ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

第5回・小川国夫「相良油田」その④

2015-05-25 | 戦後短篇小説再発見

 この「相良油田」が発表されたのは1965(昭和40)年、同人誌「青銅時代」誌上となっている。発表年次と執筆時期とは必ずしも合致しないにせよ、いずれにしても戦後20年近くを経て書かれたのは確かだ。いわゆる昭和ヒトケタに属する作家が敗戦ののちに「民主憲法」のもとで自己形成を果たし、青年や壮年になってから、かつて少年だった自分たちをモデルにフィクションをつくった例としては、みんな知ってる野坂昭如の「火垂るの墓」はもちろん、「飼育」や「芽むしり 仔撃ち」をはじめとする大江健三郎の初期のショッキングな中短編がある。

 ほかにも開高健、古井由吉、井上ひさしなど、枚挙に暇はないけれど、さらにいえば、およそ小説を書く人間で、その試みに手を染めなかったひとはほぼ皆無であろう。戦前および戦中の軍国教育と、敗戦後の民主教育とは180度違う。まさにコペルニクス的転換であって、うちのお父っつぁんみたいな一般ピープルならばいざ知らず、いやしくも作家と名乗るほどの者ならば、その転換に底知れぬ衝撃を受け、それを自らの問題として生涯抱え込まざるを得なかったはずだし、当然ながら創作という形でその問題と格闘せずにはいられなかったはずである。

 小川国夫は昭和2年生まれで、昭和10年生まれの大江さんより大正14年生まれの三島由紀夫に近いんだけど、その文体はこの両者と違ってとにかく淡白なのである。前回の記事でもしつこく強調したとおり、憧れの君「上林先生」の彼氏が海軍士官であることは、浩にとってじつに大変なことなのだが、小川さんはいちいちそんなことを書き込まないので、今どきの若者には(今どきの若者がこの短編を読むとしての話だが)よく伝わらないんじゃないかと思う。けれど、耳目をそばだてさせるような派手さは見受けられないにせよ、やはり小川国夫は小川さんなりのやり方で、戦争という主題に向き合っているのである。

  理科の時間に、彼女から、日本の石油の産地を聞かれた時、浩は、新潟県と秋田県、樺太(からふと)の東海岸、と答えることが出来た。
  それから、
  ――御前崎にも油田があります、とつけ加えた。
  上林先生は例の生まじめな表情になって、一瞬黙った。彼は、微かにだったが、疑われた感じがして、躍起になっていい張りたかった。しかし、口が銹(さ)びついたようで、言葉が出なかった。
  ――御前崎に……そう、先生は知らなかったけど、調べてみますね、と彼女はいった。

 冒頭からの流れで、浩と上林先生との作中における最初のやり取りがこのように描かれる。冒頭の授業風景と同じ日のことかどうかは分からない。あるいは別の日かも知れぬ。つまり時間の推移があいまいで、ここでも小川マジックが発動しているわけだが、小説の進み行きとしては至ってスムースで、なんら不自然さはない。授業のあと浩は「調べてみますね」という先生のことばにこだわり、(生徒のいうことをないがしろにしない責任感とも取れるが、にわかには信じがたいとする蔑視のあらわれとも思える。先生には親しくされるのを拒むようなところがある……)などと、うじうじと思いを巡らす。

 文章が簡潔なのでさらっと読んでしまいがちだけど、小川国夫の作中人物はみんな内向的で、ナイーブで、頭のなかはいつも相当ねちっこい。高校時代のぼくにとってはそこがたまらぬ魅力であった。太宰ふうの饒舌体で書けば随分な分量になるはずのその内面描写を、ひとことでバシッと決めてしまうところがカッコいいのである。青年になった浩を描いた「アポロンの島」や「青銅時代」でも、たとえば「浩は空虚なことを言ったと思った。そして、空虚なことを言うのにも慣れねばならないと思った。」とか「笑った自分が単純で滑稽な気がした。しかし、少なくとも今夜は、自分はこうより他に在り方はなかった、と思った。」とか、鮮やかなフレーズが随所に散りばめられてるのだ。

 「相良油田」に戻ろう。(あの時僕に親しげなものいいをされたように、彼女は感じたのか、僕はそんな気はなかったのに……)などと、浩の屈託はさらに続く。どうでもいいが、教師を「彼女」などという代名詞で呼ぶこと自体が小学生として(それも戦時中のだぜ)相当ませてるんじゃないかと思う。さらに浩は、そもそも本当に御前崎に油田があるのかどうか、そこが不安になってくる。「(……)たしかに聞いた気がした。しかし、だれに、いつ、どこで聞いたかもおぼえていないことだった。」

  「彼は、父親の経営している事務所へ行き、年配の従業員に、そのことを尋ねて見た。四、五人に尋ねたが、だれも知らないと答えた。彼には、たしかだと思っていたことが、段々曖昧になり、やがて事実無根になっていく気がした。物陰になにかがいたような気がしたので、それを請け合ったが、調べて見たら、なにもいなかった、というのに似ていた。彼の耳に、調べて見ますね、という彼女の言葉が聞えていた。」

 テレビもインターネットもない時代だし、戦時下のこととて文献なども乏しいのだろう。それより何より、やはり戦争中はとかく世相が騒然として、いろいろなことが混沌としていたんだろうと思う。小川さんには「人隠し」という短編があって、講談社文庫『海からの光』に収録されている。ここでは中学生になった浩が、顔なじみの女学生を探して回るが、だれに訊いても要領を得ず、結局は死んでいたと知らされる。怪しい先輩は軍事教練中の事故死と言い張るのだが、なんとなく、その男が手にかけたのではないかと疑われる節もある。しかし実際のところは分からない。カフカ的、と呼びたいような不気味な話である。そこまで怖くはないものの、「相良油田」にも薄気味のわるいところはあるのだ。小説はここから、長々と夢の話を繰り広げるのだが、その夢が、ちょっと「ねじ式」ふうの気味悪さなのである。

 その⑤につづく。