3連休の最終日に久しぶりに市内柏の葉にあるMOVIXに野村萬斎が主演する映画「のぼうの城」を見に行きました。9月に織田裕二主演の踊る大捜査線(THE FINAL「新たなる希望」)を見て以来となります。でも、ここでは、この映画の感想を書くわけではありません。
この「のぼうの城」のモデルとなっているお城は、「忍城(おしじょう)」といい、家内の群馬にある実家に行く際に良く通る埼玉県行田市にあります。数年前に新しくできたお城の白壁は横目に通りますが、ここに降りて見学したことはこれまでありませんでした。多分、この映画を見なかったら、今後も途中下車して見てみたいとも思わなかったでしょう。
この映画の内容は、1590年(天正18年)の豊臣秀吉の小田原攻めに代表される関東平定の際のひとつの攻防戦で、史実に基づいています。後北条方の忍城城主・成田氏長は小田原城にて籠城し、従兄弟の成田長親を城代とし、家臣と農民ら3,000の兵が忍城に立てこもった。
豊臣方の忍城攻めの総大将は石田三成で、大谷吉継、長束正家らも加わっている。総勢2万の大軍を率いた三成は、本陣を忍城を一望する近くの丸墓山古墳(埼玉古墳群)に置き、6月5日、三成は地形や季節を考えて水攻めを計画し、約1週間で延長28キロにもおよぶ堤を築き、利根川と荒川の水を引き入れるという大作戦を敢行。しかし、城が沈まなかったため、これを見た人々は城が沈まないのは浮くからだと考え、忍城は「浮き城」として、その名を轟かせました。現実には、忍城の地形がまわりよりも少し高かったため、沈まなかったと考えられます。
その後堤は切れてしまい、水攻めは失敗に終わりました。忍城の戦いは小田原城が7月6日に開城した後も続きましたが、最終的には開城して7月14日に豊臣軍に引き渡されました。この三成の築いた堤は、今でも一部が行田市内堤根地区に「石田堤」としてのこっています。
まあ、この攻防戦の内容を映画らしく、エンターテイメントにアレンジしているので、関心のある方は、映画をみて楽しんでみてはいかがでしょうか。
また、この籠城戦のとき、成田氏長の娘である甲斐姫が活躍して包囲軍を退けたという伝承もあるが、それは、あくまで伝承とのこと。
開城後の忍城は、江戸時代になると忍藩の藩庁が置かれ、明治維新後に取り壊されている。
もう、終わってしまったが、毎年11月の第二日曜日には、「行田商工祭・忍城時代祭り」が行われている。主会場は、行田市役所と行田市産業文化会館である。市役所前の通りから忍城にかけて武者行列(午前に1回)、忍城の堀にて火縄銃演武(午前と午後に1回ずつ)などが行われる。