パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

良くなる前に,悪くなる

2009-01-18 18:16:21 | Weblog
 病院でインフルエンザが大量発生とはどういうことだね?

 病院には病人が集まるからそれだけ病気をうつされる可能性も高いということはよく言われることだが、報道によると、加湿を十分に行わなかったことが原因の1つらしい。

 お詫び会見に現れた院長がマスク姿だったり,笑えない。

 かくいう私もインフルエンザではないと思うけれど,ちょっと風邪気味なので、毎朝やっている冷水シャワーを少し長めにするようにした。

 っていうと、とんでもないと思われるかもしれないけれど、これが効果覿面。

 布団の中でなんか頭が重いな、少し寒気がしてとかくしゃみを連発しても、冷水シャワーですっきりする。

 もっとも、さすがに夏ではないので、冷水を浴びる前に熱湯シャワーを十分に浴びてからにしているけれど、そもそも風邪でぶらふらするのは副交感神経とかそこらへんが不活発になっているからであって、「熱」と「冷」を交互に浴びれば、たちまちしゃきっとする。

 風邪の時に風呂に入ってはいけないというのは、風呂から出てからの「湯冷め」がよくないので、冷水シャワーだったら、「湯冷め」どころか、身体がぽかぽかと暖かい。

 とはいえ、本格的に風邪で寝込んでしまった時には、さすがにまだ試みてはいないのだが、「ちょっと風邪気味」の場合だったら、絶対に大丈夫なんでお試しを…といっても、誰もしないだろうなあ。

 オバマ次期大統領が、就任前の演説で現今の経済状況について、「良くなる前に、まだまだ悪くなるだろう」と言った由だが、さすがに言い方がうまいなあ、と思った。

 「景気回復のために全力を尽くす」なんて言ったって、すぐに回復するわけじゃない。

 車のブレーキを踏んでもすぐに止まるわけじゃないのとまったく同じだ。

 オバマ演説は、そこら辺をちゃんとケアした言い方になっている。(文字にすると,そこらへんのニュアンスが出てきにくいが)

 新聞を久しぶりに読む。といっても、買ったわけじゃない。買う価値なんか全然ないことを、読売新聞の「けいざい百景」というコラム記事で検証してみよう。

 筆者は近藤和行という、何が専門なのかわからないが、読売の記者だ。

 テーマは例によって雇用問題と、それにからめて日本経済の行く末を云々するストーリーだが、この記者によると、90年代の不況時には、日本の企業には温情主義が残っていて、「社内失業」という形で雇用を維持してきた。ということは、いわゆる内部留保分を多少なりとも切り崩したわけだが、今回は、内部留保は将来の投資のため等の理由で温存し、余分な人員は「派遣切り」という形で対応しているが、それはよくない云々という。

 私だったら,「社内失業」という形で恩情をかけられるのはまっぴらごめんで、そんな形で会社に居残るくらいなら、さっさと他の会社に移りたいと思うが、近藤氏は、どうもそうではないみたいだ。むしろ、10年前のような「温情主義」があったっていいのじゃないかと言っているみたいなのだが、ところが、氏の主張はさにあらず。今の、派遣切りをばんばん断行している日本の経営者の経営は、「10年前と同じ前例踏襲に陥っている」という。

 なんのこっちゃである。「前例踏襲」と非難しておけばまあ何にでも対応可能となめているとしか思えない。

 ということで,たまたま、今NHKのニュースをみたら、民主党の党大会を取材してきた記者いわく、「……政権奪取に向けた高揚感に包まれた大会だったとはいえ、選挙における自民党の地力は侮りがたいという意見が地方党員から相次ぎ、小沢党首は党員のひきしめにやっきといったところでした」と言っていた。

 なんのこっちゃである。「ひきしめ」を求められたのは、この記者の報告では小沢党首ということになるのじゃないの? 決まり文句のやっつけ仕事ばかりしているからこんなわけのわからない文章になる。(デスクはチェックしないのか?)

 それはさておき、はっきり言って、10年前の不況時の対応が、「内部留保切り崩し+社内失業温存」、今回の対応が、「内部留保確保+不用人員削減」だとしたら、今回の対応の方がずっと健康的じゃないか。

 なぜなら、「内部留保切り崩し+社内失業温存」では将来見通しが全然立っていない。あったとして、せいぜい、景気回復までを内部留保切り崩しで耐えに耐え、耐えきれなかったら倒産,耐えたらOKでしかない。運任せだ。(さすがに、日本の経営者もここまでバカだとは思わないが)

 一方、「内部留保確保+不用人員削減」の場合、成功するかしないかは別として将来見通しが存在する。つまり、景気回復へ向けた投資を可能とすることで,将来の雇用創出が予想される。

 とまかく問題は,削減された人員が次の職場を見つけられるかどうか、また、それまでの生活手段をどうするか、つまり、セーフティーネットの問題につきる。