同窓会のHP「栄光の軌跡 あの卒業生を訪れて」の第1回に大河原毅君が掲載されました。本人の了解を得ましたので11会ブログに転載いたします。
栄光11期の大河原毅氏を訪れました。 誰もが知るあの「ケンタッキー・フライド・チキン」を育てた方です。 本企画「栄光の軌跡 あの卒業生を訪れて」の初回に相応しい、「栄光愛」に満ち溢れたインタビューとなりました。
栄光で心に残ったことはと質問すると、出てきた答えは、『落第』でした。 正直意外でした。 ケンタッキー・フライド・チキンの元社長で、今は、上場企業ジェイシー・コムサのCEOという錚々たる経歴の方から、まさか『落第』という言葉が出てくるとは思いもしませんでした。
大河原さんは、実は栄光に入学した中学1年生の時から、既に初代フォス校長にかわいがられていたそうです。 それもそのはず、7つ歳上の兄が栄光2期生におり、地元でも名家で知られる大河原家でPTA会が行われていたとのことで、ご自宅にいつもフォス校長がジープに乗っていらしていたそうです。
ところが、中学時代真面目に授業を受けても、いつも成績は学年でビリで、学校から「落第」の判子を突き付けられてしまいました。 しかし、その時、人生を変える一言が父親からありました。 「君は奥手だから」と。
兄は東大。 自分は、栄光でも成績ビリ。 父がなぜ、その言葉を使ったかは、いまだに判らないそうですが、自分なりに非常に納得をした言葉だったそうです。
「そうか、兄はウサギ、自分はカメなんだ。」 そう解釈をした大河原さんは、『今、自分は落ちこぼれていても、絶対に大学はケンブリッジ、ハーバード、オックスフォードのどれかに行こう!』と決めたそうです。
栄光でのエピソードを、大河原さんは話し始めました。 「あのころ、放課後になるとスポーツをやっている連中は、掃除の時間なのにコート取りに向かっちゃうんだよね。 自分ひとり残って何をしたかというと、雑巾洗いをしていたんだよ。 数枚の雑巾じゃない。 教室に20枚ぐらいの汚い雑巾があってね、それを毎日、ピカピカになるまで1人で洗って、水道のところにかけていったんだ」
誰から言われたわけでもなく、ほんとうに「掃除=趣味」だったそうで、黙々とやっていたとのこと。 実は、この「掃除」が今の経営学でも活きているそうです。
小さいことでもコツコツと積み上げていくということ。
「自分はあるとき気が付いたんだ。 同じ学校の中で、同じことを先生が言っているのを聞いて、それでも自分は180人中ビリ。 頭のいい人は本当にいるものだと。 世の中でも、頭のいい人は上から目線で思ったり、話したりする人もいるかもしれない。 でも、最初から僕は違ったんだよね。 ビリだったから、上から目線なんて出来ない。 僕は、本当に一番下だったので、「いいところを見つける」「自分より魅力ある人と一緒にやっていきたい」って気持ちが自然と身についたんだと思う。
出来る人は、瞬時に判断できるから、会社で言うと短期的に収益が上がるとか、自分のメリットが無いことを、すぐに判断することをするかもしれない。 でも、自分はいいものを追求して、一歩先は損かもしれないけど、長い目で見れば得するものをコツコツと積み上げることが好きなんだ。 そうあの頃の掃除のようにね。 ケンタッキー・フライド・チキンの社長。 誰もが輝かしい経歴と思うかもしれないけど、実は1店舗目を作ったときは、苦労の連続だったんだよね。」
1店舗目をオープンしても売れない。 2店舗目も売れない。 でも、大河原さんは信じていました。 「売上は悪い。 ただ、このフライド・チキンは本当においしい。 絶対に成功する」と。
当時から優秀な人材には恵まれていたので、その人たちと日夜考え、中長期的な目線で店舗運営を効率化し、ようやく4店舗目から芽が出始めて、そこからあの掃除のようにコツコツと店舗拡大を繰り返していったのだそうです。
今では全国区のケンタッキー・フライド・チキンですが、これまで山あり谷ありの経営だったとのこと。
「顧客目線で『安全でおいしいフライド・チキン』の提供をしていても、株主総会では『経営目線でコストカットを考えると、輸入の鶏を使ったほうが良いのでは?』と厳しい指摘も多かった。 短期的な目線でコストカットだけを考えると、そうだったのかもしれない。 ただ、自分は国産の新鮮な鶏でいかにおいしいフライド・チキンをお客様に食べていただくか。 それしかないと考えていた。」
会社にお金があると、派手なことをやりたくなる。 ただ、ケンタッキー・フライド・チキンは派手なイベントや広告プロモーションを敢えてやりませんでした。 一歩ずつ、一歩ずつ。 大幅な利益を上げるビジネス・モデルではなくても、顧客のことを考え、信じ、着実にやっていく。 そんな大河原さんの経営方針が、店舗数を拡大していったのでしょう。
「経営をするのも、自分自身も含めて、一番大切にしているものは「人」である。 苦難を乗り切ったのも、自分の周りの人のおかげ。 乗り切った後に、喜びを分かち合ったのも、自分の周りの人。」
今では、ケンタッキー・フライド・チキンを退職されて、別の会社におられるが、今の会社でも傍で支えてくれている人は、実はケンタッキー・フライド・チキン時代の人たちだそうです。
「栄光の卒業生にも、「人」を大事にして、周りにいる方への感謝の気持ちを忘れずにいてほしい。 人生の中で苦難は必ずあるものだし、その苦難を乗り切るためには、必ず自分のことを信じて、また自分も信じられる「人」である。
栄光学園のアイデンティティは、時代や世代を越えても、脈々と受け継がれている」
栄光学園で学んだ、助け合える精神こそが、今の日本経済の不況を乗り切れるキッカケになるのではないでしょうか。
大河原氏とインタビュアー米田(44期)
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