朝、湯船の中で北杜夫さんの「楡家の人びと」を読み続ける。若い頃読んで感動した覚えがあるけど、蔵書趣味のない俺はそのハードカバーの本を持っていないので、北杜夫さんが亡くなってしばらくして再販された文庫本全三冊を買って、再読することにしたのだけど、ここで毎日の様に訴え甘えている様に桃井にはただでさえ時間が極端にない上に、バスや電車に乗っている時は何がなんでもポルトガル語の勉強(→睡眠)と決めているし、ベッドに入ったらバタンQなので、必然的に読書は毎朝のトイレとそれに続く湯船の中ということになってしまい、文庫分三冊で約千二百頁というこの作品を飛ばし読みではなくじっくりと味わって読むとなると一日三十頁が限度で、単純計算すると約40日かかることになる。そしてホボその単純計算通り今日読み終えることができた。凄い小説だと思う。ドクトルマンボウシリーズがあるから何処か軽く見られる北杜夫さんだけど、ユーモアに彩られながらも極めて重厚な小説だ。北杜夫さんがトーマスマンの「ブッデンブローク家の人びと」に刺激を受けてこの小説を書いた様に、俺も「楡家の人びと」に刺激を受けて「※※家の人びと」を書こうと30歳の頃思ったものの、お金の為にどうでもいいテレビドラマばかり書いたり、飲み屋のマスターをやって若い女の子と仲良くなることばかりに時間を使っている内に、64歳になってしまった。この間には大手出版社Sの文芸担当のSさんやR出版社のKさんに正式に執筆を依頼されていたこともあったのに、企画書さえ書かないままここまできてしまった。もう遅いんだろうな、もう書く時間のゆとりも心の余裕もないんだろうなと思って落ちこんでいたら、昨日葬儀に参列した市川森一さんの娘さんのHちゃんから電話がかかってきた。俺としては気持ちと同じく悲痛な声でお悔やみを述べる。するとH子ちゃんは遺族なのにいつもの明るい元気一杯の声で逆に俺を励ましてくれる。反対だ。落ち着いたら献杯をしに店にきてくれと電話を切ったら、彼女の明るさに刺激を受けたようにまだ遅くないと思いだす。まだ書くチャンスはあると思いだす。書かかなくちゃいけないと思うだす。書かないで死んだらこの世に未練が残ってしまう。幽霊として戻ってこない為にも書かなくちゃいけないと思う「※※家の人びと」。ご期待ください。※12/24(土)は臨時休業します。尚本年は12/30(金)まで営業し、新年は1/10(月)から営業します。