ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

カズオ・イシグロさんのノーベル賞受賞

2017-10-07 | 純文学って何?

 昨年のボブ・ディランにはびっくりしたが、カズオ・イシグロさんのノーベル賞受賞は妥当だと思った。ただ、これで春樹さんの目がまた遠のいたなあとも思う。イシグロ氏は英国籍で英国で暮らし英語で執筆するとはいえ長崎生まれの日本人なのだし、作風も、どこか通底しているところがある。少なくとも村上龍よりは明らかに似ているであろう。じっさいイシグロ氏とハルキ氏は親交もあり、お互いの作品のファンだと公言してもいる。会見の席でイシグロ氏は、「私よりも先に受賞すべき作家を思い巡らすと、まっ先に頭に浮かぶのは村上春樹さんだ」という意味のことを述べたという。かなりの気の使いようである。

 スウェーデン・アカデミーによれば、受賞理由は「力強い感情の小説により、私たちが世界とつながっているという幻想に隠されている深い闇を明らかにした。」ことだそうである。「力強い感情の小説」って何だ。意味はわかるが、こなれない日本語である。「世界とつながっているという幻想に隠されている……」のくだりもくだくだしい。原文ではどうなってるんだろう。いずれにせよ、「世界とつながっている」ことが「私たち」の「幻想」だというのだから、ここでいう「深い闇」ってのは70年代くらいまでなら「実存的な不安」と呼ばれたものに近いだろう。『わたしを離さないで』なんてまさにそうだ。

 ぼくは『日の名残り』と『わたしを離さないで』しか読んでいないのだけど、名優アンソニー・ホプキンス主演で映画化された『日の名残り』は、謹直な執事の仕える主人がじつはナチスの協力者だったのに、執事がそのことに目をつぶっていたばかりか、戦後になっても一切その事実と向き合おうとしてないところが最大のキモである。しかもそれが、長年にわたって自分にひそかな愛情を示してくれたミス・ケントンに対する彼の男性としての(もっというなら人間としての)鈍感さ、冷淡さと絡み合っている。そこが読者にやるせない余韻を残す。

 臓器提供というショッキングな題材をSF的な設定で描いた『わたしを離さないで』もハリウッドで映画化されたし、ここ日本でも去年、綾瀬はるか主演でテレビドラマにもなったのに、今になってハヤカワepi文庫版が大手通販サイトで在庫切れになっている(ほかの作品も軒並み在庫切れ)。遅くとも2ヶ月以内には増刷する筈だから慌てることはないけれど、それにしてもなぜみんなせめてドラマ化の際に買って読んどかないんだろうなあ。

  ぼくが読んだのは、2011年4月にETVが「カズオ・イシグロをさがして」という特集を組んだ時だった。自らもたいへんな名文家である生物学者の福岡伸一、女優のともさかりえといった方々が出て、イシグロ作品への熱い思いを語ったりなどしていたが、中でもぼくは、出演者の中のもうひとりの女優に目をひかれた。文学少女が美しく成長した、といった風情のひとで、硬質ですこし屈折した表情が印象に残った。いま調べたら、小橋めぐみという方だったらしい。イシグロ作品に限らず、よく本を読んでおられるようだ。こういう女性に愛読してもらえるような小説をおれも書きたいなあと痛切に思ったが、おそらく一生ムリだろう。イシグロ氏と違って、ぼくは育ちが甚だ悪く、どちらかといえば中上健次タイプだからである。

 「カズオ・イシグロをさがして」は早晩また再放送すると思うが、こちらのサイトが(NHKの公式よりも)巧みにまとめておられるので、興味がおありの方はご覧になってみてはいかがでしょうか。

 THE MUSIC PLANT 日記https://themusicplant.blogspot.jp/2011/04/etv.html

 映画といえば、イシグロ氏は小津安二郎の作品、とりわけ原節子主演の「東京物語」や「晩秋」がお好きとのことで、作品への影響を指摘する論考も多い。このことからも知られるように、とにもかくにもイシグロ文学は上品にして繊細で、ぼくが氏の代表作の2作しか読んでないのもまさにそこのところに起因する。氏の小説はぼくには高潔すぎるのだ。大江健三郎さんは、性にかんしても暴力にかんしてももっとずっと露骨に踏み込んでいく。村上春樹とて、イシグロ氏に比べればはるかに暴力的でエロティックであろう。

 しかし、それくらい抑制のきいた手法で人間と社会のかかえる深い闇を表現できるのならばそれに越したことはない。「これは面白いと心底思った小説100冊 and more」のリストに『わたしを離さないで』を入れておいたけれど、たんに面白いというのではなく、この作品が一生つきあえるだけの豊かさを湛えているのは間違いないことだ。

 それに、節度を保っているがゆえに幅広い読者を獲得できるという面は確かにある。ぼくは長らく「大衆的な人気」と「文学性」とは相反するものだと考えてきて、だから村上春樹に対する評価も低かったんだけど、このところ、やはり小説ってのは読まれなくては話にならないんだから、人気があるのは大事なことだとつくづく思うようになった。その点においてもイシグロ氏の受賞は喜ばしいし、冒頭ではああ書いたけれど、ハルキさんにもできれば取ってほしいと思っている。

 


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