エミリーのつれづれ

日々の暮らしぶりを紹介します。

ベルリン市内見学へ

2014年07月09日 | Weblog
7月8日 
    朝刊の天気予報は・・雨

朝から雨です。雨脚が強いので出かけるのを見合わせ、10時前にYHを出発し、歩いて
ポツダム広場へ。
  
      ベルリンの壁                 ソニーセンター    

この辺りはベルリンの壁(1961年8月13日封鎖150㎞)に近い場所で、東西ドイツが統一されてから開発が進み、現在は近代ビル群が林立しています。(現在ベルリンの人口340万人、敗戦時70㌫の建物が崩壊と聞きました)

一角にベルリンの壁の一部が展示されていました。多くの学生が熱心に説明を読んでいました。そのあと、ブランデンブルグ門を見て、ドイツ連邦議会議事堂の見学予約を入れたあと、ベルリン市内の概要をつかむべく市内遊覧バスに乗りました。
   
           ブランデンブルグ門
  
ドイツ連邦議会議事堂                大統領官邸
   
        シャルロッテン宮殿の入り口

2時過ぎ、シャルロッテンブルグ宮殿へ。
市内にある宮殿のなかでも豪壮な宮殿です。初代プロイセン国王の妃ゾフィーシャルロッテの夏の宮殿で、妃がなくなってから正式に妃の名前が付いた宮殿です。
雨と雷で庭園はみることが出来ませんでしたが、妃の趣味が生かされたすばらしい装飾で見応えがありました。
      
      陶器の間(日本、中国の陶器が壁一面に飾られています)
 
 

  
  シャルロッテ妃と皇太子

今夜はワールドカップのブラジル対ドイツ戦があります。何となく夕方から街が騒々しいです。昼間は雷、試合が始まると、1点入る度に花火がドン。歓声があがっています。
さて、試合の結結果は如何に?

移動日です。ベルリンへ(4泊)

2014年07月09日 | Weblog
7月7日 
旅の前半の経験から、移動日は早めに駅、ホームに到着するようにしていますが、
今日も乗る列車が延着し、思わずドキリ。

日本の新幹線にあたるICEで2時間、ベルリンに到着しました。さすが大都会です。
  
      駅のホームは2階と地下にあります
駅の大きさ、往来の激しに驚きました。「葱を背負った鴨に見えるから用心・用心」と注意をして送り出してくれた息子の言葉を想い出し、鞄を握りしめました。
     
    ベルリン中央駅(2006年のワールドカップ・ベルリン開催に合わせて建造

今日は早めにYHに入りました。N氏は明日からの行動に備え、近場バス停などの下見に。私達は洗濯。(長旅は洗濯干しに気を遣います)

    
    今日から4泊するベルリン国際YH
    
 赤で統一の食堂  学生が沢山来ています。今夜の夕食です 

近郊の宮殿へ

2014年07月09日 | Weblog
7月6日
今日は日曜日です。
朝から太鼓の音が遠く、近く聞こえてきます。YHの近くのスタジアムをはじめ、あちらこちらの会場でマーチングバンドの大会(?)があるのか、
伝統衣装のグループなどを見かけました。
  
私達は路面電車を乗り継ぎ、近郊の「ヘレンハウゼン王宮庭園」へ出かけました。
市内から30分もしない場所にこんな静かな広大な公園があるなんて。

  
    

10時前に着いたので、ほとんど人がいません。17世紀に造られた庭園ですが、空から見るか、高い建物から見ないと、庭園の全体デザインはよくわかりません。
高い樹木の並木道を吹き抜ける風と日陰の涼やかなこと、別天地です。持参の昼食を食べ、
のんびり過ごしました。
       
宮殿内にある植物園にも立ち寄りました、ここも広大な敷地です。森なのか林なのか、敷地内なのか、どこも緑の空間ですが、濃い緑の樹木が色々な季節の花を引き立てています。
     

ハノーヴァ市内見物へ

2014年07月09日 | Weblog
7月5日
快晴です。昨夜はサッカーのワールド・カップ戦でドイツが勝ち、11時頃、大きな花火が上がりました。今日はベルギー戦があるので、息子宅ではTV観戦があることでしょう。

9時にYHをでて、市内観光に行くことに。
ハノーヴァはドイツの北部に位置します。そこから東に向かうとベルリンに。人口は52万人、物流の見本市の街として世界中から人が集まる大都会です。
  
まずは昨日着いたハノーヴァ中央駅から出発しました。歩道に赤いラインが描かれています。それに沿って回ると36カ所の観光地が回れるそうですが、
私達は旧市街を歩きながら「市庁舎」に行きました。
     宮殿の様な市庁舎
1901~13年に年に建てられた市庁舎ですが、ルネッサンス様式の城のような豪華な建物です。ホールにハノヴァの街の様子が年代(1689、1936、1945、現在)を追ってジオラマ展示されていますが、
敗戦後直後の1945年の街は廃墟です。
オーストリア、ドイツと、美しい風景を見ながら旅してきた者としては「破壊と復興」が
歴史の1ページと分かっていても、その時代にいた人々の悲しみ、苦しみ、憎みを思うとき「廃墟の街」は人間の「業」の深さを突きつけられているようで心が痛みました。
     
丸屋根の傾斜に沿って、やや斜めに上がって行くエレベーターに乗って、100㍍上から市内を眺めました。

     

州立博物館に