エミリーのつれづれ

日々の暮らしぶりを紹介します。

ハイキング

2006年04月30日 | Weblog
4月30日(快晴)
女3人、出会ってから映画鑑賞に行く予定を急遽変更してハイキングに出かけました。嬉しいことに私たちの居住範囲は自然が一杯です。ドライブ途中に行楽弁当を購入し、府民の森・星田(奈良県と交野市・大阪府の県境)に行きました。
この辺りは太古に隕石が落ちたという伝説があり、星に関係した名が地名に残っています。連休2日目で、家族連れが目立ちましたが、どの年齢層も楽しめるハイキングコースがあり、新緑の中を歩きました。
写真は山中にある「星のブランコ」と命名された地上18m・長さ300メートルのつり橋です。涼風が頬をなで、左右の濃淡の緑で織り上げた絨毯模様の風景の中を歩く気分はまさにブランコを漕ぐ爽快さに似ています。楽しい一日でした。

平城遷都祭(4月29日・30日)

2006年04月29日 | Weblog
4月29日(晴れ)
世の中は今日から大型連休が始まります。 毎日が「日曜日」の今、9連休に小躍りする興奮はありません。
朝からお誘いを受け、平城宮跡で始まっている「大極殿正殿。710年、藤原京から遷都した平城宮の中で最も重要な建物」の復原工事(平成10年開始)現場の特別公開に行きました。
大極殿をすっぽり覆った建物はビルの8階の規模に相当し、足場を組んだ内部は現代の建築現場のように見えます。すでに44本の柱(直径71cm、5メートル)で支えられた初重部分の天井画は出来上がり、2重部分の組み立てまで進んでいます。完成は4年先で、4万5千枚の瓦を葺いた大極殿は朱雀門より高い27mの巨大な建造物となります。建築途中とはいえ、大極殿の20mの高さまで上がれるチャンスなんて
めったにありません。奈良県民の特典(!)かな。
現場でヒノキの鉋くずを頂いてきました。本当に良い香りです。お風呂に入れようと思います。

散歩

2006年04月28日 | Weblog
4月28日(晴れ)
11時に来客予定があったので、それまで散歩に出かけました。郡山城周辺を歩いて約1時間のコースです。桜が終わり新緑に衣替えした城の外堀の傍に「永慶寺」があります。
8代将軍吉宗の時代に山梨県の甲府から国替えで郡山城の藩主になったのが柳沢家で、その代々の菩提寺が「永慶寺」です。
寺の正門は安土桃山時代の様式で、この位置が郡山城の南門にあたると立て看板に書いてありました。
一人で歩いていると黙々歩きも退屈なので、普段は見過ごす立て看板も丁寧に読むという効用があります。午後からも友人たちが訪ねてくださったので朝の散歩以外はおしゃべりで終日を過ごしました。

マンガでお勉強!

2006年04月27日 | Weblog
4月27日(雨のち晴れ)
4月も終わろうという時期なのに早朝の気温は3月下旬のよう。早起きの娘宅ではストーブがまだ必要で、ストーブの前で孫たちが着替えをしています。7時半に娘が家を出、次に孫たちが出かけ、最後に婿殿が出て行きます。みんなを見送ってからが私の出番です。いつもの手順で家事を済ませ、夕食の準備を整えて昼前に自転車か徒歩で孫たちが下校して来るまで周辺を散策します。これが私の娘宅での日課です。
残念ながら今日は雨が降ったり止んだり。
娘が図書館で借りたライオンズクラブ発行の「ふるさとマンガ醍醐・山科」を読みました。子供の本などと侮れないほど資料が充実していて、この地が有史以来、表の舞台になったり裏の舞台になった歴史の足跡がよくわかりました。天智天皇、中臣鎌足、坂上田村麻呂、鴨長明、明智光秀、大石内蔵助、志賀直哉・・・どう、この地と関わったのか、興味深深です。  

    このマンガ本を買おう!・・・!

醍醐の山は鹿の子模様

2006年04月26日 | Weblog
4月26日(曇り)
今日は娘宅。家事を終えて孫達の学校周辺を散策。学校は子供の足で歩いても10分程の近さです。京都市内なのに全学年1クラスという小規模校です。醍醐天皇稜に隣接し、裏は醍醐の山が迫っています。
この辺りから山並みを見ますと、濃い常緑樹に混じって山桜のピンク色や新緑の木々が程よく混ざり合い、まさに美しい「鹿の子模様」で、全山が新緑に染まるまでのつかの間の山の美しい表情です。
その美しい鹿の子模様を見ながら
この間、見た奈良公園の鹿たちを思い出し一人苦笑いをしました。「鹿の子模様」の本家の鹿たちはちょうど毛並みの生え変わる時期で、美しいとはほど遠いボロ布を纏ったような様相だったからです。

たけのこ堀り

2006年04月25日 | Weblog
4月25日(晴れ)
絵を描いていたら近くの友人夫妻が昼ご飯に呼んでくださった。出かけると玄関にたけのこの山(大げさな!)です。朝5時から近くの公共林の竹やぶで掘ってきたとか。聞けば、かつて主人と良く散歩した家から10分程の場所です。こんな場所に「お宝」があるとは知らず、雑木林に広がる竹林を風雅な風景と言いながら歩いていたのです。
数時間で5センチは伸びると聞き「もう一度行きましょう」と催促し昼食後に出かけました。早朝は「たけのこ銀座」ほどに人が来ているそうですが、こんな時間でも数人に出会いました。私は一本も見つけられなかったですが、同行のたけのこ堀り名人は1時間ほどの山歩きで20本も掘り出しました。少しもらって早速茹でました。これから「たけのこ」三昧の毎日です。うれしいな!

家事日和

2006年04月24日 | Weblog
4月24日(快晴)
朝から快晴。でも中国からの黄砂の影響か、近くの生駒山系の山並みも霞んで見えません。日本に帰って早や数ヶ月が経ちますが、あっちに行ったり、こっちに行ったり、また雑事と、生活が落ち着きません。
生活態度も心もまさに「風」か「雲」です。少し反省して今日は家事に専念することにしました。
午前中、スーパーの花屋の店頭が余りに色鮮やかなので思わず立ち止まり、花を買ってしまいました。
午後からは好天に触発されて、冬物のセーターやマフラー、ズボンなど次々に引っ張り出し手洗いに励みました。

わが町の探索

2006年04月23日 | Weblog
4月23日(曇り)
主人の友人たちが我家に来られた。送りがてらJR駅まで30分ほど御一緒に歩きました。我が家族がこの地に住んで20年は経ちますが、その間に数度の海外転勤をした為、それほど街を知っているわけではありません。
その昔、天下を統一した秀吉が大阪城の守りに、弟の秀長を兵庫県出石から呼び戻して郡山城を再建させ、近在の商人たちを集めて城下を繁栄させたと聞いています。今も紺屋町、大工町、豆腐町、茶町、綿町、雑穀町、材木町、塩町、鍛冶町、本町などの町名が残っています。
これから住むまちですので、少しずつ散歩の範囲を広げて町の歴史にも触れて見たいと思います。

友人を訪問

2006年04月22日 | Weblog
4月22日(曇り)
奈良に戻って来たら、近くに住んでいる20年来の友人がお泊まり。女の長話で夜更かししたのに、犬の散歩があるといって早朝帰って行きました。その彼女から数時間後に電話があり「友人宅へ行こう」のお誘い。
掃除を中断して電車とバスを乗り継いで友人宅へ。といっても奈良市内。このマンションの上に上がれば若草山の山焼きも一望できるとか。

手作りたこ焼きとビールで、女の話は尽きることなく続きました。
「暇熟女3人」と思われるでしょうが、暇人は私だけ。みんな上手に時間を作って私をサポートしてくれるのです。「ともだち」て、すばらしい。

 

名園、勧修寺へ

2006年04月21日 | Weblog
4月21日(曇り時々雨)
今日は季節はずれの寒い一日で、晴れたかと思えば春時雨が降り出し冬に逆戻りしたような天候でした。
娘宅での家事も終え、家から20分ほどの「勧修寺」へ行きました。近くの人は「かんしゅうじ」と親しみを込めて呼びますが、正式名は「かじゅうじ」(900年醍醐天皇が創建)です。正門までの土塀は枝垂桜の並木がまだ盛りでした。この寺は庭園がすばらしく、醍醐の山並みを借景に氷室池が広がっています。池の中島にはサギが数羽巣を作っていました。バードウオッチ用の双眼鏡が置かれていたので、しばし優雅に飛ぶサギを観察しました。
とはいえ、こんな寒い日に訪れる人はなく、独り占めの贅沢なひと時!を過ごしました。・・それにしても寒かった。!