この人ほど冷遇されている天才も少ないのではないかと思わせる。
冷遇なぞされていない。天才だというのは誰もが認めるところだ、という人はもちろんたくさんいる。
しかしどのように演奏されているかを正直に見てみれば良い。
一番取り上げるのはヴァイオリン奏者、学習者だろうか。何と言ってもヴァイオリン協奏曲はポピュラーなのだから。しかしその場合でも、軽めの難曲という態度ではないか。
ピアノに至ってはほとんど無縁のまま過ごすことさえある。
メンデルスゾーンの楽曲はウェーバーの直截的な激しさとシューマンの内省的な激しさとを併せ持ちながら、極めて抑制の効いたものが多い。
音楽家のなかで貴族的と言って差し支えのない、ただ一人の作曲家。彼の家柄はもちろん貴族ではないけれど。
僕はふだんそのような形容を好まないけれど、高貴な佇まいを感じる唯一の作曲家だ。
それなのに、ではなぜピアノ奏者は取り上げないのか。僕の答えは簡単明瞭である。難しいのだ。そしてそれを痛感している人はそう多くない。
難しさを感じていない人の弾くメンデルスゾーンはまず例外なく散らかっていて、技術の不備が露わになっている。
試しに無言歌集の第1番でも弾いてみたまえ、神経がすり減る思いをするはずだ。もしこの平易に聞こえる曲の美しさを余すところなく実現させようとするならば。
例えば無言歌を3.4曲組み合わせてプログラムに入れたらどんなに美しいだろう。
しかし頭の中で響かせるのと実際は大いに違う。美しく弾くには恐ろしく弾きづらい音型が並ぶのである。
しかも要する時間はせいぜい12,3分だから、他の曲を当然沢山用意する必要がある。メンデルスゾーンのために他の曲を練習する時間がなくなりかねない。
発想をガラリと変えて、アンコールに弾いたら、これはこれで素晴らしい。しかし難しいことには変わりがないから、アンコールの曲を沢山練習する必要に迫られ、本プログラムに影響が出る。これではアンコールとして不適当だと言わざるをえない。
小学生高学年には理想的な教材でもある。子供はそこまで美しく弾くことは出来ないけれど、こうした曲に接することで音楽の趣味が良くなることは間違いない。
ところが昨今のコンクールの乱立はさておいても、点数が付く場では、点数を取ることが難しいのである。
これははっきり言ってしまえば審査員の耳及び音楽への理解があまりにステレオタイプで未熟だというのも一因なのである。
チャラっとした曲をそれらしく弾くと才能を認めるが、珠玉のような曲を苦労していると才能の不足と断じる。バカを言ってはいけない。
しかしそれが哀しいかな現実なのだ。かくしてメンデルスゾーンを弾く機会は失われてしまう。
後々「厳格なる変奏曲」や「スコットランドソナタ」を弾くことになっても、とんでもないプロコフィエフの演奏や近現代のお粗末な演奏の方がずっとずっと簡単に点数を稼いでいくのである。
僕が冷遇された天才というのは以上のようなことだ。
メンデルスゾーン自身が「真夏の夜の夢」や「フィンガルの洞穴」を連弾にしている。ある程度ピアノを弾ける人は是非やってごらんなさい、大変美しいです。
冷遇なぞされていない。天才だというのは誰もが認めるところだ、という人はもちろんたくさんいる。
しかしどのように演奏されているかを正直に見てみれば良い。
一番取り上げるのはヴァイオリン奏者、学習者だろうか。何と言ってもヴァイオリン協奏曲はポピュラーなのだから。しかしその場合でも、軽めの難曲という態度ではないか。
ピアノに至ってはほとんど無縁のまま過ごすことさえある。
メンデルスゾーンの楽曲はウェーバーの直截的な激しさとシューマンの内省的な激しさとを併せ持ちながら、極めて抑制の効いたものが多い。
音楽家のなかで貴族的と言って差し支えのない、ただ一人の作曲家。彼の家柄はもちろん貴族ではないけれど。
僕はふだんそのような形容を好まないけれど、高貴な佇まいを感じる唯一の作曲家だ。
それなのに、ではなぜピアノ奏者は取り上げないのか。僕の答えは簡単明瞭である。難しいのだ。そしてそれを痛感している人はそう多くない。
難しさを感じていない人の弾くメンデルスゾーンはまず例外なく散らかっていて、技術の不備が露わになっている。
試しに無言歌集の第1番でも弾いてみたまえ、神経がすり減る思いをするはずだ。もしこの平易に聞こえる曲の美しさを余すところなく実現させようとするならば。
例えば無言歌を3.4曲組み合わせてプログラムに入れたらどんなに美しいだろう。
しかし頭の中で響かせるのと実際は大いに違う。美しく弾くには恐ろしく弾きづらい音型が並ぶのである。
しかも要する時間はせいぜい12,3分だから、他の曲を当然沢山用意する必要がある。メンデルスゾーンのために他の曲を練習する時間がなくなりかねない。
発想をガラリと変えて、アンコールに弾いたら、これはこれで素晴らしい。しかし難しいことには変わりがないから、アンコールの曲を沢山練習する必要に迫られ、本プログラムに影響が出る。これではアンコールとして不適当だと言わざるをえない。
小学生高学年には理想的な教材でもある。子供はそこまで美しく弾くことは出来ないけれど、こうした曲に接することで音楽の趣味が良くなることは間違いない。
ところが昨今のコンクールの乱立はさておいても、点数が付く場では、点数を取ることが難しいのである。
これははっきり言ってしまえば審査員の耳及び音楽への理解があまりにステレオタイプで未熟だというのも一因なのである。
チャラっとした曲をそれらしく弾くと才能を認めるが、珠玉のような曲を苦労していると才能の不足と断じる。バカを言ってはいけない。
しかしそれが哀しいかな現実なのだ。かくしてメンデルスゾーンを弾く機会は失われてしまう。
後々「厳格なる変奏曲」や「スコットランドソナタ」を弾くことになっても、とんでもないプロコフィエフの演奏や近現代のお粗末な演奏の方がずっとずっと簡単に点数を稼いでいくのである。
僕が冷遇された天才というのは以上のようなことだ。
メンデルスゾーン自身が「真夏の夜の夢」や「フィンガルの洞穴」を連弾にしている。ある程度ピアノを弾ける人は是非やってごらんなさい、大変美しいです。
そもそも僕の声が聞き取りにくいし、マイクにも乗りにくいのです。
講座でマイクを使うのは、その時の空気の流れが寸断されるのでしないのです。
ですから会場でも聞き取れない場合もあるようです。
より広い会場でマイクを使った講座が一般ですが、いちいち呼吸が途切れて耳から印象は逃げてしまいます。
専用のレコーダーにある程度の外部マイクを付けるのが望ましいと今回思いました。今のところ、僕の機器の知識などが貧弱で、アップロード出来るには時間がかかるかもしれません。
今回に関しては雰囲気だけのご紹介で勘弁して頂きたいです。