とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

沖縄平和ツアー報告⑥

2007-01-04 11:53:32 | 写真日記
 モノレールに乗って牧志駅で降りて、まず楽器屋に直行しました。“のんびり倶楽部”氏から指笛とサンバを買ってきてくれないかと依頼されていたからです。“のんびり倶楽部”氏は昨日飲み会に行くときにこの楽器店に立ち寄って三線を購入していたのです。

 牧志の駅から国際通りを歩いていくとすぐにその楽器店が見つかりました。…ということは、昨日の飲み会は、国際通りをほとんど歩いてきたということだったんだ…と今さらながら驚いてしまいました。国際通りはにぎやかだけど、夜と昼の顔はずいぶん違うんだということを実感しました。

 楽器屋に立ち寄って、“のんびり倶楽部”氏の依頼のものを探しました。指笛はすぐに見つかったのですが、サンバの名前をど忘れしてしまって「これでいいんだっけ」とうろうろしていました。三線もいろいろ置いてあるのでじろじろ見ていました。おばさんが近づいてきて「触ってみられますか?」と聞いてきたのですが、ペンションでの苦い経験もあるので、触ることは断りました。

 店頭ではお兄さんが、一期一会の廉価版の音来(ニライ)という楽器を弾いています。「ハイサイおじさん」を見事に弾きこなしています。しばらく立って聞き惚れていました。実にいい音なのです。気づいた店員さんが、楽器の説明をしてくれました。ニライという楽器だそうで、少し弾いてみますか?と手渡してくれました。少し弾いてみたのですが、何とも言えない音色に変な感じでした。持った感じもなんか今ひとつしっくりこないので長く弾けそうにないな…という感じでいたら、「ギターを弾かれているならこんなのもありますよ」と取り出してきたのは何と4弦のギターです。「当店のオリジナルのギターなのですが、構造は全て一緒です。ギターを弾かれるのであればこっちの方がしっくりいきますよ」と言われて手にしてみると、これがすんなり弾けるのです。だんだん購買欲がムクムクと沸いてきます。すぐに衝動買いをするので家からは楽器の購入は止められていたのですが、30分もしない間に購入を決定していました。さすがにこれから下げて帰るわけにもいかないので宅配便で送ってもらうことにしました。配達されてからの家庭争議はちょっと気になりましたが、「なんくるないさー」と店を後にしました。

 

 次に向かったのが今回の目玉である牧志公設市場です。にぎやかな雰囲気を感じ取ろうと思い、楽しみにしていました。ところが今日は12月30日。とんでもない賑わいです。世の中は正月前なのです。正月用の買い物でごった返していました。のんびりした観光客など立ち入る隙間はありません。

 

 カメラを持ったおじさんなんか「ちょっと邪魔だよ。ひやかしはあっち行っておくれ!」という感じでしたが、恐る恐る奥へ奥へと向かいました。まず驚いたのは肉屋さんです。豚肉の売り方が半端じゃありません。豚足は山のように積み上げてあるし、三枚肉などブロックでどーんと置いてあります。ラフティーは正月にはやっぱり欠かせないのかもしれません。これをたっぷり作るのかなと思いながら豚の前でちょっとだけパチリ。

 

 次に魚屋さんのコーナーに向かいました。魚介類がまたすごいことになっています。これでもかというほど、あちらこちらに新鮮な魚貝があふれています。伊勢エビには少し触手が動きかけましたが、新鮮なうちに食べないとダメで、送るか冷凍ということだったのでちょっとあきらめました。

 

 夜光貝もたくさんありました。この夜光貝の貝殻は蒔絵や螺鈿などたくさんの装飾品に用いられたことでしられています。黒潮と季節風に乗って奈良平安の文化を創り出していったものです。奥州藤原氏の平泉の金堂もこの貝を用いた螺鈿が使われています。そういう意味では、日本の文化を生み出した貝とも言えます。味はサザエに似ているそうです。

 

 市場では「にいにい!」とか「おばあ」とか言う声が聞こえてきて沖縄のドラマを見ているようなそんな感じがしてきました。
 この市場の2階は食堂になっていて、下で買ったものがそのまま調理してもらって食べられることでも知られていますが、昼食を食べたばかりだったのでちょっと残念でした。

  

 市場の中で行列をみました。何の行列かな?と見に行くと年越し蕎麦の行列でした。でもやっぱり沖縄の年越し蕎麦はいわゆる蕎麦ではなくて沖縄そばでした。やっぱり土地のものなんですね。

            
   
 市場を奥へ奥へと進むといよいよ地元の人たちのための市場になってきます。こうなると、おばあの世界です。映画“涙そうそう”のにいにいがアルバイトしていたのもこのあたりかもしれません。さらに奥に進むと壺屋やちむん通りです。古い街並みを求めてこの壺屋やちむん通りをめざしました。このあたりは何と沖縄戦でも焼け残った地域ときいています。やちむんとは、焼き物を意味する沖縄の言葉です。やちむんの町らしく至る所に登り窯があります。

  

 焼き物の店も通りに面して左右にあります。焼き物自体にはあまり興味がないのとお金がないのでそこらへんはさっとかわしながらでもちらちらとのぞき見しながら歩を進めます。

 

 歩いていると見事なお店を見つけました。古民家をそのままお店にしています。観光マップではかなり有名なお店のようで観光客が必ず立ち寄るようです。



 さらに歩を進めると今度こそ本物の古民家に巡り会いました。「すごい!」と思っていたら奥の方から例の画伯氏が出てきて「わしは、1時間くらい座ってスケッチしていたけどもう疲れたからこのアングルで写真を1枚撮っておいてくれ」と言われました。なかなかすごい人です。でも那覇も狭いですね。こんなところで再会するとは思いませんでした。この家はまだ人が住んでいるのです。「これ以上奥には入らないでください」の看板がありました。

      

 カメラを持ってうろうろしていたら中からおばあが二人出てきました。「こんにちは」と声をかけるとやさしくにっこりしてくれたのでほっとしました。

  

 さらに奥へと歩いていくと今度は立派な赤瓦の家がありました。この家はお店のようでした。でも瓦が立派だったのでパチリと1枚。

 

 さらに歩を進めると大きな通りに出てきました。ここはひめゆり通りです。この通りを歩きながら路地を見るとやっぱり撮りたくなる風景が広がってきます。歩きながら興味にまかせて写真を撮っていきました。

   

 空港に着いたのは集合時間の1時間前でした。でももうくたくたで何にもしたくないような状況でした。空港のレストランでやっぱりオリオンビールを注文して頭の中をクールダウンさせようとしますが、ジョッキのビールも飲み終えてもなかなか元には戻りません。もう1杯追加注文して時が過ぎるのを待ちました。



 みんな集合して搭乗口へ向かいました。少し時間があるので売店に行ってまた泡盛のロックを注文しました。飛行機の中で眠るためです。ところが飛行機の中ではなかなか眠れません。機内サービスでコーヒーをもらってそれを飲んだのですが、やっぱりまた最後にオリオンビールを注文して全ての沖縄旅行の日程を終了しました。帰りは一切車を運転していませんのでご安心を。


 

 
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沖縄平和ツアー⑤

2007-01-03 12:20:25 | 写真日記
 沖縄最後の日になりました。最終日はそれぞれ自由行動になっています。カヌーに乗ったり、レンタカーでみんなで観光など様々な企画が用意されていましたが、写真を撮るという目的で完全に一人だけの行動を選びました。

 朝食もそそくさと済ませて、まずモノレールで空港に向かいました。荷物をコインロッカーに預けてから身軽に行動しようということです。モノレールは一日乗車券というものを購入しました。600円と格安でした。

  

 まず向かったのは首里城です。那覇市内観光の定番で外さない方がいいかもと思いました。今回は思い切りゆっくり回ろうと思っていました。首里駅で降りると、タクシーの運転手が声をかけてきます。「首里城の案内しますよ」モノレールができてからタクシーのおじさんたちはかなり苦戦しているそうです。もちろん誘いを断って歩き始めました。しばらく行くと本屋さんがあり、ガイドマップでもあればと立ち寄りました。そこで「修学旅行生のための沖縄案内」「ぴあマップ沖縄」の2冊を購入しました。「修学旅行…」という本はわかりやすく書いてありますが、やっぱり重たい部分もある本です。まだ懲りていない…。

 歩を進めると面白い看板が目につきました。詩人山之口貘の詩の一節です。山之口さんは沖縄出身の詩人で高田渡氏の「生活の柄」という曲で知った詩人です。生活感にあふれた詩を書く人で、放浪の詩人とも言われています。詩集も何冊かもっていて、好きな詩もあるのですが、著作権の問題があるのでここでは紹介できません。



 しばらく歩くと首里城が見えてきました。首里城と言えば守礼門ですが、お決まりのお姉さんたちが待ちかまえています。写真撮りませんか?女性は貸衣装まで用意されているそうです。

 

門をくぐるとすぐに園比屋武御嶽石門が見えてきます。何の変哲もないただの石門です。でも、みんな立ち止まって写真を撮っていきます。しかもポーズまで取っています。これが、世界遺産効果というものでしょうか。世界遺産の指定を受けていなければここまで大切にしてもらえないだろうなと思います。ただ、ほとんどが再建されたもので元のものは屋根の部分だけだということを誰が知っているのでしょう。



歓会門のあたりは古い感じを出しています。でも、ほとんどが戦災で破壊されていて復元されてきた城なのです。おそらく以前のものは石垣の下一段のでこぼこの石組みだけだと思います。整然と並んでいる石組は復元組でしょう。毎回来るたびに立派になっていくのがここの特徴でもあります。

  

 中国様式の建物を見ると。15Cに誕生した琉球王国も中国と日本の間で揺れ動いてきた歴史を感じます。江戸初期に薩摩軍によって侵略された歴史は忘れられない歴史だと思います。

 

 正殿へ向かっていると、レンタカー組の若者たちにばったり出会ってしまいました。「何だ!一人がいいと言ったのに、ツアーと同じことしてるんですか?」と言わんばかりの視線に、反論もできずにまた一人回っていきました。

 

 首里駅に向かって歩いていると、一台の車が近寄ってきました。見るとツアー仲間の画伯氏です。画伯氏は郷土史家で元県会議員の宮良氏の車で案内されていました。「石畳に行くんだけど乗りますか?」と誘われて、ご同行させてもらうことにしました。この選択は正解でした。石畳の風景は実に良いものでした。

 石畳は国王が首里城からまっすぐ下りてくるために整備された道です。現在の石畳の始まる前に小さな橋があってこの橋がなかなかステキでした。

 

 石畳を上ろうとすると、左手に民族資料館という看板が目に入りました。「石畳 瑞盛館」です。画伯氏と一緒に入ることにしました。ここは、レストランも兼ねているので昼食も取ることにしました。
 
 豆腐づくりに用いられていた石臼がはめ込まれたヒンプンをはじめ貝の化石が残る琉球石灰岩で作られたアーチなど写真に撮りたいと思うものがたくさんありました。


 
 かつてこの場所は、新垣酒造所の泡盛工場があったところで県内では唯一ここにだけと言われている泡盛を蒸留する際に使用した冷却池などが残っており敷地そのものが資料館になっています。

 
 
 画伯氏が舟のスケッチを始めたので、先に食堂に入り始めることにしました。
始めるというのはやっぱりオリオンビールのことです。沖縄で飲むオリオンビールは何でこんなにおいしいのでしょう。
 この日頼んだのはイナムルチ定食です。イナムルチとは、豚の三枚肉、椎茸、かまぼこ、こんにゃくなど入った具だくさんの沖縄風豚汁です。甘口の白みそで仕立てています。定食には他にカーサジューシーとミミガーさしみ石畳まんじゅうがついていました。ジューシーとは沖縄風炊き込みご飯のことです。よもぎ入りのジューシーを、芭蕉の葉で包んで香り高く仕上げています。ミミガー(豚の耳)はピーナッツバターと味噌で合えたものです。クラゲのようにコリコリとした食感がクセになります。石畳まんじゅうはこの店のオリジナルだそうで紅芋、もち粉、はったい粉、泡盛などを原料だそうです。甘さ控えめでおいしかったです。なにより月桃の葉でくるんであってその香りがとても良かったのが印象的でした。調子に乗ってビール2本も飲んでしまいました。このビールが後で尾をひいてしまいます。

 

 店を後にして石畳を上っていきます。なかなかの風景が続いていきます。画伯氏が立ち止まって絵を描いている間にいろんな風景を写真に撮って歩いていました。

 

 坂道に座っているといろんな人が通りかかります。親子連れの人たちには「シャッター押しましょうか?」と声をかけたり、小さなお子さん連れの人たちとはあいさつをかわしたり、少しだけ優しくなれるそんな街でした。

   

 もう少し登っていくと、赤木の大木があるということで見にいくことにしました。首里城の近くにもあって、沖縄固有の木だそうです・樹齢300年ということで那覇の歴史をみてきたんだという思いで、見上げました。

 

 そのあたりからさっきのビールが効いてきたのか心臓バクバクしてきました。いつでもこういうことになるのに懲りません。坂道を登り切ったところが首里城です。画伯氏は首里城をスケッチするというので、ここで別行動とし、牧志公設市場方面へと向かいました。    

  




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沖縄平和ツアー報告④

2007-01-02 22:38:13 | 写真日記
 次に向かったのは辺野古海岸です。ここは普天間基地の移転先として新聞テレビでも何度も報道されているので有名です。辺野古付近はジュゴンの生息地としてもしられています。また珊瑚の海岸としても有名です。辺野古には基地移転反対の闘争小屋があり、思想信条を超えてテント内で座り込みをしているそうです。

 バスで海岸近くまで入っていきました。途中に古民家がたくさんあり写真に散りたいと思っていました。辺野古の海岸はきれいな砂浜でここを埋め立てて基地を作るなどもってのほかという思いを強くしました。ガイドさんは反対闘争の歴史について詳しく説明されていましたが、久しぶりの青空が見えたことと海岸の風景に気をとられがちでした。

 

 海岸にはバリケードが張ってあってそこには来た人たちのメッセージの布きれがつけてありました。バリケードの向こうはアメリカの統治ということになります。

     

 辺野古の海岸に着く前に古民家があったのが気になって仕方ありませんでした。何とか撮りたいと思っていたら、“のんびり倶楽部”氏が交渉してくれて古民家の写真を撮りに行きました。なかなか興味のある建物がたくさんありました。観光化されていないそのままの家でそこには暮らしが息づいていました。写真もちょっとだけ満足できたように思います。

      

 みんなの所に戻って行くと、みんなは辺野古の闘争小屋に行っていました。闘争小屋は掘っ立て小屋で反対運動を続けているようでした。説明をしてくれた若者はしっかりした口調でしゃべっていたので、大学生かなと思っていたら、高校を中退して、ここに来て運動の中で、おじい、おばあを見ていつの間にかいついているということでした。それにしては、口調がしっかりしていて、学習は必然性の中でしか進んでいかないのだと思いました。

  

 昼食は、宜野座村の未来ぎのざで食べました。その市場は基地に頼らずに生活していくことを目的に作られたと言われていました。チキンのチリソースの定食を頼みました。なかなか簡単には出てきそうになかったので、市場を少し見ていくことにしました。市場の前には所狭しと新鮮な野菜が並んでいました。近かったら持って帰りたいと思う野菜がたくさん並んでいました。

 市場の中に入ると、一番奥に阪神タイガースのコーナーがありました。ここ宜野座は阪神タイガースがキャンプをしているのです。泡盛の阪神ボトルと、宜野座限定のTシャツを思わず買ってしまいました。
 袋を持って、みんなの前に帰ると、みんなの白い目が待っていました。タイガースの好きな人でないとわからないのがこの世界なのです。タイガースと名前が入っていたら何でも買ってしまうのです。

 宜野座はサミットの時にイタリア代表が宿泊したということでローマの休日の時に出てきたレリーフがおいてありました。みんなで手を突っ込んで記念写真を撮るのはお決まりのコースです。

    

 食事を終えて次に向かったのはキャンプハンセンです。キャンプ・ハンセンでは、県内最大規模の実弾射撃演習が実施されています。
実弾射撃演習による原野火災や施設外への被弾など、周辺地域へ与える不安がもっとも高い施設の一つです。基地内には兵舎、医療施設、銀行、娯楽施設が完備されています。私たちは崖をのぼってフェンス越しに基地内を見ることにしました。基地の中には大砲や装甲車などたくさん配置されているのが見えました。

   

 キャンプの中の実弾演習は、流れ弾が民家に届いて大惨事になることも少なくないようです。それを見張るということで鉄塔が建てられています。いかにも手作りということで少しおっかない感じでした。反対住民が建てた“命どぅ宝”(ぬちどぅ)ののぼりが印象的でした。沖縄では特に大切で重たいことばかもしれません。

 他にも沖縄の好きなことばがいくつかあります。「行逢りば兄弟」(いちゃりばちょーでー)人間はどこかで一度出会ったら兄弟のように仲良くつきあっていこうということば。相互扶助の精神で隣人にやさしいヨコ社会の癒しのことばです。もうひとつ「なんくるないさ」今はいやなことがあっても、きっといつか良い日がくる。Let It Be が直訳かもしれません。あるいはボブディランのDon't Think Twice It's All Rightが合うのかも知れません。

 次に向かったのが天願桟橋です。天願桟橋は、最大2万トン級までの船舶が接岸できる桟橋があり、主に弾薬、武器類等の搬入港湾として使用されています。ベトナムにもイラクにもここから武器弾薬の輸送がされたのです。当日は燃料輸送の船が停泊していました。

 

 さて、今回の平和ツアーの最後の学習の地が普天間基地です。普天間基地は街のど真ん中に位置していて世界で最も危険は基地だと言われています。当日は近くの嘉数高台から基地全体を見ました。基地周辺にはたくさんの学校があるそうです。見ている間にも上空を何度も飛行機やヘリコプターが離着陸していきました。大変な騒音でした。

 

 またこの嘉数高台は大変な激戦が行われた場所でもあったようです。トーチカのあとが残っていました。少し前に見た映画「硫黄島からの手紙」のシーンが蘇ってきてその重さにちょっとへたりそうになりました。



 ここで、すべての平和学習が終了して、ホテルへ向かうバスの中ではガイドさんが歌を歌ってくれました。
 
 ホテルに着いてしばらくすると交流会と称した宴会が始まります。会場は国際通りをずっと牧志の方まで下った沖縄料理の店でした。夜の国際通りは昼間のいろいいろな気持ちをすっと忘れさせるような華やかさとどぎつさがありました。

 

 少し歩いているとストリートミュージシャンが歌を歌っていました。見ると制服をきたまま女子高生が一人ギターで歌っていました。あまりに可憐な歌声に思わず足を止めて聞いていました。「先にいくよ。わからなくなるよ。」の声も無視して「後で携帯で電話して」と言ってしばらく聞いていました。手作りCDを1500円で売っていたので結局買っていきました。

  

 交流会の席は昼間の重さから解放されたせいか、みんな口が軽くなっていたように思います。泡盛だけがどんどんなくなっているのがわかります。

  

 帰りにライブハウスに行こうという誘いを断って一人で国際通りを歩いてみました。ほろ酔い気分と昼間と夜の落差の激しさからか妙に気持ちがハイになっているのに気づきました。いつの間にか歌を口ずさみながら歩いていました。なぜか、トップオブワールドだったり、風に吹かれてだったりめちゃくちゃな選曲でした。

          

 帰りにふらっと立ち寄ったライブハウスが、けっこうかっこ良かったのがさすが沖縄という感じを受けました。ホテルに着いた時には感情的に高ぶっていたこともあり、なかなか寝付けない夜でした。

  

 
  

 





    
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沖縄平和ツアー報告③

2007-01-02 14:37:26 | 写真日記
2日目の朝もやっぱりどんより曇った天気で迎えました。朝ご飯もなかなかていねいなものを用意してもらって、心づくしのあるペンションだという感じがしました。朝食で満足して、オーナーと犬たちに見送られながら2日目がスタートしました。

      

 この日は、米軍基地巡りということになっていたのですが、ガイドさんがホワイトビーチに軍艦が来ていないので、そこをとりやめてもう一つガマに向かうことを告げました。目的地はチビチリガマでした。正直「えー!」という感じでした。このガマは住民が集団自決したガマと知られています。戦前、東条が命じた「生きて虜囚の辱めを受けず 死して罪過の汚名を残すことなかれ」の教えを受けて、小さい幼児まで一家で殺し合うという悲劇のガマなのです。

 日本軍は,「敵に投降するものはスパイとみなして射殺する」との考えを,住民にも警告的に流布していました。さらに,日本軍による中国やフィリピンでの捕虜・敵性住民の虐待・処刑の経験から,「鬼畜米英」によって捕虜は処刑され、女は辱めを受けると信じ込んでいました。このような認識の下で,自らの手で家族,友人とともに死ぬ集団死はせめてもの慰めとなったようです。これは極めて異常な状況だと思います。

 利敵行為につながる捕虜,虐待・処刑される捕虜となってはいけないいう恐怖の心理状況に追いやった軍による住民指導が,集団死の大きな要因になったと思います。教育の責任は大きいものです。生き残った人々,集団死の身近に会った人々からしてみれば,以前からの政府・軍の「鬼畜米英」のプロパガンダと作戦指導に基づいて行動した結果,集団死を選択せざるを得なかったのではないかと思います。

  

 ガマの中まで入ることはできませんが、近寄ったら川が流れ湿気がたくさんあり、ガジュマルが根っこを広げて何とも言えない雰囲気をかもしだしていました。ガイドさんは詳しく説明してくれていましたが、もうその場で聞くことができなくて早々に出てしまいました。頭の中は、リアリティーのある場面がよみがえって、息苦しくなってしまいました。

  

 次に行ったのが通称通称「象の檻」と呼ばれる楚辺通信所は、直径約200m、高さ28mの巨大な檻のようなケージ型アンテナを持ち、軍事通信の受信施設として使用されてきたそうでした。借用期限がとうに過ぎても繰り返し使用してきたことで話題になりました。昨年末で完全に返却されるそうです。これだけの土地をどうするんだろう?と思いました。もちろん地主に返されるんだろうけど、どういう形で使っていくんだろうと思いました。

  
 
 次は、読谷村役場に向かいました。基地のど真ん中にある役場です。この基地は返却が決まっています。この広大な土地をどう使っていくのだろう?これから開発が進んでいくんだろうな?と少し心配になりました。もう一つ、役場の建物があまりに立派で基地使用料で建てているとしたら、今後どうやって維持していくのかこのことも心配になりました。

 この役場には憲法9条の碑があります。ここまで平和宣言をしているのが沖縄なんですね。でも、憲法9条を変えようとしている動きに対してはどういう態度でいくんだろうと興味を持ちました。もう一つ、巨大な紅芋のモニュメントがありました。これもなかなか面白い。目の前の道路には元滑走路があって広い広い道路がまっすぐ海に向かっています。両側はもちろんさとうきび畑です。ここは、よく映画やCMに利用されている場所のようです。

   

次に嘉手納基地に向かいました。嘉手納基地の前に道の駅ができていて4階の展望台から見るか、安保の丘から見るかということになりましたが、安保の丘から見ることになりました。見ている先からジェット戦闘機が着陸していきました。他にも輸送機など何度も飛行するのにびっくりしてしまいました。着陸しては離陸していくタッチアンドゴーも何度か繰り返しています。その騒音は大変なものです。これだけの飛行機が幾度となく飛び交っているということは、予算的にも大変なものだと思いました。映画「父親たちの星条旗」の中で、戦債を集める苦労を描いていたけど、これは大変なことだと思いました。

 基地は、嘉手納町、沖縄市、北谷町(ちゃたん)にまたがっているけど、嘉手納町の基地面積は何と83%にもなっているそうです。地主だけでも7910人もいるそうです。使用料は出ているそうですが、米軍からではなく、日本政府からだそうです。

 でも、ずっと飛行機を見ていると、騒音問題や航空事故のことを忘れて飛行機のもつ機能美の方に興味がいってしまい、思わず飛ぶ姿に見ほれてしまうことがあるのがカメラマンの欠点でしょうか。

  

 
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沖縄平和ツアー②

2007-01-01 16:35:20 | 写真日記
 沖縄県平和祈念資料館です。この施設は、沖縄戦のことを風化させないことを目的にしてできた施設で、平和祈念公演と合わせて大変貴重な施設です。この施設の設立理念が大変格調高いのでぜひHPに行って見てもらうことを勧めます。

 バスから降りて資料館についての最初の説明がありましたが、最初に目についたのは、ハブ注意の看板です。不真面目さは直っていません。



 平和祈念資料館の中は、写真、資料、映像といろんな資料があふれていて、真実を伝えるのには大変役に立つのではないかと思いました。ただ、朝からずっとこの流れできたので、もうお腹いっぱい状態になって大変疲れていました。




展望台があるというのでそちらに逃げることにしました。東シナ海に突き出た岬は大変見応えのある風景でした。でもその岬は住民たちが最後に追い込まれていった岬でもあるのだから複雑な思いです。
 せめて、天気だけでも良かったら気持ちも晴れるのにずっと雲っていたので、お天気同様どんよりと雲ってしまいました。

 

 公園のあたりを散歩しながらいろんなことを考えていました。公園の中央には平和の礎(いしじ)が扇形の整然と並んでいます。沖縄戦の犠牲者の名前を刻銘したメモリアルになっています。刻銘碑には沖縄出身の軍属、軍人、出身県別軍人軍属アメリカ、イギリス、台湾、朝鮮出身者も並べてあるが、圧倒的に沖縄の人の犠牲者が多いことに気づきます。犠牲者の人数でなく、名前で記してあることにリアリティーがあるように思いました。

  

 名前をずっと見ていたら沖縄の人の名前に特徴的なものをいくつか見つけました。名字が変わっているのは気づいていましたが、名前のなかにナビという名前を見つけました。映画『ナビィの恋』のナビィはニックネームでもなんでもなく本名だったのですね。他にカマドさんやウシさんなどもたくさん存在しました。

  

 朝鮮半島からもたくさんの人たちが軍属として送り込まれています。飛行場の建設や陣地のづくりなどに使役されて犠牲になった人たちもたくさんいます。もちろん「慰安婦」として連行された女性たちも、各部隊に配属されていたそうです。その人たちのために「韓国人慰霊塔」が建立されています。

    

 一通りの南部戦跡での学習を終えて、今夜の宿である『まーみなー』に到着しました。かわいらしいペンションでした。この日は沖縄らしくなく風の強いとても肌寒い日でした。すぐに部屋に入って荷物を落ち着かせました。男性は同室ということで9人が雑魚寝というなかなかシビアーな環境になってしまいましたが、気心知れている組合員同士ということで、まあ問題ないかなというところでした。

  

 夕食までまだ1時間ぐらいあったのですが、部屋でぼんやりするのもつまらなくてじゃまになるかな?と思いながら1階のリビングルームにお邪魔しました。犬が4頭ごろりんとなっていました。犬は全部ラブラドールレトリバーでなかなか壮観でした。夕食の準備を忙しくしているところにお邪魔させてもらいながら、三線をポロリンさせてもらいました。一緒に行ったのんびり倶楽部氏は、勘がいいいようでどんどんスケールが飛び出していましたが、私めは、どうも思ったように弾けません。ギターの経験が長すぎるのか、年齢的なものかは定かではありませんが、苦戦していました。本棚から本を出して読んでみたりしながら食事タイムを待ちました。



 みんな揃ったところで食事タイムになりました。まず食前酒の梅酒で乾杯しました。「お飲み物は?」ということになって「取りあえずビールで!」が飛び交うなか、一人だけ「泡盛をロックでお願いします」というわがままを通してしまいました。この日の献立は以下の通りでした。

食前酒・・・梅酒
紅芋のきんとん風
ジーマミーどうふ(ピーナツとうふ)
スヌイ (もずく)
ソーキ&ラフティ煮物(豚肉)
海鮮サラダ(海ぶどう添え)
ゴーヤチャンプルー
グルクンのハーブソテー
沖縄そば
漬物
      
 
 どれも沖縄らしくておいしかったのですが、個人的にはジーマミーどうふ(ピーナツとうふ)とゴーヤチャンプルーがとてもお気に入りでした。この味は山口では出せません。さすが、沖縄でした。ゴーヤチャンプルーはこの後も何度も食べるのですが、この夜のゴーヤチャンプルーが絶賛でした。

 食事が終わったらこのペンションならではの、お楽しみが待っています。ここのオーナーはシンガーソングシェフの会沢芽美さんなのです。
 生のピアノによるうたごえ喫茶が始まりました。最初の歌は涙そうそうです。地元沖縄で歌う涙そうそうはまた違った感じに聞こえます。配られた歌集から次々にリクエスト応えていきます。歌声喫茶になれているのは、おじさんばかりなので若者が少し、めんくらっているのがわかります。

 第2部は会沢さんのソロになります。優しい歌声で心に響いていきます。いい時間が流れていきます。話を交えながら、灰谷さんの本の中から引用した子どもの詩にメロディーをつけた歌も紹介していきます。本当に気持ちの良い時間だったのと泡盛の酔いで一瞬うとうとしてしまい申しわけなかったのですが、言い訳をすれば音楽で眠ることができたら最高だといつも思っています。

 最後にカチャーシーをみんなに指導してくれてみんなで踊って楽しい夜を過ごしました。

    


       


  



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