1月31日
今日の始まりはソリ遊びから
旧 租界地 イタリアの風情を残した街 マルコポーロ広場
出かける前に外を偵察してきた息子「寒風で頬が痛い」の一言で、昨日より重装備(ホカロンの補給)をして出発。先ずは孫が夢中になっている河の臨時ソリ乗り場へ。2日目となれば、ソリの操り方も上達し、対岸までの競争や3人乗りまでやり、時々、スッテンコロリと転んでも泣かずに立ち上がり、孫も大人も夢中。1時間ほど遊んで、次の場所にタクシーで移動。タクシーはひっきりなしに走っているので、ほぼ待ち時間なしで捕まえることができます。
天津の台所「南市食品街」 お店を覆うアーケードができて雰囲気は一変。2階はレストラン・1階は胡麻菓子中心のお店と屋台 今日も飴菓子細工に夢中の孫
移動中のタクシー(鉄格子で遮断 ) 五大道(旧租界地)を馬車で遊覧(20分・一人1600円・御者の横に座ったので馬の排便をばっちり目撃。寒さと臭さで郷愁感はゼロ)。イギリス、フランス人が住んでいた洋館が残るエリアー
よく通った花鳥市場 春節に欠かせない水仙の鉢植え 雑多の店舗やざわめきは当時と同じ。
20年前に住んでいた新興住宅地の我が家。(住所は白堤路 学府花園) 夕食は韓国鉄板店に(今回の旅でも韓国人と間違えられる事がしばしば)
今回の旅で一番に訪れたい場所です。着任時からの仮住まいシェラトンホテルに4か月逗留した後の新居(会社が購入)。完成1か月遅れで入居したものの、断水、停電などに悩まされながらも、やっと生活の基盤ができた住まいです。当時としては庶民が羨む3階建ての一軒家で、周りは外国企業の駐在員家族が大半の、名の通り閑静な住宅地「学府花園」です。お隣は難関名門校「南開大学」の広大なキャンパス。近くには蔵書整理に行った天津図書館、主人が風邪で入院したヘリーポートを備えた天津中心病院もありました。
大学と道路を頼りに探しますが、心象風景と合う場所が見つかりません。やっと路地奥にひっそり佇む一画が「学府花園」のようです。あまりの変貌ぶりに唖然。
ここまで来る間も、タクシーの小さな窓から通り過ぎていく風景は大層な様変わりで、異郷に迷い込んだ旅人の心境「浦島太郎ならぬ浦島花子!」と、ため息の連続でした。現代の中国の飛躍的躍進の中では20年の空白は100年以上の重みを感ぜずにはいられません。気落ちする私を慰めて、孫推薦(焼き櫛が程よく自動回転するのが珍しい)の韓国鉄板店へ。帰路、天津タワー、オリンピック中心体育場、ネオンが瞬く天津駅、連なる高層マンション群を見ながら、またまた「びっくりポン」の連発です。