この作品も映画館で観たんですよ。もう18年も前か。まだシネコンじゃなかったね。総入れ替え制じゃなかったんで、終わってから、もう一周しようって2度目を見始めたんだけど、連れが「気分が悪い」とか言い出してね……それでも、千尋がハクからおにぎりをもらってボロボロ泣くシーンだけどうしても見たかったんで、そこまでは我慢してもらった。
そこまで見届けて、そっと席を立ったんだけど、そばの席にいたちっちゃな女の子が、千尋が泣くのをみて「なんで? なんで?」と母親に尋ねてたのが今でも印象に残ってますね。「ずっと張り詰めていた緊張が解けたときの嬉し涙」ってものを、この子もいずれ経験するんだろうなァなんて思いながら劇場を後にした。そんなことを妙に覚えてます。
2回見たいと思ったのは、そりゃ気に入ったからなんだけど、べつに泣いた記憶はない。でもその後、金曜ロードSHOWでみると、毎回きまって貰い泣きするね。のちに「ジブリ泣き」などと称されるようになったけど、しかしあそこまで大粒かつ大量の涙ってのはジブリ作品の中でも際立ってると思う。
金曜ロードSHOWでの放映は、このあいだ、2019年8月16日のやつで9回目らしい。さすがにぜんぶは見ちゃいないけど、それでも4、5回は見てる。その都度あのシーンで泣くし、それも回を追うごとに、ナミダの量が増えてく感じですね。それはたぶん、見るたびに、千尋が好きになってるってことなんでしょう。
そこまで見届けて、そっと席を立ったんだけど、そばの席にいたちっちゃな女の子が、千尋が泣くのをみて「なんで? なんで?」と母親に尋ねてたのが今でも印象に残ってますね。「ずっと張り詰めていた緊張が解けたときの嬉し涙」ってものを、この子もいずれ経験するんだろうなァなんて思いながら劇場を後にした。そんなことを妙に覚えてます。
2回見たいと思ったのは、そりゃ気に入ったからなんだけど、べつに泣いた記憶はない。でもその後、金曜ロードSHOWでみると、毎回きまって貰い泣きするね。のちに「ジブリ泣き」などと称されるようになったけど、しかしあそこまで大粒かつ大量の涙ってのはジブリ作品の中でも際立ってると思う。
金曜ロードSHOWでの放映は、このあいだ、2019年8月16日のやつで9回目らしい。さすがにぜんぶは見ちゃいないけど、それでも4、5回は見てる。その都度あのシーンで泣くし、それも回を追うごとに、ナミダの量が増えてく感じですね。それはたぶん、見るたびに、千尋が好きになってるってことなんでしょう。
もともと千尋が苦手だったんですよ。予備知識なしに映画館に出向いたもんで、まずあのブサイクさにショックを受けたね。目がちっちゃくて、しかも離れてて、鼻ぺちゃで、下膨れで、口がでかい。なんじゃこりゃと。このヒロインに2時間付き合わされるんかいと。なにしろ私はナウシカ至上主義者なもんでね。
それをいうなら、千尋のことを、ナウシカの対極に位置するキャラとして考える視点もありかなと思う。顔つきや体つき、それから身体の動きね、何もかも対照的でしょう。登場シーンからして、ナウシカが自力で颯爽と滑空してるのに対し、千尋ときたら父親の運転するクルマの後部シートで寝そべってブー垂れてるという……。しかも、その寝そべってるスニーカーの靴底のショットからのフレーム・インですからね。
つまりナウシカは神話(英雄譚)のなかの人物で、千尋は日常生活のなかの女の子なわけだ。ただ、ぼくなんか今になってわかることだけど、アニメの表現としては、派手なアクションを描くより、日常のなかでの細やかな動きをていねいに再現するほうがかえって難しいのかもしれない。
千尋のばあい、車のなかではとにかくブー垂れてて、「体軸が通っていない」という感じ。親父さんが強引に山道を突っ切るところでは、車体の揺れに翻弄される。それで、停車して外に出た後は、それが薄気味の悪いテーマパーク(?)の前だからってこともあるけど、肩にへんな力が入って、ひょろっこい両脚もどこか強張ってて、総じていうと、自分の身体をうまく扱えていない印象がある。
このあいだ、8月16日に見たときは、そういうところに目がいって、この身体論的なリアリティーっていうか、生々しさはちょっと凄いなと思った。『千と千尋の神隠し』は、この頼りない娘さんが、他者との関わりの中で自らの身体性を回復していくお話でもある。なにしろ中盤以降は、「カリ城」のルパン三世ばりのアクションをこなすまでに至るんだから……。
それなのに、試練を終えてトンネルをくぐって現実に帰還する際には、あらためて、あの冷たい母親にしがみついちゃうところがまたリアルなんだけど。