パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

姉さんかぶりに

2009-01-11 20:04:45 | Weblog
……割烹着、手にははたきを持って、ぜひ志村けんのコントに出てほしいと、テレビで見るたび思う、派遣村の村長さん(なのかな?)湯浅誠氏の主張は、《日本社会に特徴的な病理としての「自己責任」論への批判反論》にあるそうだ。

 すなわち、曰く、《日本社会に蔓延する自己責任論は、……「負け組」の人々においても内面化されてしまっており、所持金が底をつきどうにもならなくなるまで「自己責任」で頑張りすぎる者が非常に多いと湯浅は指摘している云々》。

 いや、まったくそうなわけで、私はそれを、「努力次第で出世できる」とする日本の縦社会の自己矛盾の現れだと言っているわけだが、湯浅氏には、そういう社会学的観点はないようだ。

 たとえば、「負け組」が社会から排除されたのだと言って、次の五つの要素を指摘しているそうなのだが(ウィキペディアからコピペ)、突っ込みを入れされてもらう。

1、教育課程からの排除
 親世代が貧困状態である場合、その子供たちは多くの場合中卒あるいは高校中退で社会に出なければならず、社会的階層上昇(貧困脱出)の為の技術や知識、学歴を獲得することが極めて難しい。この背景には、日本がOECD加盟諸国の中でも、学校教育費への公的支出のGDP比が下から2番目という、教育関係への公的支出が極端に少ない国であるという問題がある。

 →貧困家庭の子女でも頑張れば出世できるというのが、日本が近代化を推進するに当たってもっとも大きなインセンティブであったわけだが、実はそれが怨嗟の的でもあったという事実への視点が湯浅氏にはないように思う。たとえば、もし日本政府が湯浅氏の批判を受け入れて教育関係への公的支出を増やし、貧困家庭の子女が大学以上の学歴を取得できるようになったとしても、それは出世レースに貧乏人も参加できるというだけで、日本の社会の「縦型構造」にメスを入れない限り、現実のレースにおいて敗北すれば、努力不足だったかと自己を責め,一方では社会を怨嗟するという現状が変わるわけではない。要するに、湯浅氏には問題を根本から把握する視点がない。

2、企業福祉からの排除
小泉構造改革によって激増した非正規雇用の人々は、正規雇用の人々に与えられている雇用保険や社会保険、企業による福利厚生、安定した雇用などから排除されており、容易に貧困状態に滑り落ちてしまう。

→非正規雇用者と正規雇用者の間の「格差」こそがまさに問題なのだが、テレビ等でみる湯浅氏はこの問題をあまり指摘しない。正規雇用者の団体である連合への配慮か? それから、非正規と正規の間の「格差」は小泉構造改革とはまったく関係がない。元来、非正規であれ正規であれ,同じ労働をしている場合は同一賃金であるべきなのだが、これは「横社会」の特徴なので、縦社会の日本ではなかなか実現しない。(でも、実現すべきだと私は思う)

3、家族福祉からの排除
低負担・低福祉である日本社会では親族間の相互扶助が、社会的転落を防ぐセーフティーネットとしての重要な役割を果たしているが、貧困状態に陥る人々はもともと頼れる家族・親族が居ない(例えば家族・親族もワーキングプアであるなど)ことが多い。

→「親族間の相互扶助」は大家族制度の特徴であることを湯浅氏はまったくわかっていないようだ。大家族制度のもとでは、一度も顔を合わせたことのない人でも、「親戚」であることが確認されれば、ただちにそのネットワークに組み込まれ,扶助を受ける資格が生じる。(実際のところは大した扶助は受けられないかもしれないが,精神的一体感が得られることは大きい)一方,日本は小家族制度であり、「遠い親戚より近くの他人」と言うように「親族間の相互扶助」は機能しない。ちなみに欧米,特に米英は大家族制度ではないけれど「横社会」である。これは、「階級」が大家族制度における「親族」、あるいはカーストにあたり、労働者間で「横のネットワーク」を形成する。(これが、同一労働同一賃金の理論的根拠になる)つまり、労働者であることは、親族、あるいはカーストがそうであるように1つの「資格」であって、日本のような、「出世レースの敗者の吹きだまり」を意味したりするようなことはないのだ。

公的福祉からの排除
「ヤミの北九州方式(水際作戦)」に代表されるように、現在の日本では生活保護担当の公務員は、申請者をあれこれ理由を付けて追い返すことばかりに力を入れており、いよいよ追い詰められた状況でも生活保護受給に辿り着けない者が非常に多い。湯浅は現在、生活保護受給資格があるにも関わらず「水際作戦」などによって生活保護から排除されている人々(漏給と呼ばれる)を600万人から850万人と見積もっている

→公的福祉制度が非能率であることはどこの国でも同じ。そのため負の所得税制度とか、ベーシックインカム的な制度の導入が求められるのだが、湯浅氏は、なぜか、ワーキングシェアについてはまあまあ反応する(連合への配慮か自分からは言い出さないように見えるが…)ものの、ベーシックインカムにはまったく触れない。知らないはずはないだろうに。

自分自身からの排除
上に述べた4つの社会的排除に直面した結果、自分自身の存在価値や将来への希望を見つけられなくなってしまう状態を言う。

→これは,私がずっと言っていることだが、湯浅氏には「社会学的観点」が欠けているので、「小泉改革のせい」となってしまう。


 川口市で、カッターをバッグに入れていた男が逮捕されたそうだが、私じゃありませんので、よろしく。