季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

コンクールの講評

2015年11月16日 | 音楽
先日さる自治体が主催するコンクールの本選会が開かれた。

結果については何ぶん僕は演奏を聴いていないし、聴いたところで異論も反論もない。そんなものだ、コンクールなんて。受かれば喜び、落ちたらガッカリする、それ以外の態度なぞ取りようがない。

しかし、後で渡される講評で、呆れるしかないものがあったのでここで記しておく。

某有名音大の名誉教授が審査委員長なのだが、この人の小学3、4年生への講評が目に余る。

全くもって残念な演奏、とか全くの練習不足とか、そうした講評をもらった子供が大勢いたという。そうした講評を貰った子供の親御さんから、周りの講評を含めて教えてもらったのだ。

当然ながら、子供たちは悄然として帰路についたようだ。

問題がある演奏を批判するのは良い。それがどのような効果があるかはここで問わない。真面目にその講評を期待する人が大多数だろう。

だが、上記のようなものは単なる悪口雑言だろう。自分の孫のような年齢の子供に「厳しい」言葉を投げ掛けて奮起させようという親心とでも言うのか。

百歩譲ってそうだと認めても良い。しかしそれならばこの人の言語能力は「全くもって残念」なものだと言ってよい。小学校からやり直すことをお勧めする。

国際的な大コンクールなら兎も角、数ある国内の学習者向けのコンクールではないか。

そもそもの趣旨は、多くの人がピアノに親しみ、末長く続けてもらおうというものだという。

この人たちは大学では口をつぐんでいるのではなかろうか。自分より「確実に」弱いと値踏みした時だけ、鬱憤を晴らすかのような論評をするのではなかろうか、僕はそんなことまで勘ぐってしまう自分を恥じるのであるが。

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