ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

立松和平の(小説の)思い出。

2015-10-02 | 純文学って何?
 今年はずっとブログをほったらかしにしてきたので、心機一転、残る3ヶ月で「旧ダウンワード・パラダイス」から文学関係の記事をできるだけ引っ張ってこようと目論んでいる。そこで少し気になるのが「読者になる」という機能のことで、これはぼくはよく知らないのだけれども、こちらが記事を更新するたび、登録して下さっている方のところにGOOから通知がいくわけだろうか。だとすると、これから暇を見つけて集中的に、時には一日に数回くらい更新することも予想されるから、通知がどんどん送られて、いささか煩わしいことになってしまうかもしれない。恐縮ですが、そのあたり、どうかよろしくお願いいたします。
 立松和平さんといえば、初期の「ニュースステーション」のなかで(司会はもちろん久米宏。いい時代だったなあ……)レポーターを務めていたので、ふだん本を読まない人にもその風貌(と独特の語り口)はお馴染みであったと思う。文学的にいうならば、前回とりあげたあの中上健次と対比されて論じられることが多かったため、いろいろと割を食っていた印象がある。言うならばそれは大江健三郎に対する高橋和巳のようなポジションで、大江/中上がつねに過剰でラディカルで、市民社会の枠組をたえず破壊するようなテクストを生み出していたのに対し、高橋/立松のほうはあくまでも真面目なふつうの人だった。ご両人とも政治運動の経験者だし、それを題材にした作品ももちろんたくさんあったけれども、それでも「天才型」の大江/中上と読み比べると、文学としての深度、衝撃度において見劣りがする。
 ただ、そのことは小説としての面白さとはまた別で、正直いってぼくは中上健次のいくつかの小説よりも立松のものを面白いと感じるし、高橋和巳の『邪宗門』はそれ自体としてひとつの傑作だとも思う。立松さんの訃報に接し、自分なりの追悼文のつもりで書いたこの記事は、そのあたりの機微にふれたものである。

初出 2010年2月10日


 はなはだ失礼ながら、立松和平さんを思うとき、作家の「格」というか「器」というか、そういうものをいやがうえにも考えずにはいられない。同時代に同年齢で中上健次という巨人を持ち、どちらもいわゆる団塊の世代、こなたは栃木、あなたは紀州の違いはあれ、上京して同じような文化に浸り、全共闘にも参加して、十代で文学を志す。もとより何度か顔をあわせ、意気投合したり反発したり、いろいろあったに違いないのだが、小説の柄の大きさ・深さでいえば、立松さんは中上に遠く及ばない。なまじ作風が似ているだけに、その落差がいっそう際立つ。これは立松さんのせいではなくて、中上があまりに屹立しているからなんだけど。

 80年代の初頭に集英社文庫で出た『途方にくれて』という短編集がぼくは好きだった。小川国夫『アポロンの島』、大江健三郎『われらの時代』、石原慎太郎『亀裂』、柴田翔『されどわれらが日々』、中上健次『十九歳の地図』、丸山健二『夏の流れ・正午なり』、五木寛之『青春の門』、田中小実昌『自動巻時計の一日』、倉橋由美子『聖少女』『暗い旅』、金井美恵子『愛の生活』『夢の時間』、村上龍『限りなく透明に近いブルー』、村上春樹『風の歌を聴け』、田中康夫『なんとなく、クリスタル』、高橋三千綱『退屈しのぎ』、山川健一『壜の中のメッセージ』、あとは『スローなブギにしてくれ』をはじめとする角川文庫の片岡義男、翻訳ものではヘミングウェイの『日はまた昇る』、アラン・シリトー『長距離走者の孤独』にサリンジャー『ナイン・ストーリーズ』、これらに加えて立松さんの『途方にくれて』、そういったものが雑然と渦を成していたのがバブル前夜のニッポンの文芸シーン(正しくは文庫シーンというべきか)の一断面であり、かつはまた、十代の終わりくらいのぼくの本棚であったわけである。

 これら文庫本のほとんどは、二十代半ばにまとめて処分してしまった。何年か経って後悔し、買える範囲で買い直したものの、大半はもう手に入らない。どうやら二十代半ばのぼくは、いうところの「青春」ってやつにつくづく嫌気がさして、どうにかして引導を渡そうとしたらしい。高校時代に書き溜めた文章やなんかも、一緒に捨てた覚えがあるからだ。今にして思えば、そんな潔癖さもまた「青春」の余熱じゃないのって気がするが、確かにまあ、社会に出て間もない時分には、見るもの聴くもの、そして読むもの、とにかく「青くさい」のが鼻について仕方なかった。逆に今くらいの年齢になると、女の子でも男の子でも、若い子の文章が好ましく、「蛇にピアス? 蹴りたい背中? ああもう全然オッケーっすよ」みたいな感じになっておりますが。

 立松さんは生涯に三百冊もの本を出されたらしいけど、『途方にくれて』はその記念すべき第一作品集で、四本の短篇が収められていた。もちろん表題作がいちばん良い。当時の文庫に附されていたその簡単な紹介文を、さっきネットで探して見つけた(あの文庫本は表紙のイラストもよかったなあ)。「アメリカからヨーロッパ、そしてアジアと自由気ままにさまよっている《ヒゲ》に、ぼくは沖縄にむかう船の中で出会う……。金のない二人が陸に上がってありついた仕事は、怪しげなナイト・クラブのボーイ。ヘマとドジ、涙と汗、喧嘩と恋の日々に見いだしたものは……。途方にくれた青春の彷徨を、きびきびとした文体で捉えた表題作」。

 そうそう。まさにそういうお話だった。読みながら『傷だらけの天使』を思い浮かべたりもして、「これATGで映画にしたら面白いだろうなあ」と思ったことを覚えている。「青年は荒野をめざす。」とまで言われちゃったらちょっと引くけど、やはり「青春」と「旅」ってのは切っても切り離せない。70年代は、汗くさい放浪小説の名作が多かった。青野聡、宮内勝典しかり。『ブルー』のリュウも、ある意味で彷徨の途上にあるといえる。それがコージーな私的空間に定住し、「女の子」と洒落たやりとりを楽しむようになったのは『風の歌を聴け』以降で、そういう意味でも春樹さんの登場は画期的だったなあとあらためて思う(春樹さんご本人は、若い頃からタフな旅行家だったようですが)。

 年端もいかない作家志望者にとって、とりあえず旅へと赴き、そこで我が身にふりかかった顛末を小説に仕立てることは、いちばん手っ取り早い創作方法に違いない。そのばあい、ヘミングウェイ・スタイルと総称しちゃっていいんだろうか、さながら「感受性豊かなビデオカメラ」みたいに、視覚情報を基調に据えたリアリズムで、体験した事実を歯切れよく綴っていく文体がよく使われる。というか、小説の書き始めの頃って、たいていの人がその文体しか知らない。少なくとも70年代はそうだった。80年代以後、たとえば島田雅彦みたいに、計画をねりねり、じゃなかった、戦略を練りに練り、作為を凝らした文体で虚構世界を作り上げるタイプの新世代が現れるけれど。

 立松さんはそういうタイプの作家ではなかった。ヘミングウェイもやっぱりそうで、基本的には体験したこと以外書けなかった。いっぽう中上健次はフォークナー・タイプであり、自らの内部に膨大な物語の鉱脈を抱えていたし、何よりも郷里に「路地」というトポスを持っていた。中上自身がどこかで言っていたけれど、中上文学とは、「路地」という複雑きわまるテクストを、ありとあらゆる手立てを用いて読み解いていく作業の記録であったと言っていい。そのためにはエリック・ホッファーも吉本隆明も構造主義も援用したし、「宇津保物語」などの古典をはじめ、歴史、宗教、芸能などのさまざまなジャンルにわたって幅広い知識を貪ったし、ボルヘスやカダフィーに会いに行ったりもした(ボルヘスとの対談の記録は残っているが、カダフィーと実際に会見したかどうは知らない)。……繰り返しになるが、立松さんはそうではなかった。

 『遠雷』はたしかに名作で、これは今でもぼくの書架にある。だけどぼくは、それ以降の立松さんについてよく知らない。環境問題に力を注いだり、仏教に打ち込んだり、全共闘時代のことをフィクションの形で書き残そうとしていたり、そういった程度の情報しか持たない。例の盗作騒動は、あの時代のことを総合的に捉えんがために、自身の筆の及ばぬ部分を、つい他人の著述に頼ってしまったということだろうと理解している。総じて言えば、ふつうの真面目な方であり、真面目な作家だったんだと思う。だって、いま列挙したことのどれもこれもが、いかにもふつうの真面目な団塊の世代が、中年から初老を迎えた時に還っていきそうな場所ではないか。

 中上健次は「市民」の埒外から来て「市民小説」を爆砕したが、立松さんは(ほかの多くの作家たちと同じく)「市民」の内側に留まっていた。だけど、ぼくはこれを貶めて言っているのではない。東峰夫さんの記事でも触れたとおり、文学史ってのは一握りのビッグネームだけによって作られるものではないのだ。中上健次が書けないものを、立松さんがお書きになっていた部分もあったはずで、実際にぼくは、少なくとも『十九歳の地図』よりは『途方にくれて』のほうが好きだった。

 立松さんの本はもうほとんど一般書店では手に入らないけれど、黒古一夫さんを責任編集者とする『立松和平 全小説』(勉誠出版)という大型企画が進められ、偶然にもというべきか、昨年の暮れから順次刊行が始まっているらしい。全30巻のうえ、9ポイント2段組で、各巻平均450ページという大著だから、よほどのファンでないかぎり、ちょっと家庭で揃えるわけにはいくまいが、文芸書が売れない売れないと言われて久しい昨今、これほどの全集を遺せる人はそんなにはいない。これがあたかも墓碑のようになってしまったのは残念だけど、ぼくなんかが想像していたよりずっと、立松さんは幸福な作家だったのかも知れない。


 追記 2015年10月) その後、新潮文庫から晩年の大作『道元禅師』(全3巻)が出た。いかにも「ふつう」の歴史小説でしたけれども。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。