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ルイガノ旅日記

あちこち出かけた場所で目にとまったもの、
心惹かれたものを紹介しています。
よかったらおつきあい下さい。

ロシア 美術館めぐり⑩ ~ プーシキン美術館 ヨーロッパコレクション部

2019年04月18日 | 海外旅行
モスクワ2日目、ロシア美術館めぐりの旅はもう少し続きます。プーシキン美術館の収蔵品は、ロシア19世紀の二人の実業家、セルゲイ・シチューキンとイヴァン・モロゾフのコレクションがベースになっています。


本館とヨーロッパコレクション部に分かれていますが、私たちはヨーロッパコレクションだけを観てまわりました。イコンやロシア美術を主体とするロシア美術館やトレチャコフ美術館と異なり、ここでは西欧絵画が集中的に集められています。


ベラスケスと並び、スペイン最高の画家と称されるフランシスコ・ゴヤ 『ローラ・ヒメネスの肖像』


バレエをテーマとする作品で知られるフランス人画家エドガー・ドガのコーナー。ドガがバレエの絵を多く描いたのは、「動き」を表現するためだったそうです。実際、ドガの作品の半分以上はバレエを主題としています。
左から『写真スタジオでポーズする踊り子』、『バレエの稽古』、『青色の踊り子たち』


ドガの作品だと思って観ていたのですが、この絵はピエール・カイエ=ベルーズの『踊り子(Dancer)』。バレリーナの息づかいが聞こえてきそうなほどリアルで、写実的な絵でした。ベルーズはドガと同じく、多くのバレエダンサーの絵を描いたそうです。


オーギュスト・ロダン 『去りゆく愛(Love Running Away)』


オーギュスト・ルノワール 『ジャンヌ・サマリの肖像』。ルノワールの傑作のひとつとされる肖像画ですが、人物を際立たせるために肖像画の背景は暗く描くのが常識だったこの時代、背景をピンクとしたこの絵はかなり物議を醸したそうです。
ジャンヌ・サマリは当時のフランスの人気女優で、ルノワールと親密な関係にあったとされています。サマリの全身像はサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館新館が収蔵していたので、ジャンヌ・サマリの二つの肖像画を観ることができました。


同じくルノワール 『セーヌの水浴(ラ・グルヌイエール)』
ラ・グルヌイエールはセーヌ河のほとりの町で、ルノワールとモネが共同制作を行なった場所です。二人は、ラ・グルヌイエールの同じ風景を何枚か描いていますが、ルノワールが人物の姿や表情を精細に表現しているのに対し、モネは水面の反射など光を描くことに集中していることが窺われて興味深いです。


『草上の昼食』は、クロード・モネ初期の作品。エドァール・マネの同名の作品(裸体の女性を含めて描いた森の中のピクニック)に強い影響を受けて描かれたものだそうです。


同じくモネ、1870年代の作品『カピュシーヌ大通り』。パリのオペラ座に面するカピュシーヌ大通りを描いたものですが、左側の建物や並木には眩いばかりの光が差し込んでいるのに対し、大通りを行き交う人々は建物の影に暗く沈んだように描かれているのが印象的でした。また、画面右端で、ベランダからこの風景を眺めているシルクハットの二人の男が、不思議な緊張感を醸し出しています。


『ヴェトゥイユ』は、アルジャントゥイユと並んでモネが好んで訪れ、その風景を描いたセーヌ川ほとりの小さな町です。セーヌ川越しに見るヴェトゥイユの町は連作で描かれており、そのうちの一枚は日本の国立西洋美術館が所蔵しているそうです。


一見、モネの『日傘を差す女』に似ていますが、こちらはポール・セザール・エルーの『白い服の婦人(Lady in White)』


カミーユ・ピサロ 『オペラ座通り(雪の効果・朝)』


ポール・セザンヌの部屋。左から、『マルヌ川にかかるクレテイルの橋』、『パイプをくわえた男』、『池に架かる橋』


ポール・シニャック 『サン・ブリアックの浜辺』


フィンセント・ファン・ゴッホの部屋です。一番右は『雨上がりのオーヴェールの風景』、2番目は『医師フェリックス・レイの肖像』。レイ医師は、アルル時代のゴッホの主治医で、ゴッホはこの肖像画を彼に贈りますが、本人はあまり気に入らず手離してしまったそうです。


『サント・マリー・ド・ラ・メールの海』
絵の具をチューブから直接キャンバスに塗りつけているような絵でした。


唯一、ゴッホの生前に売れた絵と言われている『アルルの赤い葡萄畑』。


右側の壁に掛けられた絵は、ゴーギャンの『ルペ・ルペ(タヒチは不思議の土地,果物を集める)』。正面の壁は、同じくゴーギャン『馬のいる風景』
ブロンズ像を撮ったのに、そちらの作者やタイトルはわからずじまいでした (^-^)ゞ


アンリ・マティスの部屋。左から、『ヴェネツィアン・レッドの静物』、『フルーツとブロンズ像のある静物』、『スヒーダム・ジンの酒瓶』


マティスだけではなく、青の時代を中心として、ピカソの作品の充実ぶりにも驚きました。この美術館のコレクションの基礎を築いたシチューキンは、まだ評価の定まっていなかった頃からマティスやピカソを支援していたそうです。財力にものを言わせて美術品を蒐集したのではなく、その審美眼が優れていたことの証と言えるでしょう。
左から、『ハイメ・サバルテースの肖像』、『年老いたユダヤ人と少年』、『逢引(抱擁)』


パブロ・ピカソ 『ハイメ・サバルテースの肖像』


『扇子を持つ女』と『女王イザボー』


『ヴァイオリン』


エルミタージュ美術館新館(旧参謀本部)で観たロシア出身の抽象画家ワシリー・カンディンスキーの絵もありました。『青とさまざまな色(Blue over Multicoloured)』


モーリス・ユトリロ 『モンマルトル モン・スニ通り』。ユトリロはパリのモンマルトル生まれ。生涯のほとんどをモンマルトルで暮らし、この街の風景を多く描きました。


私は知らなかったのですが、マルク・シャガールはユダヤ系ロシア人だったそうです。
右から『ノクターン』、『画家と婚約者』、『白い馬』


フリッツ・タウロー 『マドレーヌ大通り、パリ』


1階ではポスターの企画展が行われていたので、そちらも覗いてみました。


展示の主体は、チェコ出身の画家・イラストレータ、アルフォンス・ミュシャの作品。


ちょうど1年前、福岡アジア美術館で行われた『ミュシャ展 〜 運命の女たち』を思い出しながら観てまわりました。


19世紀から20世紀にかけての西欧絵画を広く収蔵するプーシキン美術館(ヨーロッパコレクション部)。ゴヤにドガ、ルノワールやモネ、ゴッホ、マティスにピカソ・・・・・。写真は載せませんでしたが、このほかにもシスレーやクールベ、マネにコローなど見応えたっぷり。絵画好きには垂涎のコレクションだと思います。さほど混みあうこともなく、ゆったり観賞できたのも高ポイント。日本の展覧会ではそんな訳にはいきませんね。サンクトペテルブルクのエルミタージュとモスクワのプーシキン美術館は、ロシアを訪れたら是非とも立ち寄ってほしい場所です。

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ロシア 美術館めぐり⑨ ~ トレチャコフ美術館

2019年04月16日 | 海外旅行
ピョートル大帝がサンクトペテルブルクに都を遷してからロシア革命によってロマノフ王朝が終焉を迎えるまでの200年間を除き、12世紀以降、ロシアの政治・経済・文化の中心であり続けたモスクワ。最初に訪問したのは、イコン画やロシア絵画では最大の美術館、トレチャコフ美術館です。(写真中央の彫刻がトレチャコフ像)


19世紀のロシア人実業家パーヴェル・トレチャコフは、美術品は国民の財産であって一般に公開されるべきという信念の下、1856年、自ら蒐集したコレクションを自宅で一般公開しました。これがトレチャコフ美術館の起源です。


その規模は次第に拡大し、1880年代には14室もの展示室が、常時無料で一般公開されるようになりました。その後トレチャコフは、ロシア絵画1287点を中心とするコレクションをモスクワ市に寄贈。これを基に1893年、入場料無料の「モスクワ市立パーヴェル・セルゲイ、トレチャコフ美術ギャラリー」が開館し、トレチャコフは初代館長に就任したのだそうです。


ロシアの森林を愛し、森の風景を描くことが大好きだったと言われるイヴァン・シーシキン 『松林の朝』。Russia Beyondの記事によると、元々この絵にはクマは描かれておらず、後に別の画家によって描き加えられたものだそうです。何故そうしたのかまでは説明されていませんでしたが……。


イヴァン・クラムスコイ 『読書する女』。クラムスコイと言えば、ロシア美術館で観た写真ほどにも写実的な『イヴァン・シーシキンの肖像』が目に新しいです。


サンクトペテルブルクのロシア美術館に続きこのトレチャコフ美術館でも、ロシア美術の殿堂と呼ぶにふさわしい充実した絵画や美術品を堪能しました。


『民衆の前に現れたキリスト』 アレクサンドル・イワーノフが20年の歳月をかけて描いた大作です。


『ポンペイ最後の日(ロシア美術館所蔵)』を描いたカール・ブリューロフの自画像。


気持ちよさげに眠る犬と、りんごに手を伸ばす子供。可愛いですね。


傑出した海の描写で知られるイヴァン・アイヴァゾフスキーの部屋。一番手前は、嵐の海に翻弄される船を描いた『虹』。


静かな入り江を染める夕焼けのグラデーションが美しい絵でした。荒々しく激しい海が印象的なアイヴァゾフスキーも、こんな穏やかな海も描いていたんですね。


中央の絵は、コンスタンチン・フラヴィツキー 『皇女タラカーノヴァ』。女帝エリザヴェータの娘と僭称し独房に幽閉された自称「皇女タラカノーヴァ」が、サンクトペテルブルクの牢獄を襲う洪水になすすべもなく、助けもないことを悟った、絶望の表情を描いています。


ロシアの自然を描いた絵が多く展示された部屋。


トレチャコフ美術館にも、多くのイコンが展示されていました。


聖ルカによって描かれたと伝えられる『ウラジーミルの聖母』


ヴァレンティン・セローフによる『桃を持つ少女(Girl with peaches)』。トレチャコフ美術館でも、ロシア美術を題材にして子供たちの教育が行われていました。こうした光景はフランスやスペインの美術館でも何度も目にしましたが、教育の一環として小さい頃から本物の美術品に触れるのは素晴らしいことですね。


**************************

日本時間で今日未明、パリのノートルダム大聖堂で大規模な火災が発生し、屋根や尖塔が焼け落ちたと言うニュースに衝撃を受けました。発生から10時間後にはほぼ鎮火し、内部の文化財の多くは焼失を免れたと報道されていますが、映像を見る限り、かなりの損傷を受けているように思えます。バラ窓をはじめとする美しいステンドグラス、重厚なゴシック建築で華麗な装飾に包まれた外観は、今も私たちの目に焼き付いています。今後の復興や修復が円滑に進むよう願っています。

写友真はセーヌ川寄り、南西方向から見たノートルダム大聖堂。焼け落ちた屋根と尖塔が写っています。たった今見たネットの映像では、バラ窓は無事だったようです。

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ロシア 美術館めぐり⑧ ~ ロシア美術館

2019年04月12日 | 海外旅行

サンクトペテルブルク4日目は、ロシア美術館へ。この建物は、1825年に第9代皇帝パーヴェル1世(エカテリーナ2世の子)が王子ミハイルのために建てたミハイロフ宮殿を、1898年、ロシア最後の皇帝ニコライ2世が父アレクサンドル3世を記念する美術館に改装したものです。当初は「アレクサンドル3世記念ロシア美術館」と呼ばれていました。


大きな門扉の上で、朝日を浴びて輝くロマノフ家の紋章、双頭の鷲。


淡いイエローの美しい建物は、ロシアにおける古典様式の傑作と言われています。


なだらかで優美な階段を上がって2階へ。


踊り場には、13代皇帝アレクサンドル3世の胸像。


踊り場から階段は二手に分かれて広がりながら2階へと続きます。エルミタージュ美術館の「 大使の階段(ヨルダン階段)」を思い起こさせる壮麗な階段です。


2階の階段ホールには、広い窓から朝の光が燦燦と注いでいました。


ロシア正教などで、信仰を媒介するものとして尊ばれるイコン。キリストや聖人、天使や聖書の出来事などが描かれています。


「イコン」とは、正教においては単なる絵画や装飾品ではなく、信者が祈りを捧げる聖なるもの。


ロシア美術館の至宝とされるイコンのひとつ、『大天使 ガブリエル』

 
ロシア美術館は、モスクワのトレチャコフ美術館と双璧をなす、ロシア正教の伝統画イコンやロシア美術の殿堂です。子供たちへの美術教育が行われている場面を、あちこちで見かけました。


ピョートル大帝胸像。美術だけではなくロシアの歴史を含め、教育の題材としてこれほどふさわしい素材が集中する場所はないのかもしれません。


ピョートル大帝の娘で、第6代皇帝エリザヴェータの肖像画の前でも・・・・・・・。


こちらは、妻であるエカテリーナ2世によって帝位を追われたピョートル3世。


エカテリーナ2世のブロンズ像。左の壁にかかる騎馬像は、ピョートル大帝でしょうか。


木にもたれてぐったりとする青年の像。


エカテリーナ2世の彫刻の前で・・・・・・。この可愛らしい子供たちとはよく一緒になりました (^-^)ゞ


絵画と彫刻の部屋。


19世紀のロシア人画家で、国際的にも名声を得たカール・ブリューロフ 『ポンペイ最後の日』

ナポレオンの奴隷となった過去を贖うため、その証である「N」と刻印された左手首を斧で切り落とそうとしている若者。

 
リアルな海の描写がとても印象に残ったイヴァン・アイヴァゾフスキー。イギリスの風景画家ターナーが描いた海を連想させる絵でした。


細かく精緻な装飾が目を惹いた小さな騎馬像。

縦の長さが、床から天井近くまである大きな絵。状況がよくわかりませんが、写真のような印象を受けました。

 
  19世紀に活躍したコンスタンチン・マコフスキー 『In the Park』


ロシアの叙情的風景画の創始者と言われるアレクセイ・サヴラーソフ 『大草原の午後 Steppe in the Afternoon』


ロシアの森林を詩情豊かに、精緻に描いた画家イヴァン・シーシキン。


そのシースキンを描いた 『イヴァン・シーシキンの肖像』は、イヴァン・クラムスコイ作。


ロシア美術館を最後に、列車でサンクトペテルブルクからモスクワに移動しました。ロシアの鉄道では、駅がある場所ではなく目的地の地名が駅名になります。こちらはサンクトペテルブルクにあるモスクワ駅。逆に、モスクワには「レニングラード駅」があるそうです(ソ連時代、サンクトペテルブルクが「レニングラード」と呼ばれていた名残り)。


モスクワ駅コンコース。中央の壁には、ロシア全域の路線図が掲げられています。


私たちが乗った特急サプサン号。サンクトペテルブルクとモスクワ間を、最高時速250km(平均は190km)、約3時間50分で結びます。「サプサン」とはロシア語で「隼」と言う意味だそうです。


夜の7時前にモスクワに到着。市街で夕食をとってから、郊外のホテルに向かいました。


サンクトペテルブルクでの観光は、二つの美術館(エルミタージュ、ロシア)、二つの宮殿(ペテルゴフ、エカテリーナ宮殿)。いずれも見どころが多くて充実した4日間でした。長くなりましたが、サンクトペテルブルクの旅日記はこれで終了します。ロシアの旅も、いよいよ後半。次はモスクワでの体験をアップする予定ですので、もう少しだけおつきあいいただければ幸いです (^-^)ゞ

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ロシア 美術館めぐり⑦ ~ バレエ鑑賞

2019年04月11日 | 海外旅行
前回の記事からかなり日が経ちましたが・・・・・・・ (^-^)ゞ

エカテリーナ宮殿を見た後、再びサンクトペテルブルクへ。この日の夜は、楽しみにしていたバレエ鑑賞です。私たちが行ったのは、エルミタージュ美術館の一角を構成するエルミタージュ劇場。エカテリーナ2世が建設を命じた、サンクトペテルブルクで最も古い劇場のひとつです。
旧エルミタージュから渡り廊下で繋がった劇場に入ると、バイオリンとチェロのアンサンブルが迎えてくれました。


この劇場は、皇帝一家やその友人たちなど一部の上流階級のための宮殿付属劇場なので、収容人数250名と非常にコンパクト。どの席からも十分な視界が得られるよう、舞台は深く観客席は半円状に配置されています。舞台と観客席が非常に近いのでオペラグラスは必要なく、音響効果も優れているそうです。


舞台を囲む壁や円柱はすべて大理石。豪華なシャンデリアにアポロや女神ミューズなど、宮廷劇場ならではのしつらえでした。


その舞台のすぐ下に設けられたオーケストラ用のボックス。


開演までの時間、オーケストラの演奏者同士で、最終調整や確認が行われていました。


カーテンコール。
この日の演目は、サンクトペテルブルク・フェスティヴァル・バレエ団による『ジゼル』。ドイツ、オーストリア、イタリア、フィンランド、スウェーデンなどのヨーロッパ各国で公演を行っているバレエ団だそうです。


ジゼル役は、Olesya Gapienko


拍手と喝采がいつまでも続いていました。


オーケストラの指揮者も登壇。


私たちはオーケストラの目の前(白線で囲った席)に座ったので、舞台やオーケストラが非常によく見え、流れる汗や息づかいまで手にとるようにわかりました。


エルミタージュ劇場では、サンクトペテルブルク・フェスティヴァル・バレエ団や、サンクトペテルブルク・ロシア・バレエ団などによって、ほぼ毎日公演が行われています。サンクトペテルブルクには、このほかにもマリインスキー劇場やミハイロフスキー劇場など個性的な劇場が多く、本場のバレエを日常的に楽しむことができるそうです。生の公演を観るのは初めてでしたが、躍動感あふれるダンサーの動き、オーケストラで聴く音楽などを間近に感じられて感動しました。
(開演前とカーテンコールは、スマホによる写真撮影OKでした)

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