エミリーのつれづれ

日々の暮らしぶりを紹介します。

上海へ

2011年08月31日 | Weblog
     

                         
              上海・繁栄のシンボル外灘「バンド」

8月28日~31日

関空を離陸し、12時過ぎに上海浦東空港に到着。私の便に遅れること1時間、東京組の友人達(5人)とは市内のホテルで再会することになっているので、市内までリムジンバスを利用しました。

上海を離れて数年が経っと、上海のアクロバット的な運転事情を知り尽くしている私も、その状況を身体が忘れていて、発車直後のいきなりの急ブレーキに身体が固まってしまいました。
そんなハプニングのスタートでしたが、車窓から入ってくる風景は数年前にも増して高層のビルが林立し、道路は外車を含め車の洪水、そして人はどこにも溢れています。まさに上昇し続ける上海の活力を見せつけられました。

今回は、まもなく任を終えて帰国する友人夫妻の歓待を受けて、旧交を温め、昼夜、絶品の中国料理に舌鼓を打ち、ささやかな?!買い物に奔走し、観光は最後の夜となった昨夜、バンドから黄浦江の向こう岸に広がる「陸家嘴」の近未来都市のような夜景をビルの屋上のワインバーで眺めたのが唯一といえるでしょうか。

本当に本当に、あっと言う間の3日間でした。駐在時は私も上海人の商売上手に負けず応戦できる迫力を持っていると自負しておりましたが、今回は完敗。タクシー運転手には遠廻りをされ、店の人には釣銭をごまかされそうになったりと・・・。
でも、それも旅の一コマと思えるのは・・。(それって老い?進化?!、それとも平和ボケ?)

短い時間でしたが、在住の会いたい人たちにも会え、行きたい場所にも行け、お仲間とも最高に盛り上がり、充実の旅でした。アレンジしてくださった夫妻に改めて感謝一杯です。ありがとう。

 
          嘗て住んでいたマンション。周辺は超繁華街に一変しました。

夏期講座

2011年08月25日 | Weblog
     
   
            奈良文化会館國際ホール緞帳

8月23-25日(晴れ)

国立奈良博物館と奈良女子大が主催する夏期講座「玄じょう三蔵とシルクロード」が奈良文化会館の國際ホールで開催され、参加しました。

受付を済ませ、ホールに入ると正面の緞帳が目に飛び込んできました。このホールはよく利用しますが緞帳を見たのは初めてです。絵柄は「平城京」かと思いましたが、平山郁夫画伯の絵をモチーフに織られた物で、大和三山に囲まれた藤原京が描かれているとか。

今夏の夏期講座は奈良国立博物館で藤田美術館の至宝 国宝「玄じょう三蔵絵」を中心に特別展「天竺へ」が開催されているのにあわせ、「玄じょう三蔵」が3万キロの旅から見た1300余年前のシルクロードの国と釈迦の聖地、天竺への旅の目的、持ち帰ってきた経典がもたらした仏教思想の伝播と意義など、専門の先生方のお話を聴講しました。全国から集まった600名からの参加者が減ることなく3日間の講座が終わりました。

  

宴の後・・

2011年08月21日 | Weblog
8月21日(雨)

忙しかった2週間が過ぎました。
いつしか昼間の蝉にかわって夜、鈴虫の声が聞こえようになりました。娘からもらった鈴虫を飼育し、庭からも聞こえますが、我が家に出入りする人が多かった日々で(私の耳も難聴気味ですが・・)なかなか静かに虫の音に耳を傾ける余裕がありませんでした。

昨日、次男家族が東京に移動し(来週、成田から出国、再会は一年後となりますが、これからはアイバッドの出番で、瞬時に情報や元気な顔を見る楽しみが加わります)、若い家族の元気と活気が一気になくなり、寂しくもありますが、日常のリズムが戻り、鈴虫の澄んだ音が家の内外から聞こえます。

朝(21日)起きたら雨です。宴の後の寂しさが増す雨です。



深夜(20日)に買い込んだハンバーグ、若者の食欲に唖然(と言いながら私も・・)

          
 
          頼まれた船便用の小包(梱包に汗だく・・)

2011年08月19日 | Weblog
  
            こんな大きいあわびは初めてです

8月18日(快晴)

海外に住む息子家族は毎夏、バカンス休暇を利用して日本に一時帰国してきますが、その帰国を待って集まってくれる会の一つが中学時代のクラブ活動の仲間です。この会は当事者のみで始まりましたが、やがて伴侶が加わり、子が加わり、そして親も加わるという風に輪が大きくなってきて、私は今年も参加させてもらいました。

中学時代からすると20数年は経ち、職業もまちまちですが、とても仲がよく、話している雰囲気は我が家に遊びに来ていた頃の中学生時代のままです。
仲間の一人が常時使うお店で集まったので、頂戴物の「あわび」を持参して調理してくださったのがバター焼きと炊き込みご飯です。こんなに贅沢にあわびを食べたのは初めてで、磯の香が漂い、歯ごたえも良好で美味でした。みんな大満足の太鼓腹で解散となりました。来年の再会時には彼らの子供たちは一段と大きく成長していることでしょう、楽しみです。 


  





今日は・・・

2011年08月16日 | Weblog
    

8月16日(快晴)

子供たちは広島の爺様のところへ行っています。到着後、アイバッドで元気な舅の顔と声を聞かせてもらいました。瞬時に広島=奈良を結び、双方の元気な姿を同時中継し、テレビ電話としか言いようのないアイバッドを舅は理解できていないようですが、嬉しそうな顔を見ることが出来、双方嬉しくなりました。

私のアイバッドは息子が今回の土産で持って来たものですが、私自身、携帯電話も充分に使いこなせない状態で、そのうえにアイバッドを持つとは・・・。とにかく子供達がそれぞれ遠地におりますので、これから使いこなせるよう頑張ります。

さて、今日は主人の誕生日です。みんな出かけていますので今日は私一人でお祝いです。静かにお祝いしましょう。

お盆 あれこれ

2011年08月16日 | Weblog
     

 



8月11~15日(晴れ)

11日から遠方に住む子供達が次々と故郷・奈良に帰って来ました。それに伴い再会を待っていてくださっていた地元の友人達も見え、我が家は大忙しの日々が始まっています。

13日には身内の7回忌の音楽法要を行いました。故人が好きだった叙情歌を中心に嘗て、お習いしていたオペラ歌手の先生たちが故人を偲び、美しくも心沁みる歌声と演奏をしてくださり、彼岸と此岸が一つになったような時間をすごす事が出来ました。この日いただいたパワーで、残された者は前を向いて故人と再会する日まで、頑張らねばと心を奮い立たせております。

15日早朝、子供達は100歳で今なお元気に暮らしている広島在住の舅の所へ陣中見舞いに行きました。東京から駆けつけてくれた姪夫妻は猛暑のなか、奈良見物を楽しんでくれています。
「お盆」とは彼岸と此岸が一つになる日であり、また日頃、多忙で疎遠になっている者たちを結びつけてくれる大切な行事だと改めて感じいっています。殺伐とした時代ですから、余計に「絆」の大切さを知ります。

  

近くのスペイン料理店です。9品のひとつです。和を感じました

暁天講座と写真展

2011年08月10日 | Weblog
         
                 薬師寺・玄奘三蔵院
8月10日(晴れ)

薬師寺では毎年8月8~10日までの三日間、朝6時から「暁天講座」が開かれていて、私も一日は参加させていただくのですが、なかなか皆勤とならず、今夏も一日の参加で、今朝行ってきました。
6時の始まりには薬師如来が祀られている金堂のお席は一杯となりました。今朝の法話は山田法胤師で、話は右に左に飛びながらも、国も個人もこの「節目」をどのように乗り切るかで結果が分かれてしまうというテーマで話されました。また「体・からだ」はもともと「から・空」だから、その中に何を詰め込むかが大事な事だとも話され、俗なもの、毒なものを溜め込みすぎていないか、考えさせられました。法話の後、おかゆを振舞われ、そのあと写経をさせていただきました。

そして今、境内の玄奘三蔵院伽藍の回廊で「アフガンからの風」の写真展が開かれているのでみました。
玄奘三蔵もインドへの求経の旅の途中で見たであろうバーミヤン峡谷の古代遺跡群の2つの大仏(東の大38m、西の大仏55m)が2001年、ターリバン政権のもとで破壊されました。
玄奘三蔵は「大唐西域記」に、大仏は美しく装飾され、金色に光り輝き、僧院には千人からの僧がいたと書いていますが、写真展の作者・長岡義明さんが行かれた1977年時は風化で傷ついていたものの姿はとどめ、束の間の平和の訪れで土地の人たちに笑顔があったといい、写真展の作品にも生き生きとした風が感じられました。
それが破壊され、現在は危機世界遺産として復興に動きがあるそうです。

写真展を見ている時、偶然にも作者・長島義明氏が来られ、彼は34年ぶりにアフガニスタンを再訪して8月3日に帰ってきたとかで、最新のアフガニスタン情報をお聞きしながら写真を見せていただきました。

       
写真展の作者・長島氏        バーミヤンの磨崖仏・西の大仏

 
  

写真持参で34年ぶりに訪れた時、写真の子供とは一人しか再会できなかったと長島氏は言います。アフガニスタンに平和がいつ来るのでしょうか。

室生寺へ

2011年08月08日 | Weblog

   

8月8日(快晴)

今日は室生寺で1年に1度の「曝涼・宝物の虫干し」と弥勒堂の弥勒菩薩のお厨子の3面の扉が開かれ(側面の開扉は40年ぶり)堂内で拝観できると聞き、仏像オタクの仲間たちと行って来ました。
平日とあって参拝者は少なく、本坊で曝涼されている宝物の数々を静かに見せていただきました。その宝物の一つに「真言八祖像」の軸がでていますが、その軸の上段に見慣れない書体「飛白体」で梵語と名称が書かれていますが、この「飛白体」の書体は空海が持ち帰った古代中国の書体で、今回の曝涼で出ていた軸は東寺伝来の空海自筆の原本を忠実に写したものといわれています。何とも奇怪な書体ですが、竹を細かく裂き、数条の穂先に仕立て、筆の代わりにして使ったものです。
その書体を現代の書家は(夜、TV番組・空海と至宝の2回目 空海の直筆を徹底分解・がタイミングよく放映)書体の中に文字を越えた空海の心情が見え隠れすると分析されていました。
「文字とはもともと人の心。万物を越えて作り出されたもので、正しく美しいだけでは書にならない、心を込めて書くこと・・空海の言葉  」
空海の書に対する熱き思いの一端を勉強させていただきました。

   
弥勒堂(弥勒菩薩立像・重文・釈迦如坐像・国宝)

 金堂  

   
         
五重塔(平成10年台風で崩壊・その後に再建)

本坊でお抹茶をいただき一服した後、石段を登ると左右に弥勒堂と金堂が、更に石階段を登っていくと奥の院と五重塔が見えてきます。

今回、弥勒堂に上がり、弥勒菩薩立像を厨子の全面の扉から(8~9世紀のカヤの一木で彫られた1m弱の小さな仏様)拝むことが出来ました。正面から見ると童女のようなふくよかなお顔をされていますが、側面からのお顔は凛とした端正な成人の風貌をされていて、びっくりしました。
また金堂で薬師如来・十二神将像・地蔵菩薩、十一面観音立像など沢山の仏様を拝ませていただきました。木立を渡る風が心地よかったです。

鎮魂・・平和を思う

2011年08月06日 | Weblog
    

     家の近くでは夏祭りが開かれ


8月6日(晴れ)
広島に原爆が投下されて66年。今年は地震に伴う福島の原発事故もあって「核」に無関心ではいられません。
夜、TVでNHKスペシャル番組「原爆投下・生かされなかった極秘情報」をみました。軍は早くから、この新しい特殊爆弾が造られ、極秘で出撃訓練がなされているらしいとの極秘情報をつかみながら広島・続いて長崎の原爆投下を食い止める事が出来なかった。そればかりか掴んだ極秘情報の証拠書類を投下後に直ちに隠滅させたいう。
66年を経て公けにされた、この事実をどう受け止めればいいのでしょうか。福島の原発事故後の政府発表や対応をみていると「国の体質」は変わらず、「歴史は繰り返される」と言わざるを得ません。

またアメリカも、この爆弾投下が「戦争終結を早めた」と正等性を主張していますが、裏側では特殊爆弾の投下で都市一つを壊滅的につぶす威力があることを知りながら、この特殊爆弾にかかった膨大な経費と労力、アメリが世界への優位性を誇示するために必要であった言います。(しかも2都市の悲惨な惨状を過小にマスコミに流す)
情報操作を機密にして国民に真意を知らさない、国を動かす政治家の姑息なやり方は今も昔も変わっていないように思います。
被害者の苦しみはどこに訴えればいいのでしょうか。この時期は特に、それぞれ最愛の人の死を身近に感じますね。

   

家のベランダから花火を・・

絵画展へ

2011年08月03日 | Weblog
 息子の小学校時代の図画の先生の作品

          同じく小学校高学年・担任の先生の作品

 8月3日(晴れ)

大阪の市立美術館に行ってきました。
息子が30年ほど前にお習いした小学校の担任の先生と図画の先生が所属されている具象絵画団体の展覧会で、会員は全国に散らばっていて、この展覧会も東京を皮切りに大阪・熊本・広島へと巡回していくそうです。

市立美術館へはよく行きますが、地下の展覧会室に行くのは初めてです。偶然、先生も来ておられ、懐かしい再会をし、いろいろと回顧話をしながら見せていただきました。