3月31日
薬師寺では3月25日からの薬師悔過法要の花会式が終盤となり、よる6時半から結願法要があり,
そのあと8時半過ぎから鬼追い式が始まりました。中門から入ってきた鬼が暴れ回り、最後に毘沙門天に諌められ、
堂内におとなしく入って行き、無事、式が終わりました。参拝の全員にお松明をいただき、今年の安寧を祈願して帰ってきました。
i頂いた御松明は玄関に飾り、来年の鬼追い式まで家を守っていただいたあと、御返しします。
3月31日
薬師寺では3月25日からの薬師悔過法要の花会式が終盤となり、よる6時半から結願法要があり,
そのあと8時半過ぎから鬼追い式が始まりました。中門から入ってきた鬼が暴れ回り、最後に毘沙門天に諌められ、
堂内におとなしく入って行き、無事、式が終わりました。参拝の全員にお松明をいただき、今年の安寧を祈願して帰ってきました。
i頂いた御松明は玄関に飾り、来年の鬼追い式まで家を守っていただいたあと、御返しします。
3月28日
25日から始まった修二会・花会式の「六時の行法 日中・日没」の法会に行って来ました。
薬師如来に、この一年を悔過し懺悔する法要です。堂内は十種類の造り花や餅が供えられ、荘厳な中に華やかな雰囲気です。
沢山のお詣りがあり、献茶とヴァイオリン演奏の奉納がありました。境内は梅が終わり、桜がちらほらと咲き始めました。
久しぶりの陽光を浴び、元気をもらって帰ってきました。
ベルリンから、パリから来られた山田姉妹の奉納演奏
3月27日 歴史散歩のメンバーと奈良・葛城市の散策に参加
掃守(かむもり)神社 倭文(しどり)神社 二上(ふたかみ)神社 安産お礼絵馬 左(巴御前・女の子) 右(那須与一 男の子)
當麻山口神社鳥居の脇の「傘堂」 岩光寺 (境内 種々の花でも有名
1674年郡山藩主が創建、ここに釣鐘が吊られていた。
後ろは二上山(左 雌岳474m 右 雄岳 517m)
謀叛の罪を負わされ自害した悲劇の皇子(父・天武天皇)大津の皇子の墓が中腹に。
大津皇子辞世の句
「磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠れなむ」 池には鴨がのどかに泳いでいます。
葛城市のボランティアの案内で上記の寺や神社を案内していただき、そのあと當麻寺、相撲館を見学し、3時半解散。
15000歩を歩きました。
3月23日。
寒の戻りで、桜の開花は遅れそうな昨今です。一枚、一枚と重ね着をしても震えています。
23日、奈良国立博物館のボランティア修了式と茶会が開かれ、活動の3年間が終了しました。
茶会で挨拶に立ったボランティアの1人から、内外からの来館者の皆様に「「菩薩業(言い換えると利他業」が出来たかという
話が出ました。自己満足的な案内ではなく、相手が望んでおられる案内が出来たかを考えてみようということです。
修了の反省とこれから始まる3年間の出会い・一期一会を期待しつつの茶会でした。
アオダモ(落葉樹)
寒いと言いながらも自然界は動いています。2月に植樹した時は芽しかなかった薔薇の葉が日増しに大きくなってきました。
今日は我が家の庭のシンボルツリーとなろう「アオダモ」の植樹をしました。まだ枝だけの、何とも寒げな雰囲気ですが
初夏が楽しみです。
3月21ー22日
体調(花粉症など)やらカメラの調子も悪く、ここ数週間は在宅し、静かに絵など書いていた間に
季節はどんどんと春に。・・と言っていたらまた寒の戻りか、冷たい風が。
長らくご無沙汰の広島に娘と行って来ました。主人の故郷・三次です。
寒さを覚悟して行ったら、どうやら雨にもならず、ほっ。沿線沿いは梅、桃、木蓮、こぶしが咲き誇っていました。
たった一両の電車で、のんびりのんびり春へ移行する風景を楽しんできました。
2月22日~25日
春節休暇で帰国していた息子が嫁と孫を連れて我が家にやってきました。正月以来です。
孫は自己主張や状況説明がきちんと出来るほどに言葉が増えました。
食事量も増え、体力もでき、近くの山歩きでは一度も根を上げず歩き通しました。私は体調悪く
着いて歩くのがヤットの状態、孫に負けるのも目の前です。トホホです。
3月2日
1か月もブログを更新しなかったので、電話などで「どこか体が悪いの?」と、ご心配をいただき、
「内容少ないブログなのに読んで下さっている事に感謝しながらも、気力なく更新できませんでした。
考えてみれば昨年5月から3か月の旅に出かけ、帰国後に新居を完成させ、
事前事後の家事や藷手続きの疲れを引きずったまま新年を迎えました。
身体が悲鳴をあげているのに、聞く耳持たず、バタバタと東奔西走しているうちに
とうとう歯が浮き、湿疹ができ、ダウン。
ようやく元気を取戻しつつあります。ご心配かけました。これからは「身体の言い分」にも
耳を貸す余裕をもって、ぼちぼち始動します。
薬師寺 東塔発掘現場 宙吊り状態の心柱
2月28日、奈良薬師寺東塔保存修理現場見学会がありました。創建から初めての完全解体となり、1300年前の基壇を見ることができました。地面の亀裂から7回もの地震に遭いながらも「東塔は堂々と立っていた」の説明を聞き、先人の技のすごさを改めて思いました。
湿地帯であった為、棒で突き固めた痕跡がみられる地層