季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

好奇心

2009年10月13日 | 
ドナルド・キーンさんの「日本人の質問」という本は面白い。何といって特別なことが書いてあるわけではないが、外から見た日本というものがよく出ている。

と書けば、そうなのか、と思う人がすぐに出るくらい、僕たちは外側から見た日本に関心がある。かく申す僕もキーンさんの本を買って読んだわけだから同じ日本人である。プロの立ち読みストを自認する僕が買ったんですよ。(なお、僕が立ち読みしたか、買ったかは本の価値とはまったく連動しない、あるいは少ししか連動しない。それはどちらかといえば僕の財布や時間と連動する。僕が買ったから僕が強く推す、というわけでは必ずしもない。この日、僕の財布には少々現金が入っていた、という意味しか持たない。念のため)

昔、日本に外国人がとても少なかったころ、町で外国人だと一目で分かる人がいると、通りすがりの日本人がジーッと興味深そうに見ていた。僕はそれが田舎くさく感じて嫌であった。

そして、日本人はなぜ外国人と見ただけであんなに露骨な好奇の目でジロジロみるのか、と島国根性を嫌悪したりした。

しかし今思えば、僕自身も好奇心に動かされていたのではないか。周囲の人への反撥が強かったせいで、自分の好奇心を抑えていたのではないか。あいつらと同じになってたまるか、そんな気持ちだったのではないか。多分そうだ。

ドイツに住んでいた時分、少し休暇が取れると(なんて書くとよっぽど忙しくしていたみたいだが、もちろんそんなことはない。37、8まで今でいうフリーターさ。だから正確に書いておけば、小金が貯まると、だね)チロルの山奥に行くことが多かった。

休暇が取れるとチロルへ、というのと小金が貯まるとチロルへ、だとまるで違った感じでしょう。感じが違うだけではない。本当に旅の内容も違う。

何だか急にチロルの話になって、脈絡がないようだが、これがあるんだね。ドストエフスキーの小説みたいにね。

当時「ヨーロッパで最も美しい村」といわれた山奥の村が僕たちのお気に入りの旅行先だった。あんまり静かで美しいので色んな人に喋っていたら、いつの間にか日本人もよく訪れる村になっていると聞いて驚いているのだが。

僕の話し振りのせいだか、村の観光宣伝が行き届いたせいだか知らない。もしも前者であるならば、村長に立候補しようと思っている。

夏冬問わず行ったけれど、いつだったか、小さなレストランに夕食を摂りに入った。いくら貧乏旅行をしているとはいっても、食事くらいはする。

周りのテーブルには村の人らしい年老いた客がちらほらいるにすぎなかった。そのうち僕たちは何だか周りからの視線を感じるようになった。僕は自慢ではないが、その手の超能力がまるでない。

そんな男でもはっきり分かる幾多の視線。視線を感じるほうを見やると、爺さまがパッと目を反らせる。若い娘が注目しているのならまんざらではないかも知れないが。いや、そんなこともないね、僕は夢を見るタイプではない。シャツが裏返しなのか、とかそもそも服を着ていたのか、とか気になってしまうな。とにかく結構居心地が悪いものだ。

注文を取りにきたおかみさんに(当然ながら)ドイツ語で注文したら、あちらこちらで「ドイツ語を喋ったぞ」と囁きあうのが聞こえる。いや、この時は参ったなあ。

もしかしたら「おい、食器を使ったぞ」とか「あの食いっぷりはどうだ」とか、後々まで言われていたのかもしれない。僕が友人たちと違い、並みの食欲の持ち主でよかった。彼らなら今頃は伝説になっていただろう。節度をわきまえていてよかった。

今ではあの村も日本人に慣れてしまって、こんな光景はお目にかからなくなっていることだろう。

人間は結局物珍しいものに出会えば好奇心でいっぱいになる生き物らしい。島国根性とかのせいではない。

ドストエフスキーなんて大法螺を吹いたから、せめてキーンさんの本からひとつ紹介しておこう。でもまた長くなってしまったから改めて書く。ドストエフスキーにするのも骨が折れるなあ。







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