エミリーのつれづれ

日々の暮らしぶりを紹介します。

臼杵市内

2011年03月30日 | Weblog
3月29日ー30日



石仏群を堪能したあと市内に入りました。ここでも事前予約していた街のボランティアガイドさんが待っていてくださり、早速に案内をしていただきました。
街の中心にキリシタン大名・大友宗麟が築城した「臼杵城」が丘の上に少し名残をとどめていますが、桜祭りの時期とあって車では行けずに城跡を外し、徒歩のみの2時間の案内を受けました。

臼杵は港に近く朝鮮・中国は言うに及ばず、遠くポルトガルなど南蛮貿易の影響も受けた街です。最近は街おこしにも熱心なのか、住民の笑顔と観光客を歓待する心使いがいろいろな場面で見られ、気持ちのよい街歩きとなりました。
       

       
           野上弥生子文学記念館

今回の旅は寺・史跡を回るのが主であったので、土地の美味しいものを食べるとか、温泉に浸るという楽しみはありませんでしたが、よき仲間と楽しい・面白い旅をし、また船舶をして大阪港に戻り、奈良へ帰ってきました。我ながら「体力ある!」と自信を深めました。

 
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臼杵・石仏から市内へ

2011年03月30日 | Weblog
3月29日(晴れ) 臼杵摩崖仏  ①

                石仏群(国宝)の前に広がる里山

今年初めて発症した「花粉症」。行く前に医者に「国東半島は花粉が一杯」と聞かされ、びくびくしていましたが、杉花粉の飛まつは収まったようで一安心の旅の二日目を迎えました。
今日は別府から東九州自動車道を走って大分を抜け「臼杵大仏」へ。昨年、奈良国立博物館の特別展「仏像100年」で臼杵の石仏が取り上げられましたので是非にもみたい石仏群です。平安末期から鎌倉初期に彫像された59体の仏像が4つの岩の窟に彫られています。素朴なものから京仏師が彫ったかのような精巧なタッチの仏像たちが1000年からの時を静かに座り、里風景を見ています。素晴らしいガイドさんの案内でゆっくり拝観し、あわせて近くの「満月寺」で菜の花に囲まれた鎌倉後期の宝篋印塔を見ました
     

    

             
  古園石仏(中央の大日如来の頭部は落ちていたが、平成5年修復)
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国東半島へ

2011年03月30日 | Weblog
3月28日(晴れ)
  
                         

素晴らしい彫刻が施された板戸・門の天井             運気があがりますように!

定刻に船は別府港に着岸。頼んでおいたガイドさんが出迎えてくれ、ガイドさんの車に先導されスタートです。
先ずは右手に別府湾を見ながら空港道路を経由して国東半島の先を目指し1時間ほど走って「富来神社」へ。名のとおり運気アップのご利益ありとお勧めの「開運運玉唐獅子像」のお腹をさすらせてもらいましたが、この神社の門・本堂の彫刻は素晴らしいものでした。
ここから5kほど先の「文殊仙寺」へ。文殊菩薩に繫がれた五色の紐が巻かれた手すりを伝って長い石段を登って奥の院へ。
ご本尊の文殊菩薩は646年に中国五台山からお持ちした仏様で、今年は12年に一度のご開帳を迎え、お寺の住職の説明も熱が入っています。
   

  仁王さまのあばら骨が念珠に                      「富貴寺」

そこから「両子寺」にいき「富貴寺」へ。ご本尊は阿弥陀如来です。お堂(国宝)は安定感の中に素朴な佇まいをみせ、堂内は壁画で飾られ内陣の本尊の後ろにも極楽浄土が描かれています。長い間の風雪にさらされ、絵はうっすらとしか残っていませんが、凛とした雰囲気を感じます。
ふたたび車で移動し「真木大堂」へ。ご本尊の阿弥陀如来像を挟んで牛の背に乗った日本最大の「大威徳明王」・火の鳥を背負った「不動明王」の憤怒の迫力は密教彫刻のすごさを感じました。そして、ここから日本最大の磨崖仏「熊野磨崖仏」へ。鬼が一夜にして築いたといわれるガタガタ、ゴツゴツの乱積階段を登る事、30分。やっと巨大な岩壁に刻まれた大日如来と不動明王が待ちうけています。その像の高さは7mほどもある石仏です。杖を頼りに下りるのも苦行で、やっと下りた所で僧にご加護の加持をうけ元気を回復させました。
    
                     「 不動明王 」       「 大日如来  」

そして最後に日本最大の八幡神宮「宇佐八幡」に行きました。伊勢神宮より広大に境内を持つかと思われる広さで、幾つかの鳥居をくぐって本殿に着きました。今日は朝の8時から夕方まで数ヵ寺を回って、へとへとです。別府に戻り、宿の湯で足腰を伸ばし、地元の人が行く共同浴場「竹瓦温泉」にも歩いて出かけました。映画「もののけ姫」の舞台のような古風な湯治場でした。

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九州へ

2011年03月30日 | Weblog
   

3月27日(晴れ)

博物館のボランティア仲間たちと九州・国東半島の磨崖仏群を見に行く事になり、一日目のスタートは大阪南港より別府までの船旅です。

夜8時前の出航にあわせ、1時間以上前に車組と人組に分れて乗船し、デッキーで待ち合わせた後、持込弁当を食べながら神戸の夜景と明石大橋の通過を楽しむ予定になっていましたが、おしゃべりに夢中になっているうちに、光り輝く陸地の夜景から遠ざかり真っ暗な海に出てしまいました。

春休み中とあって家族連れや合宿にいく学生達の姿が目立ちますが、思っていたより船内は静か、船も大きな揺れもなく進んで行きます。
船内にある銭湯に入るのは初めてですが、大きな湯船で気分は爽快。11時、ゆっくりベッドで足を伸ばし就寝。絶え間なく小さく揺れる動きが気になりますが、いつの間にか夢の中へ・・・。

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桜が少し赤く色づき始めました。

2011年03月26日 | Weblog
     
       奈良公園・氷室神社の枝垂れ(奈良市内で一番早く開花)
3月26日(晴れ)

春休み前から予約が入っていた仏像解説の多くが、東北地震の影響でキャンセルが出ていましたが、今日は予約していた県内の子供グループが元気にやってきました。30人ほどの団体で、みんな熱心に聴いてくれ、帰り際、出入り口の義捐箱にお小遣いの一部を入れてくれました。嬉しいことです。

遠来のお客さんが多いのは春休みのせいでもありますが、東北地震で関西に避難してきた方もあるのか、関東以北からの来館者が多いのに驚きました。静かに仏像と対峙し、ひとときでも安寧の時間をもってくださるなら、こんな嬉しいことはありません。

  

博物館前のギャラリーで友人が切り絵の展示をされているので、休み時間を利用して見せていただきました。新作も多く出ていて素晴らしい展示会です。会場で切り絵を楽しむ方もあり、少し見せていただきましたが、私にはこんな細かい作業は無理と諦め、見る楽しみだけで帰ってきました。
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人付き合いがいい私でも・・

2011年03月25日 | Weblog
  

3月25日(曇り)

10日ほど前から、所かまわず「おやじクシャミ」がでます。目尻がかゆく、鼻水がでます。これは世間でいう「花粉症?」いや「単なる風邪」と自己診断をしながらクシャミを連発させていました。

が、とうとう堪えられなくなり今日、耳鼻科に行ってきました。開院時間30分も前に着いたのにベンチは一杯、18番目の札をいただく盛況ぶりです。2時間待って私の番になり、症状を言うなり「アレルギ-性鼻炎」すなわち「花粉症」と即決の診断です。何に反応しているかを採血で調べる事で、簡単な処置と数種の薬を頂いてきました。
いくら付き合いが良い私でも、60数年発病しなかったのに今年になって花粉症仲間に加えてもらわなくっても・・。「鼻に栓したいほど」「目にゴーグル、顔一面マスク」いう花粉症友人の姿を想像して薄ら笑いをした「祟かも!」と、反省しても「おやじクシャミ」は止まりません。

「この日曜日から九州の国東半島にいきます」と、先生に告げたら「あちらは杉とヒノキが強烈ですよ」と酷なアドバイスをいただき、診察後に立ち寄った薬局で「強烈ガードのマスク」を買い求めました。楽しみにしている旅ですが、どういうことになるやら、ちよっと心配です。
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孫の卒業式

2011年03月23日 | Weblog
  
          晴れの日を迎えた23名の卒業生

3月23日(晴れ)
京都に住む孫の一人が今日、小学校の卒業式を迎えました。駅からの車の移動中、数人の女の子たちに出会いました。髪をきれいにセットし、短いスカートを合わせたスーツ姿、足下の靴は少しヒールになったおしゃれなものを履いています。中学生かなと思いながら通り過ぎましたが、卒業式の会場に入場してきたのは先ほどのレディたちで、昨日まで背中にランドセルを背負っていたとは思えません。孫の学校は制服がないので、女の子たちは今風に盛装してきたのでしょう。

まず、東北地震でなくなられた方たちに黙祷を捧げたあと、卒業証書授与式が始まりました。
23名の卒業生は大きな返事をし、礼儀正しく一人一人校長先生から卒業証書をいただきます。一枚の卒業証書は6年間の学校生活でのすべての時間、心・技・体・の思い出が込められた重いものであることを自覚したかのように、どの子供たちも晴れやかに堂々と受け取り、先生や保護者に一礼をして壇を下りていきます。

式はすすみ、卒業生と在校生が向かい合い、まず卒業生の一人一人が6年間の思い出を一節ずつ大きな声で連呼し、続いて在校生の子供たちも同じような形式で、卒業生と共に過ごした楽しかったことなどを大きな声で連呼していきます。そのあと、みんなで「旅立ちの日に」を合唱し、式典は終わりました。
私はもちろん、孫の親たちの卒業式とも違った形式で、定番の「仰げば尊し」は歌われませんでした。子供たちは神妙でしたが、一番感激し、涙ぐんでいたのは初めての卒業生を送り出す若い担任の男の先生でした。式のあと、お別れ会があるとかで、いったん家に帰えり食事をして、服を着替えてまた学校に戻って行きました。

京都にいる娘に2人の孫が誕生しましたが、小学校に上がっても、ジイ・バアの私たちは海外に住んでいたので、全く育児を手助けしてあげることもなく孫たちは大きくなりました。それでも日本にいる時は色々な学校行事に呼んでくれ、楽しい思い出を共有することが出来たことは本当嬉しいことです。この孫たちに続く息子らの孫たちの卒業式にも元気で参加できるよう、足腰を鍛えておかねばと感激とともに決意(笑)を致しました。
それにしても体育館の寒かったこと。東北地震で被災された避難民の方たちの寒さを体感し、改めて避難生活の大変さを思い知りました。がんばってください。そして孫たちも頑張れ、あなたたち若者に日本の命運がかかっています。

24日

今日も曇天の寒空です。娘と実家の菩提寺の墓参り後、近くの市立美術館で開かれている「親鸞聖人展」に行きました。親鸞聖人750年遠忌にあたる今年、地方からの本山参拝者も美術館に立ち寄られるらしく盛況でした。そのあと細見美術館で常設展示を、美術館「えき」で「ラファエル前派からウィリアム・モリスへ」と、美術館ハシゴをして帰ってきました。
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筆供養

2011年03月23日 | Weblog
     
     境内で揮毫された東北地震被災者への激励の書

3月21日(小雨)

奈良観光ボランティアガイドの会が募集した「筆祭りと菅原の里をめぐる」のツァーに参加しました。
集合場所に出向くと、すでに集まった順に10人に一人のリーダーが付き添い小雨のなか順次出発していきます。今回のコースは私の生活行動範囲にあるものの、訪れたことがない場所もあって興味があります。

まずは「垂仁天皇陵」の前方後円墳の周濠を歩きながら御陵の説明を受けた後、少し歩いて住宅地の公園内に整備された古墳時代に埴輪などを焼いた登り窯「菅原窯跡」を見学しました。こんなところに新開の住宅地があり、「菅原窯跡」や「菅原道真・産湯の地」なる小池があることも知りませんでした。

その後、菅原道真を祀る菅原神宮に行き、筆塚での「筆供養」に参加しました。境内の一角に書を書くコーナ、筆作り体験コーナーもあり、子供たちも大勢来ています。持参した筆を奉納し、代わりに新しい筆を一本いただきました。文筆の神・菅原道真にあやかり、悪筆が少し上達できればなあと祈りました。

そのあと喜光寺(大仏殿を造営する時のモデルにした「試みの大仏殿」とも言われる)八幡神社、大茶盛りで有名な西大寺を訪ね、4キロほどのウオークが終了しました。知っているようで知らない地区を丁寧に案内してもらい、充実の半日でした。
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祈り

2011年03月20日 | Weblog
    

「東塔」は修理のため4月から8年後まで見ることが出来ません

3月20日(晴れ)

薬師寺での弥勒法会のあとの法話で「お釈迦様の舎利を入れる五輪塔は四角・丸・三角・半円・宝珠という図形で表されており、五輪塔は万物そのもの、宇宙の構成要素は地・水・火・風・空であると古代インドでは考えられた」といい、今回の東北大地震はまさに「地=地震」「水=津波」「火=火災」「空=原発汚染」の未曾有の大惨事であったと話され、仏の前で被災者の冥福を祈られました。
お参りに来ていた私たちも、東北地震で亡くなられた方、また前途多難な被災者の方々が勇気をもって立ち上がられるよう手を合わせ、仏の加護のあらんことを祈りました。

中国出張に出ていた息子が今日、元気に日本に帰ってきました。「帰国便はジャンボ飛行機だったけど乗客は30名ほど」とか。何でも日本を脱出する人で中国行きの便は満席なのに日本行きの人はわずかで「搭乗口を間違えたのかと思った」と苦笑いを交えて帰国の電話をくれました。

確かに原発の問題は憂慮すべき問題ですけど「出国できない日本人はどうすればいいの?」と言いたいです。
政府は正確な情報と対処法を迅速に伝え、私たち国民も悪戯に騒がずに政府を信じ、その指示に従うしかありません。風評ほど怖いものはありませんね。

   
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春は遠い!

2011年03月17日 | Weblog
         
                雪が舞う菩提寺     
3月16ー17日

東大寺二月堂の修二会が無事に終わり、いよいよ「関西に春が!」がと思っていたら天気は逆戻りし、霙交じりの寒気がやってきました。
16日は早めの彼岸の墓参りと舅の陣中見舞いの為に広島行きをするため、娘と新大阪から高速バスに乗り込みました。
中国自動車道をひたすら西に向かい、岡山県に入った辺りから雪が降り始めました。窓から飛び込んでくる山肌・山間の集落はあっというまに銀世界に変わっていきます。
菩提寺に到着し、掃除をしている少しの間は晴れ間も出ましたが、目を開けられないほどの雪が舞いはじめたので早々に墓参りを済ませ(親戚周りをした後)、広島市内に向けて、また高速バスに乗り込みました。天気はクルクルと変わり、晴れて青空が見えたかとおもえば霙が・・・。
という天候の16日でしたが17日の今日も朝から小さな雪が舞い、外気はグングン下がり顔も引きつる程の冷気は真冬に戻ったようです。
舅がお世話になっているホームに行きますと、ホールでは看護学生の教育実習中とかで、若い人達の指導を受けて老人達は楽しそうに遊んでいました。
しばらくして、大きな声で歌いながら舅が出てきました。童心に戻ったようで「楽しそうね」と言いますと、若い実習生から「歌をほめられた!」と嬉しそうそうです。元気な舅と再会を喜び合い広島をあとにしました。

大阪に着き、列車に乗換え我が家に戻ってきましたが、いろいろな場所で募金活動をしている光景を見ました。被災地から遠い私たちですが、被災地と被災民がなんとか普段の生活に少しでも早く近づける一助はなにかと考えれば募金しかないと私も思いますが、余りにも情報が錯綜している今、政府として非常事態宣言を国民に発し、「痛み分け」の具体的な方針・方策を出すべきだと思います。
     
   
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