季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

世の変化

2014年11月02日 | その他
パソコンで買い物をし、スマホでニュースを知る。ふと僕の子供時代の生活を思い出すと隔世の感がある。

世の中は速やかに移り変わるけれど、日常生活の変化がもっとも大きかったのは僕の世代ではないだろうか。

僕はご幼少の砌、村中で薪を取りに行った記憶がある。調理はカマドで薪の火だった。また、同じ頃曽祖母の引く荷車に乗って米をひきに町まで行った記憶もある。

小学校からは川崎という大都会に住んだと言いたいが、我が家の前には溝が流れ、芹が生えていた。周りは農家で、毎日牛が通った。あちこちに肥溜めがあり、飼っていた犬が落ちて往生したこともある。

学校で日直当番は冬の季節、石炭を学校裏手にある石炭置場から教室に運ぶのが大切な仕事だった。

と書くと薪の生活から石炭の生活へ上昇したみたいだな。何だか産業革命を経験したような気持になるね。

確かに、田舎の風呂は薪で沸かしていたが、川崎では石炭で沸かしていた。

風呂を沸かすのは僕の役目だったのだろうか、もう記憶は曖昧なのである。でも釜の前で火を焚いていたのはよく覚えている。

ある日石炭にうまく火がつかなかった。石油は燃えると知っている位は賢かった僕は空き缶に石油を入れ、それを風呂釜に振りまいた。石炭も燃えるはずであった。

ところが石炭は相変わらずくすぶったままである。おかしいな、と風呂釜の口を覗き込んだ途端、ボンという音と共に目の前が朱色の世界になった。

一瞬の出来事だったが、髪の毛は焦げた。以来僕の髪はチリヂリなのである。

どうです、薪→石炭→石油、この変化だけでもかなりのものなのに、パソコンだの電子マネーだのが加わる。

僕より少し下の世代だと薪や石炭は知らない、という人が増える。僕より上の世代だと、もちろん薪、石炭は良く知っているが、パソコンを使う人はかなり限定されるのではなかろうか。

上述のことからも分かるように、僕は薪、石炭は使いこなしたが、パソコンは使いこなせていない。パソコンを燃やすことならできるかもしれない。

それにしても人間というのはこれで随分順応力がある生き物なのだな。まぁ、あっという間に 日本までバッハだのモーツァルトだのいうようになったのだ、不思議はない。



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