次に向かったのは辺野古海岸です。ここは普天間基地の移転先として新聞テレビでも何度も報道されているので有名です。辺野古付近はジュゴンの生息地としてもしられています。また珊瑚の海岸としても有名です。辺野古には基地移転反対の闘争小屋があり、思想信条を超えてテント内で座り込みをしているそうです。
バスで海岸近くまで入っていきました。途中に古民家がたくさんあり写真に散りたいと思っていました。辺野古の海岸はきれいな砂浜でここを埋め立てて基地を作るなどもってのほかという思いを強くしました。ガイドさんは反対闘争の歴史について詳しく説明されていましたが、久しぶりの青空が見えたことと海岸の風景に気をとられがちでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/cc/0b106c741d08144702d15acce2d5f3a4.jpg)
海岸にはバリケードが張ってあってそこには来た人たちのメッセージの布きれがつけてありました。バリケードの向こうはアメリカの統治ということになります。
辺野古の海岸に着く前に古民家があったのが気になって仕方ありませんでした。何とか撮りたいと思っていたら、“のんびり倶楽部”氏が交渉してくれて古民家の写真を撮りに行きました。なかなか興味のある建物がたくさんありました。観光化されていないそのままの家でそこには暮らしが息づいていました。写真もちょっとだけ満足できたように思います。
みんなの所に戻って行くと、みんなは辺野古の闘争小屋に行っていました。闘争小屋は掘っ立て小屋で反対運動を続けているようでした。説明をしてくれた若者はしっかりした口調でしゃべっていたので、大学生かなと思っていたら、高校を中退して、ここに来て運動の中で、おじい、おばあを見ていつの間にかいついているということでした。それにしては、口調がしっかりしていて、学習は必然性の中でしか進んでいかないのだと思いました。
昼食は、宜野座村の未来ぎのざで食べました。その市場は基地に頼らずに生活していくことを目的に作られたと言われていました。チキンのチリソースの定食を頼みました。なかなか簡単には出てきそうになかったので、市場を少し見ていくことにしました。市場の前には所狭しと新鮮な野菜が並んでいました。近かったら持って帰りたいと思う野菜がたくさん並んでいました。
市場の中に入ると、一番奥に阪神タイガースのコーナーがありました。ここ宜野座は阪神タイガースがキャンプをしているのです。泡盛の阪神ボトルと、宜野座限定のTシャツを思わず買ってしまいました。
袋を持って、みんなの前に帰ると、みんなの白い目が待っていました。タイガースの好きな人でないとわからないのがこの世界なのです。タイガースと名前が入っていたら何でも買ってしまうのです。
宜野座はサミットの時にイタリア代表が宿泊したということでローマの休日の時に出てきたレリーフがおいてありました。みんなで手を突っ込んで記念写真を撮るのはお決まりのコースです。
食事を終えて次に向かったのはキャンプハンセンです。キャンプ・ハンセンでは、県内最大規模の実弾射撃演習が実施されています。
実弾射撃演習による原野火災や施設外への被弾など、周辺地域へ与える不安がもっとも高い施設の一つです。基地内には兵舎、医療施設、銀行、娯楽施設が完備されています。私たちは崖をのぼってフェンス越しに基地内を見ることにしました。基地の中には大砲や装甲車などたくさん配置されているのが見えました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/90/8d79dd3ee7bef153afdc5b38fa765954.jpg)
キャンプの中の実弾演習は、流れ弾が民家に届いて大惨事になることも少なくないようです。それを見張るということで鉄塔が建てられています。いかにも手作りということで少しおっかない感じでした。反対住民が建てた“命どぅ宝”(ぬちどぅ)ののぼりが印象的でした。沖縄では特に大切で重たいことばかもしれません。
他にも沖縄の好きなことばがいくつかあります。「行逢りば兄弟」(いちゃりばちょーでー)人間はどこかで一度出会ったら兄弟のように仲良くつきあっていこうということば。相互扶助の精神で隣人にやさしいヨコ社会の癒しのことばです。もうひとつ「なんくるないさ」今はいやなことがあっても、きっといつか良い日がくる。Let It Be が直訳かもしれません。あるいはボブディランのDon't Think Twice It's All Rightが合うのかも知れません。
次に向かったのが天願桟橋です。天願桟橋は、最大2万トン級までの船舶が接岸できる桟橋があり、主に弾薬、武器類等の搬入港湾として使用されています。ベトナムにもイラクにもここから武器弾薬の輸送がされたのです。当日は燃料輸送の船が停泊していました。
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さて、今回の平和ツアーの最後の学習の地が普天間基地です。普天間基地は街のど真ん中に位置していて世界で最も危険は基地だと言われています。当日は近くの嘉数高台から基地全体を見ました。基地周辺にはたくさんの学校があるそうです。見ている間にも上空を何度も飛行機やヘリコプターが離着陸していきました。大変な騒音でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/26/ad77ec9af4b5de4dfeccb8b14c928f8c.jpg)
またこの嘉数高台は大変な激戦が行われた場所でもあったようです。トーチカのあとが残っていました。少し前に見た映画「硫黄島からの手紙」のシーンが蘇ってきてその重さにちょっとへたりそうになりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/31/17bbe1c88f691081b12ef9c9504f6631.jpg)
ここで、すべての平和学習が終了して、ホテルへ向かうバスの中ではガイドさんが歌を歌ってくれました。
ホテルに着いてしばらくすると交流会と称した宴会が始まります。会場は国際通りをずっと牧志の方まで下った沖縄料理の店でした。夜の国際通りは昼間のいろいいろな気持ちをすっと忘れさせるような華やかさとどぎつさがありました。
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少し歩いているとストリートミュージシャンが歌を歌っていました。見ると制服をきたまま女子高生が一人ギターで歌っていました。あまりに可憐な歌声に思わず足を止めて聞いていました。「先にいくよ。わからなくなるよ。」の声も無視して「後で携帯で電話して」と言ってしばらく聞いていました。手作りCDを1500円で売っていたので結局買っていきました。
交流会の席は昼間の重さから解放されたせいか、みんな口が軽くなっていたように思います。泡盛だけがどんどんなくなっているのがわかります。
帰りにライブハウスに行こうという誘いを断って一人で国際通りを歩いてみました。ほろ酔い気分と昼間と夜の落差の激しさからか妙に気持ちがハイになっているのに気づきました。いつの間にか歌を口ずさみながら歩いていました。なぜか、トップオブワールドだったり、風に吹かれてだったりめちゃくちゃな選曲でした。
帰りにふらっと立ち寄ったライブハウスが、けっこうかっこ良かったのがさすが沖縄という感じを受けました。ホテルに着いた時には感情的に高ぶっていたこともあり、なかなか寝付けない夜でした。
バスで海岸近くまで入っていきました。途中に古民家がたくさんあり写真に散りたいと思っていました。辺野古の海岸はきれいな砂浜でここを埋め立てて基地を作るなどもってのほかという思いを強くしました。ガイドさんは反対闘争の歴史について詳しく説明されていましたが、久しぶりの青空が見えたことと海岸の風景に気をとられがちでした。
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海岸にはバリケードが張ってあってそこには来た人たちのメッセージの布きれがつけてありました。バリケードの向こうはアメリカの統治ということになります。
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辺野古の海岸に着く前に古民家があったのが気になって仕方ありませんでした。何とか撮りたいと思っていたら、“のんびり倶楽部”氏が交渉してくれて古民家の写真を撮りに行きました。なかなか興味のある建物がたくさんありました。観光化されていないそのままの家でそこには暮らしが息づいていました。写真もちょっとだけ満足できたように思います。
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みんなの所に戻って行くと、みんなは辺野古の闘争小屋に行っていました。闘争小屋は掘っ立て小屋で反対運動を続けているようでした。説明をしてくれた若者はしっかりした口調でしゃべっていたので、大学生かなと思っていたら、高校を中退して、ここに来て運動の中で、おじい、おばあを見ていつの間にかいついているということでした。それにしては、口調がしっかりしていて、学習は必然性の中でしか進んでいかないのだと思いました。
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昼食は、宜野座村の未来ぎのざで食べました。その市場は基地に頼らずに生活していくことを目的に作られたと言われていました。チキンのチリソースの定食を頼みました。なかなか簡単には出てきそうになかったので、市場を少し見ていくことにしました。市場の前には所狭しと新鮮な野菜が並んでいました。近かったら持って帰りたいと思う野菜がたくさん並んでいました。
市場の中に入ると、一番奥に阪神タイガースのコーナーがありました。ここ宜野座は阪神タイガースがキャンプをしているのです。泡盛の阪神ボトルと、宜野座限定のTシャツを思わず買ってしまいました。
袋を持って、みんなの前に帰ると、みんなの白い目が待っていました。タイガースの好きな人でないとわからないのがこの世界なのです。タイガースと名前が入っていたら何でも買ってしまうのです。
宜野座はサミットの時にイタリア代表が宿泊したということでローマの休日の時に出てきたレリーフがおいてありました。みんなで手を突っ込んで記念写真を撮るのはお決まりのコースです。
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食事を終えて次に向かったのはキャンプハンセンです。キャンプ・ハンセンでは、県内最大規模の実弾射撃演習が実施されています。
実弾射撃演習による原野火災や施設外への被弾など、周辺地域へ与える不安がもっとも高い施設の一つです。基地内には兵舎、医療施設、銀行、娯楽施設が完備されています。私たちは崖をのぼってフェンス越しに基地内を見ることにしました。基地の中には大砲や装甲車などたくさん配置されているのが見えました。
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キャンプの中の実弾演習は、流れ弾が民家に届いて大惨事になることも少なくないようです。それを見張るということで鉄塔が建てられています。いかにも手作りということで少しおっかない感じでした。反対住民が建てた“命どぅ宝”(ぬちどぅ)ののぼりが印象的でした。沖縄では特に大切で重たいことばかもしれません。
他にも沖縄の好きなことばがいくつかあります。「行逢りば兄弟」(いちゃりばちょーでー)人間はどこかで一度出会ったら兄弟のように仲良くつきあっていこうということば。相互扶助の精神で隣人にやさしいヨコ社会の癒しのことばです。もうひとつ「なんくるないさ」今はいやなことがあっても、きっといつか良い日がくる。Let It Be が直訳かもしれません。あるいはボブディランのDon't Think Twice It's All Rightが合うのかも知れません。
次に向かったのが天願桟橋です。天願桟橋は、最大2万トン級までの船舶が接岸できる桟橋があり、主に弾薬、武器類等の搬入港湾として使用されています。ベトナムにもイラクにもここから武器弾薬の輸送がされたのです。当日は燃料輸送の船が停泊していました。
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さて、今回の平和ツアーの最後の学習の地が普天間基地です。普天間基地は街のど真ん中に位置していて世界で最も危険は基地だと言われています。当日は近くの嘉数高台から基地全体を見ました。基地周辺にはたくさんの学校があるそうです。見ている間にも上空を何度も飛行機やヘリコプターが離着陸していきました。大変な騒音でした。
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またこの嘉数高台は大変な激戦が行われた場所でもあったようです。トーチカのあとが残っていました。少し前に見た映画「硫黄島からの手紙」のシーンが蘇ってきてその重さにちょっとへたりそうになりました。
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ここで、すべての平和学習が終了して、ホテルへ向かうバスの中ではガイドさんが歌を歌ってくれました。
ホテルに着いてしばらくすると交流会と称した宴会が始まります。会場は国際通りをずっと牧志の方まで下った沖縄料理の店でした。夜の国際通りは昼間のいろいいろな気持ちをすっと忘れさせるような華やかさとどぎつさがありました。
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少し歩いているとストリートミュージシャンが歌を歌っていました。見ると制服をきたまま女子高生が一人ギターで歌っていました。あまりに可憐な歌声に思わず足を止めて聞いていました。「先にいくよ。わからなくなるよ。」の声も無視して「後で携帯で電話して」と言ってしばらく聞いていました。手作りCDを1500円で売っていたので結局買っていきました。
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交流会の席は昼間の重さから解放されたせいか、みんな口が軽くなっていたように思います。泡盛だけがどんどんなくなっているのがわかります。
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帰りにライブハウスに行こうという誘いを断って一人で国際通りを歩いてみました。ほろ酔い気分と昼間と夜の落差の激しさからか妙に気持ちがハイになっているのに気づきました。いつの間にか歌を口ずさみながら歩いていました。なぜか、トップオブワールドだったり、風に吹かれてだったりめちゃくちゃな選曲でした。
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帰りにふらっと立ち寄ったライブハウスが、けっこうかっこ良かったのがさすが沖縄という感じを受けました。ホテルに着いた時には感情的に高ぶっていたこともあり、なかなか寝付けない夜でした。
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夜の街は楽しいですよね。いつまでも眠らない不思議な街です。