季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

紋切り型

2014年04月03日 | その他
紋切り型は詰まらない。ある時には滑稽ですらある。

例えば映画やテレビ番組の吹替えでもそれは見つかる。

一見して労働者と分かる男が出ている。すると「俺はあんたに言っておきてぇことがある。ここはあんたの国じゃあ ねぇってことよ」

こんな具合。吹き替えの背後から切れ切れに聞こえるオリジナルな声はごくごく普通の口調なのにね。

スーパーカーのオークションを紹介する番組ではどこから見ても金満長者が出る。すると声優は声を低く低くして、その上にあくびをして喉が開いた時のような声で「いやージョン、久しぶりだな、元気かね、私はこの車がいたく気に入ってな、ペラペラペラペラ」

ここでも背後の声はいたって穏やかに喋っている。

映画の悪役だとやはりこれ以上低く出来ない声で、今度はあくびの代わりに押し殺したトーンにする。

背後の声は低い場合もあるが甲高いこともある。

僕は映画やドラマを見ないのではっきりとは知らないけれど、日本の悪役はまず低声なのではないかしらん。ところが日本人は生まれながらの低い声はとても少ないから、無理に低くしている感がつきまとう。

家に帰ってもああやっているのだろうか、と人ごとながら気の毒でも滑稽でもある。

「あああ、明日の朝は早起きなんだ、辛いなぁ」とか「お腹がペコペコだよ、何か食べる物無いかな?」といった日常会話をあんな声で言っているのだろうか?疲れるだろうなぁ、と同情してしまう。

悪役はいつでもどこでもバス、バリトンが担うのはオペラだってそうだが。でもオペラは様式美の世界だからリアリティが問われているのではない。現実の世界に「俺はお前に復讐する」なんて歌う奴はいないからね。

「あいつを消せ」とキンキン声で言ったところを想像して御覧なさい。かえってゾッとしませんか?

多くの人がそう感じるからこそ、洋画は吹き替えよりも字幕の方が好まれるのだろう。

ましてやニュースやドキュメントなどでこの手の紋切り型が見られると鼻白む。鼻白むだけならまだ良い、もしかしたら不必要なイメージを僕らに押し付けるのかもしれない。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 子役 | トップ | シーシェパード »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

その他」カテゴリの最新記事