犬学5
2009年09月30日 | 犬
近所に、それも2軒先に黒いラブラドールが住んでいる。この子が典型的なラブラドールで、じつによく訓練されているのに、無類の甘えん坊である。
遠くからでも僕を確認すると、もうお尻を振りふり、日ごろの訓練もどこへやら、といった按配で突進してきて顔めがけて跳びつく。僕もこの子が可愛くてしかたがない。人間である僕はこの子がいくら可愛くても、お尻振りふり跳びつくような真似はしないけれどね。
実はこうした行動は僕に対してだけではなく、家内であろうが、よその人であろうが、つまりこの子が知っている人全員にしているらしい。
これが人間だったら胡散臭い人ということになろう。誰に対しても「ウェルカム」と満面の笑みと抱擁で対する人は、いくら人によるとはいえ、ちょいと用心しようという気持ちを起こさせるのではなかろうか。
リストという人は「ウェルカム」を地で行った人ではないかと僕は想像しているけれど、それでもいつでもどこでも、誰にでもだったはずはあるまい。故にリストはラブラドールではない。
我が家ではもう四半世紀という長い間シェパードを飼っている。シェパードは見た目は厳つく、じっさいに顎の力は非常に強く、腰が落ちて屈んだ姿も力感に溢れる。
性質はラブラドールとはまったく違い、外で人に甘えることは殆んどないといえる。家族に対してだけ本当の意味で心を開き、甘える。
シェパードを飼ったことのない人には、説明しようのない可愛さなのだ。我が家の3頭はどの子も人に対して何の警戒心も示さなかったけれど、摺り寄って甘えるということもなかった。外見上は落ち着いているのだが、いったん家族に対すると、デレデレと甘える。アイ(ンシュタイン)にいたっては、毎日僕の顔を念入りに舐める。やめてくれ、と言ってもなお舐める。犬が舐めるのは恭順のサインである。顔を洗う必要がないではないか、と笑われる。洗うけれどね。
アイは長年母親と供に過ごしたからだろう、いつまでも子犬の性質を保ったまま老犬になろうとしている。
子犬にじゃれ付かれると、もうどぎまぎして、見ていて可笑しい。小さな犬が寄ってきてもコソコソ隠れるのが滑稽である。遊んでおくれ、とねだることはあっても、遊んでおくれとせがまれることは苦手と見える。きっと経験していないからだろう。
そんなアイが上述のラブラドールに対してだけは年長者の態度を取る。
ミケ(ランジェロ)が元気だったころ、このラブラドールが、まるで本物の母親に対するように慕ってくれた。傍で見ていて微笑ましいくらい甘えたものである。
この子とアイは、いわばミケの下では兄弟のような感じだったのだろう。その結果、年上であるアイが上位に立つ唯一の犬が誕生したわけだ。
たま(にしき)の下でのミケと向かいにいたゴールデンの間にも、似たような関係ができていた。ゴールデンもたまを慕っていた。この時は2匹の犬の年齢がほぼ同じだったからではないかと思われるが、一種のライバルのようで、普段はふつうに振舞っているのに、何かの拍子に喧嘩になりかけるのだった。
母性本能の強かったミケはアイが成犬になるまでは食べ物もすべてを譲っていた。それがある日を境に、という感じで急に変わった。
2匹並んで食事をしていたが、ミケは食べるのが速かった。ひと舐めで大量のご飯を口に入れる。アイはたいそう上品に少しずつ食べるから、ミケが先に食べ終える。
するとアイの分を横取りしようとして、体を寄せてくるようになった。アイはウゥと歯をむいて抵抗するのだがお構いなしである。
この奇妙な争いを止めさせることはできなかった。食事の間は常に僕が二匹の中に割って入る羽目になった。この経験は今思い返しても面白い。
きっとあの日が成人式だったのだろう。
「ジャーマンシェパード散歩日記」というブログでは、シェパードの「ずっこけた」魅力がたくさん見られます。和みたい方はひとつ訪ねてみたらいかが。
遠くからでも僕を確認すると、もうお尻を振りふり、日ごろの訓練もどこへやら、といった按配で突進してきて顔めがけて跳びつく。僕もこの子が可愛くてしかたがない。人間である僕はこの子がいくら可愛くても、お尻振りふり跳びつくような真似はしないけれどね。
実はこうした行動は僕に対してだけではなく、家内であろうが、よその人であろうが、つまりこの子が知っている人全員にしているらしい。
これが人間だったら胡散臭い人ということになろう。誰に対しても「ウェルカム」と満面の笑みと抱擁で対する人は、いくら人によるとはいえ、ちょいと用心しようという気持ちを起こさせるのではなかろうか。
リストという人は「ウェルカム」を地で行った人ではないかと僕は想像しているけれど、それでもいつでもどこでも、誰にでもだったはずはあるまい。故にリストはラブラドールではない。
我が家ではもう四半世紀という長い間シェパードを飼っている。シェパードは見た目は厳つく、じっさいに顎の力は非常に強く、腰が落ちて屈んだ姿も力感に溢れる。
性質はラブラドールとはまったく違い、外で人に甘えることは殆んどないといえる。家族に対してだけ本当の意味で心を開き、甘える。
シェパードを飼ったことのない人には、説明しようのない可愛さなのだ。我が家の3頭はどの子も人に対して何の警戒心も示さなかったけれど、摺り寄って甘えるということもなかった。外見上は落ち着いているのだが、いったん家族に対すると、デレデレと甘える。アイ(ンシュタイン)にいたっては、毎日僕の顔を念入りに舐める。やめてくれ、と言ってもなお舐める。犬が舐めるのは恭順のサインである。顔を洗う必要がないではないか、と笑われる。洗うけれどね。
アイは長年母親と供に過ごしたからだろう、いつまでも子犬の性質を保ったまま老犬になろうとしている。
子犬にじゃれ付かれると、もうどぎまぎして、見ていて可笑しい。小さな犬が寄ってきてもコソコソ隠れるのが滑稽である。遊んでおくれ、とねだることはあっても、遊んでおくれとせがまれることは苦手と見える。きっと経験していないからだろう。
そんなアイが上述のラブラドールに対してだけは年長者の態度を取る。
ミケ(ランジェロ)が元気だったころ、このラブラドールが、まるで本物の母親に対するように慕ってくれた。傍で見ていて微笑ましいくらい甘えたものである。
この子とアイは、いわばミケの下では兄弟のような感じだったのだろう。その結果、年上であるアイが上位に立つ唯一の犬が誕生したわけだ。
たま(にしき)の下でのミケと向かいにいたゴールデンの間にも、似たような関係ができていた。ゴールデンもたまを慕っていた。この時は2匹の犬の年齢がほぼ同じだったからではないかと思われるが、一種のライバルのようで、普段はふつうに振舞っているのに、何かの拍子に喧嘩になりかけるのだった。
母性本能の強かったミケはアイが成犬になるまでは食べ物もすべてを譲っていた。それがある日を境に、という感じで急に変わった。
2匹並んで食事をしていたが、ミケは食べるのが速かった。ひと舐めで大量のご飯を口に入れる。アイはたいそう上品に少しずつ食べるから、ミケが先に食べ終える。
するとアイの分を横取りしようとして、体を寄せてくるようになった。アイはウゥと歯をむいて抵抗するのだがお構いなしである。
この奇妙な争いを止めさせることはできなかった。食事の間は常に僕が二匹の中に割って入る羽目になった。この経験は今思い返しても面白い。
きっとあの日が成人式だったのだろう。
「ジャーマンシェパード散歩日記」というブログでは、シェパードの「ずっこけた」魅力がたくさん見られます。和みたい方はひとつ訪ねてみたらいかが。
写真に釘付けになってしまいました。
か、かわいい´艸`*))
たしかに、シェパは家族にしか本当の自分を見せないし、甘えたりしないですよね。うちの子もそうです。
飼い主にしか分からない、あの甘え方・・・たくさん魅力がありますよね。可愛くて仕方ありません。
いつものムツゴロウさんのようにヨシヨシやっておりましたら、たまたま人が通りかかった時、現場を見られ「え・∀・;)」って顔をされちゃいましたが笑^^;))アハハ。
犬のことになると手放しで褒めることができるのは不思議ですね。
もしも誰かが「私の娘は賢く美しくしかも・・・」なんてやったらどんな反応が返ってくるでしょうね。
きっと親ならばそれに似た感情を持っているのでしょうが、やはりそうあからさまには表明しないでしょう。
写真をこまめに撮っていないのですが、また載せます。犬バカです。
今度見せてください。