ダウンワード・パラダイス

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祝・藤井聡太くん七段昇段

2018-05-19 | 雑(youtube/パソコン/将棋。ほか)
 藤井聡太くんが七段に昇った。15歳9ヶ月での七段はもちろん新記録。「400年に一人」とまでいわれる天才の快進撃を寿ぎたい。

 「七段」という段位にかんしていえば、これまでの記録はこのようになっているらしい。

 加藤一二三 17歳 3ヶ月
 谷川浩司  18歳11ヶ月
 羽生善治  20歳 0ヶ月
 渡辺明   21歳 5ヶ月

 いずれも「中学生棋士」出身者である。偶然にも、キャリアの順に並んでいる。昔は昇段規定が厳しかったので、加藤さんのすごさがわかる。
 ただ、羽生さんは19歳で「竜王」のタイトルを取り、それは翌年失冠したものの、すぐに「棋王」という別タイトルを奪取して、以後、こんにちまでずっと何らかのタイトルを(複数)保持し続けているために、かつて七段を名乗ったことはない。名乗った段位は「五段」までである。
 それは渡辺明さんも同じで、羽生さんより15年のちの話だが、20歳のときに「竜王」への挑戦権をえて六段になると、そのまま一気に奪取して七段となり、そのまま連続9期にわたって竜王位を保持し続けた。失冠ののちも他のタイトルを持ちつづけ、やはり段位を名乗ったことはない。だからこちらも、名乗った段位はほぼ「五段」までということになる。
 羽生・渡辺の両者は「タイトル獲得」の規定によって昇段したためそうなった。口のわるい将棋ファンが、「スピード昇段なんて言っても、段位を名乗ってるようじゃまだまだだよね」などと、不遜なジョークを飛ばすのは、これをふまえているわけだ。ただ、このお二人のタイトル挑戦~獲得は20歳くらいのことなので、藤井くんの早熟ぶりは(今さら言うまでもないことながら)瞠目に値する。
 なお、タイトルといえば、かつて18歳6ヶ月で「棋聖」をとった屋敷伸之(現九段)さんは、それを失冠したあと「六段」となった。今日では、「タイトル一期獲得」で七段となるが、当時はその規定がなかったのだ。しかし18歳でのタイトル獲得は羽生さんをしのぐ記録であり、本来ならここに名を連ねていてもおかしくない。ちなみにいま、将棋ファンがもっとも注目しているのは、藤井聡太七段が、この屋敷さんの最年少タイトルを破れるか否か、だ。

 ことのついでに、将棋連盟が公表している「昇段規定」も転載しておこう。


四段(プロの仲間入り)
三段リーグでの優勝・準優勝
三段リーグ次点2回


五段
竜王ランキング戦連続2回昇級または通算3回優勝
順位戦C級1組昇級
タイトル挑戦
全棋士参加棋戦優勝
公式戦100勝


六段
竜王戦2組昇級
五段昇段後竜王ランキング戦連続2回昇級または通算3回優勝
順位戦B級2組昇級
五段昇段後タイトル挑戦
五段昇段後全棋士参加棋戦優勝
五段昇段後公式戦120勝


七段
竜王挑戦
竜王戦1組昇級
六段昇段後竜王ランキング戦連続昇級または通算3回優勝
順位戦B級1組昇級
タイトル1期獲得
六段昇段後全棋士参加棋戦優勝
六段昇段後公式戦150勝


八段
竜王位1期獲得
順位戦A級昇級
七段昇段後公式戦190勝


九段
竜王位2期獲得
名人位1期獲得
タイトル3期獲得
八段昇段後公式戦250勝

 おもしろいのは、昇段のタイミングだ。条件を満たした時点で即日昇段なのである。年度末とか年度初めとか、公式日程がおわってからとか、そういう保留期間がない。藤井聡太四段は2018年2月1日、順位戦C級2組の9回戦で勝ち、成績を単独1位の9勝0敗として、最終戦(10回戦)を待たずに1位通過を確定させ、C級1組への昇級を決めた。いわゆる「一期抜け」である。そして同日付で五段に昇った。
 さらに3月15日の10回戦でも勝ち、全勝での通過を決める。ちなみに、C級2組の「一期抜け」はたいへん難しく、羽生さんでさえ2期かかっている。初参加での全勝となると、藤井くんを含めて史上6人しかいない。
 それはともかく、ここで重要なのは、2月1日の時点で「五段昇段」を果たしていた点だ。これを3月15日まで持ち越していたら、話がかわってくるのである。というのも藤井くんは「朝日杯将棋オープン戦」の本戦に進み、2月17日午前の準決勝で羽生善治竜王に勝ち、同日午後の決勝戦で広瀬章人八段(現役A級・元王位)を破って優勝したからだ。
 この「朝日杯将棋オープン戦」は、「全棋士参加」の棋戦だ。ゆえに、五段になってからの「全棋士参加棋戦優勝」により、六段となったわけである。
 昨年の話になるが、2017年5月25日、藤井聡太四段は「第30期竜王戦6組決勝」において、若手俊英のひとり近藤誠也五段を破って優勝し、5組への昇級を決めていた。社会現象となった「デビュー以降負けなしの29連勝」のさなか、19連勝めの勝利だった。
 そして昨日、2018年5月18日、「第31期竜王戦5組ランキング戦準決勝」にて船江恒平六段を破り、4組への昇級を決めた。そこで、「六段昇段後竜王ランキング戦連続昇級」の昇段規定により、同日付で七段に昇段した次第だ。
 このたびの対戦では、マスコミは、「井上慶太九段一門VS藤井聡太」なる構図を、面白おかしく強調していた。将棋ファン以外の方には何のことだかわからぬだろうから(そんなこと言ったら今回の記事はまるごとそうだが)、すこし説明させて頂こう。
 昔ながらの伝統で、将棋界は師弟関係を重んじる。プロ棋士になるには、必ず棋士の門下に入らねばならない。藤井七段の師匠は杉本昌隆七段で、よくテレビにも招かれているのでご存知の方も多かろう。
 井上慶太九段は、谷川浩司九段の弟弟子にあたる関西のベテランで、かつてはA級に在籍していたこともある。この方には三人のお弟子さんがいて、みな優秀なのである。
 稲葉陽八段(30)は、順位戦最高ランクのA級に在籍し、昨年は名人に挑戦したほどの棋士。
 菅井竜也王位(26)は、昨年、羽生善治さんからタイトルをもぎ取り、「平成生まれ初のタイトルホルダー」となった棋士。どちらもたいへんな強豪だ。
 藤井総太くんは、プロになってから公式戦で12敗しかしていないのだが(勝ち数は76)、そのうちの2敗を、このお二人に喫している。菅井さんには2017年8月、王将戦の一次予選にて。稲葉さんには2017年12月、NHK杯のトーナメントにて。こちらはテレビ放映なのでご覧になった方もいるかもしれない。
 ぼくはどちらの棋譜も見たけれど、序盤から中盤の入り口にかけて早々と藤井くんのほうが悪くなり、そのまま押し切られた感じで、プロレベルでは完敗といっていい。
 しかしそれは「藤井四段」の頃の話であって、少なくともその時点においては、やむをえない結果だったともいえる。
 ただ、そのあと僅かな期間に藤井くんはめきめき強くなり続けた(もちろん今もだが)。そして朝日杯で優勝し、六段に昇ってなお16連勝を継続するさなか、井上慶太さんご本人と当たった。今年の3月28日、「王将戦1次予選」だ。そして敗れた。結局これは、「藤井聡太六段」が喫した唯一の黒星ということになる。
 むろん井上さんは、かつて全盛期の「羽生世代」とわたりあった棋士で、甘い相手ではないのだが、率直にいって、下馬評では藤井持ちが多かったはずだ。「番狂わせ」とまでいったら失礼だけど、ぼくなども、「6‐4で藤井だろう。」と思っていた。
 この将棋は完敗どころか、むしろ藤井六段が押しているようにも見えたが、終盤に差し掛かったあたりで珍しく失着が出て、形勢を損ねたように思う。
 なんにせよ、この勝利によって、一部のマスコミやら何やが、井上一門を「藤井キラー」と呼ぶなどして、面白おかしく盛り上げにかかったわけである。そこにもってきて、たまたま「七段」がかかった一戦に、一門の最後のおひとり船江恒平六段が登場したので、ちょっと悪乗り気味になった。「刺客」とか、穏やかならざる単語も目についた。
 船江六段(30)は、まえのお二人と比べると実績の点では見劣りするが、藤井くん同様、詰将棋の名手として知られ、解くのはもちろん、創作のほうに天賦の才をみせている。テレビなどで拝見すると、じつに明朗な印象で、解説などもわかりやすい。文章もうまく、NHK将棋講座のテキストでエッセイを連載していたこともある。人柄のにじむ好エッセイだった。
 それにつけても、「藤井キラー」だの「刺客」だの、どうにも趣味がよろしくない。ぼくが「悪しき物語」と呼ぶのはまさにこういうやつであり、この手の安い「物語」を好むマスコミ(とそれを支える大衆)ってぇものは、ほんとになんとも、どうにもこうにも、オッペケペーのペッポッポーだ。
 昨日の勝負でも、決着がついた直後、押しかけた記者のひとりが「一門がどうこう」と、やはりこの話を持ち出した。そりゃ記者のほうにも「読者のニーズを満たす」という責務があるから仕方ないんだろうし、答える船江さんも、もちろんそつなく応じてたんだけど、心なしか、声音がこわばってるようにも聞こえた。
 記者たちの波がひき、「感想戦」がはじまると、負けた船江六段は一転していつもの爽やかな顔になり、あかるい声で検討にうつった。「ここ、こうしてたらどうだったかな」「あー、それだったらこうですかね」「あ、なるほどなるほど。なら、こうだったらどうですか」「それだと……まあ、こうでしょうか……」さっきまで盤を挟んで対峙していた両者が、さながら共同研究者のように、熱っぽく、しかもどこか愉しげに、指し終えた一局を分析していく。
 勝負はとうぜん勝負であって、それはとことん厳しいものだが、プロ棋士とは勝負師であると同時に「将棋」というロジックの体系を究めんとする研究者であり、探究者なのである。将棋というゲームの神髄はそこにこそ存するわけで、その前にあっては、シロート衆の思いつく安い物語なんぞ、なにほどの値打ちもないのだった。


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