暮れも押し迫った昨年12月、熊本県山鹿市を訪ねました。山鹿は、山鹿温泉や平山温泉、熊入温泉、鹿本温泉、菊鹿温泉などが湧く湯の里であると同時に、和紙でできた灯籠を頭にした浴衣姿の女性たちが優雅に踊る山鹿灯篭まつりで知られています。
こちらは、第12代景行天皇を祀る大宮神社。山鹿灯篭に関わる神事や伝統行事の舞台となる由緒ある神社です。
九州巡幸(おそらく熊襲征伐に際してのことと思われます)の折り、景行天皇御一行は菊池川遡上中に、濃霧のため進路を見失ってしまいます。深い霧の中を、山鹿の里人が松明(たいまつ)を掲げて景行天皇をお迎えし、この地に導いたと伝えられており、このときの松明の火が山鹿灯篭の起源なのだそうです。
そのような歴史的経緯から、大宮神社には山鹿灯篭まつり(8月16日)で使われた全ての山鹿灯篭が奉納され、境内の燈籠殿に1年間展示されます。
金箔・銀箔・銅箔を貼り付けた山鹿灯篭。和紙の中は空洞なので、重さは100gもありません。
毎年、新たな灯篭が奉納され、前年の作品は希望者に払い下げられるとのことでした。
これらはすべて、手漉きの和紙と糊だけで作られた精緻な芸術作品で、作り方には次のような決まりごとがあるそうです。
(沖縄県那覇市:守礼の門)
大宮神社例大祭「燈籠祭」で奉納される「上がり燈籠」の様子。
山鹿の夏の風物詩「山鹿灯籠まつり」では、そろいの浴衣姿で金灯籠を頭に掲げた千人の女性が「よへほ節」の調べに合わせて踊る、実に優雅で風情がある「千人灯籠踊り」が披露されます。
(写真は、「山鹿探訪なび(https://yamaga-tanbou.jp/)」からお借りしました)
かつては、菊池川の水運や豊前街道など利用した水陸交通の要所だった山鹿。物流や温泉などで財を成した山鹿の旦那衆は、協力しあって八千代座を創建しました。大正から昭和初期にかけて当代一流といわれる芸能人が興行するなど人気を博したそうですが、戦後は時代の波にもまれ、1973年(昭和48)には惜しまれつつ閉館。老朽化が進み荒れ果てた時期もありましたが、復興を願う声は強く、平成の大修理を経て2001年(平成2)に現在の八千代座が竣工しました。
(今回は閉館中で内部は見ていません。看板なども取り外されていましたので、写真は2014年1月に撮ったものを掲載しました)
シャンデリアや天井の細部に至るまで、当時のままに復元されています。
こちらは同じく山鹿市鹿本町の一本松公園、スペイン産の赤御影石で作られた石のかざぐるまです。3基のかざぐるまは親子を表現しており、中央は高さ5.5メートル、重さ16トン、羽根の直径2.2メートル。左右の子基根の直径1.8メートル。こんなに大きな石のかざぐるまですが、ほんのわずかの風(風速3メートル:ススキの穂が揺れる程度)でも回ります。(この写真も2014年1月のものです)
今日から大寒。暦どおりの寒い一日となっています。週明けには更に、10年に一度という強い寒波が列島を覆いそうですので、注意して過ごしたいですね。
こちらは、第12代景行天皇を祀る大宮神社。山鹿灯篭に関わる神事や伝統行事の舞台となる由緒ある神社です。
九州巡幸(おそらく熊襲征伐に際してのことと思われます)の折り、景行天皇御一行は菊池川遡上中に、濃霧のため進路を見失ってしまいます。深い霧の中を、山鹿の里人が松明(たいまつ)を掲げて景行天皇をお迎えし、この地に導いたと伝えられており、このときの松明の火が山鹿灯篭の起源なのだそうです。
そのような歴史的経緯から、大宮神社には山鹿灯篭まつり(8月16日)で使われた全ての山鹿灯篭が奉納され、境内の燈籠殿に1年間展示されます。
金箔・銀箔・銅箔を貼り付けた山鹿灯篭。和紙の中は空洞なので、重さは100gもありません。
毎年、新たな灯篭が奉納され、前年の作品は希望者に払い下げられるとのことでした。
これらはすべて、手漉きの和紙と糊だけで作られた精緻な芸術作品で、作り方には次のような決まりごとがあるそうです。
①木や金具は一切使わず、和紙と少量の糊だけで作ること
②柱や障子の桟にいたるまで中は空洞であること
③建物などは単なるミニチュアではなく、縦横のスケール等を独自に工夫して灯籠としての美しさを追求すること
②柱や障子の桟にいたるまで中は空洞であること
③建物などは単なるミニチュアではなく、縦横のスケール等を独自に工夫して灯籠としての美しさを追求すること
(沖縄県那覇市:守礼の門)
大宮神社例大祭「燈籠祭」で奉納される「上がり燈籠」の様子。
山鹿の夏の風物詩「山鹿灯籠まつり」では、そろいの浴衣姿で金灯籠を頭に掲げた千人の女性が「よへほ節」の調べに合わせて踊る、実に優雅で風情がある「千人灯籠踊り」が披露されます。
(写真は、「山鹿探訪なび(https://yamaga-tanbou.jp/)」からお借りしました)
かつては、菊池川の水運や豊前街道など利用した水陸交通の要所だった山鹿。物流や温泉などで財を成した山鹿の旦那衆は、協力しあって八千代座を創建しました。大正から昭和初期にかけて当代一流といわれる芸能人が興行するなど人気を博したそうですが、戦後は時代の波にもまれ、1973年(昭和48)には惜しまれつつ閉館。老朽化が進み荒れ果てた時期もありましたが、復興を願う声は強く、平成の大修理を経て2001年(平成2)に現在の八千代座が竣工しました。
(今回は閉館中で内部は見ていません。看板なども取り外されていましたので、写真は2014年1月に撮ったものを掲載しました)
シャンデリアや天井の細部に至るまで、当時のままに復元されています。
こちらは同じく山鹿市鹿本町の一本松公園、スペイン産の赤御影石で作られた石のかざぐるまです。3基のかざぐるまは親子を表現しており、中央は高さ5.5メートル、重さ16トン、羽根の直径2.2メートル。左右の子基根の直径1.8メートル。こんなに大きな石のかざぐるまですが、ほんのわずかの風(風速3メートル:ススキの穂が揺れる程度)でも回ります。(この写真も2014年1月のものです)
今日から大寒。暦どおりの寒い一日となっています。週明けには更に、10年に一度という強い寒波が列島を覆いそうですので、注意して過ごしたいですね。