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ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

荒俣宏『99万年の叡智』を古本屋で買った。

2016-06-25 | 哲学/思想/社会学
初出 2012年09月


 古本屋めぐりをしていて、荒俣宏『99万年の叡智』なる本を入手した。副題は、「近代非理性的運動史を解く」。1985年、平河出版社刊。おお。85年。われらが年だ。そうだった。バブリング・エイティーズとは、なにもディスコとDCブランドショップの隆盛によってのみ回顧されるものではない。この手の「濃ゆーい」書物が大手書店の棚にぎっしりと犇めいていた時代でもあったのだ。あの頃の本屋は今より確かにオシャレであった(今日、そういった輝きはウェブ空間に移行し、その分だけ書店は色艶を失った。そもそも本屋の数が減ったし)。ただ、当時から書店に入り浸っていたぼくも、この『99万年の叡智』を目にした記憶はない。平河出版社という、やや特殊な版元から出ていたために、思想や哲学ではなく宗教関係のコーナーに置かれていたのではないか。さすがにぼくも、宗教書の棚までは仔細にチェックしないから。さもなくば、よほど出版部数が限られていたか。

 著者の荒俣さんについては、この場でぼくが贅言を費やす必要はあるまい。日本有数の蔵書家で幻想文学研究者で博物学者……と肩書きをいくつ連ねればその実体に迫れるだろう。「学魔」という異称を奉られることもある。途轍もない人には違いないのだが、ただしその小説ばかりはお世辞にも巧いとはいえず、小説ってものが学識や読書量だけで書けるものではないことの例証となっている。いやいや、そんな憎まれ口はどうでもよくて、1985年といえば荒俣さんは38歳。まだまだ少壮気鋭といっていい年齢だ。『99万年の叡智』巻頭の序言にいわく、「本書は近代におけるオカルティズム史に見通しをつける試みである。/これまでともすれば異端の名の下に現実と乖離する傾向にあったオカルティズムを、一気に近代史と関連づけ、しかもその動向を一貫性ある<党派的活動>として再検討する。すなわち、これを非理性的運動史と命名した所以である。」

 なんとも熱っぽく、気宇壮大で、ありていに申せば青くさい。自らを「貧書生」と卑下し、「理想の暮らしは楽隠居。」などと書き付けて憚らぬ後年の氏のエッセイに親しんでいたぼくなんて、若き日の荒俣さんがこれほどの鮮烈な志と情熱をもって執筆活動を行っておられたとは露知らず、この書き出しの一文だけで不明を恥じて、居住まいを正したことであった。むろん、ここで扱われるオカルティズムとは、「あいつ、最近ちょっと変なんだよな。なんかオカルトに嵌まっちゃったみたいでさあ。」といった用法で使われる「オカルト」とはまるでレベルが違う。荒俣さん自身の言葉を借りれば、「ここでいうオカルティズムとは、<古代の叡智>を指している。ルネサンス期イタリアで活動したフィチーノがエジプト=ギリシアの古代文献、とりわけ<ヘルメス文書>と総称される古代神秘哲学を復刻して以来、世に広まったヘルメス思想。オカルティズムとは、それら古代文書に秘められた<叡智>を探求する作業なのである。」というわけだ。

 日本の学校は哲学をろくに教えないけれど、それでもデカルト、カント、ヘーゲルなんて名前はたいていの人が教科書なんかで見た覚えがあろう。しかし、このルネサンス期の思想家たち、とりわけ「神秘家」とか時には「魔術学者」などと称される著作家やら博物学者たちのことはほとんど黙殺に等しい。専門家の数も多くはないし、入門書に使えそうな本もあまり出ていない(皆無ではないが)。その中でフィチーノは、いちおう正当な哲学史に名を留めており、『ソフィーの世界』にもその名がちらっと出てくるけれど、それでも大半の方がおそらく初耳だろう。むしろルネサンス(ルネェッサ~ンス!)といえばレオナルドとかミケランジェロとか、芸術家たちが大活躍した時代として知られる。しかし、じつは思想や観念の領域においても、それこそミケランジェロの天上画に匹敵する凄まじい達成が成し遂げられたのがこの時代だったのだ。それが先述の<ヘルメス文書>の復刻であり、そこから始まる、ゾロアスター、オルフェウス、ヘルメス・トリスメギストス、プラトン、ネオ・プラトニズムといった<古代の叡智>の一大再生プロジェクトだった。重厚かつ緻密なキリスト教の体系によって抑えつけられていたマグマが解き放たれ、当のキリスト教的思想と複雑に絡まり合って(けしてキリスト教的思想を駆逐したわけではない。キリスト教はもちろんそれほどやわではない)爆発じみた展開を見たのだ。ルネサンスのことを、「古代復興」と呼ぶのはそういう意味だ。

 荒俣宏は大学(アカデミズム)に籍を置く学者ではなく、その著作も学術書ではない。論述は往々にして危うきに遊び、どこまでも広がる風呂敷の大きさに、読んでいるこちらがどぎまぎさせられることも珍しくない。とはいえそれが膨大な知識によって下支えされているために、いかに奔放不羈に見えようと、本筋だけは外してないという安定感も確かにある。どういうことかと言うと、早い話、むちゃくちゃに面白いのである。この『99万年の叡智』は、荒俣さんが十年近くにわたってあちこちの媒体に発表してきた論考を集成して入念な加筆を施したものだが、ご自身が「筆者は……本書を成立させるために断片的な駄文を弄し続けてきたのではないか。……こうして一定の編集意図にもとづく書物を構成してみると、それらの断片はまるでジグソーパズルのように所を得て、結果的に奇妙な統一性を有するオカルティズムの鳥瞰図をつくりあげた。さながら無意識がすでにして本書の意図を自らに解き明かしていたかのように。」と記しておられるとおり、本邦には稀な「オカルティズム大全」となっている。

 オカルティズムは、近代合理主義の原則である「原因と結果とをつなぐ因果律」や「実証」、また「論理的思考」などとは趣きを異にする方法であり、直感・霊視・幻覚・妄想に重きを置く。象徴的、非大脳的な思考といってもいい。その意味では確かに「非理性的思考」ではあるけれど、しかし、それがそのまま「反理性的」というわけではない。また、自然科学的な見地からみれば「非科学的」というべきかもしれないが、人間の「こころ」をあつかう人文科学の立場からすると、それは紛れもなく「科学的」と呼べる。たとえば、神話というのは古代の叡智の結晶という点でオカルティズムの典型だけれど、洋の東西を問わず、およそ神話や伝説なるものが文学や精神分析学をはじめとする人文科学のアイデアの宝庫であることを知らない人はいないだろう。

 『99万年の叡智』は3部構成となっており、第1部の「叡智の起源と魔の源泉」では、章ごとの小テーマに沿って、近代に至るまでのオカルティズムの系譜と諸相とが概説される。その冒頭に「総説」として置かれた「近代非理性思想をながめる」という断章は、たんにオカルティズムに留まらず、正当なる哲学史や西洋思想、いや、アラブや東洋までをも含めたいわば「人類の観念史」の簡潔な見取り図となっている。「近代神秘学フロー」「19世紀フランス・オカルト復興期人脈表」「神智学運動史と人智学の諸活動」などの図表(フローチャート)を添えて綴られたその文章の密度の高さは相当なもので、これを読んでぼくは、いままで雑多に蓄えてきた様々な知識が有機的に結びつき、とても見晴らしがよくなるのを覚えた。

 たとえば、中ほど辺りにこんな一文がある。 「年代別に順序立てれば、イスラムにつづく巨大な<東からの波>となったのは中国思想である。16、7世紀に東アジアへ渡ったイエズス会士を通じてヨーロッパにもたらされた孔子哲学や易の思想は、<天命>と称する新しい支配原理を西欧にもたらし、もっぱら世襲をルールとしていた西洋型王制に対し<徳治政治>(徳のある聖人が国を治め、徳を失った際には<革命>が許容される)の理論を示した。ヴォルテールらがフランス革命の前夜に喧伝したのは、実にこの中国思想であった。今日でもフランスが支那学の王者であることは、16、7世紀にまでさかのぼる因縁によっている。次いで19世紀に影響力を発揮したのはインド・ペルシャ哲学で、この場合はドイツがその研究の中心となった。とりわけニーチェの超人哲学、ショーペンハウエルの厭世哲学が生みだされた陰には、ゾロアスター教の思想が介在した。ゾロアスター教の特質はいうまでもなく善悪二元論にあり、一方人間はそのはざまにあって善にも悪にも転じ得る不確定性をもつ。そしてその選択がもっぱら人間の意志によるところからニーチェ哲学が、また悪の支配する現世を徹底的に嫌悪するところからショーペンハウエル哲学が、それぞれ芽を発したと考えられる。……(後略)」

 むろん、あえて単純化しているところもあるわけだけど、これくらい大胆な祖述なんてものはまずもって大学(アカデミズム)に籍を置く学者先生には書けない。そして、ぼくみたいな市井の哲学好きには、実はこの手の文章こそがいちばん滋養になるのである。フランス革命の淵源が中国思想にあった、という概念を知っているのといないとでは、世界史の見方はまるで違ったものになろう。

 第2部の「霊的国防と霊的革命」は、タイトルからして、ありゃりゃ、それこそ「オカルト」じゃないですかといった感じで、「帝都大戦」の世界にも直結してくるわけだが、「オカルティズムを一気に近代史と関連づけ、しかもその動向を一貫性ある<党派的活動>として再検討する。」のがこの本の主眼である以上、とうぜん話はこちらの方面に及ぶわけである。この章は、陰謀史観や秘密結社を取り上げている点でみんなの大好きな「都市伝説」のネタ元というか、基礎文献となるべき論考が並んでいるのだが(フリーメーソン、イルミナティ、シオン議定書などについても詳しく書かれている)、そんなことよりぼくが個人的にもっとも気になったのは、「霊的国防」の現実形態としての「ファシズム」についての話であった。

 ファシズムとは、「復活した祭政一致主義」の投影であり、その要素は「民族としての大衆」「ヒエラルキア(階級的秩序)」「軍事力」の三つである、と荒俣さんは書いておられるのだが、これって、1985年(昭和60年)ではなくて、まさに今、2012年(平成24年)の今日ただいまのニッポンにおいてこそ正面きって取り沙汰されるべき大テーマじゃなかろうか……。なんてことを書いてたらまた話が時事ネタのほうへと向かっていくし、さすがに長くなりすぎたので今回はこれくらいにしておきますか。なお、第3部「非理性のテクノロジー」は、「概念的なオカルティズムが現実社会にあってどのように応用され、また操作技術に大成されたかを跡づける仕事」であり、これまた都市伝説のネタ元になりそうな情報が並んでいるけれど、さすがにこの部分だけは、出版から30年近くが過ぎて古びてしまっているようだ。

イエスの誕生日について・ほか

2016-06-25 | 哲学/思想/社会学
初出 2009年12月


 ぼくたち非キリスト教徒にとって、聖書はけして読みやすい書物とは言えない。近代小説ではないから仕方ないとはいえ、話の流れが粗っぽく、なめらかに繋がっていかない。旧約のほうには、聞き慣れないヘブライの名前がたくさん出てきて、何がなんだか分からないし、新約は何しろ説教くさく、奇跡の御業もどうしたって釈然としない。われわれにとってキリスト教はイスラームより遥かに親しいだろうが、それはバッハの音楽であったり、ラファエロやレオナルドの絵画であったり、NHKやTBSの「世界遺産」で見るサン・ピエトロやミラノやシャルトルやランスやケルンの大聖堂などのイメージに負うところが大きいかと思う。平均的な日本人のなかで、そういった背景の介在なしに、いきなり聖書を読んでキリスト教が腑に落ちたという人は、果たしてどれほどいるだろう。

 今年は『カラマーゾフの兄弟』の新訳が出て、けっこう好評なようだ。あれは東方正教会系のキリスト教だけど、ともかくあの作品を読んで、その奥深さに打たれるとする。で、そこからさらに足を進めて、ヨーロッパ(ロシアも含む)文学をきちんとやろうと思い立つ。そこまで来たら、どうしても聖書を読まねば話にならない。かつて私も、そんな調子で聖書を手に取ってはみたものの、やはり早々に投げ出したくなった。それでもまあ、何冊かのガイドブックを頼りに、折りに触れて目を通すよう努力はしてきた。構成と記述の煩雑ささえ乗り越えれば、新約よりも旧約のほうが個人的には読み物として面白い。新約のほうは、記述の矛盾を意識しつつ、テキストの成立過程を憶測しながら読むのがコツで、そうすると小説とは別種の面白さが生まれる。

 大雑把にいえば、旧約はその字のとおり、ユダヤ民族と唯一神ヤハウェ(エホバは誤記。この単語は厳密には日本語で表記できない)との古い契約を主題としている。それらは大きく分けて律法(モーセ五書)、歴史書、文学書、預言書、外典から成るが、そこに描き出されるのは古代ユダヤ民族のただならぬ受難の歴史と、にも関わらず一貫して揺らぐことのない神への信仰である。自らの共同体が苦境に陥れば陥るほど、「信」が高まっていく逆説的なダイナミズムこそ、旧約聖書の真骨頂であろう。

 いっぽう新約は、キリストの十字架上での死によって、神と人類とのあいだに結ばれた新しい契約のことである。これにより、唯一神ヤハウェはユダヤ民族だけの「主」から、人類全体へと及ぶ普遍(カトリック)なる存在になったというわけだ。ところで、キリストとは「救い主」を示す一般名詞であり、われわれがよく知っているあのナザレの青年ばかりを指すのではない。だから新約聖書は、必ずしもイエスの教えや行状だけを記したものではなく、古代ユダヤ民族が共有していた「救い主の教え」について記した書物だといえる。「イエス」と「キリスト」とは、むろん広範にわたって重なってはいるが、まったくイコールというわけではないのである。これは新約を読む時の大事なポイントだ。

 じつは聖書には、イエスの誕生日についての記述はない。ウィキペディア(日本版)にもそう書いてある。以下、その件りを引用させて戴く。

 『新約聖書にはイエスの誕生日を特定する記述は一切なく、この日については諸説がある。かつては降誕祭と別に、1月6日をキリストの公現祭として祝う日があった。12月25日の生誕祭は、遅くとも345年には西方教会で始まった。ミトラ教の冬至の祭を引用したものではないかと言われている。(……中略……)キリスト教圏では、クリスマスには主に家族と過ごし、クリスマスツリー(常緑樹。一般にはモミの木)の下にプレゼントを置く。プレゼントを贈り合い、互いの「愛」を確かめる日といえる。ただしこの習慣は、太陽神崇拝など、キリスト教以前の宗教に由来しており、聖書には由来しない。』

 そう。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、つまり4福音書のどこにも、「イエスが12月24日の深夜から、翌朝の未明にかけてお生まれになった」なんて記述はまったくないのである。さらにいうと、季節がいつだったかすら分からない。それを特定できるような描写がなく、専門家たちのあいだでも意見が分かれているそうだ。

 私たちはよく、雪の降りつのる厩(うまや)の中で、東方の三博士に祝福されて、聖母マリアの腕の中でまどろむ幼子イエスの絵などを見るが、あの情景は、少なくとも聖書の記載に由来するものではない。のちにキリスト教が体系化され、より精緻で豊饒なものになるに従って、あたかも有能な演出家の手になるごとく、膨らんでいったものである。

 そもそも4福音書のうち、イエスの誕生に触れているのはマタイとルカの2書のみだ。いちばん古いマルコ書には、イエスはいきなり青年として登場する。逆にもっとも新しいヨハネ書は、人間としてのイエスの生誕については、まったく書き記そうとしていない。ヨハネ書におけるイエスの降誕は次のとおりだ。「ことばは肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」格調はとても高いけど、観念的で、これではとうてい生まれた月日や場所は分からない。

 いっぽうマタイ、ルカ書のどちらを見ても、記述者が、イエスの誕生そのものよりも、むしろその前後の周囲の状況のほうを詳しく書こうとしていることにわれわれは気づく。天使による受胎告知もそうだし、東方の博士たち(3人とは限定されていない)の来訪もそうだし、ヘロデ王による幼児虐殺も然りだ。それらはすべて、イエスが神の子であること、そして、それに負けず劣らず重要なこととして、イエスがユダヤ民族の偉大なる王の末裔=新しき王=救い主(キリスト)であることを証し立てるために書かれている。つまり、旧約聖書とイエスとを繋ぎ合わせるために書かれているということだ。

 新約の冒頭を飾るマタイ書は、「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。」という一行に始まり、最後、「こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで14代、ダビデからバビロンの移住まで14代、バビロンへ移されてからキリストまでが14代である。」に至るまで、じつに1ページのほとんどを費やして、人名の羅列で系譜を綴る。ユダヤの始祖アブラハムから、古代ユダヤのもっとも偉大なる王ダビデを経て、救い主イエスへと途切れなく続いているというわけだ。ところでこれは、イエスの父ヨセフの側の系図である。

 しかしイエスは、誰もが知るとおり聖母マリアの処女懐胎によって生まれたとされる。ふつうに読めば、どうしたってこれは矛盾だろう。ここからは二つのことが読み取れると思う。マタイ書が、イエスをユダヤ民族の偉大なる王の末裔=新しき王=救い主(キリスト)とする信仰と、イエスを神の子とする信仰という、系統の異なる二通りの信仰を基盤として成立したこと。もう一つは、こういった齟齬を調整する必要を認めぬくらい、イエスの誕生にまつわる挿話は、いわば「二の次」であったということだ。

 降誕についての記述とは逆に、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、4福音書のすべてにおいて、他の何よりも熱心に記述されているエピソードがある。もちろん、イエスの磔刑による死と、そののちの復活である。ローマ支配下のユダヤ人社会において、いわゆる預言者は彼のほかにも何人かいたと思われ、生前のイエスはその中でも傑出した存在だったには違いないにせよ、あくまでも預言者の一人なのではなかったか。つまりイエスは、復活によって「神の子」たることを真に証明したわけで、その短い生涯における事蹟や、幼児期のことや、処女懐胎などは、おそらくそこから逆算される形で系統づけられていったのではないかと思う。

 イエスは刑死ののちの復活によって、「神の子」であり「救い主(キリスト)」であることを顕かにした。キリスト教徒ならざるわれわれにとって、この復活のエピソードはイエスの行なった他のあらゆる奇蹟にも増して謎に満ちているけれども、キリスト教が十字架そのものをシンボルとしていることからも知られるように、これこそがあの宗教における信仰の要であることは間違いがない。

 だから最初期におけるキリスト教の中心祭儀はイースター(復活祭)だった。イースターといえば、私などには故チャールズ・シュルツ氏の「スヌーピー」で、ペパミント・パティーとマーシーのふたりが卵の殻に模様を描くギャグのシリーズで馴染み深いが、日本ではハロウィーンよりもまだ認知度が低いだろう。「春分の日以後の満月の次の最初の日曜」に行われるとのことで、ややこしいけど、まあ3月の下旬から4月上旬あたりか。それはまた、春の訪れを祝うユダヤ教の過越し祭の時期とも重なる。イエスが過越し祭のさなかに捕まって十字架にかけられたことは4福音書のすべてに明記されており、さらに復活はその三日後とされているからだ。

 聖母マリアからイエスが生まれたことを祝う習慣は、そもそもこの復活祭から派生したものらしい。古い文書には、イエスの生誕は過越しの月の14日ないし15日に設定されているという。復活はすなわち新たな誕生でもあるから、寿ぎの対象として、両者をとくに区分する必要とてなかったのだろう。それに、季節が改まって生命が芽をふく春先は、いかにも生誕の祝いにふさわしい。それがなぜ、まるまるワンシーズンも繰り上げられて、12月25日となったのか。

 もともとユダヤの民族信仰であったキリスト教が、ほぼ現在のヨーロッパ全域に広がったのは、もちろん、ローマ帝国がその迫害を諦め、受容して、ついには国教に定めたからである。それ以前のローマでは、ミトラ信仰(「ミトラ教」という言い方は適切ではない)がひろく受け入れられており、じつは12月25日とは、そのミトラ信仰の最高神たる「太陽神」の誕生日だった。こちらは春分ではなく、お察しのとおり、冬至のほうを基準としている。冬至を境に昼の時間が長くなり、陽光が徐々に力を増して、世界はゆっくり春へと向かう。この太陽神を救い主イエスと重ねることで、ローマは民衆のあいだにキリスト教を浸透させるよう図ったのである。

 やがて版図の要所に教会が建てられ、ローマ教会がその頂点に立って法王庁となる。のちの「ゲルマンの大移動」による西ローマの瓦解(476年)はご承知のとおりだが、その際に、この法王庁までが潰えたわけではない。「蛮族」といわれたゲルマン諸族だが、むろん帝国のすべてを灰燼に帰してしまったわけでなく、文化的なものをも含めて、いろいろな制度を受け継いでいる。そうでなければ国家の体裁を整えることなどできない。中でも特に大きかったのが、キリスト教との融合だ。

 すでにキリスト教の教義や習俗はさまざまな形で根付いていたが、法王庁とゲルマンとが分かちがたく結びついたのは、フランク王国のカールが、教皇レオⅢ世によって、再興ローマ帝国皇帝の冠を授けられた際だ。この頃には降誕祭もすっかり一般的になっていただろう。カールの戴冠は西暦800年の、まさにクリスマスの日のことだった。地上の権力と天上の権威との結合によって、大帝=教皇の覇権は揺るぎないものとなり、ここに現在の西ヨーロッパの礎が固まる。そしてそれからほぼ一千年ののち、産業革命を経た西欧は「帝国主義」を押し立てて世界に繰り出し、かくして今、アメリカはおろか我が日本においてまで、歳末商戦がかまびすしいという次第だ。

 ぼくは今回、考証を楽しみたかったわけではない。われわれがふだん当たり前のように営んでいる行いであれ、ちょっと蓋を開けてみれば、色々と奥が深いと言いたかったのだ。欧米の精神文化の基底に横たわるユダヤ的なるものについて、まだまだ知らない事が多いということも指摘しておきたい。伝統の長さを誇りにしているのはなにも日本や中国だけではない。アメリカの強固な同盟国たるイスラエルの国旗には、「ダビデの星」が輝いている。



聖書について、ほんのちょっぴり語ってみました。

初出 2014年07月

 近所の子どもが、「ありの~、ママと~、きりぎりすのパパが~」と歌っていた。自分で考えたんだとしたら、ま、なかなかオモロいね。(注・「アナ雪」が流行ってた頃の記事なのです。もとの文章にはこのあとしばらく前置きが続きますが、それは割愛しましょう)

 旧約聖書の劈頭は、「初めに、神は天地を創造された。」と始まる。シンプルな、有無を言わせぬ出だしである。これに対し、新約聖書の「ヨハネによる福音書」のオープニングは「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。」と妙に形而上的なのだ。ロゴス中心主義というか、いわばロゴス根源主義だな。似たようなことを言い換えながら変奏していく按配で、ぎくしゃくして、論理的にはおかしいのだが、ここまで「言葉」を重んじて、「神」と同格にまで持ち上げて頂けるなら、言葉フリークのぼくとしては高い評価を下さざるをえない。「ヨハネによる福音書」は、ぼくは聖書のなかではかなり好きである。

 「テクストとしての聖書」を、成立過程に遡るかたちで、文献学的に読み解いていくのはずいぶんとスリリングな作業だと思う。新書や選書サイズでもけっこう充実した参考書が出ているが、しかし、そういった学問上の成果をいったんカッコに括って、できるだけアタマを空っぽにして、虚心坦懐に聖書の字句を読んでいくのも一興ではないか。「創世記」の文体は「ヨハネ福音書」のそれに比べてはるかに素朴な印象であるが、シンプルで素朴なゆえに一直線にぐいぐいと進んでいくかというとそうでもなくて、こちらもどうもごたごたしている。そのごたごたぶりが、またいかにも稚拙なのである。まず神は「光あれ。」と命じて光を生ぜしめ、昼と夜とを分かつのだが、その3日後に「天の大空に光る物があって、昼と夜とを分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。」などとおっしゃるのである。おいおい。昼と夜とは最初に分けたんとちゃうんかい。そやからその日が「第四の日」になったんとちゃうんかい。そのときに初めて昼と夜とが分かれたんなら、それまでは日付の観念もないわけで、どうしたって、その日が初日になるやろが。

 といった具合でなんとも出鱈目と言うしかなく、記述者集団のなかに、全体を統括して一貫性を持たせる「監督」はいなかったのかと不思議になる。こういった齟齬をねちねちと突っついた研究ってものは歴史上果たしてあったんだろうか。たぶんなかっただろうなあ。キリスト教徒の人たちは、どのように自分を納得させているのかな。それとも、そんなこといちいち考えんか。まあ、こういった矛盾や混乱をありのママで、きりぎりすのパパで素直に受け容れ、あまつさえ神秘性さえ感じ取ってしまうのが「信仰」なり「信仰者」のありかたなんだろうとは思う。ようするに「神」はどんな星よりも太陽よりも偉大にして先行する存在者であって、けっして「太陽神」なんてものではないと言いたいのだろう。「光」さえも神の被造物であり、その管轄を、あとから製作した「天体」に委ねたというわけだ。だって、とりあえず「光」を作っておかないと、まったき闇の中で天地創造を執り行うことになって、それは絵柄としてもおかしい。それにしても、神は光を作るまではどのような状態で過ごしていたのか、時間と空間はどうなっていたのかという疑問が直ちに湧き上がるけれど、これは「ビッグバン以前」について思考するのとほとんど同じことだろう。キリスト教が、世界の起源を唯一神に帰するのはまだよいとして、なぜその神の起源を問わぬのだろう?という疑念は子供の頃からぼくの頭を去ったことがない。

 一ページ目からそんなことを思い巡らせるから、なかなか先へ進まないのだが、旧約の唯一神が他民族のあまたの神々に比して際立っている点は、人間を造り、人類が地に満ちるや否や、間髪を入れず「あれをしろ」「これはするな」とバシバシ命令を下すところであろう。そして、「神は我のみを崇めよ。なにがあろうと他の神(邪神)に心を奪われるなかれ。」としつこいくらい強調するのだ。下手すると、「神(自分)への信仰をおろそかにすること」が、「殺人」よりも重い罪になりかねぬ勢いである。ここがまことに恐ろしい。この苛烈さは、少なくとも明文化された形では、ほかの神話には類のないものだ。というより、その苛烈さゆえに、もともとは一つの神話(物語)でしかなかったはずのこのテクストが、最強の「聖典」になってしまったのだともいえる。

 それにつけても、聖書を読むと、ひとってものは物語を求めてやまない生き物だなあとつくづく思う。人間を動物から隔てる定義はいくつかあろうが、「人間とは、物語をつくり、それを消費するものである。」というのも十分に成立しそうだ。なまじ大脳が異常に発達してしまったために、「世界」とダイレクトに向き合うことができない。「あるがままの世界」というものが、さながら不可解な混沌のように感じられてしまい、それに自分なりの解釈を施さなければ耐えられぬのである。そして、その物語製作および消費のサイクルは今もなお終わることがない。のみならず、文明が複雑になればなるほど、必要とされる物語もまた複雑さを増していく。じつのところ、根底を貫く原理はあっけないほど単純だったりもするのだが、しかし見かけの上ではわれわれの現代社会は、きわめて多様で錯綜する大量の物語を抱え込んでしまっている。ように映る。聖書はそれら無数の物語の重要な源泉のひとつであり、やはり大変な古典だと思う。ただ、現実を侵食し、時として凌駕してしまうことがあるから物語ってものはとことんオソロシイのであり、そのオソロシサには常に気をつけていなくてはいけない。


空の空。空の空なる哉。/肉は悲し、なべての書は読まれたり。

初出 2009年10月


 「空の空。空の空なる哉。すべて空なり。日の下に人の労して為すところの諸々の働きは、その身に何の益かあらん。世は去り世は来る。地は永久に保つなり。日は出で日は入り、またその出でし処に喘ぎゆくなり。風は南に行きまた廻りて北に向かい、巡りに巡りて行き、風またその巡る処にかえる。河はみな海に流れ入る。海は満つることなし。河はその出できたれる処にまた還りゆくなり。萬のものは労苦す。人これを言い尽くすこと能わず。目は見るに飽くことなく、耳は聞くに充つることなし。先に在りしものはまた後にあるべし。先に成りしことはまた後に成るべし。日の下には新しき者あらざるなり。見よこれは新しき者なりと指して言うべき物あるや。それは我らの前にありし世々すでに久しくありたる者なり。己前のものの事はこれを覚ゆることなし。以後のものの事もまた後に出づる者これを覚ゆることあらじ」(旧約聖書・文語訳版  伝道之書《コヘレトの言葉》より)

 この「コヘレトの言葉」、結局は「神を畏れ、その戒めを守れ」で締め括られるんだけど、ずっと昔に読んだとき、信仰を説く書物のなかで、これほどのニヒリズムが語られるってどうなんだろうと思った。「さすが聖書は懐が深い」ではすまない。とはいえこれ、虚無思想には違いないけど、ボードレール流の「近代の倦怠」とはぜんぜん違う。だって、「目は見るに飽くことなく、耳は聞くに充つることなし。」ですよ? ボードレールなら、すなわち近代人の病んだ自意識ならば、「すでに目はすべてのものを見飽きたし、耳はすべてを聞き飽きてしまった。」というところだ。まったくの正反対、さいきんの用語で言えば真逆ってやつ。つまりここでは、人間の為しうる営為の無力さを強調することで、のちに来る「神の恩寵」を準備しているのであろう。だとすれば、これをしてニヒリズムと呼ぶことそのものが、ひょっとしたら不適切なのかもしれない。


 「肉体は悲しく、ああ! 書物はすべて読んでしまった。」(シュテファン・マラルメ『海の微風』)

 「肉は悲し、なべての書(ふみ)は読まれたり。」という簡潔な文語訳で記憶してたんだけど、改めて調べてみたところ、そういう訳はないようだ。開高健が好んで引用していた記憶があるんだけどなあ。名訳の誉れ高き鈴木信太郎ヴァージョンは、「肉体は悲し、ああ、われは全ての書を読みぬ。」とのことだし、西脇順三郎訳でもない。あるいは開高さん自身のアレンジだったのか……。というわけで今回は、岩波文庫『フランス名詩選』に載っている渋沢孝輔訳で参りましょう。

 昨日は「コヘレトの言葉」に対してボードレール(1821 文政4~ 1867 慶応3)を引き合いに出したが、「近代の倦怠」をいうのなら、それをさらに先まで(ほぼ極限まで?)突き詰めたのがこのマラルメ(1842 天保13~ 1898 明治31)の言葉だろう。今さら言うのもなんだけど、マラルメは本当に難しい。ブランショの『来たるべき書物』(ちくま学芸文庫)を思い起こすまでもなく、文学の極北のひとつといっていいかと思う。それこそボードレールとか、ランボーやロートレアモンは翻訳でもけっこう興奮するんだけど、マラルメだけはほんとにだめで、まだしもヴァレリーのほうが取っ付きやすく思えるほどだ。

 しかし今回の記事を書こうと久しぶりにこの『海の微風』を読み返したら、以前よりはすんなりイメージの流れが辿れた気がする。あまりにも有名なこの詩句のあと、二行目では「逃れよう! 彼方へと逃れよう!」と脱出願望をあからさまに謳い、そしてその逃避行の行く先は「鳥たちが未知の水泡(みなわ)と天空のあわいにあって酔い痴れている」海へと定まる。

 「瞳に映る古い庭園」、すなわち過去の遺産は、もはや「海に浸っている」わたしの心を引き止められない。続く六行目の文頭で、「おお夜よ!」と、詩篇の空気をいきなり闇の色に塗り込め、それとの対比で「白さが護り固めている空虚な紙の上」を際立たせる。その紙の上を照らす「わがランプの荒涼たる明るさ」も、「子供に乳をやっている若い妻」、すなわち家族への情愛も、やはりわたしの心を引き止められない。「わたしは発つだろう!  帆柱帆桁を揺すっている蒸気船よ、異国の自然に向けて錨をあげよ!」

 「わたし」の出発とは、たんにリアリスティックな意味で旅行に出るってだけじゃなく、「詩を書く」(それも、万感の書を読み尽くしたあとで)という行為そのものをも指し示しているんだと思う。だから「瞳に映る古い庭園」および「子供に乳をやっている若い妻」と、「白さが護り固めている空虚な紙の上の/わがランプの荒涼たる明るさ」とが同列に並置されているのは論理的にはおかしい。「書けない」ことの不毛さと、「書こうとする意志」とが一緒くたになっているからだ。

 そしてこの自家撞着が、最終連の「《倦怠》は、残酷な希望に荒みながらも、/なお信じているのだ ハンカチを振る最後の別れを!/しかも、おそらくは、船は、嵐を招び、/疾風に傾いて難破へとむかうのか/マストもなく、マストもなく、肥沃な小島もなく、消え失せて……」という不吉な情景を呼び寄せる。「書けない」ことを承知のうえで「書こうとする意志」を貫くのだから、そういう顛末にもなるだろう。されど、このような破綻を予期しつつも、詩篇は「だが、おおわが心よ、聞け、水夫たちの歌を!」と、自らを鼓舞するような呼びかけで終わる。こう見ていくと、近代の自意識ってやつはほとほと重層的で屈折していて、とうてい一筋縄ではいかないことがよくわかる。「コヘレトの言葉」からマラルメのこの一句への変遷に、「西欧」の精神史が凝縮されている気さえする、といったら言いすぎだろうか?

奇書ゆえに……副島隆彦『ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ』

2016-06-25 | 哲学/思想/社会学
初出 2010年07月


 たとえば『グレムリン』(84年)が日本人のことを諷した映画だというのは公開当時からほぼ周知のことだった。ポケットモンキーをデフォルメしたような愛らしい珍獣モグワイは、ふだんは可愛いペットだが、育て方をちょっと誤ると、大量に増殖したうえ凶暴化して人を襲い、街を荒らす。時あたかも日米貿易摩擦たけなわの折り、アメリカとしては、敗戦の焦土の中から手取り足取り教え導いて、世界第二位の経済大国にまで育ててやった子飼いに手を噛まれた心境であり、その思いを投影したものだと評された。もう少し古い時代のSF映画で、宇宙人が少しずつ静かに地球への侵略を進めており、友人や隣人や家族など、周囲の人々が知らぬ間にみんな身体を乗っ取られているというのもあった。あれはソ連の目ざましい躍進を背景に、アメリカ国内に共産主義思想が浸透すること(赤化)の恐怖を描いたものだとされている(むろん、もっと人間存在の根源的な不安に根ざした、精神分析学的な解釈もありうるだろうが)。マッカーシーのアカ狩り旋風が吹き荒れる前後のことであったろう。

 こういうものは設定そのものがメタファー(比喩)であり、つまり、イソップと同じく寓話である。作品として論じるよりも、社会心理学やマスメディア論の対象にしたほうがよさそうだ。これとは別に、「映画」というメディアを駆使して、特定の事件や社会状況、組織、人物などを詳細に叙述しようと試みる作品もある。むろんこちらのほうが正統派で、ジョン・F・ケネディー暗殺の裏面に迫った『JFK』(91年)などはその最たるものだろう。オリバー・ストーン監督の『JFK』には原作があるが、日本と同様アメリカにも、映像は好きだが活字はちょっと、という人がたくさんおり、そういう層への訴求力として、やはり映画は圧倒的なのだ。むろんドキュメンタリーではなくフィクションだから、「これはあくまで仮説ですよ。こんな見方もあるんじゃないかっていうだけですからね。」との体裁を取ってはいたが、『JFK』の公開以降、オズワルドの単独犯行を信じるアメリカ人はほぼ一掃されたことだろう。

 ハリウッド映画は文化であると同時に産業でもある(コーラやハンバーガーやジーンズは、産業であると同時に文化であるが)。つまり初めから輸出を前提に作られている。国家そのものの暗部を白日の下に晒すかのようなこの手の作品が作られ、国内で封切られ、さらには海外に輸出されるなんてことは、かつて存在した・いま存在する全ての共産主義/社会主義国にあっては絶対に考えられないし、その他の国々、たとえばイギリスやフランスやドイツなどでも考えにくいのではないか。ヨーロッパ映画は、庶民の日常をこまやかに描いた「純文学」系の作品が多い。あるいはそれは何よりもまず予算の問題なのかも知れないが、いずれにせよ、ハリウッドというシステムが世界全体で見て稀有な規模のものであるのは言うまでもないことだ。

 ここで見逃してはならないのは、かくも寛容にしてフェアな姿勢それ自体が、すなわち「アメリカ」という国の最上の宣伝になっていることだ。つまり、アメリカはこれほどまでに言論や表現の自由が保障された、人権を大いに尊重する、抑圧のない国ですよということを、全世界に向かって伝えるメタ・メッセージとなっているのである。そこのところが本当に凄い。とはいえしかし、もちろんアメリカにタブーがないわけがない。「覗いてはいけない真実」に近づいたばかりに、あっさりと消されてしまう刑事だの記者なんてのを、ぼくたちはそれこそハリウッド映画でさんざん見てきたではないか。報道や小説、映画などで暴かれる「闇」の数々は、諸々の政治的・社会的条件が複雑に絡まり合った結果として、われわれの前に提出されたものなのだ。その中には確かに、数少ない証言者やジャーナリストの「良心」によって日の目を見たものもあるだろう。しかし実際には、何らかの政治的意図のもとに特ダネのような形をとってリークされたものも少なくないと思われる。いや、むしろそちらのほうが大半だろう。

 或る勢力にとってはひどく都合の悪いことであっても、それと対立する別の勢力にとっては、広く民衆に知らしめたほうが良いことがある。重大な情報や、大きな「真相」が出てくる際には、そのような力学が働いているに違いない。これこそが、ひとつの政党が独裁的に権力を掌握している国家とアメリカとの最大の相違点であり、巨大な複合体としてのアメリカ合衆国のもつ最大の強味でもあろう。一筋縄ではいかなくて、それが全体として活力を生んでいるのである。それでぼくは、犯罪に手を染めて私腹を肥やす政治家やら、外国のゲリラに武器を横流しする軍人といった悪役キャラを映画の中で目にするたび、ハリウッド映画をきちんと分析した評論を読みたいと思ってきた。それも、たんに作品に描かれた事象だけじゃなく、その映画が製作され、流通ルートに乗せられる背景までをもカバーするような、高所に立った評論を。

 井上一馬さんの『アメリカ映画の大教科書(上・下)』(新潮選書)は、まとまってはいるが余りにも深みがなさすぎて、文字どおり高校生向けの教科書程度でしかないし、川本三郎さんの一連のエッセイも、郷愁に満ちたウンチク話の域を出ない。かと言って、蓮實重彦さん系の映画評論はひたすら抽象的で難解だし、スラヴォイ・ジジェク(やその普及版たる内田樹さん)みたいに何でもかんでも精神分析で片付けてしまうと、現実の政治や社会が捨象されてしまう。

 だから古書店の店頭で、副島隆彦『ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ(上・下)』(講談社+α文庫)を見つけた時には、一も二もなく買ってしまった。買ってから、ネットで調べて版元品切になっているのを知り、2004年の発行なのに品切が早すぎるんじゃないかと不審だったが、一読してみて理由が分かった。内容にかなり問題が多い。問題だらけと言ってもいい。だれかがamazonの書評で指摘しておられたが、下巻187ページの口絵に、「アインシュタインとゴダール」として、アインシュタインとタゴール(!)の写真が載っていたりする。ゴダールは『ピエロ・ル・フ』や『パッション』で知られる、おそらくは現代最高の映画監督だけど、タゴールはインドのノーベル賞詩人。名前が少し似ている以外、まったく何の関係もない。

 この写真はどうも編集者が挿入したものみたいだから、副島さんに責任はないんだろうけど、「ヨーロッパ映画は衰弱していてどうしようもない。今やハリウッド映画だけが映画といえる。ヨーロッパの芸術映画を取り巻いて、わけのわからぬ能書きを垂れる蓮實重彦、浅田彰といった連中は、ほんとにもうどうしようもない。」といった感じの発言がぽんぽん出てくるこの本にあっては、ゴダールがタゴールに変換されることくらい、さほど不思議はないとも言える。とにかくこの人、文学とか芸術が大嫌いらしく、「真の学問体系はこうなっている。」として、(1)神学。その下部に哲学と数学がある。(2)学問=サイエンス。物理学・化学・生物学などの自然学問および経済学・政治学・社会学・心理学などの社会学問。(3)文学=人文=下等/初級学問。生活の知恵をまとめたり、古文書・石碑などを解読すること。歴史学もここに含まれる。もっとも低級なものであり、もともと科学とは呼べない。……といった価値序列を、わざわざ図表をつけて力説しておられるくらいなのである。

 じっさいには、かのアリストテレスに「詩学」についての論考があることからも分かるとおり、文学研究は人間の叡智の歴史とともに始まっているし、現代の文芸批評理論の多くは、「科学」の名に値するくらい精緻に練り上げられている。そもそも科学的とは、宗教などの予断を排し、特定の個人の恣意にも依らず、現実との整合性に基づいて、理性を備えた主体であれば誰しもがそうする筈の方法に従って対象を取り扱う態度のことだ。それゆえ近代の学問は、自然系だけでなく、社会系や人文系でさえ、とりあえず科学と称しているのである。それを非難される筋合はないはずだけど、まあ、理論と実践の両面において切実に政治と関わってきた(らしい)副島さんのような方には、何であれ、文学だ芸術だのといった営みがかったるく映るんだろう。「もっと直截に、切れば血の出るリアルな情報を!現実の世界を偽りなく、仮借なきまでに解き明かす分析を!」ということなのだろう。ぼくだって、ふやけた小説なんかより、そういう本を読みたいと思うし、そして、たしかにこれはそんな欲求を満たそうとして書かれた本には違いないのだ。

 何しろこんな按配だから、いわゆるカルチュラル・スタディーズ風の分析を期待してはいけない。ひとことでいえば、これはかなり特異な個性を持った文筆家が、ハリウッド映画をダシにして、自身のもつ知識と思想を遠慮会釈なくぶちまけてみせた本である。一つ一つの文章や見解に頷けるかどうかは別として、とにもかくにも面白い。上巻343ページ、下巻356ページを併せて、ぼくは三時間ほどで読んでしまった。つまらなければもちろんのこと、放埓すぎて下らないぞと思ったら、その場で読むのを止めたはずである。現代政治や軍事や歴史にまつわる情報がぎっしりと詰まっていたし、なるほど、と思わず呟く分析もあった。その一方では牽強付会と思える箇所や、暴論すれすれの強引な論述、明らかに不必要な脱線、「今の若手知識人の中で私ほど頭のいい者はいない。」といった晩年のニーチェを思わせる豪快な発言、さらには先に挙げたような誤記や、個人攻撃などもあった。それらすべてが渾然一体となっての、かくも異様な面白さなのである。

 氏は若き日に左翼思想=活動に打ち込んだそうだが、現在は愛国者を自認しておられる。しかし、日本社会の後進性と、その後進性を直視しようとしない偽善的な姿勢に対する舌鋒はどこまでも鋭い。まさに痛罵というよりない。「欧米から見れば、日本は近代国家ではなく、ただの部族社会にすぎない。よってそこには、真の思想も文化も学問もない。」「日本はアメリカの属国であり、戦後の日本人はアメリカによって洗脳されている。それが洗脳とも気づかぬくらい根本的に。」さらには、「日本には独自の文明などはなく、あくまでも中国の辺境の一民族でしかない。」といったモティーフが繰り返される。それもこれも、「国家の真の姿を見極めぬかぎり、それを改めようとする意志は生まれない。」との信念に基づいてのことだ。

 もとより戦後65年間、これに類する主張を口にした論客は革新・保守双方において数多おられたはずだけど、その口ぶりは大体においてソフトで洗練すぎていたために、社会を揺るがすことはなかった。いや、三島由紀夫の命を賭した諫言ですら、あっさりと呑み込んでしまうのが高度大衆消費社会の恐ろしさではないか。その意味において、今のような時代に、およそアカデミックと呼ぶべくもない、八方破れの文体で主張を述べる副島さんの戦術は、しごくもっともだと思う(戦術というか、それ以上に性格の問題という気もするが)。

 ストレートに誉めづらいので持って回った言い方をしているが、けして茶化してるんじゃなく、ぼくには本当に役に立ったのである。ことに、下巻145ページの「アメリカ政界の思想派閥」と題された表はありがたかった。この表だけでも代金を投じた甲斐があった。現代アメリカの主流となっている政治思想(政治的立場)を11に分類しているのだが、民主党(リベラル)は①穏健リベラル②急進リベラル③ネオ・リベラル④ニュー・デモクラットに分けられる。いっぽう共和党(保守)は、①ネオ・コン②サプライサイダー③保守本流(バーキアン)④アイソレーショニスト⑤チャイナ・ロビー⑥宗教右派⑦リバタリアンだ。この共和党のほうの七項目は、園田義明さんの『最新・アメリカの政治地図』(講談社現代新書)にも載っているのだが(ただし個々の名称は副島氏のものとは少しずつ違う)、民主党をかくも明快に図解した資料はこれまで他に見当たらなかったのである。

 リバタリアンは絶対自由主義だから、これはネオ・リベラルの延長にあるものだとてっきりぼくは思っていた。それがそうではないらしい。大体ネオ・リベラルが民主党の一派閥であること自体が驚きなのだが、もっと重要なのは、この中で、民主党(リベラル)の全4派閥と、共和党の①ネオ・コン②サプライサイダー③保守本流(バーキアン)までもが「グローバリスト」、つまり世界各地に膨大な利権の網を張り巡らせ、その拡充を目的としている集団として括られていることだ。これもまた、ぼくには「目からウロコ」であった。

 してみると、ぼくが7月15日の記事で書いたような「アメリカの共和党(リパブリカン・パーティー)は思想的には保守派だが、経済面では《自由》に重きを置き、《小さな政府》を志向して、大企業や富裕層を優遇する。いっぽう民主党(デモクラティック・パーティー)は、《平等》のほうに重きを置いて、弱者に心を配った《リベラル》な政策を取る。」といったありきたりな認識は、てんで底が浅かったってことになる。

 ここのところが分からなければ、アメリカの経済政策や外交のことも見えてこないし、マイケル・サンデルの「ハーバード白熱教室」及びその書籍版『これからの《正義》の話をしよう』(早川書房)ですっかりブームになった政治哲学、なかんずく自由論のことも分からない。それだけならまだしも、じつは、わがニッポンの民主党がどこに行こうとしているのかも、よく分からないってことになる。『ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ』は、たしかに奇書には違いないのだが、「厳密さよりもインパクト」という、一流の奇書のもつべき要件を備え、思ってもない視点を読者に与える点で、逆説的に「好著」になっちまってるといえる。

「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である。」

2016-06-18 | 哲学/思想/社会学
 当のキーワードで検索をかけると、この記事が上位に来るものだから、たくさんの人が訪れてくださるのですが、なにぶんこれは2010年に書いた文章で、今(2019年1月現在)読み返すと至らぬところが目につきます。いずれ書き直そうと思っていますが、なかなか時間が取れません。2014年に中公新書から細見和之氏の『フランクフルト学派』という本が出て、その第5章「アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮である。」が、この箴言についての素晴らしい解説になっています。さらに詳しく掘り下げようという方には、ぜひともお勧めいたします。 







 初出 2010年2月16日



 以前にぼくは、「アウシュビッツ以降に詩を書くことは野蛮である。」(表記はこのまま)という一文を取り上げた。これ、アクセス解析を覗いてみると、読みに来て下さる方がけっこう多い。なるほど、「自然にかえれ。」だの「神は死んだ。」だの「《人間》の消滅。」だの、一見すると分かりやすくてショッキングで、それでいてよく考えると謎めいているこの手の警句は、本来の文脈から切り離され、往々にしてひとり歩きする。でもそれだけに、当の思想家の言説を凝縮したかのごとき重みを持つから、本当に理解しようと思ったら、じっさいにその人の著作すべてに目を通すくらいじゃなきゃだめかもしれない。そういう意味では、ぼくだって心もとないかぎりだけど、あれから半年近くが過ぎた今なら、もう少し厳密なことが書けそうな気がする。

 当ブログは、2009年8月1日から、同年9月10日まで、『今日の抜書き』というタイトルで、毎日ひとつの「名言」をピックアップし、それにぼくの能書きを付けるというスタイルだった。でも名言の解説が主ではなくて、どちらかというと、それをダシにしてぼく自身が書きたいことを書いていた。だからこの解釈も、ずいぶんと自己流の読みになっている。レポートにこれをそのまま引き写して(そんな学生はいないかな?)、教授から合格点を貰えるかどうかは保証しない。まずはその、昨年8月22日の文章を再掲しよう。

 「あまりにも有名な一句だが、被爆国の国民としては、<アウシュビッツ、およびヒロシマ・ナガサキ以降に……>と付け加えさせて頂きたい。人類の理性を根幹から疑わせるに足る凶行を経験した後では、芸術や文化にまつわるあらゆる営為が、その崇高さを失ってしまった。まずはそういう含意であろう。しかし、実際には人々は第二次大戦ののちも<詩>を書き続けてきたし、その中からパウル・ツェランのように、まさに<アウシュビッツ以降>の表現としか呼びようのない詩を書く詩人も現れた。ひとが言葉を介して交わるかぎり、<詩を書く>ことが無意味になるはずはない。ただし、そのことの野蛮さを肝に銘じて、正面から引き受ける覚悟を持った者だけが<詩人>たりうる。そう解すべきかと思う。」

 まるっきり間違っているとは思わない。でも肝心なことを書き落としている。まず書誌的なことをやりましょう。これを書いたのはテオドール・W・アドルノ(1903 明治36~ 1969 昭和44)というユダヤ系ドイツ人の哲学者で、彼の最初の自選エッセイ集『プリズメン』の巻頭エッセイ「文化批判と社会」の締め括りの所にある。原著は1955年に出版された。邦訳は、渡辺祐邦・三原弟平両氏の訳で96年にちくま学芸文庫から出ており、今も新刊で手に入る(余談になるが、90年代のちくま学芸文庫は、ほかにジンメル、メルロ=ポンティー、レヴィナスなど、20世紀を代表する思想家たちの代表的なエッセイをたくさん出していた。オリジナル編纂のものも多くあり、編集部の高い志が感じられた)。

 哲学者のエッセイ集とは言っても、たとえば土屋賢二さんのやつみたいなのとは話が違う(べつにツチヤさんをけなしてるわけではありません)。あのベンヤミンと同様、アドルノも「ヘーゲル流の壮大な体系」によって世界を記述することに疑念を抱いており、エッセイ形式こそ彼なりの、もっとも犀利にして緻密な哲学のやり方だったのだ。『プリズメン』には、全12本のエッセイが収められていて、他ではバッハ、ジャズ、シェーンベルク、ハックスリー、ヴァレリー、プルースト、カフカなどが縦横に論じられている。小説や詩を読みこなし、クラシックから大衆音楽までを分析的に聴ける耳を持ち(アドルノは青年期に本気で作曲を学んだ)、美術や演劇や映画など、同時代の芸術にもむちゃくちゃ精しい、欧米の一流の学者ってのはそういうものらしい。で、その邦訳の文章だけど、じつはもう、ここからしてぼくの引用とは少々異なっている。むろん原典に当たっていただくのが最良だけど、御用とお急ぎの方のため、そのラスト部分を長めに引用しておこう(ちくま学芸文庫版・36ページ)。

 「しかし今日では、すべての伝統的文化が、中性化され、しつらえられた文化として、なきに等しいものになっている。……(中略)……ロシア人たちが自分たちはその遺産を相続したと殊勝げに宣伝しているその遺産も、取り返しのつかない過程を通じて、その大半がなくてもいいもの、不用なもの、屑となった。すると次に、文化をこういう屑として扱う大衆文化の荒稼ぎ屋たちが薄笑いしながらそれを指摘できることになる。社会がより全体的になれば、それに応じて精神もさらに物象化されてゆき、自力で物象化を振り切ろうとする精神の企ては、ますます逆説的になる。宿命に関する最低の知識でさえ、悪くすると無駄話に堕するおそれがある。文化批判は、文化と野蛮の弁証法の最終段階に直面している。アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である。そしてそのことがまた、今日詩を書くことが不可能になった理由を語り出す認識を侵食する。絶対的物象化は、かつては精神の進歩を自分の一要素として前提したが、いまそれは精神を完全に呑み尽そうとしている。批判的精神は、自己満足的に世界を観照して自己のもとにとどまっている限り、この絶対的物象化に太刀打ちできない。」

 ぼくははっきり言ってこの文章を悪文だと思うが、それは翻訳者の罪ではない。「文化批判と社会」はずっとこんな調子で書かれている。これについては訳者ご本人が解説で「……本書全体の序論にふさわしい内容のものとなっている。しかし論述そのものはかなり抽象的で難解だから、いきなりこの論文から読み始めるよりも、具体的な著述や作品を主題とした2以下の論述を読んでからこの論文に戻るほうがいいだろう。」と言っておられるとおりであろう。じっさい、他の十一本の文章は、これよりもずっと読みやすい。

 ともあれこの引用文のキーは、「文化批判は、文化と野蛮の弁証法の最終段階に直面している。」なる一句だ。アドルノにはこの『プリズメン』の前に、『啓蒙の弁証法』という大著がある。第二次世界大戦前夜、盟友のホルクハイマーと組んで、あちこちの亡命先で(アドルノがユダヤ系だということを思い出してください)書き継がれた論考をまとめあげたものだ。一般にはこちらが主著と目され、「20世紀の最重要書」なる宣伝文句を見た覚えもある。じっさい、現在もなお我々は、自分たちを取り巻く文化状況のあざとさ・低俗さにうんざりして、それを批判しようというとき、意識するとせざるとに関わらず、この『啓蒙の弁証法』の影響のもとにあるといっていい。つまりこれは、二回目の世界大戦が終わって「現代」がいよいよ爛熟に向かおうとする時期に、その根底にある病理を、いち早く剔抉した書物なのである。何年かまえ、岩波文庫に加えられた。

 8月22日のぼくの記事では、「理性」があたかも「野蛮」を克服するものであるかのように書かれているが(じっさい今でも、常識的にはそう考えている人が多いはずだ)、アドルノ=ホルクハイマーはそんな単純なことは述べていない。アウシュヴィッツ(に代表されるあちこちの収容所)が、唖然とするほど「合理的」なシステムによって運営されていたことはほぼ周知の事実だろう。つまりそれは、「理性」の対極から生じたものでは決してなくて、むしろ「理性」の一つの極限として、人類史の中に現れ出てきたものなのである。テクノロジーの精髄である原子爆弾のことはいうまでもない。

 たくさんの例が挙げられると思うけど、近いところで、世界規模での金融破綻の原因となったデリバティブなんてどうだろう。あれだって、マネー理論に通じた理系の英知の結晶だった。大戦が終わったのちもなお、「理性」が依然として「野蛮」を生み出し続けているのは間違いのないことだ。

 「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である。」とアドルノが書くとき、もちろん《詩》はたんに芸術のみならず、「哲学」までをも含めた文化の総称として用いられているが、その「文化」なるものもまた、「理性」の産物であるばかりか、その精華にほかならない。すなわちその点において「野蛮」と「文化」とは同根であり、「野蛮」と「文化」とのこのおぞましき絡み合いこそが、アドルノ=ホルクハイマーの強調したかったことなのである。ここを黙殺しているがゆえに、8月22日のぼくの解釈は、正鵠を射抜いているとは言いがたいのだ。

 むろんアドルノの仕事は、「野蛮」と「文化」とが同根であることを指摘しただけで終わってはいない。「野蛮」を生み出す「理性」に歯止めを掛け、徹底した批判によって「生の価値」を(それを文化と、すなわち「詩」と呼び習わすことは許されるだろう)生み出す方向に向かわせるのもまた、理性にしかできないことだと述べた。「啓蒙の弁証法」とは、おおよそそういうことである(弁証法という言葉には、それこそギリシア哲学からマルクスに至る膨大な歴史の蓄積があるけれど、あえてひとことで言ってしまえば、「ひとつの概念が、それとは相反するもう一つ別の概念を抱え込み、ついには両者が融合して、さらなる高次の段階に至る。」ということだ)。ただし彼が、そのための方途を自らの手で模索し、何らかの成功を収めたか否かは、ちょっとここではぼくには明言できない。

 だからぼくの、「ひとが言葉を介して交わるかぎり、<詩を書く>ことが無意味になるはずはない。ただし、そのことの野蛮さを肝に銘じて、正面から引き受ける覚悟を持った者だけが<詩人>たりうる。そう解すべきかと思う。」という結語は、わりといい線いってると思う。ただ、ここで名前を挙げた、「アウシュヴィッツ以降の詩人」パウル・ツェラン(1920 大正9 ~1970 昭和45)をアドルノがいかに評価していたかについては、これもまた、ここではぼくには明言できない。ざっと調べてみたけど分からなかった。90年代の初頭に出ていた『ユリイカ』のツェラン特集の中に、このことに言及した論考があったようにも思うが、手元にないので分からない。

 ともあれ、ここまでをきちんと読んで下った方なら、先に引いたアドルノの難解な文章も、けっこうクリアになってきたのではないか。「絶対的物象化は、かつては精神の進歩を自分の一要素として前提したが、いまそれは精神を完全に呑み尽そうとしている」。……「絶対的物象化」……あたかも触るものをみな黄金と化してしまうミダス王のごとき……。まさにこれこそ(生れたときから)ぼくたちを取り巻く状況にほかならず、もしこれにわずかなりとも抵抗する手立てがあるとするなら、どうしたってそれは、「詩」をおいては考えられないではないか。



◎いただいたコメント



 20世紀の記憶について細々と研究している者です。かの有名なアドルノの言葉について大変興味深く読ませていただいたのですが、どうも意味が通らないところがあり、ドイツ語の原文に当たって確認したところ、ちくま学芸文庫版・36ページからの引用から「文化批判は、文化と野蛮の弁証法の最終段階に直面している」が欠落していることがわかりました。

 ちなみに、アドルノが自らの言葉をどのように「改訂」していったのかについては、http://www.gbv.de/dms/lueneburg/LG/OPUS/2002/137/pdf/stein5.pdf に詳しいです。私はこれをアドルノの真摯さの軌跡として読みました。

投稿 hayanagi | 2012/11/17





 ご指摘ありがとうございます! ほんとですね、すっぽりと抜けていましたね。すぐに書き足しておきました。そのあとの段落で「この引用文のキー」などと書いておきながら、肝心のその一文を落としてしまうとは、なんとも間の抜けた話です。また、ご紹介いただいた論考も、さっそく保存しておきました。ドイツ語ですので、すぐに目を通すわけには参りませんが(汗)、じっくりと読んでみたいと思います。重ね重ねありがとうございました。

投稿 eminus(当ブログ管理人) | 2012/11/18