芭蕉といえば「孤高の俳聖」「隠者」「漂泊の旅人」……といったイメージが無きにしも非ずだが、いっぽうでは、あまたの門人を抱える「宗匠」の顔もあったわけである。
ご本人も、「発句だけなら門人の中にも私にひけをとらない者はいるよ。でも、連句の座を捌(さば)く業前ならば、やはり私に一日の長があるだろうね。」という意味の言を残している。
京都アニメーションの事件につき、当ブログではもっぱら「孤立」という切り口で考察してきたが、そのあとでおもむろに、芭蕉と門人についての記事を2本アップしたのはそれ故だ。芭蕉のつくった「座」の空間は、「孤立」の対極にあるものだなあ……と、ふと思ったのだった。
連句のことはご存じだろうか。
江戸期の町人文化ながら、優雅な知的遊戯としては、王朝の和歌・漢詩の遊びにも劣らないと思う。決まりはなかなか煩雑で、かくいうぼく自身じつは完璧に理解しているわけではないが、体裁だけいえば、気の合う仲間が何人か(3~5人くらいが多いようだ)集まって、五七五、七七、そのあとまた五七五、七七、と付けていき、36句まで巻いたところで、「一巻の終わり」と相成る。
きわめて高度な「連想ゲーム」といってもいいか。参加者それぞれに相当な知性や教養や感性が求められるし、前の句を詠んだひと、後の句を詠むひと、さらには一座のほかの衆にも、気遣い・気配りが欠かせない。つまり、月並みな句ばかり付けていてはつまらぬが、かといって、個性を出そうと突飛な句を付けては全体の空気を壊してしまう。その兼ね合いがむつかしい。いかに同好の士とはいえ、細やかな社交の場でもあるわけだ。
ご本人も、「発句だけなら門人の中にも私にひけをとらない者はいるよ。でも、連句の座を捌(さば)く業前ならば、やはり私に一日の長があるだろうね。」という意味の言を残している。
京都アニメーションの事件につき、当ブログではもっぱら「孤立」という切り口で考察してきたが、そのあとでおもむろに、芭蕉と門人についての記事を2本アップしたのはそれ故だ。芭蕉のつくった「座」の空間は、「孤立」の対極にあるものだなあ……と、ふと思ったのだった。
連句のことはご存じだろうか。
江戸期の町人文化ながら、優雅な知的遊戯としては、王朝の和歌・漢詩の遊びにも劣らないと思う。決まりはなかなか煩雑で、かくいうぼく自身じつは完璧に理解しているわけではないが、体裁だけいえば、気の合う仲間が何人か(3~5人くらいが多いようだ)集まって、五七五、七七、そのあとまた五七五、七七、と付けていき、36句まで巻いたところで、「一巻の終わり」と相成る。
きわめて高度な「連想ゲーム」といってもいいか。参加者それぞれに相当な知性や教養や感性が求められるし、前の句を詠んだひと、後の句を詠むひと、さらには一座のほかの衆にも、気遣い・気配りが欠かせない。つまり、月並みな句ばかり付けていてはつまらぬが、かといって、個性を出そうと突飛な句を付けては全体の空気を壊してしまう。その兼ね合いがむつかしい。いかに同好の士とはいえ、細やかな社交の場でもあるわけだ。
だからこそ、座を取り仕切る宗匠の才腕ってものがとても大事になってくる。インプロビゼーション(即興)をやるジャズバンドのリーダー、もしくは、もっと卑近な例ならば、テレビのバラエティーショーのMCに当たるといえるか。
赤穂浪士の大高源吾たちが其角(芭蕉の高弟)の俳諧仲間だったことからもわかるように、文人として会する際には、原則として身分の隔たりがない。武士も町人も、みな同列なのである。
だから江戸の都をはじめ、「連句」の寄り合いは各地でいろいろな人たちによって行われていたと思うが、そのなかで頂点に位置するものは、もちろん芭蕉を宗匠とする会であり、その成果は「冬の日」「猿蓑」といった書に収められている。
岩波文庫の『芭蕉七部集』などを見ていると、まあ、難しくてとうてい味読はできないけれども、そこにものすごく緻密かつ濃厚な世界が織りなされている……ことだけはわかる。
それは「文化の粋」としかいいようのないもので、こういう点にかんしては、現代は江戸期に遥か及ばない。むしろ衰退している。
芭蕉一門の「座」の醸し出す濃密さは、ひととひととの交わりの濃さ……でもある。
いったいに、昔は「ひとと交わること」こそが最大の娯楽だったわけで、だから「祭り」の大切さとか熱さも今日の日ではなかった。将棋なども、個人と個人が密室に籠って一対一で指すより、縁台将棋じゃないけれど、大勢の注視のなかで指すことが多かった。皆で楽しんでたわけである。
前々々回の記事「ハイテク社会と孤立」のなかで、akiさんは、
さらに孤立の重要な要素として、「娯楽の進歩」があるでしょう。ネットにつなげれば、さほどお金をかけずとも様々な映像コンテンツを楽しむことができ、ゲーム・スポーツ・アイドル産業・お笑いなど、多種多様な趣味に応じたコンテンツが山のように存在します。さらに、SNSなどで個人が情報発信する手段も発達し、人間にとって本質的な「癒し」である「人とのつながり」を代替することもできる。その結果、一人暮らしであってもあまり寂しさを感じずに済むようになった。
これらの変化は、「家事を楽にこなしたい」「居ながらにして世界中の文化に触れたい」等々の欲求に応えて、科学技術が飛躍的に進歩した結果もたらされたものです。そしてその結果として、他人の助けを借りずとも、他人と無理に関わらなくても生きていける社会が現出し、「ならば面倒な人間関係に煩わされずに生きていきたい」と考える人が増加した。実際、「孤立」とまではいかなくても、大なり小なりそう考える人は多いと思います。
と述べておられるが、これはまったくそのとおりで、ハイテク化が進めば進むほど、ひととひととの距離は隔たり、他人のことが「うざい」「きもい」「めんどい」といった塩梅になる。こんな言い回しは、ぼくなどが20代の頃にはなかったのだ。
赤穂浪士の大高源吾たちが其角(芭蕉の高弟)の俳諧仲間だったことからもわかるように、文人として会する際には、原則として身分の隔たりがない。武士も町人も、みな同列なのである。
だから江戸の都をはじめ、「連句」の寄り合いは各地でいろいろな人たちによって行われていたと思うが、そのなかで頂点に位置するものは、もちろん芭蕉を宗匠とする会であり、その成果は「冬の日」「猿蓑」といった書に収められている。
岩波文庫の『芭蕉七部集』などを見ていると、まあ、難しくてとうてい味読はできないけれども、そこにものすごく緻密かつ濃厚な世界が織りなされている……ことだけはわかる。
それは「文化の粋」としかいいようのないもので、こういう点にかんしては、現代は江戸期に遥か及ばない。むしろ衰退している。
芭蕉一門の「座」の醸し出す濃密さは、ひととひととの交わりの濃さ……でもある。
いったいに、昔は「ひとと交わること」こそが最大の娯楽だったわけで、だから「祭り」の大切さとか熱さも今日の日ではなかった。将棋なども、個人と個人が密室に籠って一対一で指すより、縁台将棋じゃないけれど、大勢の注視のなかで指すことが多かった。皆で楽しんでたわけである。
前々々回の記事「ハイテク社会と孤立」のなかで、akiさんは、
さらに孤立の重要な要素として、「娯楽の進歩」があるでしょう。ネットにつなげれば、さほどお金をかけずとも様々な映像コンテンツを楽しむことができ、ゲーム・スポーツ・アイドル産業・お笑いなど、多種多様な趣味に応じたコンテンツが山のように存在します。さらに、SNSなどで個人が情報発信する手段も発達し、人間にとって本質的な「癒し」である「人とのつながり」を代替することもできる。その結果、一人暮らしであってもあまり寂しさを感じずに済むようになった。
これらの変化は、「家事を楽にこなしたい」「居ながらにして世界中の文化に触れたい」等々の欲求に応えて、科学技術が飛躍的に進歩した結果もたらされたものです。そしてその結果として、他人の助けを借りずとも、他人と無理に関わらなくても生きていける社会が現出し、「ならば面倒な人間関係に煩わされずに生きていきたい」と考える人が増加した。実際、「孤立」とまではいかなくても、大なり小なりそう考える人は多いと思います。
と述べておられるが、これはまったくそのとおりで、ハイテク化が進めば進むほど、ひととひととの距離は隔たり、他人のことが「うざい」「きもい」「めんどい」といった塩梅になる。こんな言い回しは、ぼくなどが20代の頃にはなかったのだ。
テレビやビデオくらいまでならまだよかった。スマホの普及によるネットの拡大が、あまりにも巨大な影響を社会にもたらした。
おおげさにいえば、明治維新~敗戦~高度成長~バブル崩壊~IT革命……ときて、平成の後期あたりから、ニッポンはついに、「江戸期」から完全に切断されたといえるのかもしれない。それまでは、まだしも少しは「前近代」の余慶がのこっていた気がするのだ。
芭蕉一門の残した連句を眺め、芭蕉と門人たちのことを考えるにつけ、ぼくには今の時代の異様さってものが際立って見えてくる。