季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

鳥の声

2009年11月28日 | 音楽
僕がドイツに渡ったのは9月中旬であった。

語学もできず、携帯電話もない時代に、フランクフルトまで飛行して、そこからハンブルクまで5時間の列車の旅、ハンブルク・アルトナ駅に迎えに来た友人と出会った。

列車の切符の予約もしていなかった。僕は行き当たりばったりなのである。フランクフルトでは特急券を買うのに右往左往した。何しろ読めない、話せない、聞き取れない、という按配で、日光の有名な猿像を地で行ったようなものである。

機内でキャプテンクック時刻表から何とか探し出した列車は何と平日用で、到着した日は週末ダイヤによる運行だった。言葉も通じないフランクフルト中央駅で、焦ったことだけ覚えている。

どうやって目的の列車を見つけたのか分からない。重いトランクと一緒にホームを走ってようやくハンブルクへ行く列車に飛び乗った直後に発車したのを懐かしく思い出す。

今だったら携帯で「いやあ、休日用時間でね。いまフランクフルトを出たところだ」で済むけれど、まったく連絡を取る手立てがない。いまから考えると日本を出るときに適当な約束をして、電車の駅で会うなんて、宇宙ステーションで出会うよりも難しいのではなかろうか。

そうそう、飛び立ったのは成田ではなく羽田だった。時代を感じるでしょう。歳をとるとこんなことを自慢したくなるのだな。どうだ、豪いだろう、俺は羽田から出発したんだぞ、とあと10年もすれば言い出すのかな。それとも羽田をハブ空港に、ということだから時代を大きく先取りしたと自慢するのか。

さて、なぜか分からぬけれど無事に出会った友人が案内してくれたのは僕がこれから住むべき学生寮ではなく、寮からほど近い、すでにハンブルクに居を構えていた上級生のところであった。

驚いたことに玄関ホール脇のスペースに、すでにサイコロを振りさえすればよいマージャン台があり、3人の男が僕を待ち受けていたのである。

たまげたね。僕はいたって真面目な男だ。志を持って今ドイツの地を踏んでいるのである。フランクフルトからハンブルクまでの5時間、目を皿のようにして列車の窓にしがみついてきたのだ。これがドイツか、と感激しながら。僕を待つ月日に思いを馳せてもいたであろう。

それなのに。

僕から志を奪い取ろうというのか。僕は悪の道へ誘われているのか。しかし僕は潔く与えられた道を選択した。ここで疲れ果てれば時差ボケなんぞ一遍で消えてしまうという説得に一理あると思ったからである。

その時僕は勝ったのか負けたのか、もう覚えていない。トランクを引きずりながら友人に雀荘、いや間違えた、上級生の家からほど近い学生寮まで案内してもらい、夢うつつのまま牢屋のように狭い自分の部屋に倒れこんで深く眠り込んだ。

何時間経ったのだろう、はっと目を覚ますとそこはドイツの牢獄であった。いや、牢獄のように狭いドイツの学生寮だった。僕は牢獄に住んだことはないが、きっと狭さの見当は外れていないだろう。

ベッドにぼんやり仰向けにひっくり返っていると、外から鳥の声が聞こえてきた。この声で僕はすっかり我に帰った。今まで聞いたことがない声だったのだ。

日本の鳥の声はチッチッと形容したくなるでしょう。すずめはチュンチュンだし。それがここではトリルを長く弾いたように、尾を引いたようにさえずるのである。メロディックと言ったほうがより適切だ。

午後の弱い陽射しを浴びた中庭を覗いてみれば黒い鳥が水を浴びている。黒ツグミというのだろうか。

この鳴き声は僕を非常に幸福にさせた。モーツァルトのハ長調ソナタ(K.330)の冒頭のようだ。あの曲はこういう鳥の鳴き声を知っている作曲家しか書けない。このソナタを僕は勝手に「春の訪れ」と呼んでいる。

こうして僕は小鳥のお蔭で、その後の悪友たちの誘惑を振り払い、時差ぼけもなく、ドイツでの生活を始めたのである。

写真について。最寄のオートマルシェン駅。今も変わっていない。階段を上るとこの光景が目に入る。ハンゼン先生の家もここからすぐであった。