エミリーのつれづれ

日々の暮らしぶりを紹介します。

悔過法要

2017年03月30日 | Weblog

3月30日

夕方の7時から始まる薬師寺の修二会・悔過法要「初夜・半夜の行法」に行って来ました。東大寺の修二会と違う点は、練行衆と共に声明を唱和させていただけることです。

大きな鐘の音に合わせて上堂された練行衆たちが、すぐ前の席にお座りになり、法要が始まりました。はじめに手渡されていたお経の本を前に、先導される僧に続いて唱和します。締め切った堂内で、練行衆・参拝者が心を一つにして、薬師如来に懺悔し、家内安全や国の安穏を願いました。

  

行法が終わったのは9時半。お隣に座られたご婦人は一旦、退席したあと、深夜の3時から始まる後夜・宸朝の法要にも参加するとおっしゃっていました。

明日の天気は「良くない」と予報がでていますが、見上げた夜空にはいくつか星が瞬いています。明日は結願法要が夜にあり、関東から友人たち5名が来られます。どうか、雨にならずに無事に結願法要が終わることを願います。早く来い来い、春よ来い!の心境です。


薬師寺の花会式

2017年03月27日 | Weblog

3月27日

 

  

 薬師寺の花会式が25日から始まりました。東大寺の修二会は十一面観音への悔過法要。薬師寺は薬師如来への悔過法要です。この法要は1107年から始まったと聞いています。金堂内には桃、桜、梅、牡丹など10種類の造花で飾られ、練行衆の声明が響き、荘厳な雰囲気です。

日中、日没の行法が終わったあと、金堂前の特別舞台では大蔵流の狂言と観世流の能が奉納され、大勢の参拝者たちと古典芸能を見せていただき、写経道場では薬師寺の執事長・参拝者と共に般若心経を唱和したのち、法話を聴かせていただきました。

 

   

                 


文化的な!一日

2017年03月26日 | Weblog

3月26日

  

奈良国立博物館庭園 向こうに茶室「八窓庵」が見えます

   

     奈良国立博物館の敷地内にある 「仏教美術研究センター」

昨年の今頃は枝垂れ桜が満開でしたが、今年は蕾固しです。奈良で一番先に開花するいう氷室神社も同じです。午後から氷雨、さむ~い”

 

奈良国立博物館のボランティア学習の一環として仏教美術研究センターの見学をしました。奈良公園に来られた方は、この和風な建物に関心を持たれ、印象に残っているかもしれません。

明治28年開設の奈良国立博物館は西洋風を意識して建てられましたが、あまりにも奈良の風景に溶け込まないとの反省意見が出て、奈良の古社寺建造物調査、保存に従事した「関野貞氏」が設計し、明治35年奈良物産陳列所として、近代和風建築の建物が完成しました。

設計にあたり、法隆寺・平等院、新薬師寺らの伝統的要素を取り入れ、昭和58年に重要文化財に指定されました。 現在、週に二日、仏教関係の書籍閲覧で解放され、私も数回、建物内部に入ったことがあります。

 開演前のミニコンサート

午後から奈良文化会館で第40回奈良フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会がありました。前半に、懇意にしているピアニスト 「松下寛子さん」のチャイコフスキーピアノ協奏曲第1番は楽団とのコラボ演奏で、拍手が鳴り止まない程の素晴らしい出来栄えでした。ブラボー、ブラボー。

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前に一歩!

2017年03月24日 | Weblog

3月23日

街にでると着飾った親子や若者の姿を見る時期になりました。卒業式なんですね。遠い昔になってしまった我が子らの晴れがましい卒業式の姿とダブってみえます。

     

今日は通っているシニア大学の修了式がありました。4年制で、あと2年ありますが、今期で休学する人もあり、ひとまず、この一年、健康に留意しながら通えた事、よき師に会えたこと、よき仲間と語り合えた事に感謝しての会です。

会を盛り上げるゲストに落語家の桂出丸さん(桂ざこば師匠の弟子)が出演。さすが噺家さん。笑って、笑っての時間を楽しみました。春休みのあとは新学期です。若者のように希望や夢はずむ一歩とは程遠いスタートでしょうが、新しい始まりに期待しています。

会が終わって、次の会へ。別のシニア大学のOB会で、3年前に出会った仲間たちです。多くが、ここで学んだことをシニアらしい関わりの中で社会貢献に頑張っています。会えば、毎日会っていたような愉快な気分になれる仲間たちです。2つの会に出席し、もうチョコット背筋を伸ばして頑張ろうと思った一日でした。


神奈川から東京へ

2017年03月22日 | Weblog

 3月19-21日

孫のヴァイオリンの発表会があり、関東の息子家族の家へ。3連休中とあって、京都駅コンコースは人・人・人。東に向かう新幹線の楽しみは車窓からの富士山ですが、曇天で全く見られず残念。

       

(息子の趣味の熱帯魚の水槽の一つ。すべての魚の名前と愛称を孫は覚えていて、教えてくれますが、カタカナに弱い私はお手上げ。)

19日の夜は近くの温泉で汗を流し、マッサージも。嫁の母も岡山から駆けつけ、息子家族の温かいもてなしに感激。20日、1か月ぶりの孫の演奏ですが、更に音が安定していました。

  

21日、中国(天津・上海)駐在時の友人達。20年の友情が続き、私が東京に出た時は時間を作って集まってくださる大切な友達で、赤坂の皇居を前にしたホテルで昼のランチを。前夜はご主人たちを交えての交換会もあり、短期の滞在ですが、充実した時間を持ちました。

 

 

 


奈良平群の山城(やまじろ)を歩く

2017年03月15日 | Weblog

3月14日

史跡探訪クラブの下見で奈良(平群)と大阪(八尾)の県境にある生駒山地の南端部にある高安山(487m)の[幻の山城]といわれる高安城から信貴山城へと歩き、朝護孫子寺までの約10Kmの道を歩きました。

   

  高安城跡近くにある大阪管区気象台の気象測レーダーと石窟(倉庫に使用か)

日本書紀、続日本書紀の記述によると、「白村江の戦い」で唐・新羅の連合軍に敗れた倭国(飛鳥京)は唐・新羅からの進行に備えて、665年から2年余の間に西日本各地に6か所の山城を築いたとあります。唯一、この高安城の所在がつかめなかったそうですが、近年、調査研究が進み、城の礎石・倉庫跡が見つかり(昭和53年)、現在、説明看板や草刈り整備が行われています。今日は地元のボランティアガイドさんの的確な案内があり、山中で迷子にならずに済みました。

     

そこから信貴山(433m)をめざして歩き、山頂へ。今日は雨こそ降らずの天候でしたが、高安山、信貴山からの眺望は望めず残念。山中に分け入り、1557年、織田信長に背き、50日の籠城の後、自害した松永久秀の居城跡と屋敷跡を探訪。

  

「信貴山縁起」に登場する命蓮上人の墓 と終点の 朝護孫子寺

今日の下見は地元ボランティアのお世話がなければ迷子間違いなしの行程でしたが、私自身、足手まといにならずに歩き、無事に終点の朝護孫子寺に着き、ここからバスで起点の王寺駅に戻って解散。 今日も充実の一日となりました。

                              

 

 

 

                    


修二会へ

2017年03月07日 | Weblog

 

3月6日

体操仲間の皆さんを奈良国立博物館の「お水取り展」に案内した後、東大寺の2月堂に向かいました。あいにくの曇天日和であったため、参拝者は少なめで、御堂正面の西局に席を取ることができ、7時の鐘の合図で、練行衆上堂の為の御たいまつは舞台から見せていただくことに。

 

いつもの舞台下から見上げる御たいまつと違い、同じ目線の先の舞台で、御たいまつが通り過ぎていくのは、また違った迫力がありました。10本の松明がおわり、11人の練行衆が揃っての「初夜」の悔過作法がはじまりました。戸帳で区切られた先の様子は影と音の世界で、心を無に、静かに目を閉じて、はるか千年も前から続く「不退行」の一コマに参加させていただきました。


孫の音楽コンクール

2017年03月04日 | Weblog

3月4日

  

会場は音楽文化ホール「ベルフォーレ津山」  遠くに津山城が見えます。

今年も岡山県津山市で開催された「第4回津山音楽コンクール」に孫の桜が出場するので、昨日から出かけました。昨日もレッスンを受け、今日も出場前に小レッスンとリハーサルをこなしてから、いざ本番へ。

 

出場する前に、今回は仕事で来れなかったパパに孫はこんなメールを打ちました。

  

「さいこうの、おとでひけるのを心にえがいて、いいおとでひけるの、天の神様に祈っています。」の、通りとても澄んだ音を響かせて落ち着いて弾きました。結果を待たずに帰路に着いた私は夜8時前、バスの中で、孫の嬉しい声を聞きました。

音楽祭はピアノ、声楽、弦楽器、管楽器、アンサンブルとあって、孫は弦楽器部門で3位となり、大きなトロフィーと賞状を受け取ったとのことです。この成果は親子2人三脚で毎日毎日、練習に励んだご褒美だと思います。孫にバンザイ。嫁にバンザイです。

 

 


早や3月。修二会が始まりました。

2017年03月01日 | Weblog

3月1日

東大寺2月堂の修二会は2月20日からの試別火、総別火を終え、今日から本行が始まります。12時に2月堂の食堂(じきどう)に行きました。練行衆達は正午の鐘を合図に食堂に入られ、1日1回の食事が始まります。食堂内の様子はわかりませんが、食堂作法が行われ、1時間ほど経ち、練行衆が外に出てこられました。

  

           今夜、使われる松明が登り廊に準備されています。

      

練行衆たちのお汁が運ばれ、1時間後に修了。食事を終えた練行衆たちは向かいの閼伽井堂の屋根に向かって「生飯会。さばえ/紙に包んだ飯を鳥たちに投げる」の後、参籠宿所へ

 

食事の後、お風呂に入られ、身を清められた後、しばしの休息を取られ、これから長い6時の行法に入られます(日中・日没・初夜・半夜・後夜・宸朝)。ご本尊の十一面観音に私たちに代わって懺悔し罪の許しと共に神仏の加護があらんことを心身で祈られます。一日の行法が終わるのは日にちが代わる深夜です。

7時からの松明は見ずに(友人夫妻に招かれての夕食会)雨が降り始めた東大寺を後にしました。