エミリーのつれづれ

日々の暮らしぶりを紹介します。

里山の日毎みち

2013年09月29日 | Weblog
     

                      窓の外は里山風景が広がっています
9月29日(秋晴れ)
早朝、矢田寺近くに山荘を持つ友から「里山は秋満載!」という電話で起こさ、
早々に支度して車を走らせました。途中の稲田はいつしか稲穂が黄金色になっています。
山荘の庭の栗の外皮の緑や茶色の棘のなかに立派な実をつけています。
柿の木も熟した実は鳥が食べたのか半身をかじられ垂れています。
柿や栗を収穫したあと、まったりとお茶をしました。
 彼女は毎朝、犬の散歩で小川の周辺を歩きます。暑い夏が終わったとは言え、
季節が動いたようには見えないけれど、毎日、毎朝、歩いていると足元の草が、雲が
顔をなぜる風が変わり、木々の葉は色つき葉を落し、毎日、毎日、表情を変え、まさに
「日毎みち」の感ありと言います。

午後から「ザルツブルガー・ゾリステンとの饗宴」という音楽会に行きました。
勝手に自称3男坊と言い、懇意にしている彼の奥様のピアニストがザルツブルガー・
ゾリステンの4人のメンバーと競演するのです。聞くところによると、
メンバーとは前日に音合わせをしただけ、その上、彼女自身が体調を崩し、
入院寸前の状態での公演ということでした。
でも、それを感じさせない熱演で、満員の聴衆を魅了させました。拍手・拍手。
    
                             演奏を終えて満面の笑みで

厄除け祈願

2013年09月28日 | Weblog
     
            日本最古の厄除け霊場 松尾寺
9月28日(晴れ)
朝、ボランティアに出かける途中、大きな荷物を持つ親たちが学校に
向かっているのを見かけました。
秋晴れの下、今日は幼稚園や小学校の運動会が行われるようで、
その様子を見ながら、子供たちや孫たちの運動会を懐かしく思い出しました。

午後から家から車で20分ほどの松尾寺へ行きました。急な坂道をあがり、
最期に急な階段を登ると、日本最古の厄除け観音霊場 松尾寺・松尾神社があります。
我が家では正月の最初の行事が「松尾寺の初詣」の時期もありましたが、
いつしか、子供たちが独立して家を離れると、行く機会も減り、
ここ数年は秋の観月会に出かけるだけになっておりました。
       
            ここから大和平野が一望できます。
今年は外国住まいの次男が42歳の厄年。今日は代役で厄除け祈願に行って来ました。
本堂に上がらせていただき、丁寧な祈祷を受けた後、三重塔より更に
上の石段を登って松尾神社、阿弥陀堂、行者堂、七福神堂を回り、
境内の鐘楼の鐘を心を込めてつきました。重厚な音色は澄み切った青空に響き渡たり、
音色が消えるまで、息子はじめ家族の安寧を祈りました。


誕生日♪

2013年09月26日 | Weblog
        
             生花のデコレーションケーキで乾杯!
9月26日(秋晴れ)
朝、新聞を取りに庭に出たら、通勤途中に立ち寄ってくださった知人からの
プレゼントが門扉にひっかけられていました。
そう、今日は私の誕生日。
薄情な私はしばしば子供達や孫達の誕生日を忘れて顰蹙を買っているのに、
他人様まで私の誕生日を覚えていてくれたと感激。
続いて、通学前の孫からメールのお祝いが。
そして海外駐在時の友人から写真のデコレーションケーキが。
昼は仲良し友達と誕生日のランチをし、嬉しいプレゼントを。
昨夜はシルバー大学の仲間たちとの懇親会で、お祝いコールをしていただき
おいしいお酒を飲みました。

両親が70歳を待たずに亡くなったので、親の年齢を超える事を目標に
頑張ってきましたが、どうにか親を超える事が出来ました。
これも、みんなに支えられ、助けられてきたお蔭と感謝あるのみです。
2020年のオリンピックに自力で東京まで観戦に行けるよう、頑張ります。
家族のみんな、友人のみんな、本当にありがとう。
     
  桜ちゃんのママ(長男の嫁)と私はお誕生日が同じ(ipadから) 

「和顔施」

2013年09月25日 | Weblog
       
  納経帳の重ね印(42度の礼拝の証)恐れ入りました!と納経帳に最敬礼 

9月25日(晴れ)

子供の頃、膝小僧の擦り傷を押さえながら泣きべそをかいていると
祖母が「南無大師遍照金剛」と唱えながら、唾で傷口を清めてくれました。
今では不潔な行為でしょうが、不思議と痛みが消えた事を懐かしく思い出します。

真言宗の開祖、空海は弘法大師として、心のよりどころとなって深く浸透している
のを日々感じながら暮らしてきましたが、日々の雑用に追われ、四国88か所の
遍路参りも一部のおまいりで中断している状態です。

今日は「お遍路の社会学ー自分を見つめ直す旅のすすめ」と題した講義がありました。
講師は広告代理店・電通を早期退職し、高野山大学大学院で学ばれたあと、4度のカ行
を満願され、現在は「権少僧正」として活躍されている在家出身のご住職ですが、
弘法大師の語り部として、お遍路参りの案内もされています。
四国88か所を満願することは人生で何度?一度も満願できないかもしれません。
ご住職はそれを納経帳が赤く染まるほどに礼拝されています。

まずはお遍路さんの巡拝姿を紹介され、その姿こそが「遍路の心構え」と説かれました。
輪袈裟、白装束の礼拝者を寺で見かけますが、持ち物や装束に、
これほどの深い意味があることを知りませんでした。
元電通マンらしい、軽快な話しぶりの後、「和顔施」という言葉をいただきました。
「心からの笑顔で人々と接する」こと、仏に通じる道と伺いました。


唐招提寺の観月会

2013年09月19日 | Weblog
          
長屋王が中国の僧へ贈った袈裟に刺繍された漢詩。
これを読んで鑑真和上は日本への授戒の旅を決意される。(山河は地域によって
違っても、風や月は同じ天にある。多くの仏の子が集まって、共に将来のご縁を
結ぼう・・・・友人が揮毫)
9月19日(十五夜)
鑑真和上が開祖の唐招提寺(世界遺産)、ここへは家から歩いても20分はかからない、
ご近所さんの古刹です。今夜は中秋の名月とあって、寺では観月会が催され、
夕方6時以降は無料拝観となります。

6時過ぎに寺に到着。もう駐車場は満車状態です。
茜色に染まっていた夕日が落ち始めた頃、一点の雲もない東の空に
満月が上がっていきます。
南大門をくぐると、参道左右に行燈が並べられ、中央の金堂に祀られている三尊が
明かりの中に静かに私たちを見ておられます。
   


      
千手観音立像            廬舎那仏坐像          薬師如来立像

鑑真和上のお厨子を納めた御影堂に行きました。お厨子は閉められていますが、
東山魁夷画伯の障壁画が月明かりに見えます。鑑真和上の渡海を5度も阻んだ「濤声」
の日本海ではなく、静かな波音が聞こえきそうな海が広がっていました。
目を反転させると木立の上に大きな月です。
しばらく月を瞑目し、家に戻ってきました。家の前にも大きな月が上がっていました。

敬老の日

2013年09月16日 | Weblog
     
   桜ちゃんから「おめでとう」のかわいいメッセージが届きました。

9月16日(台風一過)
昨夜来から激しい雨と風が吹き、どうなるかと心配しましたが、
朝には雨が上がり、被害は落ち葉と植木鉢の転倒ぐらいで済みました。
大きな被害を遭われた方々を思うと、ありがたいことです。

今日は敬老の日。「4人に一人が65歳以上の高齢者」との新聞記事を
読みながらも、自分自身がまだ他人事ぐらいの認識しかないここと、
15日が「敬老の日」とインプットされている昔人間からすると、
16日が祝日とはピンときません。
夜、息子家族から「おめでとう」と言われ、
「私の誕生日はもう少し先よ」と答え「敬老のおめでとうだよ」と念を押され、
思わず苦笑いをしてしまいました。
       やっぱり、私も老人です、ハイ!。





奈良公園の魅力

2013年09月14日 | Weblog
  
 西大門跡の傍 みとりゐ池               この道を西に行くと朱雀門
9月14日(晴れ)
近鉄奈良駅の行基像前に集合して、「あまり知られていない奈良公園の魅力を知ろう」の
集まりで、4㌔ほど歩く予定です。

まずは県庁前の登大路と直交する南北の国道369号(京街道)を少し北に行くと
「みとりゐ池」の碑があります。京都からここまで来ると春日神社の鳥居が見えた
ところから「見鳥居池」と呼ばれたそうです。
その傍に、かつては「金光明四天王護国之寺」という正式寺号を刻字した勅額が
架けられた東大寺・西大門がありました。そして、京街道を渡った西に向かう
道路は今は細道ですが、36m幅の道路が平城京の朱雀門まで続いていました。

   
大仏殿の裏 ぎんなんの雌雄の木      おいしそうな エビフライ!実は・・
  
            2月堂の周りに見かける「多良葉」ハガキの木です
観光客もここまでは来ない大仏殿の裏です。南京ハゼや犬蕨(ともに鹿は食べない)が茂る緑の空地ですが、奈良時代の古地図には講堂があり、それを囲むように224m×128mの三面僧坊があり、1000人の僧が住まっていたと記録されています。
が、度重なる焼失で、再建されぬまま今日に至り、今年から調査に入りました。

  
 観音堂                 遠敷社(おにゅうしゃ)
ともに2月堂の「修二会」関連の建物です。白洲正子さんは、この堂を2月堂の前身で、
ここに実忠和尚は小観音を安置していたのではと書いています。その脇に東大寺の前身
金鐘寺があります。見過ごしそうな小さな堂です。

何回も来ている奈良公園ですが、知らないことが一杯ありました。今日も暑い一日で
したが、よく歩きました。
                   (エビフライ・・実は松ぼっくりの実)


京都、神護寺へ

2013年09月12日 | Weblog
      

9月12日(晴れ)
「飛鳥遺跡めぐり」の足の疲れも取れぬまま、今日は所属する勉強会の準備係りで、
10月に行く神護寺と清凉寺の下見に行ってきました。
神護寺は紅葉で有名な京都の西北「高雄山」地区にある山岳寺院です。

弘法大師空海が唐より帰朝して、この山に入山し、以来、真言宗の基礎を築かれた
場所です。長い年月に何度か焼失し、一民間人の尽力で金堂や多宝塔などが
昭和に再建されたと書かれていますが、青々とした山々を背景に、広い境内のなか、
その建物群はどっしりと構え、一個人の信仰心と財力におどろかされました。
ここへは京都駅からJRバスで周山行きに乗り、北山杉の美林がある周山街道をくねくねと
細い山道を行き、バスを降りてからも息が切れるほどに登ったところにあります。

この寺の金堂に国宝の薬師如来立像が祀られています。
奈良の薬師寺、元興寺の薬師如来と比べると、威嚇するような表情が
特徴の仏様ですが、今日はなぜか、にこやかな表情をされているように思えました。
多宝塔には五大虚空蔵菩薩像が祀られていますが、この像は10月12~14日
にしか拝観することはできません。
    
多宝塔には五大虚空蔵菩薩像が       恐ろしいほど深い谷が、

ここからバスと京福電車を乗り継ぎ、嵯峨釈迦堂・清凉寺へ。
この寺も度重なる焼失をしていますが、徳川時代、5代将軍の生母・桂昌院の寄進により
建てられた堂々たる金堂があります。
この金堂に国宝・釈迦如来立像が祀られています。今回は神護寺の薬師如来と虚空蔵菩薩、
そして清凉寺の釈迦如来立像が10月に特別拝観となるのです。
10月の再来を仏様に約束して帰ってきました。今日も暑い1日でした。

孫の誕生日

2013年09月11日 | Weblog
     

9月11日(晴れ)
我が家の一番小さな孫、桜ちゃんのお誕生日は7月ですが、パパの海外出張が頻繁で、
なかなか家族が揃いません。
お誕生日のプレゼントの勉強机が届いたところで「3人揃っての誕生日会です」と
連絡を受け、ipad参加で、私も仲間入りです。

関東に住んでいるので、年に数回しか顔を見ることができませんが、
いつも嫁が孫が傍にいるかのように詳しい内容の手紙をくれるので、成長ぶりは
手に取るようにわかります。またテレビ電話のようなipadで、かわいいしぐさや声も
確認できます。遠方のババにとっては本当に嬉しい時代です。
          桜ちゃん、2歳のお誕生日、おめでとう!

小さい秋み~つけた。

2013年09月10日 | Weblog
     
9月10日(晴れ)
遺跡を歩く会のメンバーと奈良の南部「明日香村」を歩いてきました。

橿原神宮駅で吉野線に乗り換え「飛鳥駅」が出発点です。
ここから明日香村のボランティアガイドさんの案内で9キロほど歩きます。
稲穂はまだ青く、畔に咲く彼岸花もまばらですが、小さな秋をあちこちで見かけました。
                
                           ガイドさんの丁寧な説明を聞く
今更、説明するまでもなく「明日香」は古墳時代に続く6~7世紀の
飛鳥時代に都があった場所です。この時代は仏教、朝鮮経略、皇位継承と
山積みの問題を抱えた朝廷で、女帝・推古天皇(以後、この地で5人の女帝が立つ)が
即位し、摂政となった聖徳太子によって中央集権の国家へと進みだした頃でもあります。

まずは文武天皇陵を拝し、高松塚古墳、つづいて、この塚の発掘により偶然に見つかった
中尾山古墳を見学しました。
  
     高松塚古墳                         中尾山古墳

次に、この古墳の北にある天武・持統天皇陵に行きました。この古墳には(5段の8角古墳)大理石の石棺があり、朱を塗った乾漆造りという豪華さとの説明をうけました。
続いて亀石を見て、聖徳太子誕生の寺・橘寺へ行きました。本堂で聖徳太子立像を
観音堂で如意輪観音坐像を、往生院で260枚の天井絵を見ました。
観光客もいず、時間が止まったような静かな雰囲気の寺に心が落ち着き、
疲れも癒されました。
        
   橘寺                    2面石 さてどちらが善人、悪人?
橘寺のあとは石舞台です。1辺50mの方墳です。周囲の盛り土が流れ、石室が露出した為、また夜な夜な狐が石室の上で踊っていたので、この名が付いたとも言われています。
蘇我馬子の墓の可能性もあるとか。
           
 石舞台                      川原寺跡                鬼の雪隠

続いて伝板葺の宮跡、川原寺跡、鬼のまな板雪隠、猿石を見学し、スタート地点に
戻ってきました。歩いた歩数は23500歩でした。天気が良すぎて、
汗をいっぱいかきましたが、充実した企画で大満足の一日でした。