季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

シーシェパード

2014年04月06日 | Weblog
以前、日本の調査捕鯨船とシーシェパードの船が衝突した。

僕はシェパードが大好きだが、シーシェパードは嫌いである。ドイツ語でHund は犬、それにSee(海)を付けるとアザラシになる(Seehund)。ところがシェパードに「海」が付いたら海賊になる。シェパード好きとしては耐え切れないな。

これは名目上は環境保護団体になるのか?立派な目標を掲げているところほどアグレッシブになりうる、というパラドックスの恰好の見本である。人間は団体になればその行方を知らない。そういう動物らしい。

でも調査捕鯨が禁止されるとまるでシーシェパードに理があるように見えてしまうのは嫌だね。

捕鯨の是非のような議論は僕にはよく分からない。僕が頭数を調べたわけではないからね。分かっていることは、人間も他の生命を捉えて生きながらえているということだけだ。

フォアグラは残酷ではないのか?そもそも残酷ではない食があるのか?

そのテーマは決して突き詰めて考えられていない。と言うか考える必要はない。もっと正確に言うと、考えていったら宗教家になるか生きるのをやめるかしかあるまい。

誰もが曖昧なままで生きるしかない。曖昧という言葉が適切でなければ一種のバランスの問題だといっても良い。こんなことは誰でも知っていることだ。僕が言うまでもない。

世界中(誰もがと言っても良い)自分たちの価値観で押し通そうとしている現実を知っておくだけで良いはずだ。腰が引けたり、無理に正当化しようとしないことだ。

ところで僕は調査捕鯨という名称にひっかかるのだが。どういった経緯でこのような名称に落ち着いたか知らないけれど、いかにも日本的な感じがする。

調査とは何を調査するのだろう?だって売って料理屋で食べているではないか。現に鯨漁の地元の人がインタビューに答えて「細々とで良いから調査捕鯨が続いて貰いたい」と言っていた。

僕は笑うけれどね。でも、何か文句を付けられるのを恐れて曖昧な名前を付ける、そんな感じだ。鯨、食べませんよ、調査のためですよ。え?獲った鯨を 保管する場所がない?仕方ないなぁ、お客さんの胃袋に保管して貰いましょう。

命名の経緯は知らないから、あくまで空想だが。主張をきちんとする代わりにボンヤリとした言い回しにして議論することを避ける。そんな感じがあって嫌だなぁ。

サービス残業、援助交際等々いくらでもある。










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