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ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

わたしをあの綺麗な月まで連れてってくれたら死んでもいいわ。

2019-12-09 | 雑読日記(古典からSFまで)
 今日は漱石忌。近代日本を代表するこの文豪は、1916年(大正5年)12月9日、49歳で逝去した。その死は名実ともに明治文学の終焉を告げたのだけれど、作品は不滅の生命を湛えて、今もなお読み継がれている。


 この漱石が、東大で英語教師をしていたころ、
 ある学生が「I love you.」という小説の一節を「我、汝を愛す。」と訳したのを受けて、
「日本人ならそういう言い方はせんだろう。月がとても綺麗ですね、とでも訳しておくところだ。」
 と述べた。


 ……という通説がけっこうな規模で行きわたっているが、じつははっきりした典拠が見当たらず、後世の創作だろうと言われている。漱石じしんの随筆の中に見られないのは間違いないし、数多い弟子たちの遺した著作のうちにもそういった記述はない。


 そもそも、初めのうちは、「月が青いですね。」であったのが、のちに「綺麗ですね」「きれいですね」に転化したとか。そこからも、文献として明確な出典がないことがわかる。


 この件についてはネットの上にもたくさんの考証があふれているのだが、ぼくなりに整理したところ、


 この逸話は昭和50年代にとつぜん現れた。そのときは「……青いですね。」であった。
 1955(昭和30)年に「月がとっても青いから、遠回りして帰ろ」という歌詞をもつ歌が流行った。
 1975(昭和50)年から翌年にかけて、NHKで『新 坊ちゃん』というドラマが放映され、その中にこの逸話が(脚本家の創作として)使われていた可能性がある。


 とのことだ。あるいはこれが信憑性が高いか……とも思ったのだけれど、「そのドラマをみた。間違いなくそのエピソードがあった。」という証言は、ざっと探した限りでは見つからない。

(さらにいうと、柴俊夫が坊ちゃん、西田敏行が山嵐を演じたそのドラマ、ぼくは確かにリアルタイムで見た覚えがあり、山嵐が社会の理不尽に憤って「オッペケペ節」を熱唱するシーンがいまだに脳裏に焼き付いているが、なにぶん幼い頃のことであり、その他は一切覚えていない。)


 書かれたものとして確認できるのは、1976年から連載が始まり、1979年に出版された豊田有恒のエッセイ、および1978年に行われた対談の中でのつかこうへいの発言とのこと。片やSF作家、片や劇作家ということで、「教壇から怒鳴りつけた。」などと、派手な脚色が加えられたりして、より人口に膾炙しやすくなっていた。
 ともあれ、活字になった文章としては、今のところこれ以上遡ることは難しく、いずれかがネタ元になったと思われる。それがすっかり定着して、また新たにドラマやなにかで再利用され、ツイッターなどで拡散されて、今日に至っている。どうもそういうことらしい。


 だとしたら、豊田さんにせよ、つかさんにせよ、妙な影響を及ぼしちゃったもんだな……。


 この逸話が人気を集めるのはよくわかる。漱石という人の人柄と才気をよく表している(気がする)し、また、日本人(日本語)と欧米人(英語)との気質の相違を端的に言い当ててもいる。都市伝説と一蹴するには惜しいエピソードではあるが、確かな出所が見つからぬかぎり、誤伝は誤伝だ。


 なお、漱石のことは脇に置いて、そもそも「月が綺麗だねェ……」という言い回しをもって愛情表現に当てる、といった感性が日本語の伝統において那辺に由来するのか……歌舞伎かなにかに先例があるのか……という考証もまた成り立つだろうし、それはそれで面白そうではある。でも時間がないからそこまではやらない。




☆☆☆☆




 いっぽう、こんな通説もよく聞く。


「二葉亭四迷は、I love you.を 死んでもいいわ。と訳した。」


 漱石の時は「月が青いね。」だった「I love you.」が、こちらでは「死んでもいいわ。」になっちゃうわけで、実話だったらさぞ面白かったんだけど、残念ながらやはり誤伝だ。
 しかし、漱石の事例よりは、はっきりしたことが判明している。
 というのは、風聞ではなく、翻訳のなかの文章だから。


 ロシア文学者にして実作者。代表作は『浮雲』。その訳業と卓越した文学観によって漱石と共に近代日本文学の創始者のひとりとなった二葉亭だけど、その翻訳の一つにツルゲーネフの『片恋』があった。
 ツルゲーネフの邦訳といえば『はつ恋』が有名で、二葉亭の訳では『あひゞき』『めぐりあひ』が知られているが、ここは『片恋』である。原題はヒロインの名前『アーシャ』。


 その第16章から。


 ……私は何も彼も忘れて了って、握ってゐた手を引寄せると、手は素直に引寄せられる、それに随れて身躰も寄添ふ、シヨールは肩を滑落ちて、首はそつと私の胸元へ、炎えるばかりに熱くなつた唇の先へ來る……
「死んでも可いわ…」とアーシヤは云つたが、聞取れるか聞取れぬ程の小聲であつた。
私はあはやアーシヤを抱うとしたが…ふとガギンの事を憶出すと……


 当時としてはなかなかの濡れ場……といっていいかと思うが、このくだり、英語版では以下のようになっているそうな。


 ……I forgot everything, I drew her to me, her hand yielded unresistingly, her whole body followed her hand, the shawl fell from her shoulders, and her head lay softly on my breast, lay under my burning lips.……
“Yours”…… she murmured, hardly above a breath.
My arms were slipping round her waist. But suddenly the thought of Gagin flashed like lightning before me.……




 それで、この、「“Yours”」が「死んでも可いわ…」になっている。
 ちなみに原文のロシア語では、「Ваша……」で、やはり「あなたの……」の意とのこと。


 だから、「二葉亭四迷は“I love you.”を 死んでもいいわ、と訳した。」という説は誤りということになる。そういうことにはなるのだが、しかし真相を掠めてはいる。「ニアミス」という感じだろうか。しかし思えば、「“Yours”」を「死んでもいいわ」と訳すのだって相当に大胆であり、じゅうぶんに語り継がれるに値するだろう。


 ちなみに後年、ロシア文学者の米川正夫氏は、この作品を改訳したおり、やはりタイトル『アーシャ』を『片恋』と訳して偉大な先達に敬意を表した。ただしこの「Ваша……」については、「(私は)あなたのものよ……」と原語に近い訳文にかえた。
 ただ、どうなんだろう。ぼくは読んでないからわからないけど、ここだけ見れば「あなたの意のままに」とか「仰るとおりに致しますわ」くらいの意味でも通るんじゃないか……という気がした。「あなたのものよ。」だって、「死んでもいいわ。」ほどじゃないけど、なかなかに思いきった訳だ。


 それにつけても二葉亭四迷、本名・長谷川辰之助。漱石や鷗外と並ぶ創始者が、こんな戯作者めいたペンネームを付けたところに近代日本文学の、ひいては近代日本文化の、ひいては近代日本そのものの悲劇と喜劇が綯い交ぜになっている。
 1909年(明治42年)5月、45歳で逝去。
 関川夏央×谷口ジローの名作マンガ『坊ちゃんの時代』の第二部・「秋の舞姫」は、その葬儀のもようから幕を開ける。






☆☆☆☆






 ところで、「私を月まで連れてって」という曲がある。「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」。スタンダード中のスタンダード・ナンバーだ。宇多田ヒカルの素敵なカヴァーもあるし、竹宮惠子に同タイトルのSFコメディー漫画もあった。
 1995年から翌96年にかけて放送されたテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のエンディングテーマとしても知られる。
 全26話すべて「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」がエンディングテーマだったんだけど、アレンジがぜんぶ異なる、という趣向が凝らされていた。大人っぽいのから可愛らしいのまで、アップテンポからスローバラードまで、インストゥルメンタルから声優さんによる日本語歌唱まで、26とおりの「私を月まで連れてって」が流れたわけだ。
 ぼくはずっと、音楽担当の鷺巣詩郎によるアレンジだとばかり思っていたが、調べたところ、そうではなかったらしい。
 いずれにしても、『新世紀エヴァンゲリオン』テレビシリーズの謎めいた魅力の一端を、この週替わりのエンディングテーマが担っていたのは確かだと思う。




 歌詞はこうだ。


☆☆☆☆


Fly me to the moon
Let me play among the stars
Let me see what spring is like
On a Jupiter and Mars




私を月まで連れてって
星々の海で遊ばせて
見せて欲しいの 春がどんなものなのか
木星と火星に訪れる春が




In other words: hold my hand
In other words: darling(baby),kiss me




わかるでしょ? 手を握って
わかるわね? ね キスして




Fill my heart with song
And let me sing for ever more
You are all I long for
All I worship and adore




わたしの心を歌で満たして
歌わせて いつまでもずっと
貴方は私が待ち望んでいたすべて
憧れと思慕のすべて




In other words: please, be true
In other words: I love you




わかるでしょ? 本気になって
わかるでしょ 好きなの あなたが




☆☆☆☆




 繰り返される「In other words」は、「言い換えれば」だ。「つまり」とか「要するに」でもいいかと思う。
 「わかるでしょ?」と訳してみたんだけど、どうだろう。睦言としては、こんなところだと思うんだけど。
 「I love you.」を「In other words」でいえば、(残念ながら誤伝だけれど)「月が青いね……。」にも「死んでもいいわ。」にもなる。さらには「私を月まで連れてって」にもなる。ほかにも無限の意味になりうるだろう。言葉というのは底知れない。















芭蕉と門人たち 03 「座」といふもの。

2019-08-18 | 雑読日記(古典からSFまで)



 芭蕉といえば「孤高の俳聖」「隠者」「漂泊の旅人」……といったイメージが無きにしも非ずだが、いっぽうでは、あまたの門人を抱える「宗匠」の顔もあったわけである。
 ご本人も、「発句だけなら門人の中にも私にひけをとらない者はいるよ。でも、連句の座を捌(さば)く業前ならば、やはり私に一日の長があるだろうね。」という意味の言を残している。
 京都アニメーションの事件につき、当ブログではもっぱら「孤立」という切り口で考察してきたが、そのあとでおもむろに、芭蕉と門人についての記事を2本アップしたのはそれ故だ。芭蕉のつくった「座」の空間は、「孤立」の対極にあるものだなあ……と、ふと思ったのだった。
 連句のことはご存じだろうか。
 江戸期の町人文化ながら、優雅な知的遊戯としては、王朝の和歌・漢詩の遊びにも劣らないと思う。決まりはなかなか煩雑で、かくいうぼく自身じつは完璧に理解しているわけではないが、体裁だけいえば、気の合う仲間が何人か(3~5人くらいが多いようだ)集まって、五七五、七七、そのあとまた五七五、七七、と付けていき、36句まで巻いたところで、「一巻の終わり」と相成る。
 きわめて高度な「連想ゲーム」といってもいいか。参加者それぞれに相当な知性や教養や感性が求められるし、前の句を詠んだひと、後の句を詠むひと、さらには一座のほかの衆にも、気遣い・気配りが欠かせない。つまり、月並みな句ばかり付けていてはつまらぬが、かといって、個性を出そうと突飛な句を付けては全体の空気を壊してしまう。その兼ね合いがむつかしい。いかに同好の士とはいえ、細やかな社交の場でもあるわけだ。
 だからこそ、座を取り仕切る宗匠の才腕ってものがとても大事になってくる。インプロビゼーション(即興)をやるジャズバンドのリーダー、もしくは、もっと卑近な例ならば、テレビのバラエティーショーのMCに当たるといえるか。
 赤穂浪士の大高源吾たちが其角(芭蕉の高弟)の俳諧仲間だったことからもわかるように、文人として会する際には、原則として身分の隔たりがない。武士も町人も、みな同列なのである。
 だから江戸の都をはじめ、「連句」の寄り合いは各地でいろいろな人たちによって行われていたと思うが、そのなかで頂点に位置するものは、もちろん芭蕉を宗匠とする会であり、その成果は「冬の日」「猿蓑」といった書に収められている。
 岩波文庫の『芭蕉七部集』などを見ていると、まあ、難しくてとうてい味読はできないけれども、そこにものすごく緻密かつ濃厚な世界が織りなされている……ことだけはわかる。
 それは「文化の粋」としかいいようのないもので、こういう点にかんしては、現代は江戸期に遥か及ばない。むしろ衰退している。
 芭蕉一門の「座」の醸し出す濃密さは、ひととひととの交わりの濃さ……でもある。
 いったいに、昔は「ひとと交わること」こそが最大の娯楽だったわけで、だから「祭り」の大切さとか熱さも今日の日ではなかった。将棋なども、個人と個人が密室に籠って一対一で指すより、縁台将棋じゃないけれど、大勢の注視のなかで指すことが多かった。皆で楽しんでたわけである。
 前々々回の記事「ハイテク社会と孤立」のなかで、akiさんは、


 さらに孤立の重要な要素として、「娯楽の進歩」があるでしょう。ネットにつなげれば、さほどお金をかけずとも様々な映像コンテンツを楽しむことができ、ゲーム・スポーツ・アイドル産業・お笑いなど、多種多様な趣味に応じたコンテンツが山のように存在します。さらに、SNSなどで個人が情報発信する手段も発達し、人間にとって本質的な「癒し」である「人とのつながり」を代替することもできる。その結果、一人暮らしであってもあまり寂しさを感じずに済むようになった。
 これらの変化は、「家事を楽にこなしたい」「居ながらにして世界中の文化に触れたい」等々の欲求に応えて、科学技術が飛躍的に進歩した結果もたらされたものです。そしてその結果として、他人の助けを借りずとも、他人と無理に関わらなくても生きていける社会が現出し、「ならば面倒な人間関係に煩わされずに生きていきたい」と考える人が増加した。実際、「孤立」とまではいかなくても、大なり小なりそう考える人は多いと思います。


 と述べておられるが、これはまったくそのとおりで、ハイテク化が進めば進むほど、ひととひととの距離は隔たり、他人のことが「うざい」「きもい」「めんどい」といった塩梅になる。こんな言い回しは、ぼくなどが20代の頃にはなかったのだ。
 テレビやビデオくらいまでならまだよかった。スマホの普及によるネットの拡大が、あまりにも巨大な影響を社会にもたらした。
 おおげさにいえば、明治維新~敗戦~高度成長~バブル崩壊~IT革命……ときて、平成の後期あたりから、ニッポンはついに、「江戸期」から完全に切断されたといえるのかもしれない。それまでは、まだしも少しは「前近代」の余慶がのこっていた気がするのだ。
 芭蕉一門の残した連句を眺め、芭蕉と門人たちのことを考えるにつけ、ぼくには今の時代の異様さってものが際立って見えてくる。






芭蕉と門人たち 02 枯野抄

2019-08-01 | 雑読日記(古典からSFまで)





 芥川が芭蕉に私淑しており、優れたエッセイを残したことは前回述べた。小説では「枯野抄」が有名だ。
 臨終の床に就いた師・芭蕉を囲んで最期を看取る門人たちの、それぞれに屈折を湛えた心情を辛辣に穿ってみせた短編。例によって巧すぎるほど巧く、昔はただただ嘆賞したが、この齢になって読み返すと、あまりの見事さにかえって興ざめた気分にもなる。でも名作には違いないので、もし未読であればこの機会にぜひ。


 青空文庫版テキスト
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/72_14932.html





 この作品の劈頭に、


丈艸(じょうそう)、去来(きょらい)を召し、昨夜目のあはざるまま、ふと案じ入りて、呑舟(どんしゅう)に書かせたり、おのおの咏じたまへ

  旅に病むで夢は枯野をかけめぐる

――花屋日記――


 なる一文が引用されている。「花屋日記」は、文暁という僧が1811年に刊行した二巻の書で、「芭蕉翁反古文」ともいう。上巻には芭蕉の発病から終焉・葬送の模様を伝える門人たちの手記を、下巻には門弟・縁者の書簡を収めた……ものなんだけど、じつはぜんぶ創作であったと後の研究で判明した。芥川はどうも知らなかったらしい。芥川じしん、『れげんだ・おうれあ』という虚構の種本によって世を翻弄したことを思うとなんだか可笑しいが、とはいえ、集まった門人の顔ぶれなどは正確である。


 参考資料
一つの作が出来上るまで 青空文庫版
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3754_27334.html





 当のエッセイのなかで芥川は、


 「枯野抄」といふ小説は、芭蕉翁の臨終に会つた弟子達、其角、去来、丈艸などの心持を描いたものである。それを書く時は「花屋日記」といふ芭蕉の臨終を書いた本や、支考だとか其角だとかいふ連中の書いた臨終記のやうなものを参考とし材料として、芭蕉が死ぬ半月ほど前から死ぬところまでを書いてみる考であつた。勿論、それを書くについては、先生の死に会ふ弟子の心持といつたやうなものを私自身もその当時痛切に感じてゐた。その心持を私は芭蕉の弟子に借りて書かうとした。(……後略……)




 と述べている。「先生の死に会ふ弟子の心持」がわかるというのは、もちろん、この3年ほどまえ漱石の死に接したからだ。




 「枯野抄」では、あたかも読者が劇の舞台を観客席から眺めるかのように、人物とセットが配置されている。まず「医者の木節(ぼくせつ。青空文庫版には「もくせつ」とルビがふってあるが「ぼくせつ」が正しい)」の名が挙がるが、これは「医者」ゆえにその場に呼ばれたのだろう。芭蕉の門下のなかでけして知られた人とは言えず、ほかでその名をみることはほとんどない。
 俗に「蕉門十哲」という。孔子の名だたる弟子を列挙した「孔門十哲」にあやかったものだ。ただ、この手のリストアップの常として、必ずしも一定はしていない。江戸期より既に、選ぶひとによって多少の異同があったのだが、それでも其角を筆頭に、嵐雪、去来、丈草までは外せない。これに次ぐのが杉風、凡兆、さらに支考、荷兮か。また惟然、野坡などをその癖の強さゆえ好む人もいる。「おくのほそ道」で同行した曾良を加える人ももちろんいる。
 これらの門人たちがみな芭蕉の最後に立ち会ったわけではない。来られなかった者、来なかった者も少なからずいる。そこにもまた秘められたドラマがあったと想像すれば興趣は尽きぬところだが、芥川いこう、蕉門に材をとった小説・芝居・映画・ドラマの類は意外なくらい見当たらない。
 堀切実・編注の『蕉門名家句選』(岩波文庫)の下巻に附された解説によれば、直接間接に芭蕉の教えを受けた門人の数は全国に二千余名、うち名の通った俳人だけでもほぼ一割の200名にのぼるそうだ。この日、大坂南久太郎町御堂ノ前・花屋仁右衛門貸座敷にて師の末期を見届けたのは(つまり「枯野抄」のなかで描かれるのは)、其角、去来、丈草、支考、維然、そして木節、乙州、正秀、之道の九名である。
 まえがきで、「旅に病むで……」の句を書き取ったとある呑舟はなぜか居合わせていない(この人はむしろ之道の弟子で、つまり芭蕉にとっては孫弟子にあたる)。本作の中の芭蕉はすでに意識がなく、句を詠んだのはその前である。だから「旅に病むで……」は辞世の句ではなく、あくまで「最後に詠んだ句」なのだ(厳密にいえば、そのあと「清滝や波に塵なき夏の月」に手を入れて、「清滝や波にちり込青松葉」に改稿しており、これが生涯の最終句ということになろう)。
 これら九名は、確執を生じているってほどでもないが、やはり和気藹々ってわけでもない。お互い腹に一物ある。そんな彼らが、もはや垂死となった病床の師を前にしながら各々の自意識に絡め捕られてうじうじ、ぐずぐずと内面で葛藤を演じるところが一編の眼目なのだが、芥川本人は、




(……前略……)芭蕉の呼吸のかすかになるのに従つて、限りない悲しみと、さうして又限りない安らかな心もちとが、徐に心の中へ流れこんで来るのを感じ出した。悲しみは元より説明を費すまでもない。が、その安らかな心もちは、恰も明方の寒い光が次第に暗やみの中にひろがるやうな、不思議に朗かな心もちである。しかもそれは刻々に、あらゆる雑念を溺らし去つて、果ては涙そのものさへも、毫も心を刺す痛みのない、清らかな悲しみに化してしまふ。彼は師匠の魂が虚夢の生死を超越して、常住涅槃の宝土に還つたのを喜んででもゐるのであらうか。いや、これは彼自身にも、肯定の出来ない理由であつた。それならば――ああ、誰か徒に䠖跙逡巡して、己を欺くの愚を敢へてしよう。丈艸のこの安らかな心もちは、久しく芭蕉の人格的圧力の桎梏に、空しく屈してゐた彼の自由な精神が、その本来の力を以て、漸く手足を伸ばさうとする、解放の喜びだつたのである。彼はこの恍惚たる悲しい喜びの中に、菩提樹の念珠をつまぐりながら、周囲にすすりなく門弟たちも、眼底を払つて去つた如く、唇頭にかすかな笑みを浮べて、恭々しく、臨終の芭蕉に礼拝した。――




 と描写される内藤丈草(作中では丈艸と表記)に自らを仮託したといわれている。あらためて漱石とのことに思いを致すと、なかなかに業の深い話ではある。







芭蕉と門人たち 01 西施と蛇女

2019-07-30 | 雑読日記(古典からSFまで)



 芥川龍之介は俳句を嗜んだ。
 「自嘲」と題した「水涕(みづばな)や鼻の先だけ暮れ残る」、感覚の鋭さを示す「蝶(てふ)の舌ゼンマイに似る暑さかな」「青蛙おのれもペンキぬりたてか」などが有名だけれど、ぼく個人は、


 蛇女みごもる雨や合歓の花


 が忘れがたい。「蛇女」のインパクトがあまりに強烈だ。これはイギリスの詩人キーツの歌った蛇女(レイミア)だろう……とぼくは目星を付けてるのだが、ちゃんと考証したわけじゃないので定かではない。いずれにせよ、怪奇趣味あるいは妖美趣味の色が濃い。ただ、最近になって改めて見返すと、むしろ「合歓の花」のいわく言い難い佇まいを際立たせるために蛇女をもってきた……ようにも思えた。つまり合歓の花が主役で蛇女のほうが従なのだ。俳句に親しんでいる人なら「何をいまさら」と仰るだろうか。







 芭蕉にも、
 象潟や雨に西施がねぶの花
 がある。「ねぶ」は「合歓」だが「眠る」の意を含んでいるのでこう表記せねばならないらしい。西施は古代中国の伝説的な美女。蛇女よりは穏やかだけど、それでも妖艶なイメージであろう。ただ、この句は「ねぶの花」よりむしろ「象潟」という土地そのものを西施に譬えたものだそうな。とはいえ、上記の句をつくるにあたり、芥川の念頭にこの句がなかったはずはない。
 芥川は芭蕉を終生敬愛していた。おもな評論とエッセイを集めた『ちくま文庫版 芥川龍之介全集 7』には、「俳句論」として、「発句私見」「凡兆について」「芭蕉雑記」「続芭蕉雑記」の4本が収められている。凡兆は芭蕉の高弟のひとりだ。




 江戸期の俳諧を代表するもうひとりの巨星・蕪村(1716 享保元年~1784 天明3)の句はイメージがくっきり浮んでわかりやすい。しかし芭蕉(1644 寛永21~1694 元禄7)はそうではない。ことばのやりくりが巧緻すぎるというか……。有名な「海くれて鴨の聲ほのかに白し」にしても、やはり「海くれてほのかに白し鴨の聲」じゃあ嵌りすぎてて駄目なんだろうし、そもそも「鴨の聲」を「ほのかに白い」と叙する感覚が江戸離れしている。フランス近代の象徴詩みたい、とまで言ったら専門家に怒られるんだろうけど……。




 これも有名な「水取りや氷の僧の沓(くつ)の音」の「氷の僧」にしても、当時はずいぶん思い切った言い回しだったはずで、げんに長らく「難題の一つ」とされていた。「(東大寺の)二月堂に籠りて」との前書があるので、「こもりの僧」の誤記ではないかという疑義を呈するひともいたほどで、それくらい奇抜にみえたわけだろう。まあ「氷」は「僧」よりも「音」に掛かるのだとは思う。「沓(くつ)」は練業の際に履く檜(ひのき)でできた木沓のことで、だから沓音が冴え冴えと鳴り響くのだ。とはいえ、「氷の僧」なる字面にはやっぱり一見はっとさせられる。

 ともあれ芭蕉は難しい。ぼくなんかには、先の凡兆さんもふくめ、芭蕉のお弟子さんたちの句のほうがまだわかりやすかったりする。とはいえむろん、すらすら読めるわけではないが。







「心」とは何かを考えるための5冊

2019-07-06 | 雑読日記(古典からSFまで)
 卒爾ながら、本日はこのお題にて。
「教養って何?」シリーズ。今回は、「心」とは何かを考えるための5冊。分冊になってるのもあるんで、実際にはもっと多いですが。



① 心の仕組み 上 下 スティーブン・ピンカー ちくま学芸文庫



② 人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か 上 中 下 スティーブン・ピンカー NHKブックス




 なんといってもピンカーさんは外せない。




③ MiND 心の哲学 ジョン・R・サール ちくま学芸文庫






 大御所サールの主著がようやく文庫に。



④ 心はどこにあるのか ダニエル・C・デネット ちくま学芸文庫



 サールと対立するこの人の本もちくま学芸文庫に入っている。ここはぜひとも併せて読んどきたいところ。


⑤ 脳はいいかげんにできている: その場しのぎの進化が生んだ人間らしさ デイヴィッド・J・リンデン 河出文庫







 ケーハクな題名だけど中身は充実。



 サールさんは哲学者で、デネットさんも哲学寄り。ほかの人たちは科学畑。
 「科学の精緻化・深化によって、哲学をはじめとする人文系は消滅する」みたいなことをいってる橘玲さんのような人もいるけど、そんなシンプルな話じゃない。「科学」の言説だけではどうしても追い詰めきれない領域があって、『MiND』と『心の哲学』を読めばそのあたりが見えてくる。とはいえ今や、生粋の哲学者であっても量子力学や脳科学や進化生物学の知識がなければ話にならない、のは確かなようです。












教養って何? 番外編 いまの中国を知る。

2019-05-11 | 雑読日記(古典からSFまで)



 5月3日の憲法記念日に「九条の改憲について。」なる記事を書いたけれども、あれはもっぱら中東のこと(「イスラム国」とか)を念頭においた文章で、きちんといえば「集団的自衛権」にまつわる話だった。
 「集団的自衛権」の行使のためにはどうしても法の整備が必要なのだ、という理屈については、(ぼくが見つけた限りでは)このサイトにとても詳しく、わかりやすく書かれてある。
伊勢崎 賢治
いまさら聞けない「集団的自衛権って何ですか?」〜日本の常識は世界の非常識だった……

 こういう話を読んでると、安倍政権が改憲を唱えるのもけして「対米従属強化」のためだけはないんだなァと思わせられるが、とはいえそもそも「軍事」の話題は、それがぼくたちの暮らす日常からあまりにも隔絶しているゆえに難しいものである。
 ハリウッド映画の世界がとつぜん自分たちの暮らしと地続きになってしまうような違和感をおぼえる。
 それでも最低限の知識くらいはもっておきたいし、この先に起こるかもしれない事態を、あるていどはシミュレートしておきたいところだ。
 上にアドレスを貼った記事がアップされたのは3年前(2016年)だけど、ぼくは新聞もテレビも見ないからはっきりとはわからないにせよ、その頃と比べて「集団的自衛権」というワードを目にする機会は減ったはずである。
 「集団的自衛権」は、やはり中東の不穏さの度合いに付随して浮上してくるトピックなんだろう。この時節、情勢の変化は目まぐるしい。先日トランプ政権が中国製品の関税を25%に引き上げるぞと警告したが、いま目を向けるべきは中東じゃなく中国のほうだ。
 中国のことはむろん中東よりも日本にとって切実だ。ぼくがずっと考えてたのは「冷戦時代のソ連(当時)よりも脅威のレベルは大きいんだろうか?」ということなのだが、「大きい」という答えが、困ったことに、どうも正しいようである。
 だから中国について知っとくことは、もはや「教養」どころか「必須」かもしれない。
 いまの政治体制、および近現代史については、初版は2010年ながら、池上彰の『そうだったのか! 中国』(集英社文庫)がいちばんコンパクトだし、使える。
 そこに書かれた知識をざっとアタマに入れたうえで、ぜひ読んでおくべき一冊が出た。
 『米中もし戦わば 戦争の地政学』 文春文庫。
 原著は2015年。日本版の翻訳が出た(単行本)のは翌2016年。それが今年、2019年4月に文庫になった。かなり早い。
 著者のピーター・ナヴァロ氏はもともとは経済畑の研究者だが、現役の大統領補佐官である。つまり、このたびの関税の件にしても、この人の提言がトランプ大統領を動かしている可能性が高い。
 だからこれは、きわめてホットな、生々しいレポートなのだ。
 原著の出た2015年、トランプ氏はまだ大統領ではなく、ゆえにナヴァロ氏も補佐官ではなかった。このレポートによって注目され、トランプ陣営に招聘されて、選挙期間中からブレーンとなったのである。
 ひどく大雑把にいうならば、これも「中国脅威論」のひとつってことにはなるんだろう。しかし、凡百の「脅威論」を読むよりも、この一冊を読むほうがはるかにいい。
 情報量が桁違いで、論旨の流れがクリアなのだ。
 同時にこれは、「軍事学」「地政学」にかんする最良の入門書でもある。文庫化を機に、取り急ぎご紹介する次第である。



教養って何? 07 じぶんの国の成り立ちを知る。

2019-03-22 | 雑読日記(古典からSFまで)
 ひとくちに平成30年というが、30年間って歳月はけして短からぬもので、試みに自分の生年から30年を引き算してみたところ、太平洋戦争どころか2・26事件とか、そのあたりの話になっちまうんで一驚した。いやあ。おれが生まれた頃って敗戦からそんなに時間が経ってなかったんだねえ。そりゃ色々と荒っぽかったはずだわ。小学校の教師にやたらとビンタしてくる頭のおかしいサディストがいたけど、そりゃあんなのだってまだ生き残ってたわけだわ。あやつ自身が軍国教育で育ったんだろうしなあ。
 久々に、「教養って何?」ということで、「じぶんの国の成り立ちを知る。」なんてサブタイトルを付けたけれども、べつに縄文式土器がどうとかいう話をするつもりはない。そもそも縄文式土器のこととかよう知らんし。ここでの「国の成り立ち」とは、今ぼくたちが暮らしている生活の場、というくらいの意である。
 そりゃあ遡れるんならそれに越したこたぁないだろうが、とりあえず現代史を知りたいのだよ私は。
 自分の暮らしている社会は、どういった塩梅でこんな具合になったのかしらん、と考えたときに、まあ1945(昭和20)年の敗戦から後のことを勉強すればよかろう、と思ってたんだけども、それだけでは足りないようだ。やはり幕末~明治維新から、きちんとやっとかなきゃいけない。
 『天皇と東大』(全4冊 文春文庫)の「はしがき」で、立花隆さんが書いている。

「おそらく、日本人はいまこそ近現代史を学び直すべきときなのである。日本の教育制度の驚くべき欠陥のために、現代日本人の大半が、近現代史を知らないままに育ってきてしまっている。
 私にしても、いちおう人よりは歴史に通じているつもりだったが、これ(『天皇と東大』の元になった連載のこと)を書きながら、どれほど自分が近現代史を知らなかったかを思い知らされた。そして、近現代史を知らずに現代を語ることの危うさを思い知らされた。」

 これはだいたい10年ちょっと前くらいの文章である。「知の巨人」などと呼ばれ、今の日本を代表する知識人とみなされている立花さんにしてこうなんだから、ぼくなんかがこの齢になって近現代史の重要さに目覚めたところでちっとも恥ずかしくはない。
 引用文の少し手前で、立花さんはこうも述べている。

「この長大な連載を書きあげることで、近代日本国家成立の前史から「帝国の時代」の終わりまで、すなわち前期現代史と後期現代史のつなぎ目のところ(終戦前後)までを一目で見渡せるようになった。」

 ここで立花さんのいう「前期現代史」というのが、すなわち幕末~明治維新から、昭和20年の敗戦までなのである。つまり、幕末~明治維新だって、たんに「現代」の黎明ではなくまさしくその一部であり、ぼくたちの生きる「後期現代史」、ようするに敗戦ののちアメリカ軍による占領、講和、復興、高度成長、学生運動、シラケ、バブル、失われた10年、IT革命、といった「今」へと地続きになっているということだ。
 地続きになってはいるんだけども、それを「一目で見渡せる」ひとはそんなにいないんじゃないかと思う。くどいようだが、あの立花さんでさえ、膨大な資料を集めて読み込んで、『天皇と東大』なる浩瀚な書物を書き上げてようやく、それができるようになったといってるのだ。ましてぼくら素人には、なかなか難しそうである。
 まあ、いずれにしてもぼくらみたいのは一般書をしっかり読むしかないし、結局はそれがいちばんなのだが、それだけだって案外けっこう大変だ。
 というのも、2018-09-09の『「明治維新」について。』でも書いたとおり、歴史の本ってのは何種類もそろえて読み比べれば読み比べるほど面白く、理解も深まるからである。

 いま、いわゆる大手の出版社からでているこの手の書籍はというと……。
 まず、当ブログでもたびたび名を出す中公文庫の「日本の歴史」。40年以上も前の出版物だが定番で、増補の上で今なお版を重ねている。
 近現代史だと、
 19 開国と攘夷
 20 明治維新
 21 近代国家の出発
 22 大日本帝国の試練
 23 大正デモクラシー
 24 ファシズムへの道
 25 太平洋戦争
 26 よみがえる日本

 次は岩波新書の「シリーズ日本近現代史」か。
 01 幕末・維新
 02 民権と憲法
 03 日清・日露戦争
 04 大正デモクラシー
 05 満州事変から日中戦争へ
 06 アジア・太平洋戦争
 07 占領と改革
 08 高度成長
 09 ポスト戦後社会

 出版社の性格による力点の置き所の違いがタイトルからもうかがえる。岩波新書のを見ると、近代日本はひたすら戦争ばっかやっている。まあ、じっさいにそうだったんだけどね。
 この「シリーズ日本近現代史」は、01巻の初版が2006(平成18)年で、わりと新しい。

 文庫ないし新書サイズの通史なら、講談社学術文庫からも「日本の歴史」全25巻が出ている。近現代史だと、
 18 開国と幕末改革
 19 文明としての江戸システム
 20 維新の構想と展開
 21 明治人の力量
 22 政党政治と天皇
 23 帝国の昭和
 24 戦後と高度成長の終焉
 これも親本となった単行本の刊行はゼロ年代になってからである。19巻でふりかえって江戸の美点を顕彰してるところが目新しい。維新は果たして唯一の正しい道だったのか? そもそもあれがおかしかったんじゃないか?という問題提起でもある。

 中公文庫からは、上記のものとは別に「日本の近代」というシリーズも出ている。
 01 開国・維新
 02 明治国家の建設
 03 明治国家の完成
 04 「国際化」の中の帝国日本
 05 政党から軍部へ
 06 戦争・占領・講和
 07 経済成長の果実
 08 大国日本の揺らぎ
 全8巻ゆえ圧縮度が高く、太平洋戦争と敗戦と占領と講和が一巻分に押し込まれている。総じて右寄り……というか、「統治者」の立場から見た近代史であり、ぼくみたいな半端者には敷居が高い感じである。このシリーズは20世紀の終わりに出た。

 新刊で買える手ごろな「近現代の日本通史」はこれだけだ。
 あと、すでに絶版なのだが、小学館文庫で「昭和の歴史」が出ていた。80年代バブル前夜の企画で、総じて左寄りながら全般に記述が詳しく、貴重なシリーズだった。電子書籍化されんもんかなあ。
 01 昭和への胎動
 02 昭和の恐慌
 03 天皇の軍隊
 04 十五年戦争の開幕
 05 日中全面戦争
 06 昭和の政党
 07 太平洋戦争
 08 占領と民主主義
 09 講和から高度成長へ
 10 経済大国

 「日本の近現代」という限られた範囲を扱ってるのに、資料の取捨選択やその解釈によって色合いにかなりの差が出てくる。筆者の数だけ歴史がある、とさえ言えるかもしれない。だから歴史ってのは恐ろしくて、信頼できる文献をなるべく多く読み比べるのが望ましいのだ。

 あと、これは複数の著者による通史ではないが、むろん立花さんの『天皇と東大』全4冊もすこぶる有益であるし、以前にも挙げたと思うが福田和也氏の『地ひらく 石原莞爾と昭和の夢』(文春文庫 全2冊)もよい。

 べつに東大や京大で学ばずとも、これだけの書籍を隅々まできちんと読み込めば、われわれだって近現代史が「一目で見渡せる」ようになるはずだ(ぼくはもう少し時間がかかりそうだけど)。それこそが「教養」なんだと思う。
 なんか今回は書名のリストアップばかりになったが、春先はたいへん体調がわるく、これだけでもう精一杯なんでしょうがない。『天皇と東大』については、もっと引用したい箇所があったのだが、とりあえず本日はここまで。



雑読日記001 まずは『成城だより』の話から。

2019-03-01 | 雑読日記(古典からSFまで)
 前回からの流れで「軍事」の話に持っていく予定だったんだけど、所用があって3、4日ブログのことを放念してたら、何をどう書くつもりだったのか紛れてしまい、「えーっと……」などと思ってるうちに気づけば1週間がたってしまった。こうなるとますます更新しづらくなり、あげく放置ってことにもなりかねぬ。自分のブログでも「敷居が高くなる。」ってことはあるのだ。10年あまりやってりゃそういうことは何回もあって、こんな折は、とりあえず何でもよいから書くことである(「放置ブログになったらなったで別にまあ……」という気分もないわけではないが)。
 ことのついでに「雑読日記。」なる新カテゴリーを追加しちまった。まとまった「論考」のかたちではなく、読書メモふうに読んだ本の感想や短評を記していこうぜ、というもの。本来ブログってのはそういうものであるのかもしれず、前々からやろうとは思ってたのだが、このたび踏み切ったのは大岡昇平『成城だより』の影響である。
 大岡さんといえば『レイテ戦記』(中公文庫)『武蔵野夫人』(新潮文庫)などで知られる巨匠で、かつて大江健三郎が「昭和の日本文学を代表する作家をひとり選ぶとしたら?」と問われたさい、その名を挙げた人ほどの方だ。
 理由は、
①小林秀雄、富永太郎、中原中也ら、近代日本文学の最良の系譜に連なる先輩や同輩たちのなかで自己形成してきたこと。
②スタンダールの研究家だった。すなわち、近代小説の基幹をきちんと学んでいたこと。
③サラリーマンとして会社に勤めていた。すなわち社会人としての経験をもっていたこと。
 そして、それらにもまして大きなものとして、
④太平洋戦争のとき、自ら一兵卒として従軍したこと。
 といった事どもだった。
 もう30年も前なんで、大江さんがそのとき言われたとおりじゃないかもしれぬが、いま自分で考えてみても、この評価は正鵠を射ていると思う。
 この大岡昇平(1909 明治42~1988 昭和63)は、また博学でも知られ、晩年に至っても好奇心旺盛で、ドゥルーズあたりも読んでおられたようだし、映画もよく観てらしたし(ルイーズ・ブルックスの熱烈なファンだった)、ニューミュージックも(歌謡曲ではなくて)お好きだったようである。
 だから上段に構えた論考よりむしろエッセイや座談が面白かったりもするわけで、その一端は埴谷雄高との対談『二つの同時代史』(岩波現代文庫)でも存分に伺えるのだけれど、そういった「本業以外の仕事」のうちで、とりわけ面白いと世評高いのが『成城だより』なのである。
 成城からの便りなんつったら、なにやら紀行文のようだが、ありようは日記である。東京は世田谷のあの成城だ。ご本人がここに住んでいらした。むろん高級住宅地だ。
 仰ぎ見るような大作家に対してイヤミをいうわけではないが(いややっぱりイヤミかな……)、大岡さんは終始「反体制」の立場を貫いておられたけれど、「戦後日本」の豊かな果実はたっぷりと享受しておられたわけである。そういう方はもちろん他にもたくさんおられ、というか、ニッポンが目に見えて「右旋回」する90年代末くらいまではそれがふつうの「文化人」のスタイルですらあって、その件はけっこう冗談ぬきで考察に値するテーマだと思うが、本筋ではないのでまたの機会に。
 ともあれ、『成城だより』だ。
 1981、1983、1986年の3年間……だからまさしくバブル前夜からバブル勃興の真っただ中にかけて、ってことになるわけだが、1年分ずつ「文學界」に連載された。連載当時から「むちゃオモロイ」とブンガク業界じゃあ話題だったようで、ぼくは当時、ギョーカイとはなんら関係なかったけども(いや今でも関係ないが)、それでもなんだか色んなところでタイトルを耳にした気がする。
 「文學界」は文藝春秋社のやってる純文芸誌なんで、単行本はそれぞれⅠ、Ⅱ、Ⅲの3分冊で文藝春秋から出た。そちらが品切れになってから、上下2冊となって講談社文芸文庫に入った。その電子版をいま読んでるわけである。
 いやまあオモロイ。たしかにオモロイ。聞いてた以上にオモロイ。
 大岡さんは、上記のとおり富永太郎(1901 明治34~ 1925 大正14)と親交があり、この富永は、近代日本を代表する詩人のひとりなのだが生没年をご覧になればお分かりのごとく夭折のひとだ。この若さで身罷っていながら「近代日本を代表する詩人のひとり」になりえたというのは、富永が天才だってこともあるし、およそ「近代日本」なるものが、その内面においてそれだけ「若かった」ということでもあろう。
 でもって、大岡さんはその富永の全集の編纂をライフワーク(の一つ)にしておられ、またもうひとり、これも「近代日本を代表する詩人のひとり」で、深い親交のあった中原中也(1907 明治40~ 1937 昭和12。こちらも夭折だ)のことも執拗に調べ続けておられて、その両者への50年ごしの「こだわり」が、この浩瀚な日記を統べる一本の太い縦糸になっている。
 青年の頃の友人たちを終生にわたって思い続けるなんて、それだけでアツい。むろん彼らが並外れた才能の持ち主だったからなんだけど、それだけではない。
 といって、いまの若い人はそんな「文学マニア」っぽい話に興味はないか。いや、その手の話ばかりが延々と書き綴られてるわけじゃなく、中島みゆきの名も出れば、「地獄の黙示録」についてのちょっとした考察もみえる。
 いっぽう、『なんとなく、クリスタル。』や、村上龍、村上春樹といった名前はまったくみえない。これは本当に関心がなかったのか、いちおう目を通しはしたが何らかの配慮の上で記述を避けたか、たぶん前者だろうとは思うのだが、じっさいのところは不明である。
 つまり、当時すこしずつ、しかし如実に始まっていた「文壇」の流動化についての意識は希薄で、だからとうぜん「サブカルチャー」全般への気配りってものも伺えず、いわば散発的な興味に留まっている。そこはやっぱり明治生まれの作家だなあと思わせられるが、ま、当たり前っちゃあ当たり前の話だ。
 いっぽう、いわゆる正当な純文学や文芸評論、学術書、歴史の本、さらにミステリーなどは貪婪に読みまくっておられるし、「物語論」についての考察も深くて(大岡さんは漱石研究でも有名で、オフィーリア・コンプレックスを公言してもおられた)、身辺雑記のなかに織り込まれた読書ノートをたどってるだけで、べらぼうに刺激されるし、勉強にもなるのであった。
 近現代の日本を代表する「日記文学」のひとつであることは疑いないし、戦後日本の最良の知性(のひとり)が残したバブル期の知的記録としても貴重なものに違いない。これに「影響を受けた」なんて言ったら僭越のそしりは免れぬのだが、まあ「触発された」というか、いや結局はおんなじか……ともかく、こんな感じで自分なりになんか書けたらいいなー、てな気分で、「雑読日記。」なるカテゴリーを新設したりなんかしちゃったわけである。



教養って何? 07 「十五年戦争」を知るために。

2018-08-19 | 雑読日記(古典からSFまで)

 さっき確かめたら、2015年8月4日の記事「なぜ日本はアメリカと戦争をしたか。」のアクセス数がぐーんと伸びていて、うれしい。まあ、いろいろ不備はあるけれど、ネットで手軽に拾えるレポートとしては、われながら、よく纏まってると思うんで。とりわけ若い人たちに読んで欲しいなあ。
 ぼくは専門家でもないし、大学に籍を置いてるわけでもないから、何を書くにも参考資料はふつうに書店で手に入るものばかり。それも文庫か新書が主だ。それで何ら問題はない。本ってのは高けりゃいいってもんじゃない。大学の授業で教科書がわりに買わされたハードカバーのつまらなさに辟易した人は多いだろう。まず文章が無駄にカタくて読めない。教師や学生、つまり「内輪」だけしか意識してないからだ。
 つねに最新の研究に目を配り、そこから得た学知を、いまのリアルな現実と絡めつつ、こなれた日本語でふつうの読者にわかりやすく届ける。それこそが一流の学者ってものだ。だから文庫や新書を侮っちゃいけません。
 ただ、「なぜ日本はアメリカと戦争をしたか。」で参考にした資料は、残念ながらけして新しいものではなかった。
 まず中公文庫のシリーズ「日本の歴史」の近代史の巻。
 23 大正デモクラシー
 24 ファシズムへの道
 25 太平洋戦争
 それから小学館文庫の「昭和の歴史」全10巻のうちの
 01 昭和への胎動 大正デモクラシーの開花と挫折
 02 昭和の恐慌 大不況と忍びよるファシズム
 03 天皇の軍隊 帝国陸海軍の特質と全貌
 04 十五年戦争の開幕 満州事変から二・二六事件へ
 05 日中全面戦争 拡大する大陸戦線と国民生活
 06 昭和の政党 戦前政党政治の崩壊と戦後の再出発
 07 太平洋戦争 大東亜共栄圏の幻想と崩壊
 まで。それと田原総一朗『日本の戦争 なぜ戦いに踏み切ったか』(小学館。初版は2000年刊。いまは文庫になっている)。
 そんなもんである。あと半藤一利さんの『昭和史探索』(全6巻。ちくま文庫。2006年刊)を随時参照しました。
 中公文庫「日本の歴史」は、定番中の定番で、装丁を変えた増補版が今も売られているけれど、底本そのものは1960年代に出たものである。
 小学館文庫「昭和の歴史」は、それよりは新しいけど、やはり30年以上前のものだ。こちらも好シリーズだったが、なぜか紙媒体は絶版で、電子書籍化もされてない。もったいない。
 ともあれ、どっちもけっして新しくはない。そのご、日本通史としては講談社学術文庫から良いのが出てるし、近代史では、岩波新書から「シリーズ日本近現代史」が、中公文庫からは「日本の近代」シリーズがでている。
 そのほか、ちくま新書から筒井清忠さんの「昭和史講義」シリーズが出るなど、「昭和史」の再検討は今けっこう盛んなのである。
 『きけ わだつみのこえ』(岩波文庫)を読んで毎年8月にナミダにむせぶ身としては、こういう書籍は残らず買って手元に置いてくりかえし読みたいのだけれど、ビンボー人の悲しさで、なかなか思うに任せない。ちかごろは文庫も高いので、けっこうな出費なのだ。スペースもない。
 そもそもこの「教養って何?」という企画は、「できるだけ少ないコスト(金銭的にも時間的にも労力のうえでも)で、できるだけ高い成果を得る」ことが目的だった。
 「とりあえずこれ一冊読めば、あの戦争について、肝心なところはおおむね分かる」という虎の巻みたいな本はないのか。
 ございます。
 福田和也『地ひらく 石原莞爾と昭和の夢』。文春文庫。上下。
 福田さんといえば、2017年12月1日の「教養って何? 05 政治の話は難しい。」でも取り上げたけれど、いわゆる「保守派」の論客である。いちおうは文芸批評家だけど、正直ぼくは、この人のブンガク談義にはあまり信頼を置いてない。
 でもこの『地ひらく 石原莞爾と昭和の夢』はすごい。30代半ばから40代の前半という齢で、この本を書き上げたというだけで、ぼく個人としては、このひとが色んなところで妙な威張り方をしててもつい許せてしまう。
 前回の記事でぼくは「太平洋戦争(日米戦争)ってものは、むちゃくちゃな惨苦をもたらしたけれど、長い目でみれば実際のところ日中戦争の延長というか、敗戦処理のようなものだったんじゃないか?」という見解を述べた。
 つまり、日中戦争は太平洋戦争の前段階なんかじゃなくて、ほんとうは、そっちのほうこそ近代日本にとっての主眼だったということだ。
 ここをしくじったからおかしくなった。事実上「敗北」してたのにそれを認めようとせず、展望も見えぬままずるずるずるずる大陸へ派兵を続けたために、米(その他)との開戦を余儀なくされ、最終的にはほぼ「全世界を敵に回す」みたいなことになった。
 これはぼくが勝手にいうんじゃなくて、與那覇 潤さんの意見に従ったものだが、もしそういう見方を取るならば、とうぜん、さまざまなギモンが沸いてくる。
 いや当時の軍部ってそんなにも見識が浅かったのか? そもそもどんな戦略のもとに中国との戦争をはじめたのか? ていうか、日本の軍隊ってどんなんだったのよ? そういうのぜんぜん学校で習わんかったけど。あと、当時の中国やロシア(ソ連)、満州の状況ってどうだったわけ? 日本とのカンケイはぶっちゃけどうなってたの? 大陸にはどれくらいの日本人が植民してたのさ?
 というカンジで、なぜか後半は変なJKみたいになっちゃったけど、たくさんの「?」が、続々と湧出してくるわけである。
 そこでまあ、ほんとだったら上に列挙した本を読むべきところなんだろうけど、そんなヒマもカネもない、というお急ぎの向きは、『地ひらく 石原莞爾と昭和の夢』を読めばいい。だいたいそこに書いてあります。
 前述のとおり、福田さんは「保守派」の論客である。そしてこの本の元となった稿は、平成七年から十三年にかけて、「諸君!」に連載されていたものだ。だからまあ、ほかの国の人が読めば、「日本に甘すぎる……」と思われるだろうけど、ネットに蔓延しているデタラメな「新自由主義史観」と比べれば、(当たり前だが)はるかに真っ当で公平だし、何よりも緻密で詳細なのだ。
 「十五年戦争」を知るための一冊(じっさいには二冊ですが)として、『地ひらく 石原莞爾と昭和の夢』をお勧めします。


教養って何? みなさんの定義 01

2018-06-20 | 雑読日記(古典からSFまで)
 カテゴリ「教養って何?」のスピンオフとして、現代日本を代表する知識人(?)が下した「教養」の定義を抜き書きします。不定期。



佐藤優

 教養とはどのように身につけるものでしょうか。そもそも教養とは何でしょうか。
 (……中略……)
 日本語の「教養」という言葉は、19世紀末から20世紀初頭に使われ始めた比較的新しい言葉です。最も近い外国語は、ビルドゥング(bildung)というドイツ語でしょう。これは単なる知識の集積ではなく、「知的能力を開発し、生成してゆく」という時間的な要素が含まれる概念です。
 (……中略……)
 また、別の言いかたをすれば、教養とは「学術的な≪知≫を生活と結びつけて活用する能力」といっていいかもしれません。
 (……中略……)
 そもそも新自由主義的な発想は教養とは無縁です。むしろ教養を破壊する力があるといっていいかもしれません。新自由主義というのは、「規制緩和さえすれば、競争の原理だけですべてがうまくいく」という発想ですから、創造的知性は必要とされません。


佐藤優『知の教室』文春文庫より


 これは講演の場で聴衆からの質問に答えて、というかたちでの説明ですね。だからそのぶん辞書的というか、じつに正当な定義づけではありましょう。
 「教養小説」というジャンルがあります。ビルドゥングス・ロマン。ゲーテの『ウィルヘルム・マイスター』シリーズが代表的で、いうならばまあ、世間知らずの青二才があれこれ経験を積んで成長していくお話なんだけど、これがなぜ「成長小説」でなく「教養小説」と訳されたのか、その理由がわかりますね。
 後半のところは、そうだなあ、佐藤さんは新自由主義がお嫌いなので(ぼくももちろんそうですが)、いつもこういう言い方をされるけど、激しい競争を勝ち抜くうえでは或る種の「創造的知性」も要求されると思うけどなあ……。まあ、それはもとより本来の意味での「教養」ではないんだろうけど、まるっきりすべてがマニュアルどおりってわけでもない。たぶん、「人格の向上には結びつかない」っておっしゃりたいのかも知れませんね。佐藤さんは宗教者でもあるので。



内田樹

 「教養」というのは、「生」の知識や情報のことではない。そうではなくて、知識や情報を整除したり、統御したり、操作したりする「仕方」のことである。
 絵画的な比喩を使って言えば、「教養」とは、「古今東西すべての知識」を網羅した巨大な図書館があった場合(ヘーゲル=ボルヘス的な幻影だ)、自分の持っている知識や情報が、その巨大な図書館の、どの棟の、どの階の、どの書棚にどんな分類項目名をつけられて、どんな本と並んで置いてあるのかを想像することのできる能力のことである。
 この「宇宙論的な図書館」の蔵書数と比べると、自分がそこに寄贈しうる書籍は多寡が知れている。けれども、自分の書籍が「どこに何冊配架されているか」を正確に把握できる人間は、その図書館の全蔵書を使いこなす潜在的な能力を持っているということができる。
 私が「これから読む本」とは、「まだ読んだことがない本」のことである。図書館の利用のノウハウとは、ただ一つ「私がまだ読んだことがない本について、それがどこにあるのか、何の役に立つのかを知っている」ということである。
 私はさきほど「教養」とは「知識についての知識」だと書いたけれど、この図書館の比喩を踏まえて、もっと正確にいえば、「教養」とは「自分が何を知らないかについて知っている」、すなわち「自分の無知についての知識」のことなのである。


内田樹『街場の現代思想』(文春文庫)より


 これは内田さんらしいユニークな定義づけですね。『街場の現代思想』に収められているこの文章は、たぶんゼロ年代に書かれたものだと思うけど、この時点で内田さんはどれほどインターネットを意識しておられたのか……。むろん、ネット上で得られる情報なんて限られたもので、『「古今東西すべての知識」を網羅した巨大な図書館』には及びもつかないけれど、それでも使いかたによってはかなり役に立つわけで、ぼくなんかの子供の頃に比べたら、いまの若い人たちはむちゃくちゃ恵まれてますよね。
 もちろんまあ、「自分が何を知らないかについて知っている」だけではだめなんで、それだけじゃあまあ、はっきりいってただのアホなんで、「自分がこれほどまでにものを知らない」ことを常に恥ずかしく思ってて、「学術的な≪知≫を生活と結びつけて活用す」べく、「知的能力を開発し、生成してゆく」ことが大切でしょう。そこで最初の佐藤さんのやつに合致するわけですが。
 なかなか難しいですけどね、ついサボって、お笑いなんか見ちゃうんですけどね、われら凡人は。