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ルイガノ旅日記

あちこち出かけた場所で目にとまったもの、
心惹かれたものを紹介しています。
よかったらおつきあい下さい。

劇団四季ミュージカル『キャッツ』@キャナルシティ劇場

2022年03月08日 | 福岡
劇団四季が1983年、新宿のキャッツシアターで初演したミュージカル『キャッツ』。以後、日本各地で上演され続け、通算公演回数はなんと1万回、総入場者数は1000万人を越える記録的なロングランとなりました。
これは、1981年初演のロンドン(8950回)、1982年初演のニューヨーク(7485回)を上回る、まさに「伝説のミュージカル」です。


キャナルシティに展示されていたキャッツの衣装とごみのオブジェ。
キャッツには、呼び名も性格も風変わりで個性的な24匹の猫が登場します。左はクールでメス猫に人気のあまのじゃく猫、ラム・タム・タガー。右はオス猫をたぶらかす悪女猫、グリドルボーンです。


ミュージカル『キャッツ』の原作は、イギリスの詩人T.S.エリオットの詩集『Old Possum's Book of Practical Cats(ポッサムおじさんの猫とつき合う法)』(通称『キャッツ』)。エリオットがポッサムおじさんの目を通して観察した様々な個性あふれる猫たちの物語です。
躍動感に満ちた魅力的な猫たちを描いた詩集に魅了され曲をつけたのが、やはりイギリスのミュージカル作曲家ロイド=ウェバーでした。詩集『キャッツ』は15篇の詩から成り立っていますが、ウェバーはこのうちの14篇の詩をミュージカルの中で忠実に再現しています。


福岡では、キャナルシティ劇場(旧福岡シティ劇場)が劇団四季の専用劇場として長く親しまれてきましたが、今回の『キャッツ』でその歴史に幕を閉じることになりました。


それでは、ノースビル4階のキャナルシティ劇場に向かいましょう。


キャナルシティ劇場は1996年、劇団四季初の専用常設劇場「福岡シティ劇場」として開館。『オペラ座の怪人』や『キャッツ』、『ライオンキング』、『美女と野獣』など、数々の四季作品が上演されました。2010年、『エビータ』の千秋楽をもっていったん劇団四季の常設公演を終了。以後、「キャナルシティ劇場」としてリニューアルし、四季以外の様々な舞台やコンサートが上演されましたが、2017年から再び四季の通年公演が行われていました。残念ながらこれも、4月17日の『キャッツ』千秋楽をもって終了となります。


ロビーの扉を開けて劇場に足を踏み入れると、舞台と客席が混然一体となった『キャッツ』の世界。猫たちが住み着く都会のゴミ捨て場が広がっています。まるで、猫の世界に迷い込んでしまったかのようです。これらのゴミのオブジェは、観客を猫になった感覚に誘うため、実際の3~5倍の大きさで作られています。


開場から上演5分前までは、自席での撮影が特別に許可されています。福岡のキャナルシティ劇場だけではなく、多くの四季劇場で同じ対応となっているとのことでした。(『アナと雪の女王』東京公演、『はじまりの樹の神話~こそあどの森の物語~』全国公演は対象外)


舞台のいたるところからジェリクルキャッツが姿を現し、ステージ狭しと歌い踊ります。そのための出入口が、なんと50ヵ所も設けられているそうです。(コロナ禍で演出が変更されている部分があり、現在はこれらの出入り口全てが使用されているわけではありません)


人間に飼い馴らされることを拒否して、逆境に負けずしたたかに生き抜き、自らの人生を謳歌する強い心と無限の個性、行動力を持つ猫、それがジェリクルキャッツ(劇団四季HP)
『キャッツ』の舞台となるのは都会の古い路地裏。そこに、24匹のジェリクルキャッツが集まり、満月の晩に舞踏会が開かれます。この夜、「天上にのぼる猫」が決定され、その猫は新たな命を得て、理想の自分に生まれ変わることができる......というストーリー。
全てのジェリクルキャッツの尊敬を集める「長老猫オールド・デュトロミー」、「猫の魔術師ミストフェリーズ」、「鉄道猫スキンブルシャンクス」など、奇妙で風変わりな呼び名の個性的で躍動感あふれる猫たちが、生き生きと描き出されています。「メモリー」の透き通った歌声も印象的。世界で驚異的なロングランとなったのがわかる気がしました。(写真は公式HPより)


過去に上演された舞台のポスター。


九州出身の俳優さんから、キャナルシティ劇場や福岡のファンに向けたメッセージが寄せられていました。


ジェリクルキャッツを演じた俳優の皆さんのサイン。


1996年(平成8年)にオープンしたキャナルシティ。こんな運河が施設内を流れています。


暗い過去を背負いながらも再生を願う「娼婦猫グリザベラ」が歌い上げる「メモリー」は、ミュージカル『キャッツ』を体現する曲とも言えます。ところが、原作の詩集『キャッツ』には、グリザベラが登場しないのだそうです。かと言って「娼婦猫グリザベラ」は、ロイド・ウェバーやこのミュージカルに関わった人たちの創作ではありません。
「娼婦猫グリザベラ」は、エリオットが最初の部分だけ書いたものの、子供向けの詩集だった『キャッツ』に収録することなく、未完のまま放置したものなのです。エリオットの死後、未亡人ヴァレリーがその書きかけの詩を見つけ、ミュージカルの根底を流れるテーマをいかにすべきか悩んでいたロイド・ウェバーに手渡しました。この「娼婦猫グリザベラ」の存在によりドラマ性が付加され、初めてロイド・ウェバーが求めるミュージカルとして完成したのだそうです。(公式HPから要約)
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糸島半島~櫻井神社

2022年02月16日 | 福岡
バレンタインデーを挟みましたが、再び糸島の話題に戻ります。
またいちの塩の「工房とったん」を見た後は、糸島半島の西から右回りに海沿いをドライブ。二見ヶ浦近くにある櫻井神社に立ち寄りました (^-^)ゞ

(筑前二見ヶ浦 夫婦岩)

寛永9年(1630年)、福岡藩二代目藩主黒田忠之公が創建した櫻井神社。厄災を司る八十枉津日神(やそまがつひのかみ)、厄災を祓い清める神直日神(かむなおひのかみ)と大直日神(おおなおひのかみ)が祀られています。鳥居の奥に見えるのは太鼓橋。


鳥居をくぐり太鼓橋を渡ると、右手に楼門があります。


拝殿と本殿を横から見たところ。楼門とともに、福岡県の文化財に指定されています。


櫻井神社には、そのほかに9つの神(社)が祀られており、番号順に参拝することが推奨されています。
①櫻井猿田彦神社【導き・災い除けの神】、②塞の神【病や怪我を治す病気平癒の神】、③八神殿・須賀神【国家守護・悪疫を退ける神】、④日子・楠神社【農業・山の神】、⑤春日神社【藤原氏守護・厄除の神】、⑥岩戸宮【御神霊顕現の神窟】、⑦八幡宮【武運・必勝の神】、⑧金比羅神社【航海・金運の神】⑨二見ヶ浦遥拝所【縁結・夫婦円満の神】


社務所裏に咲いていた梅。


しっとりとして、艶やかな蝋梅。


蝋梅を目にしたのは今年初めてです。


楼門を背に櫻井神社の反対側には、櫻井大神宮に通ずる山道が続いています。鳥居の脇にあるのは神楽殿。


大神宮に向かうひっそりとした古道。


櫻井大神宮は、櫻井神社に先立つ寛永二年(1625年)、伊勢神宮の内宮・外宮からご分霊いただいた、天照大御神と豊受大御神が合祀されました。


櫻井大神宮では20年ごとに伊勢神宮から鳥居をいただいていますが、この鳥居は外宮から賜ったもので、樹齢200年の檜から作られているそうです。


静寂に包まれた神明造り茅葺きの社殿。伊勢神宮の式年遷宮に倣って20年ごとに遷宮が行われていましたが、慶応2年(1866年)の13回目が最後となり、現在の社殿は150年以上の歳月を経ています。


櫻井神社・櫻井大神宮から車で5分ほどの二見ヶ浦夫婦岩。伊弉諾命(いざなぎのみこと)と伊弉冉命(いざなみのみこと)を祀る夫婦岩は、櫻井神社の宇良宮(裏宮)で、櫻井神社と二見ヶ浦は、一直線に結ばれた神様へ通じる道と言われています。


向かって右側が男岩(高さ11.8m)左側が女岩(高さ11.2m)。古くから神聖な地とされる夫婦岩には、毎年4月下旬から5月上旬の大潮の日に、櫻井神社の氏子によって長さ30m、重さ1トンの大注連縄が掛け換えられますが、コロナ禍のため2年続きで中止となってしまいした。


こちらが注連縄が掛かっていた頃の写真(2015年)。この頃は白い鳥居がなかったんですね~。
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またいちの塩~「工房 とったん」

2022年02月10日 | 福岡
ゴハンヤイタル、新三郎商店の続きです。製塩所の見学ができると聞いて、せっかくなので行ってみることに……。
またいちの塩の製塩所、工房「とったん」は、糸島半島の最も西に突き出たところにあります。経路上には、加布里漁港や船越漁港、岐志漁港など、カキ小屋が立ち並ぶ漁港が点在。通りがかりなので加布里漁港に寄ってみました。ずらりと並んだ三角屋根の建物、これ全部がカキ小屋なんですよ。
コロナ禍で2年ほど足が遠のいていますが、私たちも毎年この時期、福岡県在住の同窓生が集まってカキ小屋パーティをするのが恒例行事でした。来年は復活させられるといいなぁ…… (^-^)ゞ


ゴハンヤイタルから車で30分。糸島半島、西の突端にやってきました。駐車場に車を止めて、ここから「工房 とったん」まで歩きます。
玄界灘に浮かんでいるのは姫島。糸島市営渡船が、岐志漁港と姫島漁港間の連絡船を1日4便(片道16分)運行しています。なんでも、猫がとっても多い島だそうですよ。


駐車場から歩いて5分。またいちの塩「工房 とったん」に到着です。背後に迫る森、目の前に広がる玄界灘。海と山の豊富なミネラルが混ざりあうこの場所で、またいちの塩は作られています。


工房とったんの案内図。左から立体塩田、タンク、釜①~④、売店と並んでいます。


木組みの枠に竹を吊るした立体塩田。汲み上げた海水をてっぺんに噴射して、およそ10日間ほど循環させます。栄養ゆたかな海水が、ゆっくり、ただひたすらゆっくりと竹を伝って流れ落ちる間に、日差しと風によって徐々に濃度を上げ、潮の香りが旨みを含んでいきます。(この工程、梅雨時は1カ月もかかるそうです)
それを平釜に移し、3日間かけて薪でゆっくり煮詰めていくと、表面に塩の結晶が現れます。これをすくって杉樽で一晩寝かせたものが「またいちの塩(炊き塩)」。さらに鉄釜でじっくり煎ったのが「焼き塩」です。一番結晶は「塩の花」と呼ばれ、2~3ヵ月自然乾燥させて「花塩」になります。


花塩が主役の「塩をかけて食べるプリン」。新三郎商店ではお腹いっぱいだったので、ここで食べることにしました。


工房とったんの建物は手作り感満載。とりわけ、プリン販売所は天井が低いので要注意です~💦


敷地内には随所に展望デッキが設けられているので、青く澄んだ海を眺めながら花塩プリンを味わえます。
向こうに見えているのは、佐賀県の唐津や呼子のあたりです。


焦がしキャラメル(左)と花塩プリン(右)を選びました。


屋根の上にも展望席があります。眺望がよくて気持ちよさそう~♪


ゴハンヤイタルに工房とったん、またいちの塩を満喫した一日でした。いくつか塩を買って帰ったおかげで、ここしばらくわが家のおむすび率が高くなっています(笑)
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胡麻祥酎 紅乙女(べにおとめ)

2022年01月23日 | 福岡
福岡県朝倉市の原鶴温泉に行った機会に、隣町の田主丸にある紅乙女酒造耳納(みのう)蒸留所を見学してきました。
この辺り一帯はフルーツの里として知られていますが、耳納連山の清冽な伏流水に恵まれた、酒造りに適した土地でもあります。


焼酎と言えば、芋に麦、米や蕎麦などが一般的ですが、この他にも様々な材料から焼酎が造られていて、それぞれ個性的な味わいを楽しめます。私が飲んだことがあるのは、黒糖焼酎(れんと:奄美大島)、栗焼酎(ダバダ火振:高知)やシソ焼酎(鍛高譚:北海道)、長いも焼酎(六趣:青森)などですが、紅乙女酒造の胡麻焼酎も、風味がよくて好きな焼酎のひとつです。


焼酎の蒸留施設、アランビック棟。


優美なシルエットのフランス製アランビック蒸留機。今も、耳納蒸留所限定酒の蒸留に使われる現役の蒸留機です。


本社事務所の後ろは、醗酵を行っている醸造棟。残念ながら、内部を見学することはできません。


勢いよく蒸気が噴き出していました。


紅乙女酒造創業者 林田春野に因んで名付けられた春野蔵。出荷前の最終工程、紅乙女の瓶詰が行われる建物です。
春野は、創業元禄12年(1699年)、300年の歴史を持つ若竹屋酒造場の12代当主、林田博行の妻。焼酎と言えば安酒というイメージだった時代(昭和50年代)に、彼女は「ウイスキーやブランデーにも負けない、日本ならではの香り高い蒸留酒を造る」ことを目指して、世界でも例のない胡麻を使った焼酎に辿りつきました。それが「紅乙女」です。


教会のような雰囲気が漂う森の貯蔵庫。


フレンチオークの樽が整然と積まれています。写真ではよくわかりませんが、窓にはステンドグラスがはめ込まれていました。


漫画家・イラストレーターの江口寿史さんのイラストとサインが入った樽。江口さんは、紅乙女酒造とのコラボレーションを手掛けているそうです。


趣きのある茅葺屋根の古民家、水縄(みのう)茶寮。安土桃山時代に建てられた建物を移築したもので、釘を一本も使わずに造られています。


ガラス越しに見た店内。残念ながらこの日は休業でした。


耳納蒸留所の売店。紅乙女だけではなく、いろんな種類の焼酎が展示販売されていました。
こちらは最もスタンダードな胡麻祥酎 紅乙女。真っ赤なラベルが印象的ですね~。
紅乙女は、「焼酎」ではなく「祥酎」と書きます。“祥”は喜びやめでたさを表わす漢字。紅乙女酒造は、「幸せを運ぶお酒でありたい」との願い を込めて、”焼”ではなく”祥”の字を当てているのだそうです。


紅乙女STANDARD江口寿史バージョンや、紅乙女のハイボールなどもありました。


もちろん、試飲コーナーも……。ドライバーにつき試飲はご法度ですが……(笑)


紅乙女耳納蒸留所に隣接するぶどう畑。


山道を少し上ったところに巨峰ワイナリーがあります。


巨峰ワイナリーのワインと地元食材を味わうレストランHEURIGE(ホイリゲ)。
「ホイリゲ」とは1年未満のワインの新酒のことで、オーストリアでは、それを提供する造り酒屋もホイリゲと呼ばれます。1789年、オーストリア皇帝ヨーゼフ2世が、ウィーンのぶどう農家に「年間 300日以内に限り自家製ワインを小売りし、簡単な食事を供してもよい」という特別許可を与えたのが始まりで、ホイリゲ文化はオーストリアのユネスコ無形文化遺産に登録されました。


続いて、巨峰ワイナリーの地下ケーブを見学。


巨峰ワインは、それまでは難しいとされていた巨峰100%醸造にこだわって試行錯誤を重ね、1972年に誕生しました。


地元農家と共に「巨峰」の栽培に取り組んだのは、若竹屋酒造場12代目の林田博行(林田春野のご主人)です。


病に倒れた先代の思いを受け継いだ13代林田伝兵衛が、10年の歳月をかけて巨峰100%の巨峰ワインを開発。巨峰ワイナリーを創立しました。


巨峰ワイナリーの売店、Shop MINOH。ぶどうだけではなく、柿やブルーベリーなどを原料とした果実酒の品揃えも豊富です。


ヴィンテージ巨峰ワイン。


晩酌用に買って帰った3種類の紅乙女。左から、黒胡麻と黒麹で仕込んだ「紅乙女 KURO」、胡麻を20%以上使ったコクのある「紅乙女 角」、アルコール20度と軽めの「紅乙女 Light」。


ワイナリーでは巨峰ラムネを……。新しいiPhoneのポートレートモードで撮ってみました (^-^)ゞ


朝採りの野菜や果物、手作り製品などの直売所、ファームステション バサロで見つけた晩白柚サイダー。


原鶴温泉は、筑後川の河原で鶴が湯浴びをしているのを見て発見されたことがその名の由来です。
天候に恵まれて、西の空がきれいに染まったこの日、久しぶりの温泉でゆったり寛ぎました。
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日本書紀に由緒のある古社~高倉神社(遠賀郡岡垣町)

2021年05月26日 | 福岡
岡垣町高倉周辺の汐入川(別名:乳垂川)でホタルが飛びはじめたと聞いて、一昨日(5月24日)の夕方、さっそく出かけてきました。初めての場所なので、暗くなる前に付近の様子を確認しておくため、少し早めに出発。日没時刻に十分余裕をもって到着したので、近くの高倉神社を参拝しました。

🍀

高倉神社は、戦前まで旧遠賀郡遠賀西22村(資料によって「21」とも「24」とも書かれています)の総社で、なんじゃもんじゃで有名な芦屋町岡湊神社の本宮でもありました。日本書紀には、仲哀天皇による熊襲征伐に関する記述がありますが、そこには次のように記されています。
仲哀天皇8年の春、天皇・皇后(神功皇后)は熊襲征伐のため親征し九州に向かった。この付近を治めていた岡県主の祖、熊鰐(くまわに)は、500本の榊を9艘の船の舳先に立てて周芳沙麼浦(山口県防府市佐)に天皇をお出迎え。北九州の遠見ヶ鼻から岡浦(遠賀郡芦屋)に導くも、水門(芦屋町山鹿)付近で船が進まなくなり立往生した。その理由を詰問する天皇に答えて、「この浦におられる大倉主(おおくらぬし)、菟夫羅媛(つぶらひめ)という二柱の男女神の御心によるもの」と熊鰐。天皇はすぐさま二柱の神に祈祷するため神事を行ったところ、再び船を進めることができるようになった。
熊襲征伐の途上で仲哀天皇は崩御されますが、その遺志を引き継いだ神功皇后が熊襲を平定し、さらにご神勅に従って海を渡り三韓(新羅・百済・高麗)を征伐。皇后の凱旋後、大倉主命と菟夫羅媛命の二柱の神を高倉大神として祀ったのが高倉神社の起源とされています。(その後、中世期に天照大神が合祀されました)
境内の西に建つ鳥居。鳥居を抜けると正面に神門、階段を上ると拝殿・本殿に通じます。


夕暮れ時には明かりが灯され、温もりを感じさせる神門。


階段を上がった正面の拝殿。土台が八角形に模られていました。


拝殿を回るとその奥に本殿があります。


拝殿の横にある御縁玉。この穴をくぐると幸運な出会いに恵まれると言われています。思ったより狭く支えがないので、潜り抜けるのはひと苦労です (^^;)


巨木が鬱蒼と茂る境内(北から南方向を見たところ)。写真左の道が参道に繋がっており、その先に一の鳥居があります。その鳥居越しに見える三角錐の山を高津峰(たかつのみね)と言い、「この峰は国を鎮護する神々ご降臨の地。峰に登り朝敵誅伐を祈念し給え」という熊鰐の奏上を聞き入れた神功皇后が熊襲征伐の成功を祈願されたと伝えられています。


延徳3年(1491年)、遠賀郡手野村の須藤駿河守行重が奉納した銅製毘沙門天立像。制作したのは筑前芦屋の鋳物師 大江貞盛で、当時一世を風靡した芦屋釜鋳造の歴史を紐解く貴重な資料のため福岡県指定文化財となっています。


毘沙門天像の奥には、神紋が付けられた銅製の神馬像が置かれています。台座に「伊勢神宮61回式年遷宮記念」の銘があることから、1993年(平成5年)の式年遷宮に際して記念に造られたもののようです。


赤い鳥居をくぐって上ると、高倉稲荷神社があります。
鳥居のそばのクスノキをはじめ、境内には県の天然記念物に指定されている5本の大楠や、三韓征伐に先立って神功皇后が植えたとされる綾杉などの巨木が林立しています。


高倉神社前を流れる汐入川。ホタルはこの付近でも見ることができますが、さらに1kmくらい上流には、より多くのホタルが生息しているそうなので、神社の駐車場に車を置いてそこまで歩きました。神社からおおむね15分くらいの道のりです。
この日の日没は午後7時20分ごろ。歩いていると、周辺の山から「ホーホー」というアオバズクの声が聞こえてきます。日が暮れてしばらくすると、暗がりの中にやわらかい緑色の光がぽつぽつと……。8時を過ぎる頃には、乱舞とまではいきませんが、かなりの数のホタルがあちこちで瞬き、ふわふわと飛びかってくれました。(残念ながら写真・動画は撮れませんでした)
ちなみにこの汐入川には、「乳垂川(ちたるがわ)」という別名があります。先の神功皇后が御子(のちの応神天皇)をお産みになったとき、乳の出が悪かったため高倉神社に祈願されました。「神社前を流れる汐入川の水を飲むとよい」というお告げに従ったところ、乳の出がよくなったという故事に因んで「乳垂川」と名付けられたのだそうです。


この日(5月24日)の月。満月の2日前なので、左下が少し欠けていますね。


今日の満月は、今年もっとも地球に近づくスーパームーン。皆既月食とも重なって、月が赤銅色に染まるスペクタクルな天体ショーですが、雲に覆われた九州では見られそうもありません (^-^)ゞ
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