ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

雑読日記001 まずは『成城だより』の話から。

2019-03-01 | 雑読日記(古典からSFまで)
 前回からの流れで「軍事」の話に持っていく予定だったんだけど、所用があって3、4日ブログのことを放念してたら、何をどう書くつもりだったのか紛れてしまい、「えーっと……」などと思ってるうちに気づけば1週間がたってしまった。こうなるとますます更新しづらくなり、あげく放置ってことにもなりかねぬ。自分のブログでも「敷居が高くなる。」ってことはあるのだ。10年あまりやってりゃそういうことは何回もあって、こんな折は、とりあえず何でもよいから書くことである(「放置ブログになったらなったで別にまあ……」という気分もないわけではないが)。
 ことのついでに「雑読日記。」なる新カテゴリーを追加しちまった。まとまった「論考」のかたちではなく、読書メモふうに読んだ本の感想や短評を記していこうぜ、というもの。本来ブログってのはそういうものであるのかもしれず、前々からやろうとは思ってたのだが、このたび踏み切ったのは大岡昇平『成城だより』の影響である。
 大岡さんといえば『レイテ戦記』(中公文庫)『武蔵野夫人』(新潮文庫)などで知られる巨匠で、かつて大江健三郎が「昭和の日本文学を代表する作家をひとり選ぶとしたら?」と問われたさい、その名を挙げた人ほどの方だ。
 理由は、
①小林秀雄、富永太郎、中原中也ら、近代日本文学の最良の系譜に連なる先輩や同輩たちのなかで自己形成してきたこと。
②スタンダールの研究家だった。すなわち、近代小説の基幹をきちんと学んでいたこと。
③サラリーマンとして会社に勤めていた。すなわち社会人としての経験をもっていたこと。
 そして、それらにもまして大きなものとして、
④太平洋戦争のとき、自ら一兵卒として従軍したこと。
 といった事どもだった。
 もう30年も前なんで、大江さんがそのとき言われたとおりじゃないかもしれぬが、いま自分で考えてみても、この評価は正鵠を射ていると思う。
 この大岡昇平(1909 明治42~1988 昭和63)は、また博学でも知られ、晩年に至っても好奇心旺盛で、ドゥルーズあたりも読んでおられたようだし、映画もよく観てらしたし(ルイーズ・ブルックスの熱烈なファンだった)、ニューミュージックも(歌謡曲ではなくて)お好きだったようである。
 だから上段に構えた論考よりむしろエッセイや座談が面白かったりもするわけで、その一端は埴谷雄高との対談『二つの同時代史』(岩波現代文庫)でも存分に伺えるのだけれど、そういった「本業以外の仕事」のうちで、とりわけ面白いと世評高いのが『成城だより』なのである。
 成城からの便りなんつったら、なにやら紀行文のようだが、ありようは日記である。東京は世田谷のあの成城だ。ご本人がここに住んでいらした。むろん高級住宅地だ。
 仰ぎ見るような大作家に対してイヤミをいうわけではないが(いややっぱりイヤミかな……)、大岡さんは終始「反体制」の立場を貫いておられたけれど、「戦後日本」の豊かな果実はたっぷりと享受しておられたわけである。そういう方はもちろん他にもたくさんおられ、というか、ニッポンが目に見えて「右旋回」する90年代末くらいまではそれがふつうの「文化人」のスタイルですらあって、その件はけっこう冗談ぬきで考察に値するテーマだと思うが、本筋ではないのでまたの機会に。
 ともあれ、『成城だより』だ。
 1981、1983、1986年の3年間……だからまさしくバブル前夜からバブル勃興の真っただ中にかけて、ってことになるわけだが、1年分ずつ「文學界」に連載された。連載当時から「むちゃオモロイ」とブンガク業界じゃあ話題だったようで、ぼくは当時、ギョーカイとはなんら関係なかったけども(いや今でも関係ないが)、それでもなんだか色んなところでタイトルを耳にした気がする。
 「文學界」は文藝春秋社のやってる純文芸誌なんで、単行本はそれぞれⅠ、Ⅱ、Ⅲの3分冊で文藝春秋から出た。そちらが品切れになってから、上下2冊となって講談社文芸文庫に入った。その電子版をいま読んでるわけである。
 いやまあオモロイ。たしかにオモロイ。聞いてた以上にオモロイ。
 大岡さんは、上記のとおり富永太郎(1901 明治34~ 1925 大正14)と親交があり、この富永は、近代日本を代表する詩人のひとりなのだが生没年をご覧になればお分かりのごとく夭折のひとだ。この若さで身罷っていながら「近代日本を代表する詩人のひとり」になりえたというのは、富永が天才だってこともあるし、およそ「近代日本」なるものが、その内面においてそれだけ「若かった」ということでもあろう。
 でもって、大岡さんはその富永の全集の編纂をライフワーク(の一つ)にしておられ、またもうひとり、これも「近代日本を代表する詩人のひとり」で、深い親交のあった中原中也(1907 明治40~ 1937 昭和12。こちらも夭折だ)のことも執拗に調べ続けておられて、その両者への50年ごしの「こだわり」が、この浩瀚な日記を統べる一本の太い縦糸になっている。
 青年の頃の友人たちを終生にわたって思い続けるなんて、それだけでアツい。むろん彼らが並外れた才能の持ち主だったからなんだけど、それだけではない。
 といって、いまの若い人はそんな「文学マニア」っぽい話に興味はないか。いや、その手の話ばかりが延々と書き綴られてるわけじゃなく、中島みゆきの名も出れば、「地獄の黙示録」についてのちょっとした考察もみえる。
 いっぽう、『なんとなく、クリスタル。』や、村上龍、村上春樹といった名前はまったくみえない。これは本当に関心がなかったのか、いちおう目を通しはしたが何らかの配慮の上で記述を避けたか、たぶん前者だろうとは思うのだが、じっさいのところは不明である。
 つまり、当時すこしずつ、しかし如実に始まっていた「文壇」の流動化についての意識は希薄で、だからとうぜん「サブカルチャー」全般への気配りってものも伺えず、いわば散発的な興味に留まっている。そこはやっぱり明治生まれの作家だなあと思わせられるが、ま、当たり前っちゃあ当たり前の話だ。
 いっぽう、いわゆる正当な純文学や文芸評論、学術書、歴史の本、さらにミステリーなどは貪婪に読みまくっておられるし、「物語論」についての考察も深くて(大岡さんは漱石研究でも有名で、オフィーリア・コンプレックスを公言してもおられた)、身辺雑記のなかに織り込まれた読書ノートをたどってるだけで、べらぼうに刺激されるし、勉強にもなるのであった。
 近現代の日本を代表する「日記文学」のひとつであることは疑いないし、戦後日本の最良の知性(のひとり)が残したバブル期の知的記録としても貴重なものに違いない。これに「影響を受けた」なんて言ったら僭越のそしりは免れぬのだが、まあ「触発された」というか、いや結局はおんなじか……ともかく、こんな感じで自分なりになんか書けたらいいなー、てな気分で、「雑読日記。」なるカテゴリーを新設したりなんかしちゃったわけである。