季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

ダヴィッド・フリードリヒ

2009年11月06日 | 芸術
フリードリヒはドイツ・ロマン派に数えられる画家である。ハンブルクには代表作のひとつ「希望号の難破」がある。

じつは僕はこの画家があまり好きではない。ロマン派から近代にかけてのドイツ人画家は結構人気があるらしい。問題提起の作品が多いと言った方が良いだろうか。

僕にはその観念的な目の働かせ方がひどく気に障る。その真面目さが空回りしている様子が、僕を幸せにしないのだ。

フリードリヒの世界は真面目である。人物を背後から描くことが多く、鑑賞者は彼らが目の前に見ている広い世界を一緒に覗くような気持ちになる。そのように計算された画である。家の中から開いた窓を通して外の世界を見る、という構図もこの人の好むところだ。

風景はあくまでメランコリックである。乳色に広がる夕方の空。かなたに溶け込む山の稜線。不思議な地形をした山の頂に高く掲げられた十字架。

分かりにくいものはひとつもない。しかし、何という陳腐さだろう。そう思ってしまって僕はどうしても馴染めない。

それでも画集を持っているのである。時折ふと思い出しては眺めてみる。そのつど、何という陳腐さ、とつぶやく。

何年経ってもこの画家を好きになるとは思えない。ただ、じっと見ていると、先ほどまでセンチメントに見えていた乳色の空や黒々と広がる大地が、実にリアルに写し取られていることに気づく。北ドイツの潤んだような空と空気だ。

景色そのものは画家の裡に描き出されたものだろうが、ディティールは忠実な写実的なものだ。

僕がハンブルクに住み始めたころは、まだ市電が走っていた。それに乗ってピアノが置いてある学生寮まで練習に通ったものだ。

音楽学生は大概その寮まで通っていた。日本の大学の上級生、同級生と顔を合わせることも多かった。

僕がドイツに渡ったのは9月半ばで、一日ごとに日は短くなっていった。中心地から郊外へ伸びる市電の窓から見える景観は色を失い、冬が近づくと3時ころにはもう夕暮れ時の様相を帯びるのだった。北ドイツの冬は暗い。

ある日、市電の中で大学時代の同級の男とばったり出会った。27歳でようやく留学生活を始めた僕と違い、彼はもう何年もハンブルクに住んでいた。

夕暮れの中に沈みこんでいく町が流れていくのを眺めながら「おい、寂しいよなあ。日本に帰りたいよなあ」彼は僕に話しかけるというより、独り言のようにそう言った。

僕はそういった景観や空気がとても気に入っていたが、彼の気持ちはよく分かった。確かに寂しい。それでも、この空の下でブラームスは生きていたのだ。

僕はこういう空が好きである。南国の透明感も好きでしばらく暮らしてみたいとは思うが、そのうちに伸びやかな倦怠を感じてきそうだ。それに対し、押し黙って、口を利くのも大儀だ、それなのに体のどこかから力が湧き出る、そんな北ドイツに愛着を感じる。

フリードリヒの描く空を見ているとそんな北ドイツの夕暮れを思い出す。そうそう、こんなだったなあ、と思う。また暮らすような日々がくるとは思わないが、過ごす時間はぜひ持ちたいと願う。

フリードリヒはいったい失敗したのだろうか、それとも成功したのだろうか。