布施弁天界隈の自然と歴史情報

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千葉県と野田市の指定文化財の見聞記

2009-02-14 | その他
今日、2月14日はバレンタイディーですよね。知らない人は、少ない。でも、明日、2月15日は何の日か、ご存知でしょうか。全世界で約2億5千万人の信徒がいるといわれる仏教の祖のお釈迦様の亡くなれた日なのです。お釈迦様ことゴータマ・シッダッタ(一説に前463年 - 前383年、前560年 - 前480年等)の入滅した、涅槃に入った日なのです。旧暦ではあるが。
お釈迦様の誕生日は4月8日で、おはなまつりをするので結構知られています。しかし、菩提樹のもとで29歳で6年間の難行苦行の末、悟りを開いた日、12月8日と、80歳で亡くなられた日の2月15日を知っている方は非常に少ない。日本人の多くの方が、どこかのお寺を菩提寺としている割には。
さて、この2月15日を前にして、千葉日報は2月10日、毎日新聞は2月11日の地方版にて、このお釈迦様が亡くなれた時の情景を絵にした涅槃図の一般公開が、千葉県の野田市で行われることを報じていた。これは、野田市役所が、全国紙、地方紙、テレビ関係等に一斉に配信したことによるらしいが。場所は野田市の下三ヶ尾にある曹洞宗のお寺の普門寺で、このお寺が所蔵している千葉県指定文化財の「絹本著本涅槃図」(縦134・5センチ、横81・4センチ)を1年に一回、2月11日に一般公開すると報じていた。
不思議なことに、このお寺の開創は、寛永元年(1624年)ですが、この指定文化財はの「絹本著本涅槃図」は、今からおよそ470年前の天文6年(1537年)に卜仙(詳細不明)という人によって制作されたているのです。ふしぎですね。
ここの涅槃図は、千葉県内のお釈迦様の涅槃図のうち、年代がはっきりと確認されている、県内最古の涅槃図だそうです。さぞかし、多くの方が見にくるだろうと思い、私は午前9時公開前の8時半に行きましたが、誰を来ていませんでした。待つこと30分、やっと2人になったので、公開場に入り、本図を前に宗藤住職の解説を拝聴しました。もちろん、2月15日には、“涅槃会”という法要を行っていますが、その前に、お釈迦様の臨終を大涅槃経というお経に基づいて描いた“涅槃図”を11日に一般公開するわけです。
これは、昭和57年に千葉県文化財の指定を受けた正式名称“絹本著色釈迦涅槃図”で、1年に1回は一般公開するように、どうやら決められているらしい。拝観は無料。
沙羅双樹(さらそうじゅ)の下に横たわる釈迦の周りを取り囲むお弟子たちが細かく描かれているのが特徴で、図の下方には、動物たちや昆虫たちが嘆き悲しんでいる様子がていねいに描がかれている。
しかし、1537年、その当時の日本には、いなかった象は鼻が短いし、ライオンは獅子舞の頭風になっているし、サイはただ1本の角があるだけで、サイらしくない。見たこともない動物たちを単にお経から、想像して書いたので、無理もない。
宗藤住職の話を聞いているうちに見学者も3名増え、5名になったので、取材に来ていたCATVのコアラの記者もカメラを回し始めました。これから、読売新聞も取材にくるという話だったので、翌日の12日の読売新聞の朝刊の地方版をみたら、1日で約70名の人が来たとのっていました。そう、このうちの1人が自分なのかと思い、ニヤリ。
念のため、“絹本著色釈迦涅槃図”(けんぽんちゃくしょくねはんず)の絹本著色とは、絹で出来た布の上に、色がついた絵具で描いたということを言っています。この図には三枚の絹布が使わられていました。この他に、当時の絵には、紙本著色とか、紙本淡彩とか、絵馬著色とかがあるようですね。
また、1月と8月の計4日に限って開帳している野田市指定文化財の「えんま大王像」も、この日(11日)に、特別に開帳していました。写真がそれですが、この閻魔大王像は、承応元年(1652年)に造られた寄木造りの座像で、彫刻としても優れているそうです。でも、ここの閻魔様、ユーモラスですよね。だから、子育てと延寿を見守ってくれるのかなー。そして、平成2年に野田市の『有形文化財』に指定されています。
なお、普門寺の住所は野田市下三ヶ尾545で、問い合せ先は℡04-7138-0230です。同寺へのアクセス方法は、野田市営のまめバス南ルート「聖華保育園入口」から徒歩5分。
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