桃井章の待ち待ち日記

店に訪れる珍客、賓客、酔客…の人物描写を
桃井章の身辺雑記と共にアップします。

2011・12・30

2011年12月31日 | Weblog
終わった。一時はどうなるかと思った12月が終わった。結婚前そして結婚してからも合わせて五年以上も一緒に働いてきたMに「今日で店をやめます」と突然宣告されたのは先月の30日の午後3時。青天の霹靂とはこのことだろう。確かに夫婦間には色々問題はあったけど、彼女は毎日店に出ていたし、それより何より来年からは色々な事情から俺が第一線を退いて、Mが中心になって新しい女性スタッフを見つけて新生コレドをやっていこうと10月段階でMと決めたばかりだったので、意味が分からなかった。二ヶ月の間に彼女に何があったのか?聞きただしてみせてもMからはハッキリとした答えを言ってくれない。でも、今日の今日やめるっていうのはちょっと問題だし、せめてパーティやイベントの予約がぎっしり詰まっている12月一杯までいてくれないかと思ったものの、もうあの店には行きたくないというばかりで、翻意をさせようにも、その時間がなかった。彼女が今日からもう店には出ないという以上、俺はポルトガル語講座をキャンセルし、店で彼女がする筈の開店準備にかからなくてはならなかったからだ。そこからだ。俺の地獄の一ヶ月が始まったのは。翌々日は40人のパーティ、10日後には60人、その二日後には20人、その十日後には40人のパーティと続き、その間にはイベントが15件あって、その30日の間でスタッフのO君が文学座の公演の為に店に出ることが出来るのはたった7日だけ。つまり残りの21日はこの予定を一人でやらなければならなかったのだ。確かに天使が大勢現われて俺の窮状を見かねてグラスを洗ってくれたりしたし、それはそれで大助かりだったけど、基本は一人だ。24日と25日の連休を除いて日曜祭日もいれた27日間、朝昼兼用の食事を終えたら前日の経理事務、顧客名簿の整理、イベント関係のメール返信、郵便物の作成に始まって2時半から3時には部屋を出ると仕入れして4時前には店に出て、そこから少ない時で9時間、多い時で12時間店にいる生活が続いてしまったのだ。その間、店をどうしたらいいか考えたり悩むのを停止した。考えたり悩んでいたら店が止まってしまう気がしたのだ。考えたり悩んだりするのは1月になってからにしよう。その為に休みを一杯とろう。だからそれまではただ何も考えずにいこうと心に決めて突っ走ってきての今日。12月の30日、金曜日。もう一昨日あたりからバテバテで、連休を途中いれて少し気が緩んだのがいけなかったのか風邪気味だし、ダウン寸前で、本当は休んでしまいたかったけど、優しかったり色っぽい天使たちが大勢俺を慰めに来るといけないと無理やり店をあけたのだけど、広尾時代の店の一階でユニークな雑貨屋さんをやっていたKさんを皮切りに、近所のシルバーモデルのMさん、彼とは名門A高校の同窓生の映画プロデューサーのKさん、S大学経済学部教授のSさん、某制作会社経理担当役員のIさんたち、そして大阪に転勤になった後も上京の度に寄ってくれる去年まで来店数でダントツ一位を三年間続けていたS新聞のUさんにSミュージックのH君と、最後の二人を除けば一見して平均年齢55というオジサン天使ばかり。嬉しさ98%、淋しさ2%。それは最後まで残ったH君も同じらしく、コレドに行けばきっと天使たちが大勢いる筈と石神井の家からわざわざ遠征してきたのに充てが外れて落ちこんでいるので、そんな彼を口実に今年一年を締め括る意味で飲みにいくことにする。31歳のH君と過ごす今年最後の日。鶏料理の店で焼鳥10本づつど豚ロース焼きと日本酒を各々5本、そこを出て上海風中華料理屋で餃子とラーメン食べながら紹興酒を二杯づつ。かなりの暴飲暴食の結果、部屋に帰ってバタンQで寝たのに二時間後に飛び起きてトイレ直行。でも、解放度90%。30数才年下なのに割り勘に応じてくれたH君に感謝。そしてこの日記を書いているのは31日の午後3時過ぎ。ホントに、本当にゆったりとした大晦日が流れて行っています。次にこの日記を書くのは新年になってしまいますので、今日の日記の最後に、今年一年本当にお世話になりました。来年もどうぞよろしくとご挨拶して。★新年は10日(火)から営業します。