季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

サッカーだけではないが

2018年05月09日 | スポーツ
書きかけて打っちゃってあった文章をそのまま投稿してみようと思う。

僕のサッカー熱はもうかれこれ50余年になる。オリンピック予選に負け、ワールドカップなど夢のまた夢、他の惑星での出来事のよう。

それがこの20年、ワールドカップに出場することが当然のようになった。

僕にとって目出度いはずである。

にも拘らず、現在行われている二次予選を僕は一度も見ていない。この心理の大きな変化は、よく自覚されているものの、寂しさすら感じる。

今回は予選を通過することが非常に難しいと予想するが、それならば一層熱を上げたのが今までである。

(この記事はだいぶ前に書きかけていた。今回も何とか出場が決定したのは良かった。しかし本質的には変化がなさそうに思うので続けよう)

思えば前回の本大会への壮行会、これを見たことが直接の動機だったようだ。

これは恥ずかしかった。選手の中にも恥ずかしい思いをした人が数人はいるだろうと淡い期待はあるものの。

形容するのも嫌なので、検索して貰えれば良い。サッカー、ワールドカップ壮行会とでもすれば動画は幾つもあるだろう。

そしてもうひとつ、試合中のメリハリの全くない応援がいつの間にか僕の熱意を奪ったように思う。

選手諸君は海外でプレーする人も多いのだから、このライブ感覚の応援に違和感を感じる者もいるだろう。

でもこれが決定的な弱さの証しだと肝に銘じる人が一体どれほどいるのか。

スポーツも音楽と似て、シニカルに言えば何の役にも立たないものである。それにもかかわらず人はなぜか心を奪われる。

と、ここまで書いて面倒になり放置していた。面倒というより話題が拡大して思案中だったというのが真相だ。

サッカー協会のだらしなさは以前に書いたので繰り返さないが、今の状態はそれが行き着くところまで行ってしまった感がある。捨てるのも癪だから何となく変だがこのまま投稿してしまおう。






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