布施弁天界隈の自然と歴史情報

関東三弁天の一つである柏市布施弁天界隈の城跡、神社、仏閣等の歴史的遺産の紹介とあけぼの山近辺の花情報の提供

布施弁天の次回開帳は2025年!

2007-02-01 | 歴史
布施弁天の開帳時に、ご本尊である三寸の弁天像を一般の人々に公開しますが、この開帳を行われるのは、弁天様の化身といわれる巳の年毎に行われ、参拝客すべてに御利益があるとのことです。前回は2001年11月でしたので、今度は2013年秋の予定だそうです。この開帳は、江戸時代中期から受け継がれており、三種類の開帳があります。まず、山内開帳で、これは地元の人の弁天信仰の定着を計るもので、次に、巡行開帳は信仰圏の拡大を計るものだそうだ。そして、江戸開帳は巡行開帳の延長線上にあると言って良いものです。いずれの開帳も、信仰の拡大に効果をあげてきたが、江戸開帳を初めとした巡行開帳は、明治になってからは行われていない。(写真は御前立ちの弁天様です。)
ちょっと、歴史を振り返ってみると、最初に、布施弁天の山内開帳が行われたのは、宝永3年(1706年)である。そして、宝永6年(1709年)3月15日から60日間、初めて江戸深川の永代寺で江戸開帳を行なった。巡行開帳を初めて行ったのは、正徳4年(1714年)で、常陸、下総、武蔵を巡行開帳した。
こうした開帳を通して、布施弁財天は、商売繁盛、家内安全等の現世御利益の神としての地位を築き上げ、信仰されていったのである。特に、開帳された時に、布施弁天像の右手から延びた五色の絹糸に触れると「福徳」「財宝」「知恵」などの功徳があるとのことです。
自分として、山内開帳で興味ある最近の事例としては、大正6年(1917年)4月15日から28日まで行われた山内開帳で、千葉県東葛飾郡誌によれば、参詣講数72、人数4,300人、一般参詣者約4万人と実に盛大だったらしい。
つまり、講が開帳を支えていた。しかし、現在、この講が崩壊しているらしい。前にも記したが、寺の檀家は20数軒、布施弁天の祈願檀家(彼らは檀家とは言わず信徒という)は約200軒であるが、この信徒の地元講も外部の講も現在は組織されていないようである。余談だが、この200軒前後と言われている祈願檀家の人たちの菩提寺(寺檀家)は、古谷にある時宗の善照寺なのである。同じ古谷に1705年まで東海寺があったのに。さて、布施弁天の寺檀家には3人と祈願檀家には6人の総代がいるようです。でも、これらが組織的に日常的に機能していないように思えます。この人たちが中心に現代に地元やかってあった各地に講を蘇らせればーーー。その意味では、2月の只見町での布施弁天大雪像の展示は、巡行開帳に匹敵し、こうした状況を打破するなんらかの刺激剤となればいいですね。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ウォーキングと湧水めぐり | トップ | 蕪村も来た(?)駒木のおす... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史」カテゴリの最新記事