵を抱えていたわけだし、信仰を紐帯としての津々浦々に及ぶネットワークという点でいえば、むしろ生半可な守護大名より、宗門のほうが力を持っていたのではないか。
 なにぶん、近世における徳川家のような圧倒的な支配体制ができてないから、いろいろな集団が各地で力を蓄えて競り合っている。そんなパワーが何らかの理由で結集されて迸るのがこの時代の一揆であって、「厳しい年貢の取り立てに耐えかねての止むを得ない蜂起」といった後世のイメージとは違う。むしろ内乱に近いだろう。ほかに山城国一揆(やましろのくにいっき)なんかが知られてるけど、加賀の一向一揆もそれに劣らぬ規模だった。
 領主・富樫政親は城を攻められ、自害に追い込まれた(だからとうぜん醍醐景光も、落命したか、国を追われたんだろう)。そこから天正8年(1580年)まで、100年近くも「百姓の持ちたる国のよう」と呼ばれる時期が続くのである。




 一、其後加州ニ、叉富樫次郎政親、イトコノ安高ト云ヲ取立テ、百姓中合戦シ、利連ニシテ、次郎正親ヲ討取テ、安高ヲ守護トシテヨリ、百姓トリ立テ富樫ニテ候アヒダ、百姓等ノウチツヨク成テ、近年ハ百姓ノ持タル國ノヤウニナリ行キ候コトニテ候
「実悟記拾遺 下」


 ここでの「百姓」は「農民」ではなく、「さまざまな人たち」の含意であり、それも一向一揆というほどだから、その基盤は本願寺の門徒である。だから今日のわれわれが思い浮かべる「民衆の自治」とか「コミューン」とは違う。ただ、学生運動華やかなりし頃に『どろろ』の連載をはじめた手塚さんは、なにぶん少年マンガだし、そんな難しいことは考えず、虐げられた下層の民が「おれたちの国」をつくる……といったくらいの構想だったとぼくは思う。人気がふるわず途中で打ち切られたため、よくわからぬまま終わったが。


 「天下布武」を目指す信長の最大のライバルは、武田信玄でも上杉謙信でも、その他の大名たちでもなく、将軍足利義昭でもなく、正親町天皇でもなく、石山本願寺(あるいは一向一揆)であって、戦国時代でもっとも重要な戦争は石山戦争(石山合戦)だ、というのが日本史学の定説なのだと、『中国化する日本・増補版』(文春文庫)のなかで與那覇潤さんがいっている。しかしこのあたりは教科書でもあまり扱わないし、大河ドラマでも突っ込まない。

 追記) さいきん読んだものの中では、『のぼうの城』で知られる和田竜さんの歴史エンタメ小説『村上海賊の娘』(新潮文庫1~4)が信長軍と本願寺側との確執をわかりやすく描いていて面白かった。