エミリーのつれづれ

日々の暮らしぶりを紹介します。

婆バカ!

2011年07月25日 | Weblog
7月25日(晴れ)

午後から体操教室に行き、その足でスポーツジムへ行って汗を流し、外へ出たら夕立です。雨宿りにまたスポーツジムに戻りサウナに入って時間つぶしをして、外へ出たら涼風が吹き、青田はすずやかです。

20日に出産した嫁が退院しました。そして写真を送ってきてくれました。3連発の可愛いスナップです。
遠くてすぐには会えませんが、文明の利器で、瞬時に孫のところへワープした気分です。



        スヤスヤおねむ

             
                    大あくび
             
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夏本番

2011年07月24日 | Weblog
           
7月24日(晴れ)

朝から蝉がうるさく鳴いています。庭に朝顔の苗を植えたのですが、蔓はどんどん延び葉も大きく涼やかに広げているのに、この小さな花が2輪目です。名は「崑崙朝顔」と聞きましたが、楚楚というよりちょっと寂しそうです。

午後から親しくさせていただいている夫妻のジョイント・リサイタルがあり、行ってきました。ご主人さまはオーボエの奏者、奥様はソプラノ歌手。85年にお二人の尽力で奈良フィルハーモニー管弦楽団が結成され、音楽一筋で頑張っている夫妻です。
今年、ご主人様が60才の還暦を迎えられ、今日はそのお祝いのジョイント・リサイタルです。
「人生の良きパートナー、音楽の良き理解者」と、互いに口を揃えて合唱されるだけに、息のぴったりあった名の通り「ジョイント・リサイタルでした。
写真はリサイタルが終わって、ほっとされてポーズをとられたところです。素敵な夫妻です。

                  
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ロシアオペラ「オネーギン」

2011年07月22日 | Weblog
         

 妹・オルガと姉・タチヤーナ      オルガの許婚・レンスキーとオネーギン

7月22日(晴れ)

月一度のオペラ・サロンの会がありました。演目の解説を聞いた後に大スクリーンでオペラのDVDを観賞するのです。
本物の舞台を見たくてもお金も時間もありませんし、さりとて我が家のTVの小さな画面で見ていたら睡魔に誘われ夢の中になりかねませんので、大音響、大スクリーンで見るサロンの会は楽しみの一つです。
今日の演目はロシアの文豪プーシキンの原作「オネーギン」をチャイコフスキーが「音楽による挿絵を付けるような気持ちで作曲した」と語っているオペラです。

内容は18世紀・ロシアの田舎貴族の女主人には2人の娘がいます。性格はま反対で、姉・タチヤーナは聡明で控え目だけど内向的、妹・オルガは明るく社交的です。
ある秋の夕暮れ、妹の許婚・レンスキーが親友で貴族のオネーギンを姉妹に紹介します。姉のタチヤーナはオネーギンを見て一目ぼれをし、長い恋文を書いて愛を告白します。
しかし世間を少し斜めに見て鋭く批判する力は持っているが無気力な青年のオネーギンは「自分は結婚生活には向かない男」と、彼女の告白を退けてしまいます。
そして、ある舞踏会に席で、オネーギンは妹のオルガとばかり踊るので、彼女の許婚・レンスキーは嫉妬に狂い、決闘となり、レンスキーは死んでしまいます。

事件後、目的もないままに遍歴、放浪の旅をして3年を過ごしたオネーギンは都会の社交場で、偶然に、威風堂々と社交界の華の存在になっているタチヤーナを見かけ動揺してしまいますが、彼女は立派な将軍の妻となり、将軍に愛されています。
ここで若気の至りを恥じたオネーギンは、タチヤーナに恋心を伝えます。嘗ての初恋の相手からの告白にタチヤーナは心を動かされますが、毅然と退け、オペラは終わります。
という内容で、オネーギンは原作者プーシキンの「青春から成熟に向かう波乱に富んだ彼自身を投影したものではないか」とも言われています。筋書きは単純でしたが、ロシアの生活や当時の人たちの価値観、出演者の声の魅力もあり、吸い込まれるように3時間、見てしまいました。

  
          3年ぶりに再会したオネーギンとタチヤーナ
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4人目の孫誕生

2011年07月21日 | Weblog
        

7月20-21日

長男に第一子が誕生しました。
嫁は高齢出産のため慎重に10ヶ月を過ごし、予定日より3日早い19日の朝から兆候があり、実家に近い病院に入院しましたが、微弱陣痛などで本格的に陣痛が始まったのは夜の9時過ぎで、息子は会社の配慮で早退させていただき、新幹線に飛び乗って、病院に到着した時間がまさにその時刻であったとか。それから翌朝(20日)7時前の産声を聞くまでの彼の活躍は大変なものがあったようで「これで父親として認識してもらえそう」と鼻高々に報告の電話をもらいました。

その電話を聞いて私も嫁へのねぎらいと孫の顔が見たくなり、新幹線に飛び乗りました。列車の中で、出産を終えた嫁からのメールが届きました。
そのメールによると
想像を絶する痛みに、習っていた呼吸法も忘れ、ベッドから転げ落ちんばかりの苦しみの末に、ようやく3345gのジャンボーな女の赤ちゃんが出てきたそうです。
部屋の外で待っていた息子と彼女のお母さんは赤ちゃんの産声を聞いた後、産声を消すかのような嫁の大きな泣き声を聞きびっくりしたそうです。その理由は
「いきむのが足りずに苦しい思いを赤ちゃんにさせたかと思うと、ごめんなさいという気持ちと良くぞ生まれてきてくれて有難うの気持ちが溢れて大泣きしてしまったとメールに書かれていました。心優しい嫁らしいエピソードです。どうか、赤ちゃんと初対面した時の、この感動を子育てのベースにして欲しいと思います。

私が病院に到着したのは夜の7時でした。丁度授乳時間で、消毒服に身を包んだ新米パパとママは授乳室に入り、私たちベテラン育児ババたちは,ガラス越しにその様子を見せて貰いました。
赤ちゃんは新米のママの固い動作に顔をしかめて、哺乳瓶のミルクをあまり飲みません。その仕草がまた可愛いと、何を見ても笑顔で、「わが娘が一番」「わが孫が一番」と、他の赤ちゃんと比べてのパパ・ババ馬鹿ぶりを発揮してしまいました

その夜は嫁の実家に泊めていただき、今日も朝から病院に行き、新生児室で対面。心を残しながら関東へ帰っていく息子と大阪で別れ、奈良へと帰ってきました。
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「元気と感動」をありがとう

2011年07月18日 | Weblog
  

7月18日(小雨)

自称4男坊が、16日、先月に引き続いて広島からやってきました。彼は政治家志望で、大学を卒業後は世界のあちらこちらを一人旅し、また3年近くをアメリカの大学で勉強し、再びアメリカの大学院進学に必要な受験資格のスコアーを得るための「「GRE」試験を受けるために上京してきたのです。
今回のテストは17日の午後から4時間あり、夕方に駅まで迎えにいくと、駅の階段から上機嫌で下りて来ました。「良い手応えがあった」と。
金なし、地盤なし、親の七光りなしの彼が政治家になるためには「勉強しかない」と頑張っているのです。親戚でもなく、ちょっとしたご縁から彼の家族と交際がはじまり、もう15年以上の月日が流れました。私は若者の頑張る姿が好きで、応援エールを送っています。



さて、その若者が滞在しているお陰で、今朝は3時半に起こされ「女子ワールドカップ」のサッカー決勝戦をTVで観戦することになりました。でもアメリカが1点先取した時は睡魔に襲われていて夢の中。そして日本が同点に持ち込んだところで起こされて、一緒に歓喜の声をあげ、PKまで縺れ込んだ時は目はパッチリと開いておりました。
その後の興奮は言うまでもありません。歴史的な勝利の瞬間「勝負は最後までわからない、諦めない」が大切な事を、しっかりと教えられました。
彼は何度もTVチャンネルをかえて、感動を味わい、朝食後は「寝てきます!」と寝室へ。私はスポーツジム以外に行っている体操教室へ。眠気覚ましにコーヒを2杯も飲んだので、目はパッチリ開いていますが、胃の方は・・・・・。
でも、素晴らしい快挙に(TV観戦ではありますが)立ち会え、勇気と元気をもらえて最高に気分が好い朝となりました。

                     
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暑い!

2011年07月16日 | Weblog
    

7月16日(快晴)

人によっては今日から3連休です。「毎日が日曜日」のわたしにとっては胸躍る連休ではありませんが、早朝に通ったJR奈良駅や奈良公園界隈は結構、大きなカバンを引きずりながら歩いている人も多く、「この3連休を活用しているだなあ」と、ちょっと羨ましく思いました。

暑いのは人間様だけではないらしく、奈良公園の鹿たちも暑さをさけ、木陰に隠れていたり、池に飛び込んでいたり、「涼」の取り方もいろいろです。


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福井・越前陶芸村へ

2011年07月10日 | Weblog
    

  松平福井藩主の御座所から見た庭園    岩木観音(線刻の磨崖仏)

7月9-10日(快晴)

作陶している友人夫妻に誘われ、福井県・越前村に行ってきました。嘗ての彼らの師匠は越前・宮崎村で工房を開いておられ、昨日から師匠と弟子の第42回・作品展が陶芸村の文化交流館で開催されています。

会場に行く前に「武生」で高速を降り「城福寺」に立ち寄りました。ここは鎌倉時代、平清盛の弟・頼盛の子供、保盛が開いた寺院で、江戸時代には越前松平福井藩主が度々訪問され、観桜されたという枯山水の庭園があり、国の名勝に指定されています。
嘗ては6千坪の広大な敷地をもっていたようですが、現在はひっそりとした構えで、老僧夫妻二人が守っているとかで、訪ねた時、外出から戻られたばかりで汗を拭きながらの説明を受けましたが、同じ説明を何度も繰り返されるので、早々に失礼しました。そのあと、作品展の会場を訪れ、旧交を温め、皆さんの力作を見せていただきました。

近くの磨崖仏を見てから今夜のお宿となる師匠の工房で荷を下ろし、近くのハナミズキ温泉で汗を流した後、工房に戻ってきました。
一宿のお礼として夕食準備をし、展示会場から戻ってこられた師匠や弟子達を加え16名ほどで広い作陶工房で大宴会をしました。宴会が終わってから就寝前に「蛍狩り」に行ったようですが、私はスヤスヤお休みタイムとしました。

今朝は早く起き、2kgの粘土を買い、私は大皿と植木鉢を創りました。作品はこちらで焼いてもらい、その後に送ってくださるそうです。どんな作品が出来上がるか楽しみです。
帰途は海水浴客で賑わう「しおかぜライン」の海岸線を入り敦賀から奈良の方へ戻ってきました。楽しい小旅行でした。

  



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與喜神社へ

2011年07月08日 | Weblog
   與喜神社本殿

7月8日(快晴)

7月16日から奈良国立博物館で特別展「天竺へ」と「初瀬にますは與喜の神垣」が開催されます。そこでボランティア仲間と與喜神社と長谷寺に行って来ました。
與喜神社は近鉄長谷寺駅から北東へ1キロほど歩いた所にあります。長谷寺の門前町・初瀬集落の奥まった所に鳥居が立ち、長い石段の参道を登っていきます。急な坂なので、数ヶ所の地点に「ここで祀りしていただいても結構です」の札がでていますが、木立の陰と時々吹く涼風に助けられて本殿前の広場に出ました。ここから20段ほどの急な石段をのぼると天満神社の社殿(主祭神は菅原道真)です。

この辺り(與喜山)は古代から天照大神が天上から降臨された聖なる山とされ、この地に住む修験者が夢でみた翁を家の前で見かけ、長谷寺に詣でた所、黒雲が翁を覆い、見る間に束帯姿になって「我は菅原道真」と名乗り、雷神となってこの山に鎮座されたとか。社殿の後ろは天然記念物の暖帯林が茂り、そのうえには夏の雲が青空に湧き上がり、蝉の声も聞こえ、その心地よい空間に身を置いていると汗が一気に引いていきます。(社宝は博物館で展示されます)

 恐い顔の天神坐像

この神社の裏道を歩いて初瀬川を渡ると、長谷寺の仁王門に出ます。仁王門から長い登廊(両側には3000本の牡丹の木。今は紫陽花が咲いています)をのぼって行くと懸造り舞台が見え、国宝本殿にたどり着きます。舞台正面から右に五重塔が木立の間から見えます。
ご本尊は十一面観音菩薩です。「3丈3尺」といわれる10m余の巨大な立像で、右手に錫杖を持つ独特のお姿をされています。全身を拝みたいところですが11月まで待たねばなりません。

  

長谷寺から談山神社の近くにある「聖林寺」にいきました。中腹に立つこの寺の山門からは大和盆地が一望できます。また遠望の三輪山麓は古代・大和王権の中枢部にあたり、この地からでも邪馬台国の卑弥呼の前方後円墳を見ることが出来ます。
この寺のご本尊は地蔵菩薩ですが、ここに天平様式の美しい十一面観音菩薩(国宝)がいらっしゃいます。光背はなく(国立博物館に寄託)すくっと優雅なお姿で立っておられます。

   


     聖林寺と安産子授け地蔵様(石像)

遅い昼食を三輪そうめんの本店で頂きました。
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雨にも負けず・・

2011年07月07日 | Weblog

  
             蓮池の蓮が咲き始めました

7月7日(雨)
昨夜来からの雨は止むことなく、今日も降り続いています。幼稚園帰りの親子連れが七夕の笹をぬらさないように大事に抱えて歩いています。残念ながら雨は上がりそうにありません。

そういえば最近、幼稚園の送迎バスを見かけたことがありません。子供の数が減ったから?。それに比べ、介護ディーサービスの送迎のワゴン車が住宅地にも入ってきていて、一日に何度も見かけます。住宅地の人口分布が大きく変わってきたからでしょうか。いずれはお世話になるかも知れない介護ディーサービスですが、ビジネスとして充分に成り立つほど利用者が増えてきているのでしょうね。

私はそんなサービスを受ける時期を出来るだけ先送りにしたくて、せっせとスポーツジムや体操教室に通っています。昼のスポーツジムは健康志向が強い初老年代が大半です。私もそのなかの一人として、週4回は通っています。勿論、今日のような雨降りにも負けずに・・・。
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東大寺へ

2011年07月05日 | Weblog
  
7月5日(晴れ)
奈良の観光ボランティアが主催した「ガイドと国宝・重文の仏像拝観」に参加しました。今日は平家焼け討ちで多くの伽藍が消失した東大寺を再興した「俊乗房重源」の命日(86歳で死去)です。
この重源が祀られている「俊乗堂」が開けられました。例年ですと、今日と12月16日の初代東大寺別当良弁僧正の開山忌の、年2回しか拝観することが出来ないのですが、今年は特例で8月1日~9月30日までの2ヶ月、この堂内に安置されている重源上人坐像(国宝)を拝見する事が出来ます。鎌倉時代の肖像彫刻の傑作と言われ、20年の歳月を東大寺再興にかけた不屈の精神が固く結んだ口・くぼんだ目の中の鋭い眼光から察する事ができました。
坐像の左右には阿弥陀如来立像(重文)と愛染明王坐像(重文)が安置されています。その阿弥陀如来は「釘打ち弥陀」ともいわれ、右足の甲に大きな釘穴があります。これは親鸞聖人がこの仏像を崇めるあまりに京都へ持ち帰ろうとして、それを東大寺が拒否して、足に釘を打ち付けたとの伝承があると聞きました。なんとも人間臭いお話ですが、見とれるような美形の仏様です。

その後、行基菩薩が祀られている「行基堂」。そして「念仏堂」で地蔵菩薩坐像を拝観しました。ふくよかなお顔をなさっていました(この地蔵様の化身・閻魔大王、そして薬師如来の化身・泰山王の2像はこの堂から離れ、現在、奈良国立博物館に出展中です。)。
そして修二会で有名な二月堂の前にある4月堂で「千手観音立像」「普賢菩薩坐像」阿弥陀如来坐像」を拝観しました。普賢菩薩坐像を乗せている象が猪のような顔で、実物の象を見たことのない仏師の苦悩ぶりが分るようでした。

  俊乗堂」  

  「行基堂」

念仏堂(重文」屋根は「しころ葺き」  
 
 念仏堂の 「地蔵菩薩」
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